6. PDCAサイクルって言葉があって
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ずずず……とシーラが用意した緑茶をすする。
俺に続いてシーラもコップを傾ける。雀が水を飲むように口を付け、鶴のように端正なたたずまいで茶を飲み下した。
場所を戻して地学準備室、改めメテオ部部室。シーラは俺の対面に座り、テーブルの上に茶と菓子と議題を置いて話し合っているところだった。
「はい! 発言よろしいでしょうか!」
「どうぞ」
「議長、地球の兵器ですと、あのサイズの隕石はどうにもならないと耳に挟みました」
「核兵器を使ったところで焼け石に水だ、って話ですね、議員」
地面を削ることに特化した設備も検討されているらしいが、どう宇宙に持ち込むか、そもそも削り切れるのか、地質はどうなんだという問題があるらしい。
「……え、俺が議長ですか?」
「ツナの方が向いていると思います」
「はあ」
俺たちはまず、話し合いをすることにした。お互いの認識をすり合わせるのだ。
とりあえず物質的な破壊の望みは薄いということでシーラと意見が一致した。物質的な破壊の他に手段があるのかは怪しいところである。
「ツナ、いけません。ポジティブ、ポジティブです。何を為すにも気力がいります」
「そうは言いますけど……」
「では笑ってみましょう。こうやって」
にこ、とシーラが笑顔を作る。花が咲いたかのような笑み。
なるほど、形からと言うわけだ。
「……こうですか?」
頑張って口角を上げてみる。
「……ふ、ふふっ」
「バカにしてます?」
「ふふっ……似合ってますよっ」
……。
話が逸れた。
「とにかく情報が足りません」
「ご、ごめんなさい。そうですね、まずは情報を集めなくてはなりません」
「どうしましょうね」
「聞き込みはどうですか?」
「うーん……。気が遠いですけど。他にアテもありませんし、それしかありませんね……」
存在するのかもわからない、まだ見ぬ情報。
世界はメテオを止めようとしている。その世界がこの世は滅ぶと言っていた。
それなのにメテオへ立ち向かうのは人から見れば呆れたものかもしれない。けど……。
「行きましょう、シーラ」
「はいっ。きっと手がかりがあります!」
スクールバッグを持って、二人で部室を出た。
○
エンジン音と共に夕方の聖蹟桜ヶ丘をバスが進む。バスは暖かく、電車よりも運ばれてる感じがする。
窓際の席に座った先輩が夕暮れの太陽に照らされていた。
先輩はカバンからキャスケットと細いフレームのメガネを取り出した。芸能人の変装の代表みたいな一式だ。
「へたな変装ですか?」
「ふふふ……。おしゃれです」
そうなのか。俺はおしゃれに明るくないから何も言えない。
だが似合ってるのは似合ってると思う。
「わたし、バスが好きなのです」
「そうなんですね」
「バスに乗っていると、向かってるぞ〜! って感じがしませんか? それが好きなのです」
「向かってるぞー、ですか。うーん……」
「ツナはどうです?」
「運ばれてるな……って思います。それなりにバス好きですけどね」
話しながら先輩はキャスケットの角度を調整していたが、満足したようだ。こっちを向かれて、どきりとする。距離が近いのだ。
この人の距離の近さにはまだ慣れない。バスに乗ったときも隣の席をぽんぽんとはたいて「隣どうぞ」と言ってきた。
「ツナ、見てください。鳥が列になっていますっ」
シーラは学ランの袖をちょいちょいと引いてくる。その距離感の近さについ、その手を引っこめてしまった。
「あ……いやでしたか?」
「いえ……」
「ツナ、なんだか引き気味じゃないでしょうか?」
「シーラが近いんですよ」
「よく言われます」
「いつもそうなんですか」
「そうですねえ……染み付いちゃって」
それは、よくないんじゃないか。あんまりよくない、やめたほうがいい。
だけどそれは言えない。バレたくないだろ、みんなにその態度で、ちょっと……嫌だったなんて。
「わたしは普通のつもりなんですよ? 距離感」
「それで?」
「はい。わたし、距離感が近い人……彼氏や親友がいたことがなくて」
「っ……そうなんですか」
「もう、どうしてそっぽを向くのです」
顔を見られたくないからだ。今見られたら、悟られてしまうから。不相応に、心が浮きだったこと。
『聖蹟桜ヶ丘駅、聖蹟桜ヶ丘駅ー』
バスが止まる。俺たちの目的地は駅、そこで聞き込みをする。
○
俺たちは駅上に架かる高架を目印に東西に分かれ、聞き込みを開始した。
夕方の人通りだ。学校や職場から帰る人たちが駅の構内から溢れ出している。
聞き込みをすることで合意はしたものの、いざこうしてみると気乗りはしなかった。彼らに聞いたところで本当に情報が出てくるのか……とついそういう方向に考えてしまう俺を、心の中のシーラが叱咤する。
頑張らなければ。決めたことだ。
一人目は優しそうな人にしよう。穏やかな目つきの壮年のサラリーマンがいた。
「あの、すみません。お聞きしたいことがあるんですが、いいですか?」
「はい、なんですか?」
「その……」
……なんて言えばいいんだ?
