第12話 ライズという男②

「ライズ?! 離れろよ! 何やってんだっ!」


 ライズの体から左手を抜き取り、手矢を射るイメージで手刀を繰り出す。それはライズの背中に強打し、「うっ」と言う小さいうめき声を上げさせた。

 ディーナは急いで手元の灯りをつける。ライズは背中に手を当ててうずくまっていた。


「ふざけんなよ! お前、あたしの体が目的かよ!」

「……誘ってたんじゃ、なかったのか……」

「誘ってなんかないだろ!? 何考えてんだ!」

「誘われてんのかと思った……襲わなきゃ、逆に失礼かと思ってよ。おー、いてぇ」


 ライズの言葉を聞いて、はたと思い当たる。確かに泊まっていけ、などと軽率な言葉だったかもしれない。そんなつもりは微塵もなかったのだが。


「ご、ごめんよ、ライズ……」

「……いや、俺もラッキーって思っちまったからよ。目ぇ覚めたわ。そうそう上手い話は転がってねぇってな」

「あたしにとってはライズの存在自体が上手い話だよ。給料も払えないのに働いてくれてさ。あたし、やっぱ体で払うとかした方がいいのか?」


 ディーナの明け透けな物言いに、ライズは大いにウケた。


「ははははははっ!! まぁくれるってんなら遠慮なくもらうがな」

「ごめん、やっぱあげられないや。あたし、ウェルスが……ウェルス様が、好きなんだ」


 その言葉に、ライズは渋い顔を見せる。


「何だ、お前も他の町娘と一緒に夢見てんのかよ。ちょいと興醒めだな」

「あんなミーハーな奴らと一緒にすんなよ! あたしは、真剣なんだ!」

「はいはい」


 軽くあしらわれてムッとしたが、それも仕方のない事なのかもしれない。

 確かに今のディーナは、ウェルスと何の接点もない町娘と変わりない。もう一度ウェルスと、なんて事は夢物語なのだ。

 いつかウェルスを忘れられる日が来るのだろうか。例えばそう、新しい恋人を見つけた時には。


「寝るか。もう手ぇ出さねぇから、安心していいぞ。おやすみな」


 ライズはディーナの頭を撫でると灯りを消し、ディーナはライズを探すように暗闇を覗いた。その気配を察知したのか、ライズが問いかける。


「どうした? ディーナ」

「ライズは、どうしてそんなに優しくしてくれるんだ?」

「うん? うーん、引かねえか?」

「ああ、多分」

「多分かよ。あー、まぁ、あれだ。ちょっと似てんだよ」

「似てる? 誰が? 誰に?」

「ディーナが、俺の娘に」

「へぇー……」


 ディーナはライズが消した灯りを再び点けた。彼がどんな顔をしているかを知りたかった。


「俺の娘、実はディーナって名前なんだ。今年で二十歳になるはずだなぁ。どうしてっかな」


 ライズは目を細めて天井を見つめていた。その横顔は何だか淋しそうだ。


「会ってないのか?」

「十年前に嫁さんと別れてから会ってないねぇ。ディーナを見てたら、娘のディーナもこんな風に成長してんじゃないかと思っちまってよ」

「何で奥さんと別れちゃったんだ?」

「おい、それを聞くか?うーん……」


 嫌がっている割には、言葉を探して悩んでいる。そして言葉が決まると淀まずに話してくれた。


「俺は生粋の狩人でなぁ。珍しい獲物と聞くと、そこに行かずにはいられなくてよ。一年ほど留守にしちまった事があるんだ。帰った時に離婚を突き付けられてよ。まぁ連絡もせず生活費も入れてなかったんでな。自業自得ってやつなんだろうなあ」


