2. 朦朧としていたとき、心臓の中に自分じゃない自分が覗いた


 三人分のスリッパの足音が長い廊下を進んでいく。前からパンツスーツ、膝上スカート、制服のスラックス。

 俺たちを出迎えたサトウさんは挨拶の次にこう言った。


「花火師の工房があるんだ。」

「ええっ、花火ですか?」

「うん。元々は浅草の花火職人の元締めさんの邸宅だったところを譲り受けたのさ。だから工房もある。」


 今の状況でそんなことを言う理由とは、つまり。


「サトウさんは工房にいるんですね」

「察しがいいね。この部屋さ。」


 立ち止まった。俺とシーラも続いて止まる。

 他の部屋より重そうな金属の扉が、サトウさんの手でガコンと音を立てて開かれる。


「もっとも、すっかり改造されてしまったけどね。どうぞ。」


 シーラに続いて部屋に入る。中の様相は花火師の工房という言葉のイメージから大きくかけ離れていた。


「わあっ!」

「……これが花火師の仕事場か?」


 壁一面のモニターやビカビカ光る大きなパソコン、そのほか用途がわからない数多くの計器。

 そして理科室にあるのと同じ簡素な丸椅子。着流しの男がこちらに背を向けて座っていた。

 だが意識はこちらを向いている。なんとなくそのことがわかった。


「……サトウ。なんてヤツを連れてきた」

「客人を邪険にするものじゃない。彼女の方は僕の仕事仲間だ。信頼が置ける。」


 ……仕事仲間?

 シーラの顔を見るが、普段と変わらぬ様子でウィルさんの方を向いている。


「オレには信頼できない」


 ウィルさんが振り向く。俺よりさらにがっしりした体格、くすんだ金髪と無精髭。目には不機嫌そうな色を浮かべていた。

 その視線に射抜かれ背筋が強張る。瞳は鋭く冷えていた。

 歌舞伎町の男とは質の違う圧を前に萎縮しそうになる。だけど俺たちにも目的があって、一応は信念みたいなものも持っているのだ。


「ウィルさん、どうかお願いいたします。お話を聞かせてくださいませんかっ」

「お願いします」


 清淑に腰を折ったシーラを真似て、俺も頭を下げる。恥もプライドも元よりない。

 ただシーラの願いへ、メテオを食い止める目標に近づけるならできることは全部しようと思って頭を下げた。


「話す気はない」

「お願いします……!」

「お願いします」

「どうしてそんなに拒むんだい。」

「こいつが閃輪団だからだ」

「閃輪団。」


 閃輪団? サトウさんもシーラも首を捻る。

 二人の視線が俺に集まるが、もちろん閃輪団に心当たりはない。


「閃輪団とは手を切った。……恩ももう、返した。去れ、少年」

「ツナです」

「テメェの名前を聞いてるわけじゃネェんだよ」

「よろしくお願いします」

「よろしく……じゃネェんだよ。話を聞け。会話下手か」

「俺たちの話を聞いてくれたら考えます」

「……」

「ウィルさん、お願いしますっ」

「僕からも頼む。部屋賃だと思って。」

「……」


 ウィルさんはむすっとする。

 渡すなら今だ。シーラと頷き合って、お互い一つずつ持った菓子折を差し出した。


「心です」

「心ばかりですが、お願いします……っ」

「……」


 受け取ってくれた、よかった。

 ウィルさんが紙袋の中を中を覗き込む。……。


「……っ」

「……ふうん」


 よしっ。好印象。

 固唾を飲んでウィルさんを見つめる。気まずそうに見つめ返される。ドキドキする、どうだ……!


