3. 笑顔は幸せに形を変えて、世界を巡るだろう
3
まどろみのはざまで揺れ動く。俺は暗がりに落ちていく。
世界が燃えていた。
正確なところは溶岩の海だったり、赤熱した大地に照らされる分厚く黒い雲でもあった。
もし炎に包まれたこの世界に居座り、居着いてメテオのことを忘れたら……それはこれ以上ない安らぎだろう。不思議とこの煉獄世界は俺の魂を癒すのだった。つい自分を甘やかして、世界のことを諦めて、燃ゆる心臓にこの身を任せてしまいたい。
だけどその道は選ばない。俺がいなくなってしまう。
そうすれば悲しむ人がいる。きっといる、そう信じた。誰かが悲しむから、きっと帰ろう。必要としてくれるから、安らぎの炎に背を向けよう。
するとそこは、暗がりに引かれた一本の細い道。走った。
足が痛くなるのも、息がつらいのも構わず走った。暗い道に俺は一人。
拳を握りしめて走った、走り続けようとした……いいや、違う。こうじゃない。
俺は拳を開いて、暗闇と握手するように手のひらを差し出す。それは自分をさらけ出すようで怖かったけど、信じた。
「大丈夫です、ツナ」
誰かが俺の手を取った。
見えないけどわかる。それがシーラだということ。
ゆっくり目を開いた。天井の光が滲んで、目が慣れてようやく見える。
「……ツナ、おはようございます」
「おはようございます……シーラ」
「おかえりなさいっ」
「ただいま。……心配、かけましたか」
手と手を握ったままだった。シーラはにっこり笑顔だったが、まゆげが下がっていて、笑顔の後ろに隠してる「心配でした」が筒抜けだ。
「聞かないでくださいっ。笑って言いたいんです、ありがとうって」
「……はい」
「ツナ、ありがとう」
「どういたしまして」
……帰ってきてよかった。俺たちは二人でいたいから。
ここは昨日泊まったのと同じ部屋のようだった。俺は気絶していたみたいで、ベッドに寝かされている。
側の椅子にシーラが座っていて、もう真っ暗な時間なのにずっと見てくれていたのかもしれない。
「……手、離しますねっ」
「はい」
「ツナ、ほんとうに離しますよっ」
「はい。……シーラ」
シーラの名前が勝手に口から出た。続く言葉もないのに、勝手に……。
俺は手を繋いだまま、何を語りかけるというのか。
……そのとき──がちゃり、扉が開く。
「!?」
「……うぃ、ウィルさん」
「よう、ツナ。無事だったみたいだな。……お前ら、どうかしたのか?」
「い、いえっ。なんにもないです!」
「本当です」
とっさに手を離した。
シーラは手を背中に隠し、俺は無意味に腕組みしている。
「まあいい、話しにきた」
「……そうだ。彼らはどうなりましたか」
「カイロウたちはあのあと去っていった。状況が変わっただの言っていたがよくはわからねぇ……まあ、助かったってこった」
「よかった。話というのは……」
身体を起こしてウィルさんに向ける。なんだか不機嫌な様子だった。
「……負けは負けだ。お前は気に入らねぇが、教えてやるよ」
「メテオを、止める方法」
「ああ」
シーラと目を合わせる。進んだ、と。
「まずはそのピアスからだ」
「なんなんですか、これ」
「お前……本当に知らねえのか。それは“アクシデント”と呼ばれるシリーズだ」
「それって……」
シーラが俺のピアス……アクシデントととかいうのをじっと見る。何か気づいたことがあるのだろうか。
「ああ、シーラとか言ったな。お前に渡したリングと同じシリーズだ」
「シーラが?」
見ると、シーラは左の親指にプラチナのリングを付けている。
……ウィルさんに渡されたのなら、ほんの少し複雑だ。
「あっ、この指輪返しますね」
「できねえよ」
「えっ……」
シーラが指輪を引き抜こうとしても、親指にひっついて離れない。
「適合したら外れないんだよ。持っとけ、どうせ俺には無用の長物だからな」
「ありがとうございますっ」
「ああ。それで、話はピアスのアクシデントだ」
ピアスが夜風に揺れる。部屋の姿見でピアスを見ると黄色いインペリアルトパーズに月光が差して、桃色がかかっていた。
「シーラに渡したのは“とどける力”、代弁者のリング。ツナ、お前のは……“つなげる力”。勇者のピアスだ」
つなげる力? 勇者……?
