8. 好きな人とベッドに入った
○
サトウさんの家へ向かう。ハンドルが左に付いている車に相席させてもらっていた。
車は多摩川を渡る橋へ向かう四車線の道路を、北へ向かう。日はすでに暮れていた。
車窓から晴れた夜空が見える。夜の雲が絹のごとく月光の下に浮き上がる。
きれいなはずなのに、握り締めた拳が汗ばんだ。あの空も五日が経てば跡形もなくなる。
焦っていた。自分が向き合う天槌の、あまりにも凶悪さと無慈悲なタイムリミットを前に息が詰まった。
「ツナ、こっち見てください」
「どうしました?」
「──大丈夫ですよ」
……大丈夫だ。俺たちはメテオを止められる。
恐れを孕んだ感情に、少し進歩した状況が向かいあう。大丈夫だ、俺たちメテオ部は進んでいる。間違いない、大丈夫だ。
「……はい」
俺たちはそのためにこの車に乗っているのだから。
サトウさんの人相はまっすぐ閉じた口とサングラスのせいで相変わらずわからないが、彼に頼る他に俺たちの道は残されていない。
「ツナくんと言ったね、自己紹介がまだだった。僕はバンドマンのサトウ。ロックバンドのナガレコンサイドでボーカルと作詞作曲をしています。」
「どうも、ツナです。高一です」
「ふうん。高校一年生か。いいね。」
サトウさんはバンドマンらしかった。言われてみると彼の言葉には独特なノリというか、グルーヴ感のようなものがある。
サトウさんの運転する車は川越街道を多摩川方面に進み、多摩川に架かった府中四谷橋に差し掛かる直前で左折した。河川敷を少し走り、もう一度左折して住宅街にあった。
しばらく行くと、とんでもない豪邸があった。他の家の敷地六つ分、二階建てのとんでもない豪邸だ。
「……すごい家ですね。どんな人が住んでるんですかね」
「僕だね。」
「え」
その言葉通りに車は豪邸の敷地内に入り、巨大な庭を通って駐車場に停まった。
大きな扉から広い玄関に入り、長い廊下を通って豪奢なリビングに案内された。天井も高い。シャンデリアが吊られている。
「どうぞ、着いといて。」
「は、はい」
「ありがとうございますっ」
サトウさんがリビングの奥へ消えていった。
ソファに着く。ふっかふかなのに、座り甲斐のある硬さをしている。……それにしても、本当にすごい家だ。
「すごいですねえ、ツナ」
「とんでもないですね」
「サトウさん、すっごく頑張ったんですねえ」
「……ああ、きっとそうなんですね」
大きな家だ。まだ数言話しただけだが、サトウさんに似合う大きな家だと納得感がある。
そして不思議だ。受けた印象は普通だったのに、こんな家が似合うなんて。
リビングの奥からサトウさんが戻ってくる。その手には丸いお盆。湯気が上がっている。
「お茶とせんべい。どうぞ」
「いただきますっ!」
「いただきます」
ずず……とお茶を飲む。シーラとサトウさんもお茶を飲む。
「……」
お茶を飲む沈黙。こくりこくりと二人の喉が動いている。
三人揃って湯飲みを降ろして、コトンと低めの机に置いた。
「牧之原の茶葉。縁があってよく飲むんだけど、どうだい?」
「おいしいです」
「コップがいいと、こんなに違って感じるんですね」
「おっ、お目が高いね。それ信楽焼の湯飲みでさ、仲良くしてもらってる工房の職人に売ってもらって」
はー、という気持ちで話を聞く。
パリ、とおせんべいを食べる。すごくおいしい。これはどこのおせんべいだろう?