「……しゃあねえなあ」

「やったあ!」

「ありがとうございますっ」


 シーラと揃って頭を下げる。頭を下げながら顔を見合わせた彼女は満面の笑みだった。

 俺も少し笑った。


「よせ、顔を上げろ……。ここまでされちゃ俺の立つ瀬がねえよ」


 言われた通り顔を上げる。ウィルさんの困ったような顔。


「……とりあえずリビング行くぞ。いいよな、サトウ」

「もちろん。お茶を用意するよ。」


 機材でごちゃごちゃした花火職人の工房を後にして、サトウさんを先頭に四人連れ立ちリビングへ。窓から見える外はもう夕暮れだった。


「やりましたね、ツナ」

「そうですね。……なんというか、本当に進むんですね」

「伝わってよかったですね、わたしたちの礼儀」

「それもそうなんですけど。……自分が何かしたっていうのが、なんだか実感ないです」

「何言ってるんですか、ツナ」


 ふっとシーラが距離を縮めてきて、手を握られた。不意打ち。

 手のひらがぎゅうと包み込まれて、顔一つ分小さいシーラが見上げてくる。


「二人ですよ。……ね?」

「あ……。……すいません」

「ふふっ、わかってます。大丈夫ですよっ」


 ……言動には気をつけないと。それに、自分自身の意識も。

 シーラが頼ってくれるように、同じだけ俺も頼り返したいから。


 ○ 


 サトウ邸リビング。お茶とリンツのチョコ、塩っ辛いあられが乗ったテーブル。

 それを挟み、二人と二人でソファに着いて対面していた。


「……ってことは、本当にヤツらは関係ねぇのか……!?」

「閃輪団……っていうのなら、本当に無関係です」

「なわけ……。いや、あり得ないことではねぇか……」


 誤解が解けたようだった。何よりだ。

 ウィルさんが膝に手をついて、がばっと頭を下げる。


「──すまなかった。お前らを疑ったのは俺の早とちりだ」

「頭を上げてください、ウィルさん。ね、ツナ」

「はい。気にしてないです」

「……恩に着る」


 ウィルさんはばつが悪そうにした。初めの印象はややおっかなかったが、話してみると律儀な人だと思う。

 さて、勘違いが解けたなら今度は俺たちが聞く番だ。しかし、どこから聞いたものか……と思案しているうちにシーラから切り出してくれた。


「閃輪団というのはなんでしょう? どうしてツナをそれと思ったのですか?」

「ああ、そうだな」


 ずず、とお茶をすする。シーラはまず本題に遠いところから聞いていくことにしたらしい。


「それにはまず、世界の話をしなきゃいけねえ」

「え、世界?」

「大きな話だね。」

「だからめんどくせぇんだよ、これ説明するとき。……安心しろ、ちゃんと話すから」


 ウィルさんは一呼吸置いて話し始める。俺は背筋をしゃんとして聞く姿勢を取った。


「知らないだろうが、この地球には“星轟”という存在がいる」

「せいごう、ですか」

「星を轟かせる。それで星轟だ。奴らは地球の神様みたいな存在で、いくらかいるんだが……まあそれは置いておいて、話に関わってくるのはそのうちの一柱、“不死鳥”」

「……不死鳥」


 俺は火の鳥を思い浮かべた。死ぬたびに自分を燃やし、何度でも蘇る伝説の存在。


「大昔に俺たちの先祖が不死鳥と出会った。そいつらは不死鳥を崇めて、不死鳥のねじろ、不死山に集落を作った」

「どうしてご先祖さまたちは不死鳥を崇めたんですか?」

「不死鳥が人々に加護を与える存在だったからだな。狩りを楽にしたり、他の集落を攻め落としたり。それだけじゃない、生活を一気に豊かにしてしまう力……火の加護だ」

「あっ、崇めることで加護を受け続けたんですね」

「……火の加護」

「そいつらは不死鳥の一族。セント、なんて呼ばれてた。セントは時代と共に姿を変えて……現代ではうさんくせえ宗教って形で残ってる」


 つまり、それが……。


「閃輪団ってワケだ」

「なるほど……」

「俺を閃輪団と間違えたのはなぜですか?」

「火を帯びていた……お前が火の加護を受けていたからだ。不死鳥はもう地上にいない。今は遺伝という形で火の加護が受け継がれちゃあいるが……才能がいる。先祖にセントを持つ閃輪団でも火の加護を発現させる者は少ない。重要な存在だな」


 ウィルさんが手を握りしめ、手のひらを上にパッと開いた。すると、赤い炎がぼうっと立ち上る。


「わあっ!」

「これが、火の加護」

「そうだ」

「うちを燃やさないでくれよ。」

「すまん」


 ウィルさんが手のひらを閉じると炎も消える。……これが使えたらヨルさんに重宝されそうだ。


「だけど俺はそれ、使えません」

「訓練していないからな」

「訓練が必要なんですね」

「ああ。セントを先祖に持つ者はほぼ全てが閃輪団に属している。ごく一部の火の加護を発現させた者はそこから訓練を受けるんだ。お前は先祖がセントだったが、閃輪団からは抜けたんだろうな。そんな話は聞いたことがないが、それしか考えられない」

