episode3

 深い眠りから目覚めると、サイドテーブルの上に置かれた俺の携帯が無機質な機械音を鳴らしていた。どうやら泥のように眠っていた俺を呼び覚ましたのは、このメール受信を知らせる機械音だったようだ。

「誰だよ……」

 つぶやきながら隣をふと見ると、柊の姿がなかった。少し前までは確かに彼のぬくもりを感じていたのに。鉛のように重たい身体を起こしかけた時、下半身に激痛が走り俺は顔をゆがめた。シーツに顔を埋め、痛みに耐えていると柊がコーヒーカップを手に部屋に入ってきた。

「おはよう」

 穏やかな笑顔を浮かべながら柊は俺の横に腰を下ろすと、サイドテーブルの上にコーヒーカップを置いた。ほのかなミルクの甘い香りが鼻孔びこうに届く。痛みで動くことのできない俺はそのままの体勢で柊を見上げながら、「おはようございます」となんとか答えた。

「その状態だと、起き上がれそうもないね。カフェオレはまたあとにしてミネラルウォーター持ってこようか?」

 俺は黙ったままうなずくように頭を動かすと、柊は再び部屋から出ていった。

 柊の顔を見た途端、昨夜のことを思い出した俺は恥ずかしさのあまりすぐに顔を上げることができなかった。そしてシーツに顔を埋め、大きく息を吐いた。

 ――夢のような夜だった。

 明け方近くまで俺たちはむさぼるように互いの身体を求め合い、何度も柊は俺の中で達した。それを受け止め続けたところまでは覚えているが、その先の記憶がなかった。どうやら、そのまま気を失うように眠りに落ちてしまったらしい。

「あっ、の、柊さん」

 ペットボトルを手に部屋に戻ってきた柊に俺が顔を上げかけると、「傷にひびくよ」と柊が手で制した。そして隣に腰を下ろすとペットボトルにストローを差して俺の口元に運んだ。

「あ、りがとうございます」

 ストローをくわえると乾いた喉を潤した。柊の心遣いが嬉しかったが、まるで俺が何か言おうとするのを避けているようにも思えた。

 ――柊は少しでも眠ったのだろうか。

 それを聞こうとしたのだけれど、結局聞くことはできなかった。痛みが邪魔して考えることもままならず、俺はストローから口を離すとそのままシーツに顔を埋めた。

「もう少し休むといい。無理させてしまったから」

 柊の優しい声とともにペットボトルがサイドテーブルの上に置かれた気配を感じた。できればそこにいてほしい、と思っていると「……携帯」と柊の呟く声が聞こえた。その声に顔を上げると、俺の携帯を手に取ってじっと見つめていた柊がそれを俺に手渡した。

 俺はさっきメールを受信していたことを思い出す。メールの相手は秋山だった。いつものごとく、今日来るか、といった短い文章が打たれていた。

 この身体で行けるわけがない。それにまだ柊に伝えなければいけないこともある。当分、こっちに残ろうと考えていたところだった。

 どう返事を打ち返そうかと悩んでいると「行かせない」と柊の低く硬い声が聞こえた。見上げると、「どこにも行かせない」と柊は俺を睨みながら手から携帯を取り上げると部屋を出ていってしまった。

「待っ、っつぅ」

 慌てて身体を起こしかけ、痛みに顔をゆがめる。

「こんな時に」

 俺は舌打ちをし、シーツを掴みながら痛みが引くのをじっと耐えた。

 さっきの柊の様子は明らかにおかしかった。こんなところで呑気のんきに寝ている場合ではない。痛みが軽くなったところで俺は顔を上げると口元を引き締め、腕に力を入れた。

「くっ、そぉ」

 だが気持ちとは裏腹に、わずかに身体を動かしただけでも激痛が走り、腕にうまく力が入らず上体じょうたいを起こすことができない。なんとか肘をつくことができた頃には暑さと痛みで全身汗だくになっていた。

 痛みをこらえながら上体を起こし、思うように動かない下半身を引きずりながらベッドの縁へと身体を寄せていった。額に玉のような汗がいくつも浮かび、頬を流れ落ちていく。

 やっとのことでサイドテーブルに手をかけることができ、ホッと息をつく。ところが力を入れた途端にガクンと身体がかたむき、そのままベッドから落ちた俺は床にしたたか肩を打ちつけた。

「ったぁ」

 自業自得とはいえ、思うように動かない身体に苛立ちを覚える。痛む肩をかばいながらもう一方の腕をベッドに伸ばしかけたところに、異変に気付いた柊が部屋に入ってきた。床に転がる俺に驚き、「何やってるんだ!」と柊は駆け寄ってきた。

 俺は柊が伸ばした腕を掴んだ。

「柊さんに話があるんです」

 痛みをこらえ、肩で息をしながら俺は柊を見る。けれど柊はスッと視線を外すと腕を掴んでいる俺の手を取り、床に転がる身体に手を回して軽々と抱き上げるとベッドに横たえた。

「今、昼食を持ってこよう」

 そう言って立ち去ろうとする柊の背中に向かって俺は声を上げた。

「柊さんっ」

 柊は背を向けたまま立ち止まると、「やめてくれ」と拒絶するように言い放った。

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