4. 讃える人


「愛だよ、ツナ」

「……何ですか? 急に」


 車を運転していたヨルさんが、唐突に妙なことを言い出す。

 あれ、どうして俺は車に乗っているんだったか。

 かと思えば、ハナニラのカウンター席に一瞬で飛んでいた。


「愛じゃよ、ツナ」

「は?」


 そこにいたズィーさんも似たようなことを言った。


「愛ですよっ、ツナさん!」

「リエーナフ……?」


 隣に座っていたリエーナフも言い始める。

 ……また場所が変わる。

 夕暮れの部室。俺は窓から外を見ていた。運動場の中央に、キティちゃんのパンツの筋肉男子Aがいる。

 彼は足元のサッカーボールを器用に浮かせて、下から思いっきり蹴り上げる。空高く飛び上がったボールは校舎の高さをゆうに越えた。


「ツナーっ! 愛だぜーっ!」


 お前もか。

 呆れて部屋に向き直ると、夕暮れを浴びてシーラがしおらしそうに立っていた。ぐっと両腕を構えて、何かを決意した顔になる。

 まさか……。


「……ツナっ!」

「は、はい」

「──愛ですよっ!!」

「……もう、なんなんだ……」


 他のみんなも現れて俺の周りを取り囲み、マイムマイムを踊りながら“愛”を連呼する。

 ……嫌な夢なら覚めてくれ!

 ……。

 …………。

 ……………………。

 鳥のさえずりが聞こえる。

 ウグイス……いやメジロ……でもなんでもいい。どうでもいい。身体が疲れて重い。

 ゆっくりまぶたを開く。朝…………外がすっかり明るい。

 残り三日。嫌な夢が覚めた安堵と、刻一刻と迫るメテオのタイムリミットへの焦りに挟まれて、起きたばかりなのにどっと疲れた心地だった。

 起きるの、だる……。

 時計は……まだ六時。集合は七時だから、よかった。

 もう少しだらだらしよう……。


『愛だぜ、ツナ』


 その声は……インペリアル?