「納得です」


 先祖がセントで、火の加護が発現しているがゆえにウィルさんから閃輪団と間違われたというわけだ。

 俺も訓練したらああして火を吹き出せるのだろう。メテオを止める役に立つわけではないだろうが。


「ウィルさんも閃輪団なのですか?」

「昔はそうだった。いろいろあってな、今では切った縁だ」

「そうなんですね」


 人に歴史ありだ。深掘りして聞くことでもない。

 そろそろ本題に入ろう。その前に糖分を補給するべく、俺はテーブルのチョコに身体を乗り出した。

 なんだかウィルさんの目線を感じる。チョコを取られたくなかったのかもしれない。


「ウィルさん、ここからが本題です。わたしたちには目的があります」

「……」

「わたしたちはメテオを止める手段を探しているのです。心当たりはありませんか?」

「……」

「……ウィルさん?」

「ツナ、耳を出せ。ピアスをよく見せろ!」

「は、はい」


 ウィルさんは尋常じゃない様子だった。俺は気圧されてウィルさんに言われた通りにする。

 突き出した耳のピアスを触られた。まじまじと見られる。


「これをどこで?」

「……いつの間にか、付けていました」

「──いつの間にか!? そんなわけがない!」


 体勢が悪くてウィルさんの顔が見えない。だが声を聞くだけでその激昂の強さがひしひしと伝わってくる。


「ウィル。少し落ち着け。」

「……っ。悪かった。だが教えてもらう」

「ツナ、本当ですか?」

「……はい。本当です」

「信じられないな。それのピアスは──」


 何かを言いかけたウィルさんが口をつぐむ。代わりに拳をグッと握り締めて、彼はもう一度口を開き、俺に“提案”を持ちかけた。


「勝負しろ」

「……勝負ですか?」

「ああ。俺が勝てばそのピアスについて洗いざらい吐いてもらう。お前が勝てば、メテオを止めるすべを教えてやる」

「……!」


 正解だ。ウィルさんは知っていた。

 メテオを止める手段を、明確に。

 そして、これもまた勘違いだ。俺はこのピアスの出自を一切知らない。

 そのことも話せばわかってくれる。そう思っていた。


「話せばわかる──なんて、思ってくれるなよ」

「……」

「戦わねぇと気が収まらない」

「……人と戦ったことなんてありません」

「じゃあそう言ったまま負けていろ」


 ウィルさんが懐から木刀を二本取り出す。その一本を受け取った。

 有無を言わさぬ雰囲気。覚悟、しなければ。


「ツナ……!」

「……大丈夫です、シーラ。勝ちますよ」

「いいけど、庭で頼むよ。」


 ○


 ウィルさんが立っている。薄暮が逆光になっていた。

 俺は20メートルの間隔を開けて彼の対面に立つ。

 戦場はサトウ邸の広い庭。ほとんどが芝で、外周に常緑樹が植わっている。門から道が続き、玄関扉の前で待っているシーラが固唾を飲んで俺たちを見守っていた。

 ──負けられない。夕風が俺たちの間を吹き抜ける。


「来い」


 その一声が取り決めてあった戦闘開始の合図だった。

 ……お互いに動かない。ウィルさんは木刀を正眼の位置に構えた。

 それをどう攻めろというのか。あの構えがどういう特徴を持つのか俺は知らない。そもそも木刀の持ち方すら知らず、見様見真似で刀を正眼に構える。

 グッと力を込めて木刀を握りしめる。張り詰めた静寂を前に身体が強張った。対するウィルさんは全くの余裕を醸す。そのことがより一層俺を焦らせた。

 いけない、これじゃいけない。気持ちばかりが膨れる。


「来いよ」

「……っ」


 全力で地面を蹴り飛ばした。姿勢を低くしてウィルさんに迫る。

 挑発に乗ったのだ。距離を詰める中でそのことに気づいたが、もう止まれない。巌のような威圧感を前に、俺の脳裏にウィルさんが提示した『戦闘のルール』が走査する。


──オレは最初の位置から一歩も動かない。

──自分から攻撃をしない。お前の攻撃の回避と反撃だけする。

──お前は何をしてもいい。

──オレがこのルールを破るか、お前の攻撃を一撃でも食らえばお前の勝ち。対してオレの勝利条件は、お前を諦めさせること。


 無闇に攻撃するべきではなかった、と思うがもう遅い。

 木刀と木刀が交差し、木を強く打ち付け合う音が響く。


