episode4

「君には分からないことだ。分かってほしいとも思っていない。ただそばに、隣にいてくれるだけでいいんだ。……頼む、祐一」

 柊の懇願するような悲痛な声に俺は顔をゆがめ、唇を噛んだ。

「俺に、苦しんでいる柊さんを見て見ぬ振りしろって言うんですか? そんなこと、できません」

「誰だって触れられたくないことはあるんだ。たとえ、それが君でも。――俺は助けてほしいなんて思っていない」

 柊は背を向けたまま俺を拒絶した。

「俺、柊さんのこと好きなんです。だから、ちゃんと柊さんと向き合いたい。一緒に生きていきたいんです。だから、俺の話を聞いてください。俺と話をしてください」

 それを乗り越えない限り、前には進めない。俺はもう、迷わないと決めたのだから。

 俺は柊の背中をじっと見据えた。そして柊の次の言葉を待った。こんなに近くにいるのに柊の背中がとてつもなく遠くに思え、そっと手を伸ばした。

「……そうか」

 柊はゆっくりと俺の方に振り返った。

「君の部屋まで送ろう。――もう二度と、君とは会わない」

 俺は伸ばした手の動きを止める。予想外の柊の冷徹れいてつな言葉に、俺の中の何かがくだけ散る音がした。

「まさか、最初からそのつもりで……」

 愕然がくぜんとする俺に柊は何も答えない。ただ無言のまま俺を見据えている。そんな柊に、俺は痛みも忘れて声を上げた。

「どうしていつもそうなんだ! 俺の気持ちを無視して勝手に避けたり、やっと受け入れてくれたかと思えば、今また突き放すようなことをする! 勝手すぎるにもほどがある! ――助けてほしいなんて思ってないって言いながら、寂しさを他人ひとに求めたじゃないか! ひとりで苦しむのを選んでおいて、どうして周りの人間を巻き込むんだ?! 傷つけるんだ?! いくら自分が傷ついているからって、他人ひとを傷つけていい訳ないだろ!」

「お互い、合意のことだ。君にとやかく言われる筋合いはない」

 感情の籠らない声で柊は言った。俺は柊を睨んだ。

「でも、マコトさんは傷ついていました。前に見た女の人たちだって」

「終わったことだ」

 そう静かに言うと、柊は俺の横に立った。

「部屋へ送ろう」

 俺は悔しげに柊を見上げた。

 どうしてこうなってしまうのか。こうなる運命だとでも言うのだろうか。こんなにも彼のことを想っているのに――

「……分かりました。あなたは結局、大切なことに気付かないままこれからも苦しみ続けるんですね」

 目を細め、いぶかしげに俺を見ながら「何が言いたい?」と柊が聞いてきた。その声には、はっきりと怒気どきが含まれていた。

 俺は言葉を選びながら、「柊さん、本当の自分の気持ちを無理にゆがめているんじゃないですか?」と彼を見据えた。

 クリニックで伊集院から話を聞いた時からずっと考えていた。そして伊集院も気付いていたと思う。だから俺にたくした。そう思えてならない。

 いくら主治医であっても、伊集院の口から柊にはどうしても伝えることができなかったこと。もう一緒にいられないのなら、最後だというのなら、これだけはどうしても柊に伝えておかなければと思った。

 じっと俺を睨みつけていた柊が、いきなり横の壁に拳を叩きつけた。そして目を見張みはる俺の身体に馬乗りになると、両手首を掴んでベッドに押し付けた。

「お前に何が分かる! お前に俺の気持ちが分かるとでも言うのか?! 俺と一緒にいたいと言いながら、堺と一緒にいたじゃないか! 俺の目の前で堺の車に乗り込んで俺から逃げたじゃないか! お前も俺を裏切ったじゃないか! 俺は春菜を……アイツのたったひとりの家族を死なせたんだぞ! そんな俺が」

 柊は口元を歪め、馬乗りになったまま泣き崩れた。

「許されるわけないだろ。……どうしてそばにいてくれないんだ。それだけでいいのに。俺はそれだけで十分なのに」

「俺は柊さんを裏切ってません。堺さんとも何もないし、俺だって柊さんのそばにいたいです」

 柊がゆっくりと顔を上げた。赤く目をらした柊は俺を見下ろすと、手首を掴んでいた手に力を入れた。

「……俺はね、祐一。君すら信じることができないんだよ。君だって、他人ひとを信じることができないから検察官になることを選んだんだろう? そんなお前が、俺に春菜を信じろと言うのか?!」

 傷ついて今にも壊れてしまいそうな柊に、俺はさとすように語りかける。

「信じる信じないは柊さんが選ぶことです。信じることができないならそれでいいんです。それに関して、誰もあなたを責めることはできない。――春菜さんを信じることができなくて、信じられない自分を責めて、彼女の死に責任を感じて、だからあなたは素直に彼女の死を悲しむことができなかった。悲しむ資格がないと思ったんじゃないですか? あなたがこの十年苦しんできたのは、その気持ちを胸の奥にずっと仕舞いこんできたからじゃないんですか?」

「何を……」

 たじろぐ柊を俺は真っすぐ見上げる。

「悲しんでいいんですよ」

「ち、がう」

「悲しくて当たり前じゃないですか。大切な人が目の前で亡くなったんだから」

「やめろ」

 苦しげに顔をゆがめる柊の頬に両手を伸ばし、「泣いていいんですよ」とそっと触れた。

「俺、決めたんです。弁護士になります。依頼人のことを誰ひとり信じる者がいなくても、俺だけは信じようと決めました。守ろうと決めました。――だから、柊さん。最後にもう一度、選んでください。過去を引きずり続けるか、俺と前に進むか。俺は裏切らない。俺は何があってもあなたを信じる。もし柊さんが傷つけた他人ひとたちから訴えられたら、俺があなたを全力で守ります。だから選んでください。――俺を」

「君は……」

 柊が戸惑うように俺を見下ろした。

「変わったな」

「そうですね。秋山や堺さん、大学の友人や伊集院さん、みんなと一緒に過ごすことで他人ひとを知ることができたし、このままではだめだ、変わりたいと強く思うようになりました」

「だったら、なおさら俺と一緒にいないほうがいい」

 突き放す柊に俺は小さく首を降った。

「思うだけですぐには変わることなんてできなかったですよ。変わるって、簡単じゃないんです。そうでしょう? でも、柊さんと一緒にいたいと考えた時、変わらないと一緒にいられないと思った時、自分の中の、なんだろう、弱い部分っていうのかな。甘さっていうか、そういうのが弾けて砕け散ったんです。逃したくないなら今すぐ変わらなきゃって。――俺が変わったのは、柊さんが欲しいからですよ」

 そう言って俺は柊の顔を引き寄せ唇を重ねた。かすかに柊の唇が震えている。俺は名残惜しげに唇を離し、額をつき合わせると柊は、「……すごいな。負けそうだ」と涙を流しながら微かに笑った。

「この気持ちは、誰にも負けない自信があります」

 

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