「疑問はあるだろう。だが、使ってみるほうが早い」
「使うって、どうやって」
ウィルさんに目を向ける。ウィルさんはシーラに目を向けた。
ああ、そうか。俺もシーラに目を向ける。
「うーん……」
「俺もそのあたりはよく知らないからな」
「お願いします、シーラ」
「そ、そうですねえ……。こう、ぐっと」
シーラが指輪を付けた左手を突き出す。難しい顔だ。
「それで?」
「う、うーん……」
「お願いします、シーラ」
「そ、そうですねえ……。あ、とどけようって思いました。けっこう強めに」
「それだ」
ウィルさんが手を打つ。どういうことだろう?
「適性があるって言っただろ。シーラには“とどける力”の素養がある」
「俺には、“つなげる力”の素養がある……。だけど、つなげるってなんですか?」
「考えてみるか」
「……そうです、連想ゲームをしましょうっ」
「なるほど、連想ゲーム」
「はい。ツナからどうぞ!」
つなげる。
つなげる、繋げる、繋……糸の字が入っている。ヨルさんの店で使うタコ糸は、二本の糸が一本の太糸に束ねられたものだった。
頭の中で束ねられた太糸が、二本にするする解けていく。
糸は風で吹き飛ばされ、川に落ち、沖に流れ着く。魚が糸を誤飲し、より大きな魚に食べられる。そこにくじらがやってきて、プランクトンを飲み込む弾みで大きな魚が吸い込まれていった。
くじらは水面に浮上し、大きな潮を吹く。潮は海に戻り、海流が赤道に続き、蒸発して雲になった。
雲は空の海となって流れを作りだし、日本まで運ばれた雲が雨を降らせた。
太陽の光できらめく雨は地上に降り注ぐ。
雨は家屋の屋根を叩き、土に染み込み、桜の木を咲かせ、綿花に実をつける。
綿花は農家が摘み、運ばれた先で二本の糸に紡がれた。
二本の糸は一本の太糸に束ねられ、誰かの元まで繋がっていく。
……そうか。つながっているんだ。
「糸です」
「糸?」
「はい。ぼんやりと……わかった、かもしれません」
「……できるなら、やってみろ」
「はい」
どうしてだろう。
自分がなぜ生まれたかを、知っている。
それはつなげるため。もうすぐ終わるこの世界で、誰かが紡いだ糸を伸ばして次の君までつなげるために生まれた星だった。
「つながれ」
二人と手をつなぐ。
俺たちは光に包まれた。
○
──つながるとは、混ざりあうことだ。
意識が混濁する中で知る。
制御するのだ。俺とシーラ、俺とウィルさん、シーラとウィルさんの間に線を引く。
うまく行かない。地面が必要だ。
足元に面を広げた。その上に広がった三人分の人格を振り分けて、地上で固める。
そこまですれば勝手に輪郭が固まり始める。はじめに心が、次に身体が。
「……なんだったんでしょう?」
「変な感覚だな……」
「俺も、よくわかりませんが……」
成功だ。俺たちは繋がった。
「……月面、みたいだが。芝が生えてるな」
「木も生えてます」
丘だ。あたりには芝が生えていて、遠くにはゴツゴツした月の表面が広がっている。
緩やかな丘の上を見ると、桜の木が一本生えていた。
「ここはどこですか?」
「……なんとなく、作りました」
「作った?」
「はい。バラバラだった俺たちをまとめるのに、とりあえず地面が必要で……」
「ツナの心象風景ってわけか」
……心の中を覗かれているみたいで恥ずかしいな。
そう思ったときだ。空間に波紋が広がった。よく見ようとして足を出すと、また別のところで波紋が広がる。
「面白いところですねえ」
「……きっと、俺たち自身も同じです」
「同じ?」
「はい。この場所では簡単に揺らいで混ざりあう。いつでもこの、自分の輪郭を破って流れだせる」
「それがつながるってことだな。恐ろしいもんに聞こえるが……」
「元に戻るのは簡単だと思います。だけど……」
「だけど、なんだ?」
……なんて言えばいいのか。
「……難しい」
「難しい、ですか?」
「はい。つなげる力は俺の力だけど、俺だけでつながるわけじゃなくて」
「双方向性の力だな」
「ええ、だから、その……会話みたいで」
「苦手なのか? 会話」
「……苦手です」
……。
普段ならこういうことを言いはしなかった。恐らくつながるとは、普段言えやしないことを言うような行いなのだ。
