第19話 凱旋
アルバンの街から騎士や兵士達が出撃してから、五日が経った。
一対一の戦いしか知らないディーナには、戦争がどういうものか分からない。しかし、あんなに多くの兵が出撃するのだ。敵の人数だって、かなりのもののはずだ。
ディーナは身震いした。弓矢というものは近距離戦では不利な武器だ。手矢という直接矢を刺す方法はあれども、やはり消耗品なのでいちいち矢筒から取り出さなければならない。そのロスタイムが怖いのだ。
「……ウェルス」
今まで一度も不安になったことはなかった。ウェルスが強いのは分かっていたから。しかし、ディーナは戦争というものを理解していなかった。急に不安が押し寄せてくる。
ふとコリーンを見ると、彼女も同じ様に「ロレンツォ」と口元が動いていた。彼女の手元の帳簿は、先程から何も書き足されていない。
「コリーン、今日はもう店を閉めようか。兵士達はほとんど出撃しちゃって客もないしさ」
「そうですか?……そうですね、じゃあ、お先に失礼します」
コリーンはささっと身の回りを片して、店を出て行った。
ディーナはやることが無いので、結局ウェルスオリジナルを作る。大きな戦争なら、すぐに矢も使い果たしてしまう事だろう。
兵達が戻ってくれば、きっと大量の注文が入るに違いない。それともこれで戦争が終わったら、需要がガクッと減ってしまうのだろうか。もし戻ってくる兵が誰もいなかったら……
そこまで考えて、思考を止めた。嫌な考えばかりが浮かんでしまい、ディーナは腰を上げる。
ウェルス達は戦争をしているというのに、トレインチェの街並みは変わりなかった。少し騎士が少ないかな、といった程度だ。
ディーナは花屋で花束を作って貰うと、共同墓地に向かった。沢山の花が手向けられている場所に、ディーナも買ったばかりのそれを置く。
「じーちゃん、ウェルスを守ってやってくれよ……」
墓地に来たものの、墓を見ずに空を見上げて祈った。さやさやと風が頬を流れて行き、『大丈夫じゃ』とヴィダルの声が聞こえた気がした。
その帰り、街の様子が先程とは違って浮き足立っている。何事だろうと街の人の会話を聞いていると、どうやら戦争に勝利した騎士達が凱旋してくるらしい。その準備に追われている様だった。
ウェルスが帰ってくるという喜びと、ウェルスはその中にいるのだろうかという不安が入り混じる。
このまま店で待っていても不安に駆られるだけだろう。
ディーナは街の人に声を掛け、何か手伝えることはないかと聞く。すると紙吹雪を作って欲しいと頼まれた。凱旋時、騎士団本署の屋上から撒くのだそうだ。
ひたすらチョキチョキと色紙を切って行く。無心になって切っていると、いつの間にか大量の紙吹雪が出来上がっていた。
それをファレンテイン人が本署に慌てて運んで行く。もうすぐ到着するのだそうで、ディーナの気持ちも高揚した。
「来たぞーーーっ! 皆、お出迎えだー!」
にわか警備員達が、凱旋ルートを保持している。沢山の民衆が詰めかけて来て、大わらわだ。
ディーナも例外なくその群衆に入った。ウェルスの姿を一刻も早く確認したくて。
人が後から後から押し寄せ、潰されそうになりながら街の入り口を覗き見る。ガヤガヤと騒がしかった群衆は、一度落ち着きを取り戻し、不思議な静寂が訪れた。
皆緊張しているのだ。団長が、隊長が、或いは息子や娘が、或いは父や母が、或いは恋人が。愛する者がちゃんと帰って来られるのかと。
ディーナも多分に漏れず祈った。胸の前に両手を合わせ、ウェルスの無事を。
その時、群衆がうわあああ、と沸いた。
ディーナが見ると、馬に乗った団長の姿が確認出来た。そしてその数歩後ろには背の高いウェルスの姿が確認できる。
「ウェルス………よか……良かった……」
安堵の息と共に涙が流れ落ちた。もしかしたら負傷しているのかもしれないが、そんなことはおくびにも出さず、凛々しい顔で闊歩している。
ウェルスがディーナの目の前を通る時、彼はディーナに気付いて、馬上からほんの少しだけ微笑んでくれた。
ディーナには、それで十分だった。
ウェルスの頭上では色とりどりの紙吹雪が舞い、人々の大歓声が飛び交う。そしてウェルスは騎士団本署へと消えて行った。
人々の熱狂は少しずつ冷めて行く。全ての騎士達が本署に入ると、人々の姿もまばらになっていった。
ディーナは家に帰る気にならず、騎士団本署の前のベンチに腰掛けた。ウェルスに会いたい。会って、無事だった喜びを伝えたい。
日が暮れて星が瞬き始めた頃、ようやくウェルスが本署から出て来た。だが他の騎士隊長達も一緒だったため、話しかけるのは遠慮した。
どうしようかと足をブラブラさせていると、目の前から眼鏡をかけた男がやって来てディーナに話しかけてくる。