『そうだ。なかなかかわいい夢を見るじゃないか』

「……。あの場所以外で話せたのか」

『昨日はあそこの他につながるタイミングがなかったからな』

「そうか。……昨日話した後、なぜ俺はホープを使えるようになったんだ?」

『お前の中に元々あったものに手を添えてやったのさ。それ以上のことはわからないな、なんとなくだ』


 雑なものだ。俺も似たようなものだが。


「今、出そうと思えば使えるか? 種火ぐらいの大きさのものでいいんだが」

『無理だと思う』

「どうして」

『そのー……なんとなくなんだが、つながってない感じがある』

「なぜだ?」

『それはな、わからん。けどまあ、使わない方がいいんじゃないか』

「……」

『火傷、広がるんだろう』

「……見えてるのか」


 俺も使わないでいいのなら、使わない。痛いから。


「……それでも、使わなければいけないときがあるんじゃないのか」

『そうかあ? 楽しく生きりゃいいと思うぞ』

「楽しく生きていけるならこんなことしてない。というか火の加護を使おうが使わまいが、俺は楽しいと思うことはない」

『それもどうだろうなあ』

「何が」

『楽しかっただろう。あのお嬢ちゃんと話してる時は』

「……」

『それにあのお嬢ちゃん……シーラ嬢の目的が迷子の子供を探すことだったとしても、お前はこうしてる』

「……そんなわけないだろ」


 6時10分。

 ……身支度するか。寝巻きを脱ぐ。

 いつもの学ランに着替えて一階に降りる。いい匂いだ。

 裏口から店内に入ると、リエーナフがカウンター席に座っていた。モーニングを食べている。


「ツナさん! おはようございます!!」

「おう、おはよう。朝から元気だな」

「元気です!!」


 初対面の怯えようは見る影もない。

 カウンターから出て、リエーナフの隣のカウンター席に座る。


「おはよう、ツナ。早起きだね」

「おはようございます。今日、用事があって」


 ヨルさんにも挨拶。彼は今朝も落ち着いている。

 ふとそのことが無性に暖かく思えた。きっとこの気持ちも、伝えた方がいいのだろう。


「そうだったのかい。ちょっと待ってね、朝食の準備をするよ」

「ヨルさん、いつもありがとうございます」

「なんだい、急に」

「……いや、なんとなくです」

「そうかい。いつも、どういたしまして」


 ふふ、とヨルさんが目を細める。このヨルさん節に触れると、なんだかんだ家だなあと思う。

 コーヒーカップと平皿が置かれる。今日の朝食は……。


「サンド。焼きたての鶏肉が美味しいよ」

「いただきます」


 二つに折られた食パンにかぶり付く。

 焼いた味付けチキンとレタスのシンプルなサンドだが、タルタルソースが入っていた。これが肉汁と混ざってたまらない。

 リエーナフは隣でカフェラテのカップを置いて、ぼーっとしていた。せっかくだし何か聞いてみようか。


「リエーナフ、ハナニラが気に入ったか?」

「はい! わたし、肌が弱いんですけど、ここは照明が優しくて好きです!」

「ああ……」


 アルビノだとそういう悩みは尽きないだろう。内装を褒められたヨルさんは得意げな顔をしていた。


「暇じゃないか?」

「はい! ヨルさんがいろんなお話をしてくれたり、ズィーさんが将棋を教えてくれたりしてすっごく楽しいです!」

「ははあ……なんか、俺より馴染んでるな」


「そんなことないです」

「あるって。俺もまだひと月だからな」

「もっといると思っていました」

「ヨルさんの雰囲気のおかげだな」

「ツナさん、普段は何をしているんですか?」

「……何もしてない」


 痛いところを突かれた。

 サンドを一口。どうも、苦いレタスに当たったみたいだった。


「趣味とか!」

「リエーナフは何かないのか?」

「うーん……あっ。帽子が好きで、よく集めます!」

「帽子集めか。どんなのが好きなんだ?」

「どんなものでもです!! 例えば……」


 荷物置きのリュックサックを探り出す。中から帽子が出てきた。


「これとか……!」


 一つ目。淡い水色のキャスケット。

 真っ白なリエーナフに似合いそうな色合いだ。


「これとか……!」


 二つ目。ブランドのシールが貼ってある黒いキャップ。

