第10話 そして別れ

 小競り合い程度だった隣国との抗争が本格化し、ミハエル騎士団はアルバンの街を拠点に動く様になっていた。

 隣国からの強襲に備えるのに、そちらの方が都合が良いという話をちらりと聞いたが、その経緯はディーナには分からないし、また興味も無かった。

 配達がトレインチェにあるミハエル騎士団本署から、アルバンの街の兵舎に変わった。ただそれだけである。


「んじゃ、行って来るよ、じーちゃん」

「……ディーナ」

「ん?」

「いや……気を付けての」

「大丈夫だって! 今日中に戻るよ!」


 借りた馬に荷物を括り付け、街道は行かずに森の中を突っ切る。時間短縮だ。襲いかかってくる魔物をスパスパと射抜いて、アルバンの街まで行く。帰りは早駆けで帰って来るので、朝に出ても夕刻までには充分帰って来られるのだ。


「こんにちは! ヴィダル弓具専門店です!」

「あ、はい、矢ですねっ。今、騎士の人を呼んで来ます!」


 兵舎の受付に言うと、すぐに騎士を呼んで来てくれた。


「これがウェルス……ウェルス様注文の分、こっちがアイルって騎士の、こっちがブロセオ、で、これが……」


 説明を終えて矢と請求書を渡す。その騎士は「お務めご苦労」と上から目線で物を言い、兵舎に戻って行った。

 ディーナは受付に戻っている女性に視線を合わせる。


「なぁ、あたし、中に入ってもいいかな。ちょっと見学してみたくってさ」

「ええ、ディーナさんなら良いと思いますよ。是非見てって下さい」

「本当かい? ありがとう!」


 以前、ここに来た時うろついていたら、偶然ウェルスを発見したのだ。遠目からだったが、久々にウェルスを見ると体が熱くなった。

 ウェルスは他の騎士と話をしていた為、こちらには気付かなかったが、ディーナはそれでも良かった。もう一度ウェルスの顔を見たくて足を踏み入れただけだった。

 しかしウロウロと動き回っていてもウェルスには会えず、諦めかけていたその時、兵舎の掃除夫らしい男が声を掛けて来る。


「誰かお探しかな?」

「ああ、うん」

「隊長のどなたかな?」

「な、何で分かるんだ?」


 ディーナが不思議に思って聞くと、男は苦笑いしている。


「隊長ファンは多いですからなぁ。しかし彼らは忙しくて、中々会えはしませんぞ。今も会議室で軍議をしとりますでな」

「そ、そっか……その会議室ってどこ?」


 そう聞くと、男はその場所を教えてくれた。

 ディーナはその扉が見えるギリギリのところまで下がって隠れ、会議が終わって出てくる姿を一目見ようと待つ。

 しかし一時間経っても二時間経っても、その扉が開く事はなかった。


「あの……何してらっしゃるんです?」


 ずっと同じ所で座り込んでいるディーナを見て、今度は違う男が話しかけてくる。


「軍議が終わるのを待ってるんだ。ミハエル騎士団の隊長を、一目見たくて……あんたは?」

「僕は地方官庁のケビンです。仕事を終えて戻る所なのですが、先程から貴女がここにいるので気になって」


 そう言ってケビンは人の良さそうな顔をこちらに向けてくれた。


「あの、多分軍議はまだまだ時間かかりますよ? ご用があるなら、お伝えしておきますけど」

「いや、用って程の事じゃないんだよ」

「ああ、ファンの方ですか? ならファンレターでも書かれたらいかがでしょうか。僕が責任を持って渡しておきますよ」


 そう言って彼は紙とペンを渡してくれた。

 どうせ遠目で見るだけで、会う事は叶わないのだ。手紙に託す方が良いかもしれない。

 ディーナはペンを持ち、紙を見つめる。

 何を書こう。書きたいことは山ほどある。

 ウェルスのおかげで売り上げが増えた事や、ウェルスが頑張っている姿を新聞で見るたびに嬉しくなる事。

 騎士になれて半年でラーゼの名を貰えるなんてすごい。隊長なんてすごい。とにかく色々頑張っててすごい。

 その気持ちを手紙に書こうと、『ウェルス』と書いた所でペンが止まった。気持ちを字に起こせないのだ。字が、書けないから。


「どうしました?」

「あの、さ、『すごい』ってどうやって書くんだ?」


 そう聞くと、「こうですよ」と書き方を教えてくれた。それをウェルスと書いた下に書く。


「これ、渡しといて下さい」

「……これだけでいいんですか? 良ければ代筆しますけど」

「いや、いいよ。これで、いい」


『ウェルスすごい』

 それだけ書かれたファンレターをケビンに託して、ディーナは街を後にした。


 ディーナは森を突っ切ってトレインチェに戻って来たが、すでに夜半に突入している。馬を返すのは明日にして、家に戻って来た。


「すっかり遅くなっちゃったな。じーちゃんもう寝てるかも」


 アルバンの街で長く居過ぎてしまった。寝てるかもしれないヴィダルを起こさない様に、そっと家の中に入る。しかし。

 人の気配がない。


「あれ……出掛けてんのかな……でも玄関は開いてたし」


 ディーナは訝りながらも部屋に明かりを灯した。すると自身の足元にヴィダルの手が照らし出されて、ディーナは飛び上がった。


「うわあっ! じーちゃん!! こんな所で気配消すなよっ!」


 ピクリとも動かないヴィダル。もう、とディーナは息を吐いた。


「ちょっと、いい加減に……」


 ディーナが肩を押すと、そのままごとりとヴィダルは逆に倒れた。


「……じーちゃん」


 ヴィダルの体が、冷たく硬い。その意味をディーナはよく知っている。沢山の奴隷の死を、彼女は目の当たりにして来ているのだから。


「う……そ……じー、ちゃ……」


 手が震えた。それだけでなく、全身が寒くもないのに震え出した。


「嫌だ……やだよ、じーちゃん!! あたしを置いて行く気かよ!! じーちゃんがいなかったらあたし、何にも出来ないよ!!」


 ヴィダルからの返事が得られるはずもなく、ディーナはすがる様にその硬い体に抱き付いた。


「時間、巻き戻してくれよぉっ!! 早く帰って来るから……今度は早く帰って来るからぁぁああっ!! イヤだぁぁああああああああっ!!!」


 ディーナがどれだけ叫んでも、どれだけ願っても。

 時間は巻き戻ることはなく、ヴィダルも戻って来ることはなかった。

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