「刀は不得手か。悪りぃな、木剣の持ち合わせはない」


「何を、言って──」


「剣術のために身体作ってんだろ。気づかないと思ったか」


 構う余裕はない。一度木刀を引き、別の方向から斬りかかる。

 その一振りにウィルさんの木刀が滑り込む。木刀の軌道が逸らされた──と思った、次の瞬間だ。

 ウィルさんの木刀が霞んで消えた。そして、走行中の電車を腹に食らった。そう思った。それぐらいの衝撃に見舞われた。


 当然電車ではない。ウィルさんの木刀の一振りだ。


「がッ──!」

「ヘタクソが」


 目の前が真っ白になった。一瞬、意識を手放していた。

 気づけば俺は空を飛んでいる。今ので吹き飛ばされたんだ、と朦朧とする頭で考える暇もなく、外周の木に激突した。


「ツナっ!」


 俺は身体で太い枝を何本もへし折りながら地上へ投げ出された。


「ぐっ……」


 今起きたあまりのことに眩暈がする。

 しかし思ったより痛みはない。枝葉がクッションになったのだ。

 まだ負けてない。起き上がりながら、冷静になって考えろ、俺。

 立ち上がってウィルさんを見据える。


「どうした。諦めたか?」

「……」


 釣られるな。機を見計らえ。勝ち筋を見出すんだ。

 一撃。たった一撃を入れられればそれでいい。相手は戦いに制限がある。制限を利用すれば、その一撃は難しいことではない。

 俺は足元に転がっていた真っ直ぐな枝を拾う。木刀より枝の方がリーチが長い。

 そういう理由だったが、木刀の湾曲した持ち手より不思議と手に馴染む。

 ウィルさんに向かって駆け出す。


「勝てると思うなよ」 

「……ッ!」


 肉薄。絡む視線を切って、俺は剣に見立てた枝で斬りつける、前に──スライディングした。滑りながら、足を狙う。

 それも木刀で跳ね飛ばされる。だがそれでいい、こうしている限り有利なのは俺だ。攻め手を緩めるな!

 何度も斬りかかる。ウィルさんは木刀を右手で持っている。俺は必ず持ち手の逆、左側から斬りかかり、切り結んだ後は反撃をもらわないように木刀の間合いの外へ退避した。


「いいじゃねぇか。その泥臭さ、嫌いじゃねえ」

「どうしてこのピアスを求めるんですか!」

「うるせぇ。白々しいんだよッ」

「説明してくれなきゃわかりません!」

「どの口が!」


 一合。一合。木刀と太枝を交わすように言葉と言葉を打ち合わせる。


「本当ですッ! さっきも勘違いだったでしょう!」

「ッ──じゃあ元々ソレを付けてたアイツは、どこに行ったと言うんだよ!」


 ウィルさんが反撃の一刀を振りかぶる。だが問題ない、俺はすでに間合いの外だ。

 そのはずだった。


「答えろッッ!」

「──なっ」


 木刀が伸長した、そういうふうに見えた。

 いや、違う。限界まで身体を伸ばしているんだ。

 けど、これなら……この体勢の悪さなら対応できる!


「知らないと言っているッ!」


 枝で木刀を受け流す。不思議と身体の使い方がわかった。

 ……受け流し方だけじゃない。剣の構えかた、振りかた、足の運びかた、フェイントの掛けかた──そうだ、俺は知っていた。

 どこで俺は剣術を学んだのか。なぜそんな技術を身につけているかはわからない。

 だが、知っているなら思い出すだけだ。


「なに──ッ」

「本当に俺は知りません。だけど──それだけでもない」


 ウィルの口からこぼれた“アイツ”という人。それがこのピアスの前の持ち主だったのかもしれない。

 ウィルさんはきっとその人を探していて、手がかりにピアスのことを聞きたがっているのだろう。残念ながら本当に俺は知らない。だけど探す手伝いはできればいいと思う。

 しかし今じゃない。俺たちには、時間がないから。


「話してもらいます。メテオを止めるすべ、このピアスについて、知っていることも!」

「急に上手くなりやがってッ!」


 もう間合いの外に出る必要はない。木刀と太枝。

 一合経るごとに俺は剣術を取り戻していく。ルールで身動きを封じられたウィルさんだったらやりあえる。

 切り結ぶうちウィルさんの戦いかたが見えてきた。彼は攻めの刀だ。やられる前にやる、そういうスタイル。

 だがこの制限の下で、その剣筋は活きない!