 なるほど……あまりイメージにはなかったが、顔立ちのよい彼女なら似合ってしまいそうだ。


「これとか……!!」

「……え」


 三つ目。紫色の魔女帽子。

 つばがリエーナフの肩より広い。……こんなものどこで被るんだ。


「えへ……いいな、と思ったらすぐ買っちゃうんです!」

「本当に好きなんだな」


 どこで被るとかではなく、趣味とはそういうものなのかもしれない。俺にはよくわからないことだが。

 タルタルサンドを食べ終えた。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「うん、よかった」


 席を立つ。時計は6時27分を指していた。


「もう行くのかい?」

「7時集合で」

「そうかい、行ってらっしゃい。頑張ってくるんだよ」

「行ってらっしゃい! 気をつけてくださいね!」

「行ってきます」


 ○


 起きるのはあんなに億劫だったが、外に出てみれば朝のうっすら涼しい空気は気分がいいものだ。

 シーラの家まではバスを使うことにした。31分のバスに乗車する。

 バスは一定の排気音をさせて駅前の道を通過する。車内には川の向こうの高校へ部活に向かうであろう高校生の乗客が多い。

 みんな眠たそうだ。バスは朝の空気とまどろみを乗せて四谷橋を通過する。


『次は府中四谷橋北ー、府中四谷橋北ー。お降りの方は──』


 ぴこんと止まりますボタンを押した。川の向こうの大通りをもう少し走ってバスが停車した。定期券と180円をまとめて精算機に入れてバスを降りる。

 走り去るバスを横目に横断歩道を渡る。陽も上がってきて、もう早朝の雰囲気はなくなってきた。

 5分くらい歩き、昨日も訪れたシーラ宅へ到着する。時間は45分を少し回ったところだ。

 ちょっと早かったかな……と思っていたら、アパートの二階の扉が開いた。


「ツナ、おはようございます!」

「おはようございます、シーラ。早いですね」

「ツナこそ。今日も会えて嬉しいですっ」


 この人、俺のこと好きなのかな。

 ……いや、そんなわけない。心の中で首を振る。シーラは普段からこういう人だ、思い上がってはいけない。

 シーラがスカートを抑えて降りてくる。今日は私服だ。


「ツナ、今日も制服なんですね」

「楽でいいです。シーラは、普段と違いますね」

「はい。どうですか?」


 両手を広げてととと、と回る。

 白いワンピースがふわりとしたシルエットでフリルがほどよく付いていて、その上にパウダーピンクのニットを重ねたコーデ。


「いいと思います」

「もっとください」

「いいんじゃないですか?」

「言い方を変えただけじゃないですかっ」


 シーラの言いたいことはわかる。言ってほしがっていることもなんとなくわかりはする……けど。


『言っちゃえよ、ユー』


 ピアス風情がうるさいな。俺にしか聞こえないのが厄介すぎる。


『ひどいぜ、ユー』

「……。じゃあシーラ、なんて言ってほしいんですか?」

「それは……」

「それは?」

「えっと、かわいいって言ってください」

「……」


 シーラが手をもじもじさせて、頬をぽっと染めた。

 押しに弱いな。……そういうところを見せられると、俺も弱い。


『逃げ道が無くなったな』


 うるさい。


「……かわいいですよ」

「棒読みじゃだめですっ」

「う……。かわいい、ですよ」

「やったっ」

『ヒュウ!』


 ……本当にうるさい。


「なんなんですか、この時間」

「えへへ、褒めてほしくて」

「そうですか」

「拗ねてます?」

『拗ねちゃったか』


 拗ねてない。


「拗ねてないです」


 黒い自家用車が通りの角を曲がってくる。

 邪魔にならないように道の端に寄ったら、車は俺たちの前で止まった。


「マネージャーの車です」

「ああ……」


 マネージャー。その言葉の響きに、そういえばアイドルなんだと実感する。

 シーラに続いて後部座席に乗る。


「サナさん、おはようございます」

「おはよー。そっちの子が言ってた男子?」


 サナさんと呼ばれたスーツの女性が運転席から俺の方を向く。茶髪をウェーブヘアにした気だるげな女性だ。


「はい。彼はツナです」

「ツナです。よろしくお願いします」

「話は聞いてるよー。よろしくねー。それじゃ行くねー。忘れものない?」

