4. 甘い


 次の朝が訪れた。

 カーテンを開け、陽光を浴びてみる。世界が終わるまであと6日を切っている。

 その日の授業は、役に立つのがたった5日のオリエンテーションばかり。ホームルームを終え、ヨルさんに合流する。「たまには出かけようかな」と言って送り迎えをしてくれたヨルさんは俺に甘い。


 駐車場に車を停め、昨日と同じようにハナニラへ戻る。

 そのハナニラの前に小さな人影があった。俺よりも身長は低く、身体を外套、顔を大きなフードで隠していて素性がわからない。

 その子は窓ガラスから店内を覗き込んでいた。……どう見ても怪しい。


「大丈夫さ、ツナ」


 俺は通報した方がいいと思ったが、ヨルさんは声を掛けることにしたようだ。


「お客さんかい?」


 怪しい人影がビク! と跳ねて、恐る恐る俺とヨルさんのほうを向いた。


「は、はいっ! えっと、ここの人……ですか? こんにちは!」

「……こんにちは。それはお待たせしたね」

「こんにちは」


 挨拶する。

 珍しい容姿の人だ。ヨルさんは見た目で人を判断しないタイプだけど、彼も少し目を見開いていた。

 彼女は大きなフード越しに、白磁色の肌と真珠色の白髪を俺たちに見せたのだ。フードは容姿を隠すためのものだろうが、その特異さを隠しきれてはいない。

 ヨルさんはいつも通り接客することにしたようだ。


「すまないね、ちょうど今まで臨時休業だったんだ」


 ヨルさんが鍵束を取り出し、そのうちの一本で開錠した。上着を脱いでカフェコート姿になり、扉を開けて彼女を招き入れる。


「いらっしゃいませ。中にどうぞ」

「は、はい」


 ヨルさんは高身長の180センチ越えで、優しそうで、嫌味がない。

 ヨルさんはモテたんだろうな、と俺にはそのうちのどれもないな、を一緒くたに思った。二人に続いて店内に入る。


 ○


 カウンターテーブルにことん、と置かれたあつあつの分厚いトースト。

 トーストには切り込みが入っていて、口触りのいいはちみつが切り込みを伝ってパンのすみずみまで染み込んでいる。

 その上にひやっこいバニラアイスを乗せて粉砂糖をかけた極上のハニートーストを、彼女が一口ガブリと頬張った。


「おいしい?」


 いちおう聞いてみる。


「……!」


 俺の言葉は届いてなかった。

 彼女の瞳がキラキラと輝き、頬に手を当ててうっとりと味わっている。

 おいしいかどうかは聞くまでもないことだった。

 ハニートーストはもちろん彼女が注文したもの。メニューを開いて一目で決めていた。

 美味しそうにハニトーを頬張る彼女を左隣のカウンター席から眺める。ずいぶん美味しそうに食べる。


「ヨルさん、俺も……」


 乞うてみた。ヨルさんがしたり顔になる。


「告白できたら、考えてもいいよ」

「……そればっかりじゃないですか。ステーキもまだです」


 かららん、とフォークを落ちた。


「こ、告白するんですか……?」


 さっきの怯えようはどこへ行ったのか。ハニトーを見ていたのと同じようにキラキラした目で、少女に見られた。ヨルさんが新しいフォークを置き直す。

 ……面倒なことになったぞ。


「いや、違う」

「違うんですか?」

「違うんだ。何も気にしなくていいからほら、そのままハニートーストを食べろ」

「運命の出会いをしたんのさ、ツナは」

「ヨルさん」

「運命の出会い!」


 ヨルさんがノリだした。最悪だ。


「いや、そういうのじゃないぞ……」

「いやいや、謙遜を」

「俺が何を謙遜するって言うんです」

「どんな出会いだったんですか?」

「……」

「桜の木の側だったんだよね?」

「ヨルさん」

「もっと聞かせてくださいっ!!」

「……めんどくさい」


 本心が口から出てきた。機嫌が悪そうに聞こえたかもしれない。


「ご、ごめんなさい……ご迷惑でしたよね」

「ああいや、それも違う。……すまん、話すから」

「いいんですかっ!?」

「……おう」


 ヨルさんが俺の前にカップを置いた。メロンソーダにホイップを乗せた、めっぽう甘いヤツ。

 ストローでホイップを巻き込んでクリームソーダを吸い上げる。……甘っ。

 苦いコーヒー豆のような俺にこんな甘さは似つかわしくない。なのに、恋をした。


「俺は、愚か者なんだよ。もうすぐ……落ちるのに」

「大丈夫ですよ、きっと。終わりません」

「いや、だって……」

「メテオなんて愛の力で吹っ飛んじゃいますからっ」

「そんなわけないだろ」


 呆れる。俺は振り払うように言ったのに、この少女は曇りない瞳でひしとしがみついてきた。

 ……なんなんだ。


「その人のどんなところを好きになったんですか?」

「……はあ」


 まるで聞く耳を持たない。

 普通に困った。少なくとも、これ以上この子に強情な態度を取るのも違う気がするし……仕方ない。


「聞きたいか」

「はいっ」

「……一目惚れ」

「〜〜〜っ! ステキな人なんですね!」

「うん……まあ」


 ……クリームソーダを飲む。甘さが増した気がする。

 なんとも居心地が悪くゆっくりクリームソーダを吸い上げた。しゅわぱちと口の中でポップに弾ける。こんなもの一人なら絶対飲まない。


「本当にそれだけ」

「どんな人なんですか?」

「……どんな人か」


 考えたこともなかった。


「ちょっと話しただけだからよくわからないけど、どんな人かっていうと……」