「俺を舐めすぎです」

「……ッ。その言葉そっくりそのまま返すぞ!」


 一刀と一刀の隙間、刀を振るうウィルさんの右手が閃いて、腰を低く水平に構える。

 まさか──この人は、まだ本気じゃなかった!

 その一刀より先に俺が一撃を──そう思うも遅かった。


「破ッ──!」


 裂帛の一撃。それを俺は太枝で受ける。

 いや、違う──枝で受けさせられた!

 衝撃で枝が折れる。当然だ。木刀と枝を比べたら、耐久性には天地ほどの差がある。

 ……けど。


「負けない」


 一歩下がった。逃げるわけじゃない。

 腰に差した木刀を抜いてウィルさんに向かって投擲する。

 彼はそれを自分の木刀で弾き飛ばした。


「なんのつもりだ!」

「あなたに勝つつもりです!」


 木刀を弾き飛ばしたウィルさんの体勢が崩れる。

 今だ。背のベルトに刺してあった、折れた枝の片割れを抜き出す。長さは半分になったけど、木刀よりかは手に馴染む。

 当たれ!


「甘いぞ!」


 崩れた体勢でもウィルさんは対応してくる。のけぞった身体から繰り出される一刀は、俺が左手に持った枝を弾きとばす。

 ──それでいい。

 俺の背には、折れたことで二本に増えた枝のもう片割れ。抜き出す。

 トドメの瞬間、時間がゆっくりになる。

 右手で振りかぶる枝。それに気づいて目を見開くウィルさん。その顔を見て俺は勝利を確信する。

 そして、遠くで何かが光った。……なんだ?


「──避けろォ!」

「うわっ──」


 ウィルさんがルールを破った。

 無理な姿勢から飛び出したウィルさんに俺は抱き抱えられる。彼はそのまま、横に飛んだ。その一瞬のち──狂ったような赤黒い炎が、俺たちのいた場所を通過した。


「なっ──」


 炎の風圧が吹き荒れ、ウィルさんに抱き抱えられたまま吹き飛ばされる。

 どさ、とウィルさんが横になって着地。転がって受け身を取った。


「無事か」

「はい。今のは」

「まあ、閃輪団だろう……」


 火が霧散する。その向こうに二人分の人影。


「悪いね、外したよ」


 探偵のようなコートと帽子を被った低伸長の男。童顔だが、瞳は鋭く俺たちを向いている。


「クク、気にすることじゃないぜ」


 ストリートファッションに身を包んだ、俺と同じぐらいの背丈の男。つばの大きいキャップで目元は見えず、片頬を上げて笑っている。


「……カイロウ」

「奇遇じゃないか、ウィル」

「白々しい」

「いいや奇遇さ。僕らが回収したいのはそっちの彼。君がいたのはほんとに偶然」


 カイロウという男。

 彼はふてぶてしい口調で指差した。


「俺を?」

「ウィル、その子はホープだ」

「……なんだと。こいつは火を出すことすらできないんだぞ」

「ホープ……?」


 なんのことだ。

 ウィルさんが俺を見る。信じられない、とでも言うように。


「……やっぱり、そうなのか」

「何がです」

「そのピアスを付けているヤツは、運命に導かれる。振り回されると言ってもいい」

「それは、俺がホープと呼ばれるのに関係があるんですか?」

「ああ。……だが今それを話す余裕はねぇな」


 二人がゆっくりと近づいてくる。自信を持った歩みで、弛まぬ害意を俺に向けてくる。

 背を見ると、シーラとサトウさんの姿が見えない。

 玄関が開いていた。戦いの邪魔を避けて屋敷の中に入ってくれたのだろう。


「分担するぞ、俺はカイロウで手一杯だからな。もう片方の男をやれ」

「……助けてくれるんですか」

「お前からピアスを引き出すのとはまた別だ。ツナ、ヤツらはお前を殺しはしないが、身動きを封じるために足を切り落とすぐらいはしてくるぞ。オレとは違う。気を引き締めろ」

