第20話 欲張り

 翌朝、店を開けようとドアを開けると、そこにはウェルスが立っていた。

 しかしディーナは驚かなかった。なんとなく、ウェルスなら来てくれそうな気がしていたから。


「入って、行くだろ?」


 ディーナが問うとウェルスは首肯し、店の扉を入って来る。

 店を開ける時にはいつもすでにいるはずのコリーンは、今日は何故だか遅れている。

 客もおらず、今ヴィダル弓具専門店は、ディーナとウェルス、二人きりだ。


「昨日は、ごめん」


 ディーナはウェルスが何かを言う前に、先に謝った。

 どう考えても悪いのは自分だ。呆れられても仕方がない。


「あたし、あんな事言うつもりじゃなかったんだ。本当は、ウェルスが帰って来て嬉しいっ て、それを伝えるためにあそこにいたのに……」


 ウェルスを見上げると、彼は優しい瞳で首肯してくれている。


「あたし、自分が怖いよ……すごく欲張りになって来てんだ。ウェルスが幸せになってくれればそれで良いってずっと思ってたのに、それだけじゃ満足出来なくなってる」


 ウェルスは何も言わずにディーナの話を聞いてくれた。そっとディーナの髪を撫でながら。


「あたし、ウェルスとずっと一緒にいたいよ。ウェルスと対等でいたいよ。ファレンテイン人になりたいよ。ウェルスの……お嫁さんに、なりたいよ……!」

「ディーナ……」

「困らせて、ごめん! でもあたし、ウェルスが好きで好きで大好きで、どうしようもないんだ!」

「ディーナ、私もだ」


 ウェルスはディーナをは抱き締め、貪るようにその唇を奪い合った。今、確実にこの手の中に愛する人はいるというのに、どこかに消えて行きそうな不安だけが心を支配する。

 いくら唇を重ねても、何故か虚しいのだ。


「こ、こほん」


 キスに夢中になっていると、遠慮がちな咳払いがした。ふと見ると、扉の前にコリーンが横を向いて立っている。


「あ、おはようコリーン」

「おはようございます……遅れてすみません。変な記者に追いかけられまして」


 コリーンは何故か赤い顔で、机に向かっている。


「変な記者……そいつ、何て言ってた?」

「ディーナさんとウェルス様の関係について聞かれました。知らぬ存ぜぬで押し通しましたが」

「そっか、ごめんね。ありがとう」


 ディーナが謝罪と礼を述べると、コリーンは訝しげにこちらを見つめてくる。


「そんなに好き合っているなら、どうどうと交際宣言すればいかがですか? そうすれば記者に追われることもないと思うんですが」


 コリーンの言うことは最もだ。それが出来るなら、とうにそうしているだろう。


「言ってなかったね。あたし、奴隷だったんだよ。奴隷をファレンテイン人にしたくない奴らがいてさ。結婚でもしちゃったら、ウェルスは騎士の地位を剥奪されかねないんだ」

「なるほど……」


 コリーンはディーナの拙い説明でも全て理解出来たらしく、納得のいった顔をしている。


「でも、結婚にこだわる必要はありませんよね?」


 しかし彼女はけろっとそういってみせた。理解できずに「え?」という声と共にディーナは首を傾げる。


「だってそうじゃないですか。結婚していても、心の伴わない夫婦なんてざらにいますよ。互いを縛り付けるだけの結婚に、何の意味がありますか? お二人なら結婚せずとも、幸せに暮らせると思いますよ」


 コリーンにそう言われ、ディーナとウェルスは互いに顔を見合わせた。

 結婚せずとも……本当にそうだろうか。

 例えばこのまま結婚せずに今の関係を続けたとして。どこかでひっそりと会い、ひっそりと愛し合って。

 でも表向きはただの友人で。

 もしも子供が出来たらどうなるだろう。きっと、ディーナは産む。そしてウェルスは産む事に賛成してくれるだろう。

 ディーナの子供として育てて行かなければならなくなるので、子供もファレンテイン人ではない。

 ウェルスがこっそりと援助してくれるだろうので、金銭面で困る事はにはならないはずだ。しかし子供はファレンテイン人でないがために、通える学校が制限させられるだろう。それでも就職という観点から見れば、この店を継げばいいのだし、そこまで大きな問題ではないかもしれない。騎士になりたいとさえ言わなければ。

 しかし見た目はどうなるのだろう。やはりエルフの血が入ると、耳が大きくとんがっていたりするのだろうか。それでウェルスの子だとばれはしないだろうか。


「贅沢ですよ。互いに好き合っていて、これ以上何を望むんですか?」


 畳み掛けるようなコリーンの問いに、ディーナは頷かざるを得なかった。

 最初は、ウェルスの幸せを願っていた。別の誰かが現れた時には祝福しようとさえ思ったと言うのに。

 いつの間にかディーナは、自身の完璧な幸せを望んでしまっていた。贅沢、と言われればその通りだ。


「そうだね。その通りだ。あたし、幸せに慣れて来ちゃってたんだな。本来なら、奴隷として戦わずに済んでるだけでも、幸せだってのにさ」


 ディーナは笑おうと努めた。しかしそれは、何故か力ない渇いた声が漏れるだけに止まる。


「ディーナ」

「ウェルス。あたし、ウェルスの事、ずっと好きでいてていいかな」


 ウェルスは深い頷きを見せてくれる。


「ウェルスもあたしの事、好きでいてくれる?」

「勿論だ」


 肯定の言葉が紡がれるのを聞いて、ディーナは柔らかい笑みを見せた。


「ありがとう、十分だよ。お嫁さんになりたいだなんて我儘言っちゃって、ごめん」

「いや、嬉しかった。私もディーナを嫁に貰いたかった……すまない」


 嫁に貰いたかった。その言葉を貰えて、ディーナは何故か涙が溢れそうになった。ウェルスを愛おしいと言う気持ちが溢れて止まりそうにない。


「ウェルス、大好きっ」

「私もだ。結婚出来なくとも、心はいつも共にいよう」

「うん!」


 チュッチュとキスが始まった。後ろの方でコリーンが咳払いをしていたが、ディーナもウェルスも気にしなかった。

 キスが深くなる頃にはコリーンの気配は消えていて、扉も鍵を掛けてくれている様だった。表側の扉には、きっと臨時休業と書かれた紙が貼り付けられている事だろう。

 ディーナはウェルスと抱き合えて幸せだった。

 しかしその幸せの中に、満たされることのない何かが、渦巻いていた。

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