episode2

「秋山、飲み過ぎだ」

 相変わらずビールをガブ飲みする秋山に呆れていると、陣内がカッカッカッと笑い出した。

「アッキって飲む割に弱いんだよな」

「ほんと、ほんと。そんで、すぐ寝る」

 滝川も缶ビール片手に肩を揺らして笑っている。どうやら、ここでも秋山は一番にダウンしているらしい。

「ほれ、これ食っとけ。空きっ腹にアルコールはヤバイぞ」

 堺が秋山の前にチーズの入った皿を置いた。秋山は赤い顔をしながら「あい」と頷き、チーズを口に放り込む。

「んま」

 ニンマリと幸せそうに笑う秋山に、「完全に酔ってるな」と滝川が苦笑する。

「なんか秋山のこの姿見ると、試験終わったんだなって実感する」

 俺が呟くと陣内や滝川もうなずいた。この解放感は、同じ苦労を味わった者にしか分からない。俺たちは心底ホッとした表情で大きく息をついた。

「これでやっとのんびりできる」

 陣内が手足を伸ばして大きな欠伸あくびをすると、「よく言うよ、お前十時には寝てたじゃねぇか」と滝川が突っ込んだ。

「だって眠くて。俺、朝型人間なんだよ」

「早朝に勉強するタイプなんだ、陣内って。意外だな」

「そんな訳ないだろぉ、ははは」

 陣内が手をブラブラと振りながら、缶チューハイを口に運ぶ。

「は、だって……」

「三澤、深く考えるな。そういうヤツなんだ、コイツは」

 毎度のことだ、とでも言うように滝川が言った。壁に寄りかかりながらビールを飲んでいた堺がクスリと笑い、「それで、初めての試験はどうだった?」と俺たちに聞いてきた。年長者の余裕だろうか。それとも試験の出来がよかったのだろうか。貫録を漂わせる堺に、俺たちは一斉に視線を寄せた。

「俺、追試かも。ヤバいのが四つある」と陣内。

「俺も。筋肉痛で身体辛くて最終日の試験、まったく手応えがなかった」

 最終日だけではないが。しょっぱなの試験からこんな状態で、これから俺は大丈夫なのだろうかと不安になる。

「俺は自信あるよ」

 滝川が余裕の笑みを浮かべた。

「へぇ、滝川えらい自信だな」

 堺がニヤリとすると、

「じゃあ、追試がひとつもなかったらご褒美に一番最初にドライブ連れてってやるよ」

「勘弁して下さいよ。ただの罰ゲームじゃないですか」

 滝川が、あからさまに嫌そうな顔をする。

「遠慮するな、口の減らないヤツめ」

 意地悪く笑いながら、堺が隣に座る滝川の背中をバンバン叩いた。

「助手席が空いてちゃ俺のコペンが可哀相だろ」

「女誘えばいいじゃないすか」

 滝川がボソリと呟くと、|耳聡《

みみざと》い堺はすかさず滝川の首に腕を回した。

「聞こえたぞ、コイツめ」

 グイグイと滝川の首を締め上げる堺の腕を、「ギブッ、ギブッ!」と滝川がうめきながら叩いた。

「いつもこんなんか?」

 目の前で繰り広げられているプロレスごっこに笑いながら、隣の陣内に尋ねると、「いっつもこんなん。三澤もここに住めばいいのに」と頬を赤く染めながら陣内が言った。

「……ほんとだな」

 こんなに楽しい時間を過ごすのは久し振りだ。少し前までは今夜と同じくらい楽しい時間を過ごしていたのに、今ではそれが夢のように思えた。

「あっ!」

 突然、陣内が声を上げ、滝川と堺の動きが止まった。何事かとみんなが陣内に視線を向ける。

「俺、いいころ考えちった」と陣内が口元に手を当てながら「むふふ」と含み笑いをした。

 俺と滝川、そして堺が顔を見合わせる。

 呂律が怪しくなっている状態で何を考えついたというのか。若干の不安を胸に「何を?」と俺が尋ねると、「あのね、あのね」と陣内が子供のように声を弾ませた。

「先輩のコパンのカギを隠しちゃえばいいんだよ!」

 名案とばかりに陣内が胸を張って言った。堺が「ほぉ」と声を漏らした。

「ばかだな、お前。スペアキーがあるだろ。あとコパンはお菓子だよ!」

 滝川が突っ込むと、「じゃあ、コパンを売ってでっかい車買う!そしたら、みんなでどっか行けるだろ?そしたら、カップルいっぱいいるところでも平気じゃん!」と陣内が腕を振りながら力説した。

