episode3
「う、ん」
ぼんやりとした意識の中、視界に陣内の顔が飛び込んできた。
「な、なんだ?!」
思わず飛び起き、辺りを見回すが暗くてよく見えない。状況を理解できないでいる俺の横で、カーテンからわずかに射し込む月明かりに照らされた陣内が、小さな
俺は慌てて口元を押さえる。陣内はそのまま寝返りを打って俺に背を向け、再び寝息を立て始めた。ホッと胸を撫で下ろし、ここが陣内の部屋であることを俺は思い出す。
瞳を
あのまま、眠ってしまったようだ。酒がまだ残っているせいか混乱して取り乱してしまった。小さく息をつき、携帯を取り出して時計を確認すると午前三時を少し過ぎていた。
めちゃめちゃ早いではないか。滅多にこんな時間に目が覚めないのに、どうして今日みたいな酒の入っている日に目が覚めてしまったのか。
「あ……」
虫の知らせ、なんてものは信じていないが少し不安になる。頭に柊の顔が一瞬
小さく丸まって眠る陣内の隣で大の字になって眠る秋山、そして部屋の主を差し置いてひとり布団で眠る滝川。みんな個性が寝姿によく出ている。
俺はおかしくて目を細めていると、堺がいないことに気付いた。もう一度、瞳を
俺は、音を立てないように気をつけながら玄関へ向かう。ゆっくりとドアを開けると、湿気を帯びた生温かい空気が肌にへばりついてきた。
「暑っ」
夏独特の濃縮された草木の匂いが息苦しいほどに鼻にまとわりつき、全身にじんわりと汗が浮き出る。そのまま廊下に出ると、堺が手すりに寄りかかりながら、煙草をふかしていた。堺の唇から吐き出された白い煙が、大気の中にスーッと溶けて消えていくのを、俺はなんとはなしに見つめた。
前に堺の腕にしがみついた時、シャツにかすかに煙草の匂いがしたのを思い出す。煙草を吸わない秋山たちに遠慮していたのだろうか。
「おはよう。けど、まだ三時だ。随分と早起きだな」
堺が横目で俺を見た。
「堺さんこそ」俺は堺の隣に並ぶ。「煙草吸うんですね」
「煙、大丈夫か?」
「はい」
「もともと、眠るの苦手なんだ。煙草は酔い覚ましに。アッキたちを襲ったりしたら大変だからな」
堺が笑う。少し前まで楽しそうに笑っていた堺とは別人のような、寂しげな笑顔だった。
俺は堺の顔を覗き込み、「なにか、あったんですか?」と尋ねた。
堺は俺をチラリと見ると「なにも」と立ち昇る紫煙を見つめながら短く答えた。
俺はそれ以上聞くことができず、だからといってこのまま堺を独り残して部屋に戻る気にもなれなかったので、堺と同じように手すりにもたれかかりながらアパートの二階からの景色を眺めた。
街中にある月宮館からの自室――正確には親戚の部屋だが――から見る景色は、五階ということもあり空が近くに感じ、街の中に溢れるネオンや道を行き交う車のライト、住宅から漏れる温かな明かりが、夜空に瞬く無数の星のようで綺麗だった。
ここからの景色は、空も遠く、街路灯の明かりくらいしか見えない。そのかわりに土や草木の匂い、木々のさざめきや虫の声がよく聞こえ、目を
酒が入っているせいもあって余計に感覚が鋭くなっているのかもしれない。
俺はチラリと堺に視線を向ける。相変わらず堺は煙草をふかしながら、じっと目の前に広がる景色を見ていた。
堺の横顔からはなんの感情も読み取れない。まるで、堺という器だけがそこにあるようだった。もしかしたら彼はなにも見ていないのかもしれない。俺はふと、そんなことを考えた。
中空を見ながら、意識はどこか別のところに飛んでいるのではないか。そんな気がした。
――堺に対し、俺や陣内たちがなにか傷つくようなことをしてしまったのだろうか。
昨日の夜のことを俺は思い出そうとするが、いつ眠ってしまったのかも覚えておらず、最後の方はどんな話をしていたのかまったく思い出すことができない。
それに、俺たちには大したことじゃなくても堺にとってはとても辛いことだった可能性もある。知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまうことがあるのを、俺は知っている。
俺は目を伏せ、手すりを力強く握り締めた。もし俺の言動が堺を傷つけていたのなら、ここに俺がいること自体迷惑かもしれない。謝ろうにも、理由も分からず謝るのは堺に失礼だし、余計に傷つけてしまいかねない。
――どうすればいい?
こんな時、どうすればいいのか。今まで、そんなこと考えたことがなかったから分からない。誰かが、自分の言動で傷ついていると考えたこともなかったし、気づいたこともなかった。こんな時、どうしたらいいのか正解が分からない。
……秋山ならどうするだろう。
俺以外の人間はどうするだろう。自分のことになると行き詰ってしまうため、他の人間ならどうするかを考えてみる。
秋山なら、きっと正面から堺に聞くだろう。あいつはちゃんと気づく人間だから。気づいて、自分から動く人間だ。
俺とは違う。でも、俺の隣にいてくれる。俺が変わろうとしているのを見守っていてくれる。支えてくれる。大切な友達。
俺にも、できるだろうか。秋山のようにはできなくても――
「……もう少しだけ、そこにいてくれないか?」
隣の堺が伏し目がちに言った。
「あの、俺で、よければ」
「気を遣わせて悪いな」
俺は慌てて首を振る。
誰かに、そばにいて欲しいと思う気持ちは俺もよく知っている。傷ついている時ほど孤独を強く感じるものだ。少しでも堺が楽になるのなら。
「ここにいます。堺さんが必要としているなら。迷惑じゃないし、気を遣ってるわけでもないです。俺の意志なので、その、だから、大丈夫ですよ」
手すりに両腕をつき、恥ずかしさのあまり鼻先まで顔を
「ありがとな」
堺の顔を見ることができない。それでも、やはり気になって少し顔を傾けて堺を見ると、少しだけ表情が和らいだ堺の横顔があった。
俺は胸が熱くなり「はい」と聞き取れないくらい小さく答えた。
俺という人間が誰かの役に立てるのなら、誰かに必要と思ってもらえるのなら、嬉しい。少しは救われるから――
ふいに柊の顔が頭に浮かんだ。
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