「大丈夫ですっ」


 シートベルトを装着する。

 ぶうんと車が発進した。車は来た道を戻る。


「どこへ行くんですか?」

「そういえば言っていませんでしたね。一ノ宮公園です」

「一ノ宮公園、というと……」


 名前は聞いたことがある。


 車が行きも通った府中四谷橋に差し掛かった。


「この橋を渡ってすぐ左の河川敷です。……あっ、あそこ」


 シーラに指差されて、俺側の窓から外を見る。

 川越しに見える河川敷。よく見ると鉄骨の野外ステージが設置されていた。


「ああ、あそこ」

『家から直接歩いて行ったほうが早かったな』


 確かに。


「あそこで行われるフェスに参加するんですが、今日が最終リハになります」

「本番はいつですか?」

「三日後です」

「……三日後というと」

「はい。落下予定日です。あれは、メテオが落ちる直前、最期に花開く……本来ならそういうステージなのです」

「そうですか。……けど、最期にはなりませんよ」

「ふふっ……そうですね」


 車は橋を抜け、青信号を通過する。

 真っ直ぐ進め。それだけが出来ることだ。


「それで、手がかりというのは?」

「聖なる力について、話していた子がいたのです」

「……え、昨日ウィルさんから話を聞く前に?」

「実はそうなんです。わたしがステージでコラボする予定のフルート奏者の子なんですが、彼女、すごく魅力的な演奏をしていて、聞いてみました」

「何を」

「フルート、すごく大切に吹くんですねって」

「その人はなんて?」

「この音には聖なる力が宿っていて、それが人を安心させるんだって言っていました」

「……なるほど」


 信憑性は半々だ。ものの例えとして聖なる力、と言った可能性もなくはない。音楽の分野ならありそうな話だと思う。

 けど、ポジティブだ。


「絶対、その人が知ってます」

「はいっ。そうですね!」


 シーラと頷き合う。

 車は川沿いを走り、一ノ宮公園が見えてくる。スタッフ用の駐車場に車が停車し、俺たちは車を降りた。

 風に乗って湿った土や草の匂い。空気が少し濡れている。


「……そういえば、ツナのお家って駅前でしたか?」

「そうですね」

「ああっ、それなら現地集合の方がよかったですね……!」

「大丈夫ですよ」


 気にすることじゃない。

 一ノ宮公園は公園と言っても河川敷。遊具やベンチがあるわけではない。

 ただテニスやサッカーのコートがあって、鉄骨のステージはだだっぴろいサッカーコートに設置されていた。

 コートの端にはトラックが止まっていて、開きっぱなしの荷台には大量の柵やテントの骨組み。設営のスタッフがそれを運び出して会場を作っている。


「行こっかー」

「はい。ツナ、わたしはリハに行ってきますので、ここで少し待っていてくださいね。フルート奏者の子が来たらまた呼びに来ます」

「わかりました。行ってらっしゃい」

「行ってきます!」


 シーラとサナさんがステージの方へ歩いていく。裏に仮設の楽屋が設置されているようだ。

 やることはないが、リハーサルの様子を見ていれば退屈はしないだろう。


『シーラ嬢は本当に芸能人なんだな』


 確かに、こうして活動を見ていると実感するところだ。まだピンと来たわけじゃないけど。


『アイドルなんだもんなあ。ツナもなかなか見る目があるじゃないか、アイドルに一目惚れとは』


 ……うん。

 だけど、ますますシーラが遠ざかった気がする。


『逆だろう。近づいたように見えるが』


 そうだろうか。そういう部分もあるかもしれない。そうだと、いいけど……。

 なんだかため息が出る。こんなに気持ちが動くものなのか。本当に疲れる。

 日光がなんだか痛い。痛がっていると、後ろから背中を叩かれた。

 高校生くらいの男で、俺とシーラの中間ぐらいの身長。少し長めの髪がやや目元にかかっている。


「どうしたんだ?」

「いや、何も」

「そっか、よかった。あんた、こういうバイトは初めてか」

「……ん?」

「こういう仕事は場当たり的で、教えてくれる人もいないこともある。教えるよ、着いてきて」


 勘違いされている。

 ……でも、暇だしな。仕事するのは面倒だが、突っ立っているよりかは時間が進むのも早いだろう。


「頼む」