「わたしはツナと話していて楽しいですよ?」
「シーラ……!」
「てめぇの会話が上手かろうが下手だろうがどうでもいいっての。話してやるっつってんだよ」
「……お願いします」
言葉を交わすとは、つながるということだ。ウィルさんとつながる。月面の丘がぐにゃりと輪郭を失い、水に溶かした絵の具のように歪む。
次にただ一本の大樹が現れた。ウィルさんのイメージを共有しているのだ。
想像を超えて立派な木だった。周りを周ろうとすると1時間はかかりそうなとてつもなく太い幹が無数の枝葉を傘のように広く伸ばし、地面がないせいで剥き出しになった太根たちはそれぞれが一本の木に匹敵するほど太い。
地面が失われたせいで俺たちは輪郭をなくし、それぞれの意識を保ったまま大樹を観測する者としてこのイメージの中に存在しているようだった。
『これは英雄の大樹だ』
『英雄の大樹?』
『いつの時代も人々には英雄が必要だった。それは世界の英雄だったり誰かの英雄だったりしたわけだが、そいつらもいつかは死んで、英雄の大樹の年輪になる。次の英雄につなげるために』
『なぜその木がここに?』
『……わからない。だが想像はできる』
像のぼやけたウィルさんが英雄の木の空間に現れて、ふよふよと木に近づいていく。それから幹に手を当てた。
何かに思いを馳せるように。何かを確かめなおすように。何かを諦めるように。
それが終わったのか、俺たちの方へ向き直る。
『風や空や海や翼に乗せて英雄が紡いでつなげてきたその日々(THE DAYS)を、オレが架け橋となって次代の英雄までつなげるためだ』
『……次代の英雄』
『次代の英雄までつながれる、先代の英雄の話をしなければいけねえ。勇者のピアスを付けていた男の話……今はもういない、オレの双子の弟の話だ』
『双子の弟って……ウィルさんの弟さんが、ツナのピアスを付けていたということですか!?』
『ああ、その通り。何においてもオレよりよくできた弟だった』
英雄の大樹が歪み、また世界に溶ける。
今度は青空と地面があった。和風建築の大きな屋敷だ。広い塀で区切られた敷地の中に大きな屋敷が立っている。
「懐かしいな……。閃輪団にいたころ……弟が生きていた頃ここに住んでた。閃輪団のアジトだ」
いつのまにか身体の輪郭が戻っていた。ウィルさんの後に続いて屋敷の中に入っていく。
「オレたち兄弟は期待されていた。火の加護を受けて生まれた中でも、特殊な素質を持って生まれたからだ。十年は前になるが、当時の閃輪団ではあの隕石の飛来が予測されていた」
「そんなに昔から……」
「オレたち兄弟には隕石を止められる可能性があった。閃輪団はオレたちの能力を発展させて隕石を止めるすべを探し始める……が、見つからなかった」
再び景色が歪む。
高い山の上だった。眼下に雲海、上を見ると空が近い。
「閃輪団は手がかりを宇宙に見出した。オレと弟は選別に掛けられ、その結果弟が手がかりを見つけに宇宙へ行くことになった」
「宇宙へ行ったんですか」
「ああ……弟はそこで消息を絶った」
「……」
「オレは閃輪団と縁を切った。そこまでして閃輪団が手に入れたかった力、オレと弟しか宿せなかったもの、それは──」
世界が溶け出す。広がっていく。
闇の中に岩々が無作為に浮かぶ。その岩が目の前から退いて、炎が現れる。
暴力的なまでに絶対的な赤い炎……いや──太陽。あれは太陽だ。
暗闇に浮かび寸分の欠けもない巨大な炎の星を美しいと思った。
『聖なる力──ヒューマン・ホープ』
『聖なる力? それがメテオを止めるんですかっ?』
『ああ。聖なる力にまつわる言い伝えがある──』
景色がまた歪み、世界は英雄の大樹を映し出した。その遥か後方に、巨大な太陽が浮かんでいる。太陽の逆光を受けてウィルさんは語り出す。
『大樹の歌を聞きなさい。笛の音を、震える弦を、英雄たちの歌を聞いて語り継ぎなさい』
『……』
『その昔、ワケヒトリカミの王国がありました。ワケヒトリカミはセントを守り、セントはワケヒトリカミに礼を尽くし、王国は繁栄しました』
セント。不死鳥の加護を直接受けた時代の人々。
