episode9

「うぅ」

 俺と秋山の声が綺麗にハモった。うなり声でハモってどうする、という感じだがハモってしまったのだからしょうがない。

「今日、大学行きたくねぇ」

 秋山が床の上に敷いた布団の上でゴロンと転がった。さすがにいつものようにゴロゴロと転がる気力はないようだ。

「俺も。……柊さんたちは仕事に行ったのかな」

 頭を押さえながら俺は息をついた。

 だったら凄い。特に伊集院は最後まで意識がハッキリしていた。秋山を俺の家まで運んだのも彼だった。

「そりゃ、社会人ともなりゃ簡単に休めないから行ってるんじゃないか?」

 秋山はそう言うと再び唸り声を上げた。

「だよな」

 俺は鉛のように重たい身体をゆっくりと起こした。

「行くか」

「おう。休むわけにゃいかねぇよな」

 秋山もフラフラとなりながら身体を起こし、「あ、産まれそう」と口元を押さえてトイレに駆け込んでいった。人の家でなにを産み落とす気なのか。トイレから聞こえてくる秋山のうめき声を無視して俺はのっそりと立ち上がり、大学へ行く準備を始める。

 服を着替え始めたところで、「なぁなぁ、ほんとに柊さんがいるかあとで図書館行ってみよーぜ」とスッキリ顔の秋山がトイレから戻ってきた。

 俺は返事にきゅうした。あんなことがあった後だし、どんな顔して柊と話せばいいのか。

「なんだよ、行かないのか? 飲み過ぎで顔がぱんぱんになってる柊さん見れるかもしんねぇぞ。ひひ」

 日ごろの恩をあだで返すような秋山の言葉に「……そっか」とうなずいた。

 あの時の柊はかなり酔っていたし、覚えていないかもしれない。それに覚えていたとしても以前の柊ではないのだから二人で笑い話にしてしまえばいいのだ。ひとりで納得していると「どうした?」と秋山が聞いてきた。

「いや、行こっか」

「おう! どうする? 顔がれ過ぎて誰だか分からなかったら」

 秋山が、ひひひと意地悪く笑った。


「おはよう。今、学校に来たの?」

 棚の整理をしていた柊が、清々しいほど爽やかな笑顔でほうけている俺たちを出迎えた。今日は眼鏡をかけている。

 図書館は試験前ということもあり、いつもより学生の姿が多く見られた。その中で二日酔いでフラフラになっている自分たちは、なんだか場違いに感じ反省する。

「柊さんの意外な姿を見たかったんですよ」

 不満そうに唇をとがらせる秋山。

「なにが?」

「なんでそんなに爽やかなんすか」

「ははは。期待に添えなくてごめんな。君たちは聞くまでもなさそうだけど二日酔いか?」

 柊が屈託なく笑った。

 俺たちは顔を見合わせうなずいた。

「昨日、結構飲んでたもんな。アイツのペースで飲まない方がいいよ、翌日死ぬから。これは仕事用の外面ね。これでも気を張ってるんだよ」

「今日は眼鏡なんすね」

 秋山が柊の顔をまじまじと見つめる。柊は嫌がる素振りも見せず、「飲み過ぎた翌日はコンタクトは辛いからね。眼鏡の日は前日飲み過ぎたと思ってくれていいよ」と笑った。

「似合いますよ」

「ありがとう」

 秋山たちの会話を聞き流しながら、俺は初めて柊に会った時のことを思い出していた。確か、あの日も眼鏡だった。俺の心の中を見透みすかすように、「そう、あの日も飲み過ぎたんだ」と柊が言った。

 柊と目が合い、俺は咄嗟とっさに目をらす。なんの素振りも見せない柊。あの時のことを覚えてないのだろうか。それが気になり、俺はこっそり柊に視線を向ける。

 ちょうど柊は入口の方を見ていた。そして俺たちに視線を戻すと、「もうすぐ講義が始まる時間じゃないか?」と言った。

 秋山が「行くの嫌だなぁ」と駄々っ子のように言うと、「俺が頑張ってるのにか?」と笑いながら柊が言った。

「そうでした」

 秋山が肩をすくめてみせる。

「あまりに爽やかすぎて忘れてました。今度、伝授してください」

「高いよ」

「じゃあ、無料体験コースでお願いします」

 柊はおかしそうに笑う。

「分かったよ、今度な」

「じゃあ、行ってきます。寝るかもしれないけど」

「寝ずに頑張れ」

 俺は二人のやり取りをぼんやりと眺めていた。

「行こうぜ、祐一」

「ああ」

 俺は先を歩く秋山を追いながら振り返ると、本を持ったままこっちを見ていた柊がニッコリと笑って手を振った。俺は笑顔を作り、軽く会釈すると秋山のもとへ駆け出した。

 分からない。やはり覚えていないのか。相当酔っていたし。 ……酔ったらエッチになるって言ってたし。女性にも柊はあんな風に――

「うわぁ」

 急にあの時の記憶が鮮明によみがえり、俺は頭を高速で振り回す。

「うぉ、な、んだよ。どうかしたのか?」

 秋山が驚いたように俺を見ている。

「大丈夫か?」

「いやいや。なんでもない。――なんか暑くないか?」

 身体がポカポカと熱い。冷房が効いていないのだろうか。

「そうか? あ、顔赤いぞ。熱あんじゃねぇの?」

 秋山に言われて額に手を当てると少し熱を帯びている。暗示に弱いタイプなのか、急に頭痛がひどくなった気がした。二日酔いだと思っていた諸症状は発熱によるものだったのだろうか。いや、両方か。よくわからない。

「帰るか? 俺、代返だいへんしてやるから」

「でも柊さんも頑張ってるのに」

「体調崩してる中、頑張れとはあの人言わないだろ。無理すんな」

「うん」

「じゃあ、帰って寝てろよ。試験も近いんだから」

 秋山がひらひらと片手を上げ、一人歩いて行く。

「ああ」

 頬に手を当て、俺は溜め息をつく。さっきよりも身体が重く感じる。少し休んでから帰ろうときびすを返すと、柊が男子学生と話し込んでいる姿が目に入った。

 穏やかな笑みを浮かべた柊と楽しそうに話している小柄な学生。なにを話しているのだろう、と二人をぼんやり見つめていると、柊が彼の髪に触れた。それを見て俺は目をらすように顔を伏せた。

 なんだろう。胸に手を当て、首をかしげる。

 ……苦しい。

「風邪、かなぁ」

 顔を上げると柊がこっちを見ていた。男子学生の姿はもうない。

 俺は慌てて背を向け、走り出した。どうして逃げるのか、自分でも分からなかった。

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