シーラも同じ疑問を持ったみたいだ。
「これはどういうおせんべいなんですか?」
「おにぎりせんべい。好きなんだよね」
どうりでおいしいはずだった。
本題に入ろう。
「サトウさんの持っている手がかりを、教えてください」
「知ってるのは僕じゃない。」
「はあ……?」
「どういうことですか?」
「知っていそうな男を知ってるって話でね。よくふらっと遊びに来るのよ。」
その人を紹介してくれる、という話らしい。
「どんな人なんですか?」
「変な男さ。」
変な男。俺にはサトウさんも変な人に見えてきたが、そのサトウさんが言うのだから本当に変なのだろう。
「彼は忍びの術を使う。アメリカ人の風貌だが常に着流しを身につけ、腰には刀を差している。そして、手から火を出すんだ。」
「手から火を?」
「うん、この目で見たよ。マジックではなかった。」
「その人が知っているんですね」
「たぶんね。何か人と違うことをあの隕石に思っているようだった。」
「ふむ……」
確かに気になるところだ。それがメテオの止めることに繋がるかはわからないが、あたってみる他はない。
「その人、どこにいますか」
「普段僕から会いに行くことはないね。彼はよくここに遊びにきて、話をしてくれる。普段通りならしばらくここにいるといいよ。」
「ツナ、どうしましょう」
「……そうさせてもらいましょう」
待つことの焦りはある。けれどそういう時間も必要なのだと思った。
○
広い家だ。
こういう家を見ると掃除が大変そうだと思う。そう思う俺にはおそらく大きいものが似合わない。
内装はシックな色合いで統一されている。モノトーンの壁掛け時計の音がかち、かち、と時間を刻む。
「うちが気になるかい。」
「あ、はい」
「こんなに広いお家に住んでたんですね」
「うん。あ、二人は夕食たべた?」
「いえ、まだです」
「ごちそうしますよ。それに、彼が来るにも来ないにももう暗い。泊まっていくといい」
「いいんですか!?」
「うん。」
サトウさんは再びリビングの奥へ去っていく。キッチンがあるのだろう。
「よかったです、親切な方で」
「不思議ですよね、サトウさんって」
「はい。普通なのに、カリスマを感じます」
「わかります」
「シーラはどこでサトウさんと知り合ったんですか?」
「……秘密です」
「どうして?」
「わたしの正体の答えになっちゃいますから」
……なるほど。あくまで俺自身で答えを出してほしいらしい。
ここまでにどんなヒントがあった?
新宿、リハ、バンドマンと顔見知り。これらを繋げて考えてみよう。
リハがあるなら本番があるということだ。吹奏楽部などではないだろう。一人で新宿に行く理由が薄い。
ならば芸能関係だろうか。だとしたら、友達が少ない辻褄が合う。頻繁に仕事があるなら人と遊ぶ時間もないはずだ。バンドマンと知り合うのもメディアにまつわる仕事を介せば不自然はない。
だけど、絞り込めるのはここまでだ。
「じゃあツナ、期限を決めましょう」
「期限ですか」
「はい。明日の終わりまでにわかったらツナの勝ち、わからなかったらわたしの勝ちです。それでどうですか?」
「いいですけど……」
「それで、負けた方は勝った方の言うことを聞きます。どうですか?」
「いいですけど……いや、えっ、今なんて?」
「決まりですね!」
よくない約束を取り付けてしまった気がする。
これの本当によくないところがある。負けたら彼女の言うことを聞かなければいけないし、勝ったところで彼女に命令するのにドギマギするさまを弄られるに違いない。
まあいいか……。先輩が押しに弱いのはわかったことだから、勝って先輩を手玉にとってやろう。
サトウさんがキッチンワゴンを引いて戻ってきた。
「お待たせ。」
「いえ」
「いい匂いです!」
料理を机に並べるのを手伝う。焼き魚、味噌汁、菜の花の和物、そして白米。しっかりした和食だ。
「食べようか。」
「はいっ」
俺たちの対面にサトウさんが座って、三人で手を合わせて「いただきます」と声をそろえる。
大きい家に似合った食事だ。
「なんの魚ですか?」
「ニジマス。釣ってきた。」
「自分でですか?」
「うん。」
「これは……からしあえ?」
「うん。」
美味しい。一つずつにこだわりを感じる。
「サトウさんは、どうしてこんなに協力してくれるんですか」
俺が問う。
ごくり。サトウさんがニジマスと白米を飲み込む。
「この街が好きだからね。」
「それが理由ですか?」
「うん。街が滅ぶのはいやさ。」
サトウさんは遠くを見る目をしていた。だが近くを見るようでもある。
