episode8
「う、わぁ」
俺は柊の身体を押し
「奪っちゃった」
柊が笑いながら床に寝転がった。
「ひ、ひ、柊さん?!」
なにが起こったのか、頭が真っ白になり考えることもできない。混乱する俺を
「言っただろ? せっかく我慢してたのに」
柊は俺に顔を向け、
「酔っぱらいには気をつけた方がいいよ。君、無防備すぎ」
「あ、あの」
なおも動揺を隠せないでいる俺に、柊は
「嫌だった?」
「え? あ、の」
返答に
「祐一? うるさいぞ」
目をこすりながら文句を言う秋山に「あ、ごめん」と慌てて謝った。いやまて、なんで俺が謝らなければいけないんだ。
両手で顔を覆い、冷静になろうと意識を集中させていると、「あれ、柊さんどうかしたんですか?」と床に転がっている柊に驚いた声を上げる秋山。柊がどう答えるのか気になり、集中させていた意識は二人の会話に向かう。
柊は寝転がったまま「酔ったみたい」とだけ答えた。
「珍しいですね」
「いつもよりペース上げてたみたいだ」
笑いながら言う柊の声。
「俺もっす」
照れながら笑う秋山に、「いや、お前はいつもだろ」と俺は思わず顔を上げて突っ込んだ。秋山は聞こえているはずの俺の突っ込みを無視し、「あれ、伊集院さんは?」と部屋を見回した。
「コンビニ。もうすぐ帰ってくるよ」
身体を起こしながら柊が答えた。すると、タイミングを合わせたかのように玄関のドアが開く音がした。
「あっ、帰ってきた」
秋山が、酒、酒と口ずさみながら玄関へ走っていく。
「悪かったね」
呆れながら玄関に消えていった秋山を見ていた俺に、柊は謝るとバルコニーへと消えていった。
俺は、なにも答えることができなかった。前にも見たことがある。あの表情。あんな顔見せられたら――
ちょうどその時、
薄っぺらな一枚のカーテンが、超えることのできない大きな壁のように俺には見えた。
「買ってきたよぉ」
伊集院が買い物袋を抱えて部屋に入ってきた。どれだけ飲む気なんだ、と思うほど買い物袋いっぱいにビールが入っている。それをテーブルの上に置くと、ふぅと大きく息をついた。座り込んだままでいる俺に「あれ、隼人は?」と伊集院。
「バルコニーです」
俺はそう言うしか出来なかった。
「なんか飲み過ぎたみたいですよ」
あとから部屋に入ってきた秋山が言った。手にはジャイアントなコーンが握られている。小学生かお前は。ていうか、あれは俺たちに買ってきたものだろうか。伊集院の中の俺たちはどう見えているのだろう。好きだけど。嬉しいけど。なんか複雑。
「そんなに強くないのに飲むから」
伊集院が苦笑した。
「そうなんですか?」
秋山は意外そうに、「かなり強いと思ってたのに」とバルコニーの方を見ながら言った。ペリペリとアイスの包装紙を目を輝かせながらめくる秋山。それを見て伊集院はクスリと笑い、「ビールも一ケースくらいしか飲めないし、ワインも二本くらいでダウンするよ」と答えた。
「そんなのみんなダウンしますよ」
「え、そう?」と意外そうな伊集院。
「それ以上に伊集院さんは強いんですね」
秋山は絶句した。
「そんなことは、あるかな」
「柊さんが伊集院のことワクって言ってましたよ」
「あ、よく言われる。酔ってるのにね」
伊集院は笑い、
「ま、秋山くんも起きたことだし飲み明かそう」
伊集院が俺たちにビールを手渡してきた。
俺たちが話している間にアイスを平らげた秋山は、「そうっすね」と調子よく言うと素早くプルタブを開け、ビールを
俺はバルコニーの柊が気になったが、結局ビールを手に取り床に座り込んだ。
どう声をかければいいのか分からなかったのだ。それに……アレはいったいなんだったんだ。脳裏に蘇る衝撃的な出来事に俺は慌てて頭を振り回す。