「任せてくれ。俺はカイト、よろしくな」

「ツナだ」

「よろしく。まずはヘルメットからだな」


 カイトに連れられてスタッフルームへ向かう。


 ○


 両腕に柵を抱えて所定の位置に運ぶ。重りが入っているからなかなか重い。

 置いた柵はズレないように結束バンドで止める。

 トラックに戻る。

 両腕に柵を抱えて所定の位置に運ぶ。重い柵も勘所を掴めば軽々運べる。

 置いた柵はズレないように結束バンドで止める。

 トラックに戻る……この作業、結構楽しいな。


「どうだ?」

「結構楽しいな」

「お、そうか。素質あるぞ」


 そう言われると、なんだか妙に嬉しい。


「後で別のところ手伝ってもらうかも」

「わかった」


 いつ指示されてもいいように、横目でカイトを気にしながら作業を進める。そろそろ飽きてきた。


 カイトはトラックの前に戻り、次々とスタッフたちに設営の指示を出す。

 より上の立場と思しきスーツの男性がカイトの元へやってくる。スーツの男性は一言二言会話して笑顔で去っていった。

 カイトもアルバイトのはずだが、指示役を任されるほど社員から信頼されているようだ。

 所定の位置に着いた。柵を設置する。

 次の柵を取りに行こう……そう思ってトラックへ向かう途中、他の設営の女性が持っていた柵を落とすところが見えた。

 落とし方がまずかったのだろう、プラスチックの柵はばきりと音を立てて折れてしまう。

 女性は大学生ぐらいだろうか。きゃ、と声を上げたのにカイトが気付き、トラック近くの他のスタッフに一声掛けて女性スタッフに駆け寄る。


「大丈夫か?」

「す、すいません!」

「大丈夫、怪我はないか?」

「は、はい。柵を壊してしまって、申し訳ないです……!」

「気にするな、誰にでもあるさ。俺にもあったよ、もっとひどいミス。海沿いの会場だったんだけどさ──」


 カイトはパニックに陥っていた女性をものの見事に宥めてみせた。

 彼には人徳がある。パッと見ると目元が少し隠れているせいでとっつきづらいのが、朗らかで落ち着いた口調がとっつきやすい。


「おーいツナ、こっち手伝ってくれー!」

「わかった!」


 加えて働き者だ。遠くのカイトに声を張って返事する。

 コートの設営を手伝っていたが、カイトに連れられてステージに向かう。近くにさっきと別のトラックが止まっている。


「床板を載せるんだ」

「床板?」

「ああ。これだ」


 荷台の扉が開く。

 そこには大量の分厚い板。これが床板だろう。

 そんなトラックがずらりと何台も並んでいる。


「……もしかして、手作業で運ぶのか」

「そうだなあ。フェスはこれが大変なんだよ」


 何人もの設営スタッフ、中でも筋肉のある男たちが荷台の後ろに集結する。集まったのは俺とカイトを含めて十六人。

 ……面倒くさくなってきた。どうにか逃げられないだろうか。

 カイトが荷台に手を突き軽やかに乗り上がって、集まったスタッフたちを見回す。


「──やるぞ! 安全第一に!!」

「「「──応ッ!!!」」」


 ……逃走するのは無理そうだ。諦めて指示に従う。

 号令をかけるのはカイト。はじめにレジャーシートを荷台の下に敷く。次に特に力持ちのスタッフがカイトと入れ替わりで荷台に登り、荷台上と下の組に分かれて慎重に床板を下ろしていく。

 俺はそんなに力持ちじゃない組の他のスタッフたちとかたまって、邪魔にならないようにやや離れたところで仕事を眺める。


「よーしオーケー!」


 全ての板を下ろし終えた。

 ここからが俺たちの出番だ。力持ち組と合流して、誰かが板どうしの間に指を挟まないよう気を配りつつ、一枚ずつ分厚い板をステージ上に運んでいく。

 ステージの上に載せると、力持ち組が位置を調整していく。そうすると待機していた別のチームが板を固定していってくれる。

 何枚も何枚もたくさんの板を運んでいく。

 安全第一だ。多めの人数で運搬にあたっているから危なげはないが、それでもずっしりと腕に重さが伝わってくる。

 重い板を運ぶのはすごく大変だ。大きな力と集中力がいる。

 これでこんなに大変なのに、メテオはこの何千倍、何万倍も重いだろう。普通、止めようとは思わない。

 どうしてシーラはメテオを止めよう、なんて考えついたのか。


『簡単さ』


 何?