サトウさんと街とはそういう距離なのだと思う。
「サトウさんの家は、大きいですよね」
「うん。……なんだろうな。」
サトウさんは箸を止めて考え込む。
「ただ大きいだけのものはないんだ。僕は多くの人に曲を届けて、そのぶんたくさんのお金をもらっている。だから大きな家を買い、変なものをたくさん持っているよ。だけど、この街に住んで、よく魚釣りや野球観戦をする一人でもある。」
サトウさんの言っていることはよくわからない。
だけど、ぼんやりとわかるようなことだとも思う。
「だから、僕の家は広いんだけど、明るい家なんだ。」
シーラはその言葉を、菜の花のからしあえと一緒によく噛み砕いているようだった。
明るい家という言葉の意味はなんだろう。
「……この家に入ってくるとき、すごく大きいと思ったんですが、周りの家から浮いているとは思いませんでした」
「うん。」
「明るい家、というのはそういうことですか?」
「ツナくんがそう思ったのなら、それでいいんだよ。」
サトウさんの返答は俺の求めていたものではない。
だから、それでいいと俺は思えない。心の片隅にこの疑問を置いておいて、時間が経ったらまた考え直してみよう。そういうふうな決着の付け方をした。
メテオを追う理由が一つ増える。
○
夕食を食べ終え、電話を借りてヨルさんに泊まりの連絡を入れた。
『部屋に案内するよ。浴室や寝巻きも備え付けのものがある。』
その言葉で二階の一室の、ホテルかと思うほど一部屋で設備が整った個室に案内された。
……シーラといっしょに、同じ部屋へ。扉が閉まり、サトウさんの足音が去っていった。
「わあ、わたしのお部屋より大きいです」
「ああ、一室でここより大きいことはそうそうないでしょうね……」
「見てください、おっきなベッドですよっ」
「ああ、それはダブルベッドだからですね」
「見てください、お手洗いとお風呂が別々ですっ」
「清潔ですね……」
シーラは部屋を探検しては楽しそうにしている。
無邪気だ。
「ちょ、ちょっと待ってください、シーラ。どういうことかわかってるんですか?」
「?」
「同衾するってことですよ」
「どうきん?」
「このままだと同じ布団で寝ることになるってことです!」
「……えっ」
シーラの顔がぼふっと赤くなる。
気づいていなかったらしい。
「俺、サトウさんに言って部屋分けてもらいます」
「お、お願いします!」
何か、勘違いされている。それを正すため、洋館の広い通路をあっちへこっちへサトウさんを探し歩き回る。
だが、すでに廊下は消灯されていた。目を凝らして洋館中を歩き回ってみるが……。
「……見つかりませんでした」
「なるほど」
「……ツナ」
「なんですか」
「一旦、お風呂に入りましょう」
「……了解です」
俺もシーラも距離感を見失ったと言って差し支えない。脱衣所の扉を閉めるシーラがお風呂から出てくるのをベッドに腰掛けて待つ。
……緊張する。身体が強ばる。
俺はバカか、何もないに決まっている。だがあの扉の向こうで、シーラは……。
変にもやもやする。だが、扉の向こうには手出ししてはいけない。
想像だけがエスカレートする。シーラは身体をどこから洗うんだろう。……。
俺はバカか……。
たっぷり時間をかけて、シーラが浴槽を出る音が聞こえた。
だが、しばらく経っても脱衣所から出てこない。大丈夫か……と思ったところでわずかに扉が開いた。
「あの、ツナ。いますか?」
風呂上りの声をしている。正直やめて欲しい、いやでも役得……と思い始めた。そんな俺をぶん殴りたい。
招くような声に近づく。
「……どうしましたか」
「その、バスタオルがなくて。そちらにありませんか?」
「……もしかして、裸ですか」
「……」
……聞かなきゃよかった。
「気になります?」
「ぜんっぜん……」
「それもひどいですよ、ツナ」
「……部屋、探してきます。バスタオルですね」
探せばすぐにあった。衣類と同じところに畳まれている。
「ありましたよ」
「助かりました」
「すみません、もうちょっと開けてもらっていいですか。バスタオル入らなくて」
引き戸がもう少し開かれ──。
「ちょっ、開けすぎ……!」
「ご、ごめんなさい」
バスタオルを渡して、引き戸を勢いよく閉じる。
見たものは心の中にとどめて……いや、忘れよう。
「……見ますか?」
「黙ってください!」
扉の向こうに叫ぶ。血流が良さそうな肌も、バスタオルの擦れる音も、たまったものではなかった。
○
シーラに譲られた湯船に浸かる。先輩の匂いが残っていた。
