第11話 ライズという男①
「ディーナ、大丈夫か?」
そう問うて来たのは、ライズだ。
彼はヴィダルが死んだ翌日に現れた、最初の客だった。店に入ったものの誰もおらず、不審に思って家の中を覗いたのだろう。ディーナがヴィダルの側で泣いているのを発見したのが彼だった。
ライズは何も知らないディーナに代わって、葬儀の手続きをしてくれた。ファレンテイン人ではないので共同墓地にしか入れなかったが、それでも墓があるだけマシな方だ。
その後ライズは、何も買わずともちょくちょく店を覗いてくれる様になっていた。
「ありがとう、ライズ。大分落ち着いたよ」
「そうか。俺に出来ることがあったら、何でも言えよ?」
「これ以上は迷惑かけらんないよ」
「迷惑なんて思うわけねーだろ」,
ライズはまるで子供扱いするように、ディーナの頭をポンポンと叩いた。
二十五歳になっていたディーナだったが、三十九歳の彼から見れば、まだ子供に見えたのかもしれない。
ディーナは現在、一人でヴィダル弓具専門店を経営している。材料の仕入れ、買い付けから、制作、販売、配達、集金、その他もろもろ全てだ。
矢の細かい売値の変動はやめた。計算が出来ないので、今までの平均と思われる価格で販売している。
だがある日、お金が減っていることに気付いた。最初は気のせいかと思っていたのだが、矢が売れているにも関わらず、買い付けにも困るようになって来た。更には家賃も滞納せざるを得ないようになってしまう。
何がいけないのか、ディーナには分からない。ただ頭を抱えて、自分なりにつけてきた帳簿と睨めっこする毎日だ。
「ディーナ、どうした」
「……ライズ」
いつもの男が訪ねてきた。と言っても一週間ぶりだ。
「久しぶりだね、ライズ」
「ちょっと遠出して狩りをしてきた。ディーナに買い取って貰おうかと思ってよ」
そうして大きな巾着袋を見せられる。中にはグリフォンの羽が入っていた。
「ディーナは忙しくて狩りに行けねーだろ? そろそろ在庫がなくなるんじゃねーかと……おい、どうした?」
ディーナは溢れそうになる涙を必死で堪え、首を横に振った。
「ごめん……有難い話なんだけど、買い取れないんだ……金が、無くて……」
「金がない? これだけ繁盛しててか?」
ディーナが頷くと、ライズは難しい顔で「帳簿を見せてくれるか」と奪って行った。
しばらく帳簿を眺めていたライズの表情は段々と険しくなり、最後には睨むようにディーナを見て言った。
「ディーナ、騙されてる」
「え?」
その意味が分からず、ディーナはポカンとライズを見上げる。
「鏃と矢筈の元となる材料の仕入れ値が高すぎる。明らかにぼったくられてるよ。これじゃあ、一本当たり三十ジェイアの損失だ。ワンセットで三百六十ジェイア、百セットで三万六千ジェイア……売れるたびに赤字だ。それに」
ライズは帳簿をペラペラと捲り、こことここ、と指指した。
「請求額と受け取り額が合ってないのがいくらかある。金を受け取った時、その場でちゃんと確認したか?」
「……いや、後ですればいいと」
「駄目だ、客がちゃんと払ってくれる保証なんてない。騙す気はなくとも、数え間違える事だってある」
「……うん」
「ひどいのは、これだ」
トントンと帳簿を苛立つように叩かれ、まだあるのかとディーナは身をすくめる。
「そもそもの請求額が間違ってる。一本二百八十ジェイアの矢が九セットとウェルスオリジナルが十二セットで、何でこんな金額になるんだ? これじゃあ三万ジェイアの損失だぞ!」
「……」
そんな大きな間違いをしているなど、ちっとも気付かなかった。困窮するのも当たり前だ。
これから一体どうすればいいのだろう。計算が出来ない自分に、この店を立て直すことができるのだろうかと不安に襲われる。その時。
「ディーナ、俺を雇うつもりはないか?」
ライズがそう切り出した。
「多分だが……これだけ繁盛してんだ、立て直せる。俺なら計算も出来るし、狩りにも出られる。これ以上の人材は、無いと思うぜ」