『愛だぜ。見ればわかるだろ?』


 また愛。どういうことだろう。


『後は自分で考えるんだな』


 なんとなく……シーラが昨日していた話を思い出す。幸せは世界を巡るのだ、と。

 だがそれ以上を考えようとしても、霧に包まれたように思考が進まない。モヤモヤする。

 考えているうち一台目の床板を運び終えた。


「よーし、休憩!」


 カイトが号令を掛けた。はーいと返事が上がり、みんながスタッフルームに帰っていく。

 俺も後ろに続こう……としたのだが、カイトが別の方向へ行くのが目に着いた。


「どこに行くんだ?」

「ああ、柵の設置。昼からの作業でそこの人を床板の運搬に回せるように手伝ってくる」


 なるほど。納得して俺もスタッフルームに向かおう、としたのだが。


「そうだ、ツナも手伝ってくれ。まずまずの量残ってるんだ」


 ……藪をつついて蛇を出した。面倒くさい。


 ○


 柵を運ぶ。それを運び終えたら、また次の柵を運ぶ。


「ツナは高校生か?」

「ああ、一年生」

「そうか、一年生でバイトとは偉いな」

「偉いか?」

「偉いさ」


 柵を置いて結束バンドで固定していく。

 この作業にもずいぶん慣れたがカイトは俺の倍ほどの速さで結束バンドを結ぶ。運んでいる柵の数も俺が二本に対してカイトは右脇に二本、左脇に二本の計四本だ。


「カイトは?」

「ん?」

「いくつなんだ」

「18。早生まれでな、高校三年だ」

「それにしては、ずいぶん慣れてないか?」

「ああ、一年の夏から週末はずっとこうだからな。最初は音楽が好きだからだったんだが、なんとなく続けてる」


 カイトに少し遅れて結び終えた。柵を積載したトラックに戻る。


「疲れないか。学校に仕事に」

「疲れるな」

「減らさないのか、バイト。何か事情があるのか?」

「ない。うちは普通の中流家庭。……ではあるんだが、なんだろうなあ」


 次の柵を補充し、また運ぶ。


「疲れるし、金に困ってるわけではないし、小遣いは自分で稼ぐって信念があるタイプでもないだが、なんかいいんだよな」

「……よくないことが大きいだろ、それは」

「うーん。なんかいいんだよなあ、仕事」


 柵を設置し、結束バンドで結んでいく。何回も何回も同じ作業。


「俺はそろそろ飽きそうだぞ」

「あはは、気持ちはわかるぞ。ずっと同じことをするわけだもんな。けどさ……」


 カイトは結束バンドを結ぶ手を止めてあたりを見回す。

 俺もつられて周りを見るが、だだっ広いコートとステージがあるだけだ。


「──この場所に、たくさんの笑顔が集まるんだ」

「どういうことだ?」

「お客さんのことさ。俺は誘導スタッフとかもするんだけど、お客さんの顔を見るとみんな楽しそうにしてるんだ。それに、俺たちが会場に入るずっと前の日から準備してるスタッフや演者がたくさんいる」


 コートを見回すカイトの目には何が見えているのだろう。

 俺には見えなかったが、長い前髪の奥に見えるカイトの瞳は光を映し、反射していた。


「柵や床板にみんなの想いをずっしり乗せて、俺たちは重くなったそれを落とさないように大切に運ぶ。お客さんにちゃんと届くように、とか、ちゃっかり俺たちの分の想いも上乗せしてさ」

「それがやりがい?」

「そうだな、やりがいだ」


 結束バンドを結び、次の柵を取りに戻る。

 その柵を所定の位置に運び、また結束バンドを結ぶ。


「……ちょっと羨ましいよ」

「あはは、そうか? じゃあ俺は、そう言われてちょっと嬉しいよ」


 また次の柵を取りに戻り、所定の位置に運んでバンドを結ぶ。

 もう飽きたとは言えないな。


 ○


 柵を設置し終えて、ついでに(カイトが頼まれて俺も巻き添えにした)機材の運搬も終え、ようやく休憩に入る頃には昼だった。

『すっかりカイトに気に入られたなあ』


 そうなのか?