「お嬢さん、騎士隊長のどなたかとお知り合いで?」
「だったら、何?」
「いやぁ、もしよろしければどなたと仲が良いのか、教えていただけませんかね? 僕はこういう者でして」
四角いちいさな紙を渡されて見てみると、そこには新聞記者と銘打っている。名前はミケレと言うらしい。
「記者? トレインチェ新聞の?」
「いえ、今はアルバンの街の地方新聞を担当していますよ」
アルバンの地方新聞と言えば、ウェルスに恋人が出来たという報道を書いた人物かと、ディーナは睨むようにミケレを見た。
「何を書く気だよ。あたし、何も言わないよ」
「何を書くって、真実ですよ。僕は何より真実が好きですから。今、貴方は騎士隊長の誰かに声を掛けようとしていませんでした?」
「だったら、どうだっていうんだい」
「そのお相手が誰なのか、ちょこっと教えてくれたりはしないですかね」
「何も言わないって言ったろ」
ディーナはプイと目を背けた。無意識に手が黒い焼き印を隠すように移動する。
別れているとはいえ、ウェルスに奴隷との付き合いがある事など書かれては、彼の今後にどう影響するか分からない。ウェルスと話せないのは残念だが、今日は帰る方が良いだろう。
「あれ、どこ行くんですか?待って下さいよ、お話が……」
「家に帰るんだよ。着いてくるんじゃない」
そう言ってはみたものの、ミケレはディーナの後ろをピッタリと着いてくる。張り倒してやろうか、と後ろを向いた瞬間、その声は上がった。
「ディーナ、この男は……」
「ウェルス!」
ミケレの後ろにいつの間にかウェルスが立っていて、ディーナは思わずその名を呼んだ。
「『ウェルス』、ですか。親しい間柄なんですねぇ」
しまったと思ったが、時すでに遅い。こういう奴は有無を言わさずノックアウトだ、と手刀を繰り出した瞬間、それはウェルスの手によって止められた。
「ぼ、暴力反対ですよーっ」
「うっさい、どっか行け! じゃないとボコボコにしてやるからな!」
「ウェルス様、彼女とはどういう関係で?!」
ウェルスはディーナの手を強く捕らえたまま、「貴殿は確か」と己の記憶を辿るように質問し返している。
「僕はしがない新聞記者ですよ。是非、お二人の関係を知りたいと思いまして」
ミケレの答えに、ウェルスは一拍置いてから言葉を口にした。
「ディーナとはただの友人だ」
「……はぁ、そうなんですか。では、今日の所は引き取らせてもらいますよ。今日の所は、ね」
そう言ってミケレは去って行った。
ディーナはウェルスの顔を見上げるも、すぐに逸らせる。
無事を祝う言葉を伝えるつもりが、急速に引っ込んで行った。ディーナとはただの友人。その言葉が胸に深く突き刺さってしまって。
それに気付いたのかウェルスは、掴んでいた手をそっと緩めた。
「すまない。今はああ言うしかなかった」
「分かってるよ」
ディーナは自分で、言葉尻がきつくなっている事に気付いた。ウェルスが悪いわけではないと分かっていつつも、怒りの矛先はウェルスにしか行きようがない。
「あたし達って、ずっとこんななのか? ずっとコソコソ人目を忍んでさ。……あたし、またウェルスと一緒に暮らしたいよ……一緒に、おでん食べに行きたいよっ! ウェルスは、違うの!?」
いつの間にか目からは涙が溢れ出した。それと共に言葉も流れ出て来て、止まる所を知らない。
「あたしが奴隷だったってだけで、何でこんな思いしなきゃいけないんだよ! あたしだって、奴隷になりたかったわけじゃないのにさぁ!」
胸の内に秘めていた言葉が勝手に出て来た。両親を否定する様な言葉を口にする気は無かったと言うのに。
「何でウェルスは騎士なんだよ! 何で、あたしはファレンテイン人じゃ、ないんだ……っ」
漏れる嗚咽を抑えつけながら泣き崩れる。こんなのはただの八つ当たりだ、と頭の中で冷静に考えている自分がいた。けれど一度流れ始めた涙は止められなかった。
「……ディーナ、すまない」
ウェルスが謝る必要など何一つないというのに、彼は心底すまなさそうにディーナを見つめる。
「ディーナ、帰ろう。送る」
ディーナは差し出された大きな手を振り払って、首を振った。
「ひっ、ひっく。……い、いらな、い、よ。ひっ。ひ、一人で、帰れ、る……ぐすっ」
「しかし」
「ひ、ひと、りに……ひっく、なり、たいんだ……ひっく」
そう言って背を向けると、ディーナは一人家路に着いた。
後ろで見送ってくれていたであろうウェルスが、どんな顔をしていたのかは見ていない。
しかしディーナには、ウェルスの表情がどんなものであるのか分かっていた。
彼もまた、涙しているであろうことが。
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