ならばワケヒトリカミとは不死鳥のことだろうか。
『王国は緑豊かな美しいところでしたが、ある日一人の男がワケヒトリカミに無礼を働きます。怒ったワケヒトリカミは緑を燃やし尽くしてしまいました。王国は闇に包まれ、命運尽きたかと思われたその時──』
『その時……?』
『王の遣わせた勇者が、聖なる力をたずさえて王国に戻ってきたのです。勇者は聖なる力をもってワケヒトリカミの怒りを鎮め、彼のカミは空の向こうへ飛び立ちました。聖なる力を火に宿し、カミを鎮めた勇者を人々は希望と称えます』
聖なる力が、不死鳥を鎮める。聖なる力を火に宿した勇者、希望……ホープ。
『ですが……ワケヒトリカミの怒りは残り続けます。天の裁きはいつしか世界を砕くでしょう』
『天の裁き、というのは……』
『ああ……メテオ、あの隕石のことだろう。そして言い伝えには続きがある。──王国の民は、未来の人々に世界の命運をゆだねることにしました。荒れ果てた王国がどうなったのかを知る者はどこにもいません』
太陽風が大樹をざわざわと揺らす。プロミネンスの一つ一つが途方もなく巨大だった。
大樹から歌が聞こえる。笛の音、弦の振動、幾重にも重なった英雄のコーラス。歌が伝説を語る。
『王国の記憶が忘れられようとも、希望は人の火に灯り続けています。世界が勇者の到来を待っています。聖なる力を希望に変えて、明日をつなげる光を放つ。救世の望みを叶える勇者を……』
重い言葉だと思った。
何故か。自分に掛けられた言葉のように感じたからだ。
『オレと弟の持っていた素質、それがホープ。聖なる力を宿せる聖なる器だ。オレはすでに自分の火からホープを失い、弟は消息を絶った。この世界で唯一勇者のピアスとホープを持つお前こそが──次代の英雄だ、ツナ』
『聖なる力があれば、メテオの落下に対抗できる……』
『そうだ。これがお前たちの知りたがっていたこと。ツナ、お前が命を懸けてまで求めた隕石の落下を止める糸口だ』
『ツナなら、聖なる力を見つけられる。そうすれば、隕石を止められる……?』
『ああ、そうだ。ホープならば聖なる力に近づける。……聖なる力、ヒューマン・ホープのありかはわからないがな』
辺りを眩い光が覆い尽くす。
たまらずまぶたを閉じて、目を開くと俺たちは元のサトウ邸に戻っていた。
「……お前たちの聞きたがったことは以上だ。オレは帰るぞ」
「……ありがとうございましたっ」
「もし隕石が止まったら、その時またピアスのことを聞きにくる。……じゃあな」
片手を上げて部屋を出て行くウィルさんに何か言う余裕はなかった。
あまりの情報量に頭が痛い。全てを理解できた気はしなかった。ベッドにまた倒れる。
外は真っ暗だ。夜空が見える。
「ツナ、お疲れさまです」
「シーラも。お疲れさまです」
「はいっ。わたし、頭痛くなっちゃいました」
「俺もですよ」
「お揃いですね」
「頭が痛いのがおんなじでも何も嬉しくないですよ」
「そうですか? 一緒だったら嬉しいじゃないですかっ」
「はいはい、そうですか」
一気に目標に向かって進展して、おそらくやるべきことや考えるべきことがあるはずだった。
俺はよく目を開いて、まっすぐ見て正しい答えを見つけて、その方向へ歩き出さなければいけない。
それは大変だ。面倒くさいし、疲れるし、俺みたいなやつはくじけるかもしれない。
だけど、こんな会話を明日もずっと続けていたい。そう願うことだけは間違いないのだ。
○
サトウさんの屋敷を後にして、シーラと並んで歩く。夜の道が月の光に照らされて、濡れているように見えた。
住宅街を歩いていく。
「家は橋の向こうでしたよね」
「はい。送ってくれるんですか?」
「時間、遅いですし」
「ふふ、嬉しいですっ」
川沿いの道に出る。
多摩川が光を反射している。河川敷の茂みからげこ、げことカエルや、虫たちの鳴く声がする。
ランニングしている男性とすれ違った。
スロープを登って、四谷橋に差し掛かる。幅広の多摩川の両岸を渡す、四車線の大きな橋だ。
「今日はいろんなことがありましたねえ」
「はい。本当に……」
「ツナがあんなに戦うのが上手なんて」
「俺も知りませんでしたよ。自分が剣振れるだとか」