『友達ってやつさ。ツナ、いないだろ』


 ……うるさい宝石だ。

 カイトに着いてスタッフルームに帰ってきた。


「これで昼からはペースアップだな」

「体張りすぎだろ。疲れたぞ……」


 ヘルメットを脱ぎ、ステージ裏のテントの下に設置されたベンチに座る。

 他のスタッフたちも昼休憩を取っていた。筋肉ダルマのスタッフの印象が色濃く残っているが、当然そうでもないスタッフが多い。

 支給の弁当を一つ貰い、カイトに並んでテントの一角に座る。


「みんなお疲れ」

「お疲れーカイト」

「おつー。また休憩時間でやってたん?」

「ああ、昼から楽したいからさ」


 向かいの二人はカイトの知り合いのようだった。

 半分ぐらい弁当を食べ終えている。この人たちは見た目の雰囲気から大学生のような気がする、なんとなく。


「とか言って、昼からもバリバリやるんだろー? 給料変わんないぜ」

「いいだろ、勝手だ」


 片方はがっしりした体つきの男。髪がきのこヘアの金髪だ。


「すごいよねー。そんな体力ないよ」

「まあな。それは自信があるぞ」


 もう片方は穏やかそうな細身の男。おしゃれな黒縁の丸メガネを掛けている。


「その子は?」

「新入りのツナ。よくしてやってくれ」

「ツナです、どうも」

「よろしくー」

「よろしくね。高校生?」

「はい。一年生です」

「ほー。なんでバイトすんの? 金?」

「いえ」


 なんと言ったものか。嘘を吐きたいわけじゃない。


「ええと、シーラが……」

「あーあの子な」

「いいよね、シーラちゃん」

「ツナ、そのタイプだったのか」

「そのタイプって?」


 カイトがふーんと言いたげな顔をしている。何だと思われたんだ。


「演者の裏方に関わりたいタイプだな。いいと思うぞ」

「……あー」


 その手合いだと思われているのか。

 いや……と言いかけたが、都合がいいしそういうことにしておこう。


「いや、わかんぞ。あの子はマジでいいと思うわ」

「うん、僕も好き。シーラちゃんのステージすごいよね」


 そうなのか。アイドルのシーラを自分が全く知らないことに気づく。


「そうなのか?」


 カイトも俺と同じらしい。


「うん、彼女のステージは……なんというか、ねえ。いいんだよ」

「そうなんだよなあ。なんというか、なあ。いいんだよなあ」


 二人の目線が俺に向けられる。

 ええと、シーラのいいところ……。


「笑顔がいいですよね」

「そう! そうなんだよなあ! わかってるわ」

「わかります。パフォーマンスの練度がすごいってわけじゃないんですけど、笑顔が素敵とか煽りが上手いとことか、見てる側が欲しいところを弁えてるっていうか……うーん、もどかしいなあ!」