「どうしましたか?」
壮年のサラリーマンは穏やかに待ってくれている。だけど、彼もこれから家に帰る。それからどうしようか、と考えていたはずだ。あまり待たせるわけにはいかない。
「……メテオの壊し方、知りませんか?」
「はあ……えっと?」
「あの空に浮かんでるやつです。壊し方、知らないかなあって……」
「すみません、力になれなさそうですね……」
「ですよね、すみません……」
壮年のサラリーマンを見送る。当然収穫はなしだ。
……なんだか、もう心が折れそうだ。ベンチで少しうなだれる。
いや、まだ負けてられない。次だ。
「すみません、聞きたいことが──」
「あーすまん、忙しい」
……次だ。
「あの、聞きたいんですが」
「なあに?」
「メテオの……」
「──ごめんね、そのこと考えたくなくて」
「す、すみませんでした」
次だ。
「あの──」
「……」
「あ……」
次。
「ちょっといいですか──」
「うるっせぇよお!」
「痛っ」
次!
「すみません!」
「ティッシュどうぞ〜」
「あっ、ありがとうございます……」
……そんなこんなで手応えのないまま一時間が経過した。あたりはもう真っ暗だ。
先輩には何か収穫があっただろうか。向こうに行ってみよう。
先輩は高架下に店を構えるスパゲティ屋の前で聞き込みを続けていた。
「直営なんですね。美味しそうです……っ」
「でしょうっ、私あそこのラズベリー好きでねえ〜」
「ラズベリー! おいしそうだなあ……」
「いいじゃない、行ってみればいいじゃない! 5時までやってたはずよ」
……なんの話をしているんだ。
「そうです、お聞きしたいことがありました」
「なあに? お姉さん奮発しちゃうわよ!」
「あの隕石のこと、何か知っていませんか?」
「……あれのこと?」
女性の顔つきが曇った。
ああいう手合はたいてい答えてくれないものだった。メテオを忌避していて口にも出したくないのだ。
……と、思っていたのだが。
「……うーん、ごめんね、知らないや。でもちょっと待って、そういうの詳しい友達いるの。今聞いてみるね」
「よろしいですか! ありがとうございますっ」
シーラがきれいに腰を追って礼する。スマホを出した女性がLINEを開いた。彼女の反応は好意的だ。
「あ、ツナ」
「お疲れさまです、シーラ」
「お疲れさま。何かわかった?」
「いえ、何も……」
「なになに、あなたの彼氏クン?」
「いえ、俺は──」
女性がスマホから目を上げた。興味津々である。
彼氏。それだったらいいものの生憎そうではない。
……と言おうとしたところで、シーラの頬がぽっと染まったことに気づいた。
……これは?