 ははは、とライズは笑った。


「ま、そっからは独り身だからよ。自由にあちこち狩りして回ってんだ」

「へぇ。娘さんに会いたいとは思わないのかい」

「勝手してる父親だからなぁー。会いたいなんて言われても困るだろ」

「そうかな。あたしなら父親が生きてるんなら会いたいと思うけどね。連絡取ってみたらどうだい?」

「……ディーナの父親は?」

「死んでいないよ」

「……」


 ライズは薄く開けていた目をゆっくりと瞑った。


「そうだな……手紙くらい、書いてみるか。しばらくはここに定住しそうだしな」


 そう言ったライズの何処か満足そうな顔を見て、ディーナは灯りを消した。

 その数分もせずに、二人分の寝息が部屋に響いた。


 その後、ライズと二人の生活は順調に続いていた。

 彼のお陰で借金も難なく返せ、売り上げも伸びて余裕が出て来た。

 給料もライズの望む額を払える様になったし、ほっと一安心だ。


「店を持つってのもいいな。狩人に戻れなくなりそうだ」

「え!? 狩人に戻るつもりかよ!」

「まぁ、狩りもキツくなってくるだろうから、どっかに定住して安穏と暮らせればいいがなぁ」

「ここにいればいいじゃないか!」

「ここは他所もんには厳しい場所だからな。家賃払うだけでいっぱいいっぱいになっちまう」

「一緒に暮らしてんだから、家賃いらないだろ?」

「そりゃ、今は一緒に暮らしてるけどよ。一生っつーわけにはいかねーだろ? ディーナだって誰かと……」

「いいよ、ずっとこの家にいてくれていいから! どこにも行かないでくれよ……じゃないと、あたし……っ」


 ライズの両腕をがっちり掴んで彼を見上げる。しかしライズはキョトンとした顔で、視線を外に飛ばしていた。


「ライズ?」

「おい、ディーナ! 客だっ! う、う、ウェルス様だ!!」


 ライズに縋り付いていた手をパッと離して振り向く。そこには確かに長身のエルフがいた。


「ウェルス……」

「おいこら、ディーナ! ウェルス様だろっ」

「ウェルス様……いらっしゃい……」

「いらっしゃいませだってのっ。申し訳ございません、ウェルス様! ウェルス様直々に足をお運び頂けるとは、光栄です! 本日は何が御入用でしょうか」


 ライズがそういうと、ウェルスは封筒をディーナに差し出した。

 三年ぶりにまともに顔を合わせたウェルスは、以前と全く変わりない。いや、戦争という経験を積んで、男らしさが上がってはいるが。

 ディーナは再会出来た喜びよりも、驚きの方が大きすぎて、頭がぼうっとしていた。


「ウェルス、様?」

「ヴィダル殿が亡くなった事を先日知った。彼には生前とても世話になった。お悔やみを申し上げる」

「何これ?」


 封筒をぺらぺらすると、ライズからツッコミが入った。


「ばっか、お悔やみ料だよ! ファレンテインのしきたりだ、受け取っとけ!」

「そっか、ありがとう。ウェルス……様」


 ウェルスは首肯すると、チラリとライズの方を見た。


「ディーナ……殿。彼は」


 ウェルスは無表情を崩してはおらず、ディーナには無機質に感じる。


「狩人で、この店を手伝って貰ってる……」

「ライズと申します! 以後お見知り置きを!」

「ライズ殿は、この家に……?」

「ええ、住み込みで働いてます」

「ディーナとは……」


 言いかけて、ウェルスは口を閉じた。次に彼の口から出て来たのは、先程とは繋がらない言葉。


「ヴィダル殿は、ディーナ殿の行く末を案じておられた。貴殿の様な者がいるならば、ヴィダル殿も安心して召された事だろう」


 ウェルスは言い終わると同時にコンポジットボウをディーナに渡した。


「これをメンテナンスして欲しい」


 ディーナがコンポジットボウを確かめると、昔自分が作った物に相違なかった。しかし幾つかの剣の傷がついていたり、持ち手がボロボロになっていて、使える状態ではない。

 彼はこんな弓で今まで戦っていたのだ。買い換える事もせずに。


「ウェルス、様。これは買い換えた方が早いよ。もう寿命が近い」

「……そうか。同じ物はあるか?」

「作るとなると、一ヶ月かかっちゃうけど、それでもいいかい?」

「お願いする」

「じゃあこのコンポジットボウを後一ヶ月は耐えられる様に、修繕するよ」


 ディーナは弦を外し、持ち手の革を剥ぎ取り始めた。その革には血が滲んでいる。彼はどれほどの凄惨な戦争をくぐり抜けて来たのだろう。


「ウェルス様、時間がかかるかもしれませんので一度お引き取りを。仕上がり次第、すぐにお届けに参ります」


 ライズがそう言うと、ウェルスは首を振った。


「いい。見ていたい。大事な弓だ」


 ディーナはウェルスの視線を感じながら、ゆっくりと修繕を行なった。少しでも長くウェルスと同じ空間にいたくて。

 ディーナは新しい握り革を巻き、壊れた藤頭を抜き取ると、数ミリの開きもなく綺麗に藤頭を取り付ける。

 剣で損傷した部分は、木で目を詰めて革を巻いて固定した。最後に新しい弦を張り、縫い糸よりも細く裂いた麻で、丁寧に中仕掛に巻きつけて行く。

 ウェルスは何も言わずにそれを見、ディーナも何も言わずに仕上げた。


「出来た。これでしばらくは持つはずだよ」

「ありがとう。いつもながら、丁寧な仕事だ。私がするメンテナンスとはわけが違う」

「はは、これでも職人だからねっ」


 仕上がったコンポジットボウを渡すと、じっと見つめられた。

 好きだと言って抱き付いて、思う存分キスしていた日々が懐かしい。

 だが、そうしたくても出来ないのは分かっている。こちらは元奴隷で、ウェルスは現在ミハエル騎士団の隊長なのだから。


「新しい弓が出来たら、すぐに届けるよ」

「頼む」


 ウェルスは古い弓を携えて、店を出て行った。

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