「わかりました」

「物わかりがいいのはいいことだ。負けんなよ」


 ウィルさんが俺から離れて、カイロウの元に駆け出す。

 木刀を懐に仕舞って腰の刀に手を掛ける。距離を縮めるウィルさんにカイロウが火を放った。

 その数、五。ウィルさんが鞘に収まった刀のツバを少し持ち上げ──閃光、五陣。

 ……見えなかった。刀は鞘に収まっている。

 着流しが風にはためいた。次の瞬間、五弾迫った火が全て消えていた。それだけが認識できた。


「ツナだろ? 俺たちもやろうぜ」

「……お前は」

「サン」


 こういうとき、普通は恐ろしがるものなのだろうか。

 戦いが怖くはない。痛みを恐れることはなかった。

 俺は今、シーラのそばにいられなくなることをだけを恐れている。

 俺は一人じゃない。そのことをきちんと心で確かめれば、恐怖も勇気に変わる気がした。


「サン。俺は、お前を倒すぞ」

「悪いな、何も言うことはない」

「……」


 向き合う。どちらが先に仕掛けるか、そういう静謐さが緩い夕風となって吹き続ける。

 サンは変わらず目元を隠したまま笑っていて、戦闘にその余裕を持ち込む姿が不気味に見えた。

 強く見据える。彼我の距離感を見誤らない。

 向こうはどうやって戦ってくる? 火だろうか。

 なんにしたって俺には武器が必要だ。もう一度枝を拾わなければ。

 そう思ったときだ。


「ツナ!」


 ──シーラ!?

 彼女の声が聞こえてとっさに後ろを振り向く。シーラは額に汗を浮かべて、何かを投げた後の体勢。

 少し目線を上に向けると、ゴルフクラブがびゅんびゅんと回りながら飛んでくる。意図を悟った。


「助かります!」


 地を蹴る。少し上に逸れたゴルフクラブを飛び上がってキャッチした。

 ゴルフクラブ。これが武器になる。シーラは俺に武器を渡すために走ったのだ。

 そうして生まれたこの状況は、俺が晒した隙でもあった。

 サンが背に腰に差していた剣を抜く。

 人を切り裂く鋼鉄の剣が、軽い動作で振り抜かれる。


「──ッ!」


 間一髪、ぎゃりりと金属音を響かせゴルフクラブで受ける。

 だが体勢を崩した。背中から地面に打ち付けられる。

 サンは構わず切り付けてきた。後ずさったところを切っ先が掠める。刃に追い立てられ、転がりながら避ける。学ランの二の腕が切れる。


「余裕がないぜ? 大丈夫かい」


 転がった勢いをつけて立ち上がり、ゴルフクラブを構え直す。

 鈍色の刃とゴルフクラブを交わすこと数合。


「俺は正直、どうでもいいんだぜ」

「どういうことだ」

「ホープを求めてるのはカイロウだけってこった」


 ……大丈夫。付いていける。

 威圧感の反面、俺とサンの技量に差はない。

 だが決着もつかない。腰の入った横薙ぎを受け流し、その隙に繰り出した突きを半身になって躱される。火も今のところは使ってくるそぶりを見せない。


「火は使えない」

「何っ?」

「俺は閃輪団じゃないからな。だが、ズルはするぜ。どうでもいいからな」


 サンが二歩飛び下がる。そして、剣を持たない右手でパチンと指を鳴らした。

 サンの真後ろに板が……いや、扉が現れて、ひとりでに開かれる。扉の枠からは人の背中が見え──。


 あれは、俺だ。


 嫌な予感がした。自分の後ろを振り向くと、そこには扉の枠。

 扉の枠の向こう、剣を伸ばせば届く位置にいるサンが、剣を振り上げながらにいっと笑う。


「じゃあな」


 対応する間も無く、剣が俺の首を裂く──。

 対応できない。目をぎゅうと瞑って死を待った。

 その間際に思い浮かんだのは、シーラの顔。

 まだ、俺はまだと、心が叫ぶ。

 夕焼けに濡れたピアスの黄色い宝石。それが光り、輝いた。


 ○


 ……そのまま、ずっと目を瞑っていた。

 十秒、三十秒、一分と時間は進み、これが永遠に続くのだとしたら死とは残酷だ……と、そう思う意識のかたわらで、ちゃぷちゃぷと水の揺らめく音を捉えた。

 ゆっくり目を開ける……。


「なんだこれ」


 大河。

 左右見果てぬ巨大な川を、俺は木造りの小舟で下っていた。身を乗り出して前や後ろや上を見ても暗がりで、てんで居場所がわからない。

 水を見ると、この世のものには思えないほど清らかだった。


『命をはこぶ水だからな』

「……?」


 どこからか人の声が聞こえる。


『ここだ、ここ。見えないのか?』


 正面から聞こえる。すごく近い。

 目の前にいるのか?