思いもよらぬ提案に、ディーナは単純に喜んだ。
「いいのか!? でも、給料は……」
「最初のうちはタダ働きになるだろうな。ま、稼げ始めたらガッポリいただくからよ」
「ありがとう、よろしく! ライズ!」
「困った時はお互い様ってな」
ライズはニヤリと笑ってガッシリと握手を交わした。
ライズは主に買い付け、集金、帳簿を担当してくれた。ディーナは配達、弓矢の制作と狩りを担当していて、とても効率が良い。ライズが出ている時はディーナが店番をしたが、ヴィダルの時のように料金表を細かく作ってくれていたため、困ることはなかった。
「ディーナ。ウェルスオリジナルだけどよ」
店仕舞いすると、ライズは毎日売り上げの報告と、今後の方針等を相談して来る。全て任せる、と言うとすごく怒られるのだ。
「利益を三割上乗せしよう。一気にじゃなく、徐々にな。主力の商品だし、モノが良いから売上が落ちることはねーと思うんだ」
「うん、ライズがそう思うんならそうしていいよ」
「んじゃ、決定な。あと、新聞社にウェルス様ご愛顧の店として大々的に載せてもらおう」
「え……それはどうかな。実際にウェルスが……ウェルス様が来てるわけじゃないし、利用するようでヤだなぁ……」
「そんなんじゃ、いつまで立っても借金返せないだろ。買い付けのために借金しちまったんだから、利用出来るもんはしてかねーと。それに、ウェルス様がウェルスオリジナルを使ってんのは事実なんだからよ」
「うーん……そだね、分かった」
「それとよ、店のレイアウトだけどよ」
ライズは次々と改善案を出して行き、ディーナはそれらを承諾していった。
ふと気付くと外はすでに真っ暗である。
「じゃあ、ウェルスオリジナルのまがい物が出回ってる件に関してはこれで……」
「なぁ、ライズ。もう遅いよ。帰らなくて平気かい?」
ライズははたと気付いた様に窓の外を見た。星が煌めいているのを見て、はっと息を吐く。
「本当だな。明日にすっか。早く寝床を見つけねーと」
「……寝床?」
ライズは自分の荷物を背負いながら答えた。
「あれ、言ってなかったか。俺は余所もんで住居費が高くて払えねーから、適当にその辺で寝泊まりしてんだよ。公園が一番なんだが、たまに騎士が来て追い出されるしなぁ。主に森だな」
「じゃあ、うちに泊まってけよ」
「…………は?」
ライズはトボけた声を上げ、何故彼はハニワの様な顔をするのかとディーナは首を傾げる。
「じーちゃんが使ってたやつでよけりゃ、布団もあるしさ。働く場所もここなんだから、楽だろ?」
「いや、まぁ、そりゃそうだが……いい、のか?」
「勿論。好きにしてくれよ」
「好きに……そ、そっか、分かった。じゃあちょっと、公衆浴場に行って来るわ。昨日、風呂入ってねーし」
「うん。適当で良ければご飯作っとくよ。食べるだろ?」
「ああ、悪ぃな」
「タダで働かせちゃってんだ、これくらいはするよ」
ディーナは魚と米だけの質素なご飯を用意したが、ライズはそれでも喜んでくれた。もしかしたら、給料がなかったせいでまともに物を食べてなかったのかもしれない。
「すまないね、こんな物で」
「まぁ、仕方ねぇよ。少しの辛抱だ。立て直してみせるから、心配すんな」
「ありがとう、ライズ。信用してるよ」
ライズは本当に有難い存在だ。無償でこんなに親切にしてもらった事など、ディーナは今までに一度もない。何故こんなにも親切にしてくれるのか、不思議なくらいだ。
二人は食器を片付けた後、布団に潜り込むと灯りを消した。
誰かが隣にいる、というのは久しぶりだ。一人で眠るよりも、ずっと安心出来る……そう思った瞬間、ディーナの布団がいきなり剥がされた。何故そんなことをされるのか理解出来ず、暗闇の中を手探りで灯りをつけようとする。
それよりも早く、ライズがディーナの上に重くのしかかって来た。
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