「わっ、どうしたんだよ、いきなり。酔いがまわるぞ」
秋山が驚いたように俺を見た。
「なんでもない。――むしろ、酔っぱらいたいかも」
「そういう時は、酒だぁ!」
伊集院がビールを高らかに
「そだそだ」
秋山も一緒になってビールを
缶ビールを二本空けたところで身体が火照り出し、
「あらら、三澤くんも秋山くんも弱いね」
伊集院がクスクスと笑う。
「伊集院さんは変わらないですね。本当に酔っぱらった伊集院さんを見てみたいです」
「ワクだからなぁ。まだ俺も前後不覚になるほど酔ったことないんだよね」
「なっちゃだめですよ」
伊集院が声を上げて笑った。
「やっぱり、酔うなら秋山くんの酔い方がいいよねぇ」
伊集院が床に転がって寝ている秋山を見た。
「なんだよ、気持ちよさそうに寝やがって」
俺は口を
「結局、残ったのは俺たちだけか」
そう言って伊集院はソファに目をやる。ソファでは柊が寝息を立てていた。
あの後、バルコニーから部屋に入ってすぐソファに眠りこけてしまったのだ。やはり飲み過ぎていただけか。体調が悪くなくてよかったが、酔っていたとはいえ、アレは――
「なに考えてるの? 難しそうな顔して」
伊集院が缶ビールを片手に尋ねてきた。ハッと我に返り「あ、いえ」と言葉を
「いや、二人とも気持ちよさそうでずるいなって」
誤魔化すように床に転がっている秋山を見た。規則正しい寝息をたてながらクッションを抱いて寝ている秋山。さっきまで寝ていたのにまだ寝れるのか。
「ほんとにね。まぁ、隼人のあの姿は珍しいけどな。――三澤くんは、もう少しくらいいけそう?」
「あと少しなら」
「サークルとかには入らないの? 飲んで騒いで楽しいよ」
「考えてはいるんですけど、ノリについていけないというか」
「はは、
伊集院は
「伊集院さん、と?」
俺は首をかしげる。
「あ、今、そうかな? とか思わなかった? 俺だって昔は引っ込み思案の大人しい男の子だったんだよ」
「その目は信じてないな」
伊集院がグイッと顔を近付けてきた。と同時に俺は身体をうしろに引いて床に手をつく。さっきのこともあり、敏感に身体が反応する。
「そんなこと……信じられません」
伊集院が声を上げて笑った。
「そうだよなぁ、俺も信じられん。まさか自分がこんな風になるなんてな。――これもすべて隼人のお陰かな」
「柊さん、ですか?」
伊集院が
「俺の妹とアイツが付き合っててさ。大学も俺たち一緒だったからね」
伊集院が当時を思い出すように天を仰ぎ、
「サークルやら飲み会やらに無理矢理連れ回されたんだよ。で、こんなんなりました」
俺はソファで寝息を立てている柊を見る。
伊集院の妹とも付き合っていたんだ。……今は、別れているんだよな。でも二人は、今も一緒にいるのか――
「柊さんは学生時代からあんな感じだったんですね」
俺がそう言うと、伊集院が首を振った。
「いや、彼も変わったよ」
伊集院が手に持ったビールの缶に視線を落とす。
「だいぶ、ね」
「そうなんですか?」
ということは、昔はもっとすごかったのだろうか。俺は前に月宮館で会った二人の女性を思い出す。
「そう。みんな変わるんだよ」
伊集院はしみじみと言う。
「変わりますか」
「そう、変わるよ。だから、今この時を楽しんでおかないとね」
そう言って、新しい缶ビールを俺に向かって投げた。俺は慌ててキャッチする。
「飲もう」
楽しげに笑う伊集院に、今の話がどこまで本当のことなのか疑問に思う。こんなに人は変わるのか。
「じゃあ、俺も」
――変わりたい。
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