 そう思って目を凝らす。そうすると小舟の対面に何かぼんやり見えて、少しずつ輪郭を濃くしていく……これは、火の玉?


『俺、そう見えるのか……』

「ああ。……どこから聞けばいいのかわからないんだが……」


『うむ、順を追って教えてやろう』


 火の玉はぼやんと浮かんでいるだけだが、なんとなく得意げに腕組みしたように見えた。


『ここはお前のピアス、“アクシデント”の中』


「そんな名前だったのか」


『そして俺はアクシデントに付いてる黄色い宝石、インペリアルトパーズに宿った。インペリアルとでも呼ぶといい』


「わかった、インペリアル」


『いいだろう。このピアスにはたくさんの力があって、俺もよくわからないんだが』


「わからないのかよ」


『まあ待て。ここからが本題だ』


 姿勢を正して「聞きます」のポーズをとる。


『ツナ、お前は死にかけている』


「……そうだな」


『そして今は、まあ走馬灯みたいなものなんじゃないか』


 適当な。


『もうちょっと突っ込むと心象風景だな』


「心象風景?」


『ああ。ピアスたる俺と、ツナ、お前のイメージの共有だ』


「それがこの、暗い川」


『そうなんだろうよ。お前はここに打開策を探しにきた。無意識のうちに、半分意識的に』


「ああ」


『その方法を教える。もっともピアスの力じゃない、お前自身の力に手を添えてやるだけだ。よく聞け──』


 心に刻み込む。その、起死回生の一手を。


 ●


 ゴルフクラブをツナに投げ渡し、シーラは扉の前で戦いを見ていた。

 ハラハラしつつ、何もできない自分自身に歯噛みしつつ、だけど自分だけ安全なところにいるつもりはない。二人で戦うことがツナの力になると信じていた。

 ツナはずっと劣勢だった。それでもゴルフクラブを見事に駆使して男の剣捌きに食らいつく。

 やがて転機はおとずれた。それは悪い転機。後ずさった男の後ろの空間が歪んだ。そことツナの真後ろの空間が接続される。


 ツナ──!


 シーラは声も出なかった。

 完璧な不意打ち。遅れて気づいたツナは体勢を崩し、その首に刃が迫る。

 見ていられなかった。けれどシーラは奇跡を願う。

 そのポジティブ・フォースがきっとツナを助ける。そう信じていた。

 それが果たして正しかったのかは神のみぞ知るところであったが、少なくともシーラは目を逸らさなかった。真っ直ぐ見ていたから、その瞬間を目撃した。

 ツナのピアスが光を放つ。

 次の瞬間──ツナの全身を、炎が渦のように覆う。橙色と白色がかかった赤い炎。

 火の渦はあたりを巻き込むように半径を広げる。男はとっさに剣を収めて後ろに飛び退いた。


「ツナ、大丈夫ですか!?」


 彼の様子がおかしい。胸を抑えて、地面に手をついた。

 火の勢いが止まらない。

 男はすでに遠ざかり、もはや炎を使って牽制する必要はないはずだ。向こうで戦っていたウィルとカイロウも異変に気付き、逆方向に跳び下がる。


「ウィルさん、ツナが……!」

「わかってる。制御を無くしてんだ」

「制御を?」

「ああ、戦闘中に火の加護が活性化したんだろう。だがアイツは手綱の持ち方を知らない」

「そんな……!」

「放っておけねえ。つっても、どうするか……あんな火力見たことねえ」


 火の渦は肥大化し、屋敷の高さを越えた。

 ツナは蹲って左胸を抑えている。

 シーラが目を凝らして見ると、炎はツナ自身を焼いているわけではない。ではなぜ苦しんでいるのか。


「……それはわからねぇ。火の加護を使ったところで自分は熱くねえし、苦しむことも普通ない。だが、状況から見て火の加護の扱い方がわかってねえのが原因なのは間違いないぜ」