「はいっ」

「……よくわからない人、だな」

「ええっ、好きなのにですか……?」

「それはそういうものだと思うが……朴訥な人に思っていたら、もう一つ内側が見えて引力に引かれる瞬間がある。と思えば普通に可愛かったり……」


 それで軽はずみに着いていったら、歌舞伎町で殴られることになったり。

 ……妙な勧誘を受けたり。


「別に怖いわけじゃないからこういう言い方が正しいかわからないけど、底が知れない」

「秘密は魅力って聞いたことがあります」

「うーん……」

「あっ、ごめんなさいっ。聞きすぎですよね……!」

「まあ、うん」


 それはそうである。ずず、と底に残ったクリームソーダまで飲み終えた。

 この話は終わりだ。ヨルさんにブラックコーヒーを頼んだ。


「キャラメルラテはどうだい?」

「そんなに甘党ではないです」

「ブラックコーヒーは最高だけど、ツナにはまだ早いのさ」

「……」


 なんだかんだ言いつつもブラックコーヒーが出てきた。ヨルさんのこういうところに助けられている……と思ったのだが、どうも少し甘い。

 ……シロップが入ってるな。


「ツナさんっていうんですね!」

「ん、ああ。そうだな」

「リエーナフです。よろしくお願いしますっ」

「よろしく」


 リエーナフは最初こそ怯えていたが、その様子は見る影もない。今はわかりやすくにこにこして、感情が豊かに表に出る子なんだろう。


「リエーナフ、昼食以外に何か用事があったんじゃないか? 」

「あ、そうでした。……あれ? 私、そのこと言いましたか?」


 言ってない。だがわかる。

 どういうことかとリエーナフとヨルさんの視線が集まる。


「どうしてそのことがわかったんだい?」

「変なことじゃないですよ。窓ガラスからずっと中を見ていたでしょう? 店がクローズしていたのは一目でわかるし、それでもこだわるってことは食事以外に何か用事があると思って」

「……ハニートーストを食べに来てくれたんじゃないのかい?」

「こういうのは探せばどこにでもあります」

「失礼だなあ」


 おー、とリエーナフがぱちぱち拍手した。

 小さい手だ。リエーナフは何歳なんだろうか、俺より一つか二つは小さいように見える。


「すごいです! そうなんです、実は……」


 リエーナフが外套の内側に掛けているポーチを探り、便箋を取り出した。


「手紙かい?」

「はいっ。わたしの乳母からです」

「そういう用か。だけど、誰に?」

「ここのマスターさんに渡してって預かってきて……。人がいいつぶらな瞳のおじいさんだからって」


 ……? 俺の頭の上にはハテナが浮かんでいることだろう。

 ハナニラのマスターはヨルさんのはずだ。だけど、そうするとリエーナフの話とは食い違う。


「おじいさんって言ったか?」

「はい!」


 ヨルさんは……どう見ても老人じゃない。

 当のヨルさんも不思議そうな顔をした。だが、ああと思い至ることがあったようだ。


「それは先代マスターだね」

「先代がいたんですか」

「ああ、実はね。先代マスターはハナニラの創業者で、僕の祖父にあたる」

「その人とは会えますか? この手紙、渡したくてっ」

「そうだね……」


 ヨルさんはネクタイをキュッと直し、曖昧に微笑んだ。

 俺は事情を薄く察する。

 話したいことではないだろう。だがヨルさんは話すことにしたらしい。


「もう会うことはできない。彼は亡くなったからね。……安らかに逝ったって聞いたよ」

「え……」

「僕が電波も入らない遠くで旅をしていたときだ。知ったのは三年も経ってからだった。とてもおおらかで、ものを知っていて、ひとの幸せを願う人だった。僕にマスターの料理や心構えを隣で見せてくれた、祖父で師匠のような人だった。だから悲しかったよ」


 リエーナフを見ると、どんな表情をすればいいのかわからない人の顔をしていた。ヨルさんがふっと微笑む。


「この手紙を預かっていいかい。きっと、渡すよ」

「お願いします」


 リエーナフも笑顔を取り戻す。そういうふうな言葉を使えるヨルさんはすごい。


「きっと心と心が繋がって、引っ張りあって、人は生きているんですね」

「?」

「おじいさんは今もこのカウンターにいるのかなって思ったんです」

「ああ……なるほど」


 ヨルさんがカウンターの木目をさっとなぞった。愛おしげな目だ。


「うん、あの人は生きているよ。僕やリエーナフさんの乳母さんがいて、祖父と繋がっている限り、きっと僕らが生かすから」


 ヨルさんの言うことがわからなかった。だけどわかった。

 それは、朝靄の道でおばあさんに挨拶するようなことなのだ。そう思う。

 だから俺は彼女の提案が悪くない気がしてきて……だけど自信がない、だから……答えを託すことにした。


「ヨルさん」

「なんだい?」

「あの隕石、ない方がいいですか」

「そうだなあ。そうだね……なんといえばいいのかわからないけど」


 木目をさすった。委ねたのに、ヨルさんは委ね返すように言ってくる。


「幸せだといいと思うよ。ツナは天槌がもたらす最期の日が、幸せだと思うかい?」

「思いません」


 これ以上言葉を濁すのは、ダサいな。

 そういう意地が、俺の足を地学準備室へ運ばせることになった。

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