「手から火、出しちゃいましたし」
「驚きました。だけど……俺たちに必要なものでした」
「心配したのですよ?」
「ありがたいことです」
「……本当ですよ? 本当に心配しましたっ」
四谷橋の歩道。歩いていると、シーラが立ち止まった。
たくさんの車が行き来しヘッドライトが道を照らす。俺は振り向いて、立ち止まったシーラに向き合う。
「怖かったです。ツナが……死んでしまうかもと思いました」
「……その、シーラ」
「ご、ごめんなさい。困らせましたねっ」
「……いえ、俺が心配させました」
だけどそれだけじゃない。……俺にも、気持ちがあったよな。
「その……。俺、シーラの隣に立ちたいんです」
「わたしの?」
「はい……」
心臓がバクバクと暴れ回っている。気持ちをまっすぐに言葉に変えるとは、たぶんこういうことなんだ。
「シーラは俺とは違います。俺とは違って、人を救える人です。そういうふうに、たぶんずっと頑張ってきた人なんじゃないかって……」
「……それは、ちょっとだけそうで、ちょっとだけ違います」
シーラが俺に歩いて寄って、距離を縮めた。
そういうところだ。そういう勇気が俺にはないのだ。
「わたしたち、結構似てると思うんです」
「俺たちが……?」
「はいっ。ツナ、遠くを見るのが好きですよね。景色とかよく見てるな、って思うんです」
「……そうかも」
「近くを見るのも好きですよねっ。その人がどんな人なのかなとか、でも近すぎるとちょっと怖がったり」
「……よくわかりますね。だけど、シーラは違うでしょう?」
「わたしもそうなんです。だからツナも、もしかしたらそうなのかなって」
「シーラは人との距離が近いじゃないですか、俺とはちがっ──」
俺とは違って。そう言おうとした。
だけどシーラは俺の言葉を聞きながら、なんだか眉を困らせた。それを見ると俺は続ける言葉を無くしてしまう。
「ツナに、もっと自分を大事にしてほしいです」
「……」
「ね」
「できたら、いいと思います、けど……」
「できますよっ」
「そう、ですか」
「それまで、わたしが大事にしますから。ツナのこと」
「え……」
「だから、頑張ってくださいね?」
「なんで、俺のことそこまで……」
「……ふふっ、わたしもよくわかりません。どうしてでしょう」
はにかんで上目遣いで見上げられた。心が跳ねる。
わかってやっているなら罪作りだ。だけど例えそうでも俺はもう、自分の気持ちから逃れられない。
と、と、と、とシーラが跳ねるように遠ざかり、俺を振り向く。
「ツナ。わたしの正体、わかりましたか?」
「ありましたね、そんな話」
とは言いつつ、頭の片隅で考え続けていたことだった。
「なんだと思いましたか?」
正体というのも改めて思えば曖昧な問い方だ。化け物でもないだろうに。
……大和撫子のような育ちの良さを感じさせる所作、仕草。
メテオを止めようとしていること。
人に気持ちを伝えることについて持っている信念。
バンドマンのサトウさんと知り合いだったこと。
新宿に用事があったこと。
他にも、もっと何かあったはずだ……。
「人に、何かを伝える人だと思います」
「合ってます。それから?」
顔を上げてシーラを見る。五メートルに満たないぐらいの距離。
今日、シーラはずっと俺のすぐ隣にいた。
今は、これぐらいの距離から向かい合っている。すると、なんだか違って見えた。
……俺が想像もしないことをしてる人、なのかもしれない。
「シンガーソングライターとか?」
「違います」
「芸術家?」
「絵を描いたり本を読んだりは好きですが、違いますっ」
「ふむ……正解は?」
多摩川の上には強い風が吹いている。
シーラの目を見る。車のヘッドライトを浴びて明滅する、彼女の青い瞳にとどめようがなく心が惹かれた。
「アイドル、です」
風に乗って、桜の花びらが俺たちの間を通っていった。シーラの長い黒髪が揺れる。
アイドル。イメージはあまりできなかった。聞いても、あんまりピンとこない。
「アイドル、ですか?」
「はいっ。ツナ、アイドルって何か知っていますか?」
「……実は全然」
「アイドルはね、笑顔が素敵なんです。その笑顔をステージからファンのみんなに届けて、楽しんで、笑顔で帰ってもらいます」