「どうすれば止められるでしょうかっ?」

「力みすぎなんだ。それをどうにか伝えるしかねえ、が……近づこうとか考えるなよ。あの火力、触れた途端に俺やカイロウですら灰になる」

「……っ」


 今ばかりはシーラも笑顔を忘れて無力感に拳を握り締める。炎は今も膨れ上がり、ツナはもがく。ピアスから放たれる黄色い光が炎を通過して邪悪に歪む。

 その様子を見て、ウィルは腹を括った。


「方法がある」

「なんですかっ!?」

「手を出せ」

「はい!」


 右手のひらをウィルに差し出す。その上にウィルが手を重ねて、置いたのは……指輪。

 受け取ったシーラが指輪を注視する。プラチナのリング。宝石が嵌っていたような窪みがあり、外れてしまったのか今は何も付いてない。


「“アクシデント”だ」

「アクシデント……?」

「ああ、奇跡(フォース)を引き起こすアクセサリのシリーズをそう呼んでいる。詳しい説明は省くが、それだけが今アイツに言葉を伝えられる」

「これが……」

「左の親指に付けろ」


 リングのアクシデントを装着する。リングはシーラのためにあつらえられたかのようにフィットした。


「それは“とどける力”のアクシデント、オレには扱えなかった。適性があるんだ。アクシデントは持ち主を選ぶ」

「……わたし、使ってみせます」

「よし。じゃあやれ、言葉を伝えるんだ。パニック状態のアイツに届けるのは一つだけでいい、『力を抜け』」

「はい」


 自分はこのリングを扱える。シーラには揺るがぬ自信があった。

 根拠のないその自信こそが、シーラを扱い手たらしめる。


「聞いてください、ツナ!」


 空にリングを掲げた。

 晴れた暗い天空に夜の光が灯り始めている。小さな光たちは頼りなく見えたが、信じる限り絶対的でもあった。

 光は遠く、微かに揺らぐ。同じ振る舞いを持つ光が彼女の胸に輝いた。


 自分がなぜ生まれたかを、シーラは知っている。

 それはとどけるため。救いを求める人へ光をとどけるために生まれた星だった。


「とどいて!」


 シーラが突き出した左手から光が放たれる。光はツナの胸に吸い込まれ、帯となって彼女をとどけた。


 ○


 心臓が燃えていた。恐ろしく高熱化した心臓から巡る血が沸騰しそうなほど熱く、血管が熱線に変わったかのように内側から肉を灼く。

 苦しい、苦しい、どうしてだ。

 心臓を抑えて膝を突き、四肢の痛みから逃げるようにもがく。口から出る呼気が熱くて喉が灼ける。


「あ、がッ……」


 叫ぶことすら俺にはできない。業火に灼かれる苦しみは一秒すら永遠だった。

 あたりを覆って渦を巻く火の壁。


『ツナっ!』


 ──その中に、光が。

 焼き切れそうな脳が見た幻覚だろうか。光は人の形を取って、火の中を歩き俺に寄る。


『……ううっ……』

「きちゃ、ダメだッ……熱い、から……!」


 光は構わず歩み寄る。


『とどいて……』 


 一歩ずつ、火の中を。


『とどいて……っ』


 その光は──。


『とどいて……っ!』

「シー、ラ?」


 目の前に立った光に抱きしめられた。それは……シーラだった。


『つらいですよね、ツナ。苦しいですよね』

「はいっ……」

『ごめんなさい、ツナ。あなたの声は今のわたしに聞こえないんです。だけどわかります。ツナがすごく苦しんでいること……』


 ぎゅうと強く抱きしめられる。

 シーラは泣いていた。シーラは痛くないはずなのに、泣いていた。


『大丈夫です』

「……っ……」

『二人ですから。ツナの痛みを肩代わりしてあげることはできません、だけど、二人ですから……』

「……シーラ……っ」

『つらいかもしれないけれど、大きく息を吸って吐くんです』


 言われたとおりにする。

 強張っていた肩の力が抜けたような気がした。


『もう一度、お腹からゆっくり吸って、吐いて……』

「すっ……はぁっ……」

『もう一度、身体から力を抜いて……』


 おぼつかない意識で言われたままの動きをする。

 火の渦が小さくなっていく。


『えらいですよ、ツナっ。もう一度、吸って、吐いて……』


 しぼんでいく。

 苦しみが光の中に溶けていく。


『吸って、吐いて……』


 ゆっくり、ゆっくり……。

 火が消えた。


『吸って、吐いて、力を抜いて……』

「シーラ──」

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