 しかし、だれも陣内の迷案に賛同する者はいなかった。もちろん俺も。

「コパンが売れたとしても車も買えんぞ。それに……」

 堺が残念そうに首を振りながら、

「どうしてコペンの魅力が分かんないかなぁ、君らには」

「コペンはいいんすよ。俺、好きですよ。ただ、もうちょっと場所を選んでください」

 滝川は肩をすぼめてみせた。

「なぁ、滝川はどこに行ったんだ?」

 俺は、ずっと気になっていたことを尋ねた。海に夜景に次はなんだろう、と興味津津で滝川が答えるのを待っていると、「俺も夜景見に行った。ジンとは別の場所だったみたいだけどカップルだらけだったよ。嫌だって言ったのに、聞かないんだ。この人」と堺を指で差しながら滝川が言った。

「だって、すぐ乗りたいじゃないか」

 堺は滝川の指を掴むと「えいっ」とじり上げた。

「あだーっ!」

 普段クールな滝川が珍しい雄叫びを上げた。そんな中でも身動きひとつせず熟睡する秋山に、実はアル中を起こして、意識が飛んでるんじゃないかと不安になる。恐る恐る顔を覗き込むと、なんとも幸せそうに笑みを浮かべながら寝息を立てていた。

 安心して再びみんなの方へ視線を戻すと、「人に指差しちゃいかんぞ」と何故か陣内が滝川に指を差しながら説教していた。

「いい子だな、ジンは」

 堺が陣内の頭を撫でると、「俺、いい子っすよ」と完全に酔っぱらった陣内が「えへへ」と笑った。

 まるでコントだ。

 俺は笑いながら「ていうか、なんで夜ばかりなの?」と誰ともなしに尋ねると、「日中は大学があるだろ?俺も気を使ってやったのに、みんなヒドイと思わないか?」とテーブルまで四つん這いで移動しながら堺が言った。飲んでいたビールが空になったようだ。テーブルの上に置かれた缶ビールを手に取ると、素早くプルタブを開けて一気にあおる。

「いやいや、だからって夜景はないっすよ」

 指をさすりながら滝川がぼやいた。

「だって夜だと他に行く場所ないだろ」

「なんでデートスポットに行くんすか。街に出るとか他にも色々あるじゃないすか」

「それで、お前だけ飲むつもりか?」

「いけませんか?」

 滝川がサラリと言い放つ。

 さっきの反撃に出たらしい。そんな生意気な後輩に、堺は怒るでもなくニヤリと笑って頬杖をつくと、「お前のそういうところ、嫌いじゃないぞ」と言った。

「恐縮です」

 滝川が笑い返すのを見て、「仲いいんだな、みんな」と俺はポツリと呟いた。

 どうしてここの住人にならなかったんだろう、と本気で思った。八つ当たり以外なにものでもないが、海外赴任中の親戚を恨めしく思い、大きな溜め息をついた。

「いつでも、ここに来ればいいよ」

 顔を上げると、堺が穏やかな笑顔を浮かべて俺を見ていた。優しい言葉に涙が出そうになる。

「そうそう、アッキん家に泊ればいいんだから」

 滝川がそう言うと、「なんなら、住みついちゃえば?」と陣内が面白がるように言った。

 有難い言葉だが、六畳ひと間に男二人で暮らすのはきついだろ。俺は思わず想像してしまい、肩をすくめる。

「けど、俺もここで良かったって思うよ。アパート内でほとんど交流ないってヤツも結構いるしさ。――俺、実は心配だったんだよね。横暴な先輩とかいたらどうしようって」

 滝川が照れ臭そうに笑った。

「てことは、俺は横暴な先輩じゃないんだ」

「堺さんはいい人っすよ」

 陣内も「うんうん」と頷いた。

 堺は少し照れ臭そうな表情をし、「ここ、大家の面談があったろ?目がいいんだ、あの人。去年までいた先輩たちも、みんないい人ばかりだったよ」と懐かしむように目を細めた。

「これでデートスポット巡りさえなければ、最高っス」

 陣内が缶チューハイのプルタブを開けながら、

「堺さんだったら、わざわざ俺たち連れ回さなくても声をかければ女の二人や三人ホイホイついてくるっしょ?あ、なんか腹立ってきた」

「自分で勝手に言って腹立てるなよ。俺は硬派だからナンパなんてしないんだよ」

 そう言って堺はチーズを手に取ると口に放り込んだ。

「だからずっと独りなんですよ」

 陣内が言った。

 堺は苦笑いを浮かべ、「お前もキツいなぁ。俺が先輩だってこと忘れてないか?」と陣内の頭をつついた。

「覚えてますよぉ。堺さんは心の広い優しい人っす」

「上手いな、お前は」

 堺が、笑いながらジンの頭を撫でくり回した。

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