 すごい熱量だ。

 これはそうか、頭にある言葉が浮かぶ。


「……愛?」

「うんうん、わかるよ!」

「そーなんだよなあ! 愛せるし、ファンを愛してくれる!」

「しっくりきたよ、愛。いいねえ、愛」

『だから言ったろ、愛って』


 愛。

 二人の様子をよく見ると、愛という言葉がよくわかった。シーラはファンを愛しているんだ。

 それだけじゃない。シーラはたぶん街とか人とか、世界にこれを……愛を広げている。

 シーラが世界に巡らせる幸せには、きっと愛が乗っている。シーラがメテオを止めようと決意したのは、もしかしたらシーラにとってすごく自然なことだったのかもしれない。


「あの隕石、あるよね」

「……え。メテオのことですよね」

「うん。前のリハの時、僕らにシーラちゃんが言ってたことがあって」

「言ってたな」

「お、それなら俺も覚えてるぞ。印象的だったからな」


 なんだろう。「あれは本当によかったなー」みたいな雰囲気だけ伝わってくる。


「なんですか?」

「『例え本当に隕石が落ちるとしても、わたしと一緒に幸せな気持ちで笑いながら死んでほしい』みたいに言ってたよ」

「……そんなことを?」


 しかし違和感はない。たぶん、シーラの言葉にずっと触れてきたからだ。


「言ってた。響いたぜ」

「俺は、あんまり言うもんじゃないと思った」


 カイトはむっとして言う。何か思うところがあるようだった。


「誰も死にたくはない」

「カイト……」

「おう……」

「初めは誰も信じちゃなかった、あれが落ちてくるなんてさ。けどこれだけ大きくなって、最近は実感も湧いてきた」


 テントの中からは見えないが、メテオはずいぶん大きさを増した。

 両手で大きな円を作ってその中に収まりきらないぐらいの大きさ。赤黒くごつごつしていて、恐ろしく凶悪に見える。


「死ぬんだろうな」

「……」

「……」


 悲しそう、なんて言葉では片付けられない暗闇だと思った。

 その暗闇に引き込まれた。心が悲壮感に痛む。

 ……シーラが前に言っていたことを思い出す。人を殺してしまうのは、本当にメテオなのかと。

 そうじゃない。一番初めに絶望が人を殺すのだと。

 だからシーラは、暗闇を照らす人になろうとしている。


「カイト、受け取ってあげてくれないか。あの人はきっと、お前の幸せも願ってる」

「……そうかもしれないな」


 俺にはこれぐらいしか言えない。照らす人ではない。

 それはシーラと違って俺には信念がないからだ。シーラのためにメテオを止める、それだけだった。それは俺じゃない。理由を人に託している。

 けど、それは……。


『悲しい、か?』


 ……。


『いいのさ、欲しがりも。お前の頑張りはすごい。やったことに後から気持ちが着いてくることもあるさ。その気持ちを欲しがることは、何も悪いことじゃない』


 欲しい、と思う。

 なぜ自分が頑張るのか、その理由を見つけたい。


『ああ、見つけようぜ。なんたってツナ、お前はすごいやつだ。シーラ嬢と違うところですごいのさ。そういうツナが俺は好きだぜ』


 ……インペリアル。

 声色が優しかった。


『自分を見つけようぜ』


 ……ああ。

 弁当を食べ終える。他のみんなも食べ終えていた。


「ごちそうさまでした」


 四人で斉唱する。その時、視界の端に人の手が見えた。手招き。俺を向いている。

 ちらとその人の顔が覗く。シーラだ。フルート奏者の子が来たら呼びにくるって言ってたっけ。


「ちょっと行ってくる」

「ん? ああ、行ってらっしゃい」


 ベンチの隙間を抜けていく。狭い空間を通っていくのが申し訳ない気分だった。

 テントの幕の裏側へ。そこにいたシーラの姿を見て驚く。


「シーラ、その格好……」

「ふふっ、お待たせしました。衣装どうですか?」


 アイドル衣装だ。

 とたた、とシーラが両手を開いてくるりと回る。

 ミントグリーンが基調のアイドル衣装。アイドルと言うとフリルが多いイメージだったがそういうわけではなく、おしゃれな洋服をステージ用に改造したような雰囲気がある。


「その」

「はいっ」

「……かわいいです」

「素直でよろしいです。ふふっ」


 嬉しそうにする。つい俺も口角が上がった。


「フルート奏者の子、来たんですか?」

「はい。行きましょうかっ」


 シーラに手を引かれる。その前に彼らにお別れだけ、と言おうとした時だ。


「ツナ、どうかしたのか?」


 ……あ。

 三人が俺を追ってテントを出てきた。


「……え」


 俺とシーラが話しているところをばっちり見られた。……もしかして、まずいか?


「ツナをお借りしますねっ」

「ええっ!?」

「マジかよ」

「……ツナ、お前」

「シーラ、待ってください。誤解を解きたいんですが」

「すみません、急ぎですので!」


 シーラにそのまま手を引かれる。結構力が強い。腰が入っている。

 ぽかんとする三人を尻目に、俺はシーラに連れられて川の方へ向かう。ああ、誤解が……。

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