第62話

 落ち着きを取り戻した俺は、長い息を吐いた。

「悪い」

 俺は、田上から何も聞き出すことができなかった。自分の未熟さを痛感する。

「足引っ張っちまった」

「いいさ、本来の目的は達成できた」

 田村の言葉を肩越しに受けながら、俺は苦笑くしょうした。田村に気を遣われている。いつもなら嫌味の一つや二つ飛んでくるところだ。

 この仕事を続ける以上、これからも田上のような人間と渡り合うことになる。その度に彼らの言葉にいちいち振り回されていたら、それこそ田上の言うようにいつか壊れてしまうだろう。――それだけは絶対に御免ごめんだ。

「俺が潰れそうになったら、頼むぞ」

「安心しろ。その時は、きっちり引導を渡してやるよ」

 にこりともしないで田村は言った。俺は鼻の穴を膨らませる。

「有難くて涙もでねぇよ。お前も言えよ。一発ぶん殴ってやるから」

「意味が解らん」

「目が覚めるだろ」

「酔っ払いか」

 珍しく田村が突っ込んだ。ニヤリと笑う俺に田村は渋顔じゅうめんになり、「望月が感染した」とひと言。

「病原菌か、俺は」

 窓の縁に肘をかけ、俺は外に視線を投げた。山崎川に架かる橋の上を車は走り抜ける。堤防沿いに植えられた桜並木があっという間に車窓を流れていった。

「花見日和だな。折角だから、さくら公園でも行くか」

「今しただろ」

「あんなもん花見じゃねぇ。ただ素通りしただけだろーが」俺は呆れ顔になり、「しかもお前運転してて花見てねぇじゃん。酒は我慢してやるから行こうぜ。それともなんか予定入ってるのか?」

「別に」

「じゃ、行こーぜ」

 やれやれと息をつく田村。俺は再び窓の外に視線を投げた。

 本音を言えば、花見が目的な訳ではなかった。あの場所に立ち、気持ちの整理をつけたいと思ったのだ。前に進む為に。田村を誘ったのは、きっと自分ひとりでけりをつける自信がないから。

迷惑な話だ。俺は自嘲の笑みを漏らした。自分の弱さに忸怩じくじたる思いでいると、ふいにあることを思い出した。自分でも何故こんな時に、と思ったがその疑問を問いかけずにはいられなかった。

「お前さ、あの女性と知り合いなのか?」

 田上の事務所で会った谷川という事務員。言葉は悪いが、なんの特徴もない普通の中年女性の彼女が田上に雇われていること自体不思議に思った。だが、それよりも気になったのは彼女の田村への態度だった。

「珍しく気づいたようだな」

 こちらを見ることなく答える田村。いつもの彼に戻った。相変わらず失礼な物言いだ。

「珍しくて悪かったな。彼女、お前見てバツ悪そうに目逸らしたろ?」

「彼女、俺たちの話を聞いていたんだ。お前が正義論語ってる辺りから。事務所に入ってきた彼女と目が合った」

「なるほど、それでか」俺はシートから体を起こし、田村の方に顔を向ける。「でもなんでだ? なんで俺たちの話を」

「さぁな」

 田村はそれ以上何も言わず、車を走らせた。

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