「やめてくれ……」
このあとはどうなるんだ。寝るのか。もうそういう時間だ。
いや、本当に同じベッドで寝るのか? そんなことはないだろう。まるで現実味がない。
そうだ、床で寝ればいい。空間に余裕がある部屋だから、たっぷり間を取れば何もない。
しかし、それが惜しくは……いや、人よ誠実であれ。
シックさは浴室まで。バスルームは黒く、落ち着いた空間だ。
シャンプーの容器まで黒色で、石鹸だけが白い。
「……なんだこれ」
身体を洗っている最中、自分の左胸のあたりに変なものを見つけた。
傷だ。えぐれたようなこの傷は……。
「火傷」
火傷とは胸に負うものだっただろうか。
……心当たりがないわけではない。だが、俺はそれを思い出せなかった。
○
脱衣所を出て用意された寝巻きに着替えた。バスタオルはきちんと自分で持っていった。
「お先でした、シーラ」
「はい」
「お湯加減大丈夫でしたか?」
「シーラ、熱い目が好きなんですね。少し水を足しました」
「あら、ごめんなさい」
「気にすることではないです」
ドライヤーで髪を乾かしていたようだった。それを終え、電源を切る。
先輩は腰掛けていたベッドをぽんぽんと叩く。
「ツナ、どうして床に座っているんですか?」
「いい絨毯ですよ、これ」
「このベッド、ふわふわで気持ちいいんです。ツナもどうぞ」
「寝具は硬いほうが好きなんですよ、俺」
「どういうところが?」
「後頭部が安心します」
実際に寝転んで見せた。
高反発が好きなのは本当だ。床で寝たことはないが。
「……本当に? 床で?」
「そんな目で見ないでください」
「ツナも一度寝てみてください」
「……あ、ちょっ」
ベッドに手を引かれる。俺と違ってシーラは楽しそうだ。
じゃあ……いいか。
シーラの言う通り、高反発派の俺でも満足のもふもふ布団であった。
「じゃあ、電気消しますねー」
「なんでですか!」
ぱち、とシーラが消灯し、もぞもぞと布団に潜り込んでくる。
ふわっふわですねー、と言う声がこっちを向いていた。暗くて顔が見えないぶん、存在感を近くに感じる。
「逃しませんっ」
「なんでウキウキしてるんですかっ、離してください」
「離しませんっ」
「だから、なんで……」
なんでそんなに楽しそうなんだ……。
……。
「拗ねてますか?」
「……拗ねてません」
こうでもしていないと何を口走るかわかったものではなかった。
こうしてる間も背中で床に就くシーラが気にかかって仕方ないのだ。しおらしそうにしゅんとする彼女に手を伸ばしたかった。
「ツナ、ツナ」
「……なんですか?」
「ちょうど、月が見えますよ」
背を引かれて窓を見る。シーラの言う通り月が見える。あの月が満ちるまであと何日だろう。
シーラの代わりに、月へ小さく手を伸ばした。
「綺麗です。すごく」
「きっと頑張ってるんですねえ」
「頑張ってる?」
「はい。きれいは努力、ですから」
「よくわかりませんが、そういうものですか」
「……ツナ、こっち向いて」
直接言われてしまったらしょうがなかった。
なんですか、とシーラと顔を合わせる。
「……ふふっ」
「なんですか」
「呼んだだけです……っ。顔が見たくて」
……美人だ。長いまつげも、艶やかな髪も、今は俺だけを見てる。
シーラが誰なのか、俺はまだ知らない。だけど、目の前にいる先輩は紛れもなく本物だと思った。
この世界は、全部本物だ。
「……ツナ?」
「なんでもないです」
「あっ、待って」
背中を向き直そうとした。静止される。
「最初、ツナのこと、優しいけど無愛想な人だなって思ったんです」
「……無愛想で悪かったですね」
「もう……。違いました、ツナ」
「何が」
「ツナは人が嫌いでそうしてたわけじゃないんだって。誰よりも悲しんでいましたんですね、街がなくなってしまうこと。だから、今も絶望して……」
「うるさいですね」
正面から見つめられる。
あったかい……抱きしめられた。
「一つ年上のわたしは、ツナのことわかっていたいですから」
「……」
この人は、本当に距離が近い。
「ツナのこと、教えてください。どこで生まれたのか、何が好きなのか、何が嫌いなのか……」
先輩の腕の中は、どんな布団よりも寝心地がよかった。夜が更ける。月は沈み、衝突へのカウントダウンのように次の日が訪れた。
……俺は、彼女に問われたことを何一つとして答えられなかった。
なぜなら、俺という人間は──。
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