「なるほど……笑顔」
「わたしの笑顔がみんなの笑顔になって、みんなの笑顔が別の誰かを幸せにして、別の誰かの幸せがまたどこかに届いて……。遠くまで巡っていく笑顔で、世界を少しずつ幸せにできるお仕事なんです」
「そう聞くとヒーローみたいですね」
「それは素敵な言い方です!」
「いや、そういうつもりじゃないですって」
まっすぐに褒められると恥ずかしい。
……アイドル。アイドルか。
まだピンときてはいないが、シーラの言ったことはすごくシーラらしいと思った。
こういう気持ちも頑張って伝えよう。
五メートルの隙間を歩いて詰める。シーラはそこで待っていてくれた。
「行きましょう」
「はいっ」
隣に並び直して歩き出す。
ああ、やっぱりこの距離だ。遠くなくて、近すぎもしない。落ち着く距離。
静かに歩く。何か話題を見つけた方がいいだろうかと思うが、結局まあいいかと思う。居心地は悪くなくて、じゃあこれでいいんだろう。
橋を越え、数分歩いて大通りから外れたところでシーラが立ち止まった。
大きな家をイメージしていたのだが、普通のアパートだ。
「実家が静岡の御殿場にあって、今は一人暮らしなんです」
「ああ、それで。実家は大きいんですか?」
「すっごく大きいです」
「納得しました」
「ふふっ。……送ってくださってありがとうございます」
「いえ。明日はどうしますか?」
「目的は聖なる力を探そう! ですよねっ」
「えーと……たぶん、そうなりますね」
まだ頭の整理が着いてないが、合っているはず。
「わたし、心当たりがあるかもしれません」
……え。
「本当ですか?」
「んー……ちょっと怪しいんですけど、お友達が似たようなことを言っていたんです。それで、明日会う予定があって。ツナもどうですか?」
「行きます。もちろん」
「よかったあっ」
明日は土曜日だ。一日中動ける。
「どこに行けばいいですか?」
「早いのですが、明日の七時にここ、わたしのお家の前でいいでしょうか?」
「もちろんです」
明日の約束をしてシーラと別れた。
このあたりのバスはわからないし、歩いて帰ることにしよう。
夜の街ですれ違う人は昼とまた違う。夜空の光がきれいなように、この時間の街の光がきれいだった。
○
一日ぶりのハナニラに着いた。
一日ぶりかと驚く。もっと長かったような感じがする。昨日と今日があまりにも濃すぎたのだ。
「ただいま」
「おかえりなさい!」
「おっ、お帰りじゃの」
まあああお客さんがいる。中でもカウンター席に座っていたズィーさんとリエーナフが挨拶を返してくれた。
「おかえり、ツナ」
「ただいま、ヨルさん」
「一昨日とは顔つきが変わったね」
「そうですか?」
「それはもう、見違えたよ。夕食は食べるだろう?」
「はい。いただきます」
「準備できてるよ。食べながら聞かせてくれないかい、二日の間にあったことをさ」
「まあ……わかりました」
ヨルさんがにっと笑う。俺もつられて口角が上がる。
今日もフードの下からにこにこしているリエーナフが一つ席をずれた。ズィーさんとリエーナフの間に座れということだろう。二人とも興味津々だ。
……待て、この二人いつの間に知り合った?
俺が不在の間に何かが起こっていた。どうもリエーナフも常連の雰囲気だ。
俺は夕食のカレーを食べながら、起こったことを語って聞かせた。さすがに火や聖なる力の話まではしなかったが。
食べ終わり、話半ばではあるが寝ることにした。
いや、先に風呂を済ませないと。脱衣所に入って学ランをハンガーに掛け、手っ取り早くシャツを脱ぐ。
新しめの風呂の扉を開いたところで浴室の鏡に映った自分と目が合う。手に持っていたフェイスタオルを取り落とす。
左胸に小さく付いていた傷が──上半身に大きく広がっていた。肩、鎖骨、腹筋にまで。この大きさになってようやくわかった。これはただの傷じゃない。
……火傷だ。なぜこれだけ大きくなったかは考えずともすぐにわかる。
火の加護の力が原因で、間違いない。大きな力の代償だった。
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