「えーっ、いいじゃない! 顔かっこいいし、目つき悪いけど浮気しなさそうだし!」
「ちっ、違いますっ!」
「そうなの?」
「まあ、部活の先輩ですね」
「えー、付き合っちゃえば?」
「ええっ──」
ああ……そうか。この人、押されると弱いのか。
「お、返事返ってきた。……んー、彼も知らないみたい。力になれなくてごめんねえ」
「い、いえ、ありがとうございました!」
「ううん、楽しかったよー。あなたたち、いいカップルになると思うわ。美男美女、いいじゃない!」
「〜〜〜っ!」
女性はグッと親指を立てて去っていった。
それよりも……。
「先輩、恋愛経験ほんとにないんですね」
「そう言ったじゃないですか〜」
「どんな人がタイプなんです?」
「ええっ……それは……」
俺の心臓もバクバクする。いいことを思いついた。
でも、言うのか。本当に言うのか。全然自信はない、けど。
「俺みたいな、タイプとか」
「……っ」
「……」
「……つ、ツナ?」
「……………」
「あの、つ、ツナ?」
「……なんでもないです、すいません」
…………。
そうだ、聞き込みの報告をしなければならない。
なにも報告できることはない、という報告だが……。
「……すみません、聞き込みなんですが、俺のほうは何も」
「あっ、わたしはおいしいジェラート屋さんの情報を聞きました」
「つまり?」
「収穫ゼロです」
まあ……そうだな。
ジェラート屋さんの分だけ、俺よりマシか。
「行きましょう、ツナ」
「どこへ?」
「ジェラート屋さんです。5時までしかやっていないのです」
「……そうしましょうか」
休憩も必要である。
「休憩して、また頑張りましょうっ」
俺たちは女性の情報を元に、駅を西へ向かうことにした。
○
……かわいい人だと思う。心の底でずっとそう思っているのだが、隣にいると何度も気付き直す。
そのシーラの正体とは、一体なんなのか。何か隠しているのは間違いない。
一昨日の新宿の秘密、昨日あったという何かのリハ、そして信念すら感じるポジティブさ。
「わたし、ラズベリーとかぼちゃをお願いします。ツナはどうしますか?」
「……あ、マンゴーとバニラで」
「ぼーっとしてますよ、大丈夫ですか?」
「はい」
駅から西に徒歩15分。駅前の広い道も鳴りを潜め、狭い道に差し掛かったところで目的地に着いた。
赤い木造の牧場風の外見。見たままの牧場直営のジェラート屋だ。
牛乳がこだわりだという。ミルク、ダブルチョコ、ティラミス……とおつ種類がありどれも美味しそうに見える。
俺はダブルカップ、先輩はダブルコーンでそれぞれ注文し、店内のイートインスペースの席に着いた。
「このラズベリー、ラズベリーの味がします」
「ラズベリーですから普通そうなんじゃないんですか?」
「ツナも食べてみてくださいっ」
「じゃあ……」
スプーンでマンゴーをすくう。スプーンを挿した感触がいい。
ぱくり。
これは……。
「このマンゴー、マンゴーの味がします」
にま、とシーラが仲間を見つけた顔をする。確かに彼女のいうとおりだった。
本当においしい。マンゴーやバニラの牛乳の味が鼻に通る。目の前に座るシーラも大変満足げだった。
こんな人ならいくらでも友達がいそうなものなのに、どうして俺をメテオ部に誘ったのだろうか。
「シーラ」
「どうしましたか?」
「友達いないんですか?」
「きゅ、急になんですか? いませんけど……」
「……え、本当ですか。嘘でしょう」
この様子を見るに、本当にいないみたいだった。
意外だ。
「わたし、あんまり学校に行ってないんです」
「そうなんですか?」
さっきシーラが女性と話していたのが印象に残っている。上手な話運びに会話がずいぶん弾んでいて、それなのに友達がいないのはそういうわけか。
「シーラ、質問が上手でしたよね。どうしてるんですか?」
「勘どころがあるんです」
「コツ?」
「はい。誰かと話してすごいなーとか、面白いなーとか、思って体に出してるつもりでも、実はそんなに出てないものなんです」
「……ほう」
「だから、それが相手に伝わるように話すといいのです。この気持ち、届け〜! って」
俺にない考え方だった。それはシーラの花咲くような笑顔の理由にもなる気がする。
「わたし、小さい頃にアメリカに住んでいたことがあるんです。今は関戸橋の向こうあたりに住んでいるんですけどね」
「……なるほど」
納得だ。大和撫子の雰囲気に反して、やけに距離が近かったり表情が柔らかいなと思っていた。
「ツナはどこに住んでいるんですか?」
「駅前です。ハナニラって純喫茶で」
「へえーっ、お家が喫茶店なんですね」
「いえ、居候で」
「学校に通うためですか?」
「……まあ、そんなところですね」
……これは話しすぎだ。シーラと話しているとひょいひょい言葉が引き出されていく。
その佇まいは、やっぱり不思議だ。
「……シーラは、何者なんですか」
「何者?」
「はい。……シーラには不思議なところが多い」
「ふふっ、だめです」
「……」
シーラの意志は固い。昨日からずっとそうだ。
「知りたい……ですか? 」
「素性は知っておくに越したことはありません」
「それだけですか?」
「……」
「でも、女の子の秘密は大切なんです。開けばきらめきが飛び去ってしまう、秘密の部屋なんです」
シーラの仕草が、話し口調が、たたずまいが……こんなに愛らしく見えるのはなぜだろう。
俺側の原因だろうか。それだけじゃないような気がした。
「ツナが、知りにきてください。それで、わたしもツナを知りにいきますからっ」
「……わかりましたよ」
先輩が押しに弱いところが突破口になるか。だが、暴き出すとなるとそう簡単な話ではない。
どうしたものか……。
もう一口含んだバニラアイスが溶けていく。甘く、やっぱりどうしたって俺には不似合いだった。
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