第59話

「弁護の依頼にいらしたのですか?」

 田上は突然訪問した俺たちをそう言って出迎えた。

「そう見えますか?」

「見えませんね」

 俺たちの訪問にさして驚きもせず、田上は事務所の中央に置かれたソファへ俺たちを促した。

 馨の件で何度か本部に来た田上を見てはいたが、話をするのは今日が初めてだった。以前から思っていたが、居振いふいがスマートで無駄がない。紳士というのはこういう男のことをいうのだろう。

「何か飲まれますか? 事務の女性が外出しているのでたいしたものは出せませんが」

 なるほど。確かに部屋の奥に置かれた田上のものであろう立派な机のほかにひとつ、田上のそれよりひとまわり小さな机が入口に近い場所に置かれていた。俺たちは丁重ていちょうにそれを辞退し、田上が向かいに座ったところで話を切り出した。

「お忙しい中、申し訳ありません。田上さんに確認したいことがあってこちらにうかがわせていただきました」

「なんでしょう」

単刀直入たんとうちょくにゅううかがいます。あなたはMichaelではありませんか?」

 唐突とうとつな俺の質問に田上は顔色かおいろも変えず「ほぉ」と声をらした。

「違いますか? 二十年前、佐伯さんと二人で美和さんたちを引き取りにあの家へ行った時、あなたはLiberaへのコメントと同じセリフを佐伯さんに言ったそうですが」

「ええ、言いました」田上はあっさりと認めた。「あなた方がわざわざここにいらしたということは、Michaelはだったということですね」

 俺は膝の上に置いた拳に力を込める。

 やはり、解った上でやっていたのか。田上ならば仕事上、彼らの事件を知ることも容易よういだったはずだ。

「他の方から止められませんでしたか?」

 田上はきつく握られた俺の拳に目をやり、静かに笑う。

 過去のMichaelの書き込みを刑総課の佐竹の協力のもと――俺たちが拾い出し作業をしようとしていることを聞きつけて協力を願い出てくれた――拾い出してみたが、これまでの書き込み同様、非の打ち所のない優等生的なものばかりだった。読み手側の心情から読み解けば、『悪魔の囁き』と穿うがった見方――篠原風に言えば――はできるが、それを立証することはできないし、もちろん警察は手も足も出せない。

 それを解った上での言葉。熱血漢の若造が無鉄砲な行動に出ていると思われているのだろう。

「ここへは公務こうむで来た訳ではありませんから」

「今日は非番ひばんですか」

「ええ」

 美奈の事件の後にひかえていた事件が思いのほか早く解決し、予想より早くここに来ることができた。

「大切な休日をつぶしてまで来ていただいたのですから、少しあなた方の雑談にお付き合いしましょうか」

 田上は続きをうながすように俺に手を差し向けた。

「――何故、あんなことを?」

 歯痒はがゆい思いで俺が尋ねると、田上はわずかに口角こうかくを上げ、「ひまつぶしですよ」と答えた。

 俺は言葉を失う。そんな理由で何人もの人生を狂わせたというのか。しかも、法をつかさどる弁護士の肩書かたがきを持ちながら。

 涼しい顔で目の前に座る田上に対し、ふつふつと怒りがき上がる。

明確めいかくな理由などありませんよ。ですが理由が欲しいというのなら、それらしい理由でもつけてみましょうか」

 まるで他人事ひとごとのように話す田上。結城や双葉慎吾、そして美和の顔が脳裏のうりに浮かび、俺は向かいに座る田上をにらみつけた。

「ふざけるのもいい加減にして下さい」

「ふざけてなどいませんよ。私もひまではありませんから。なんでしたら、お引き取りいただいても構いませんが」

 そう返す田上をにらみつけたまま、「……神にでもなったつもりだったのでしょう?」と俺は苦々にがにがしげに言った。

「人は神にはなれませんよ」田上は即答する。「では、Michaelを名乗った理由から始めましょう。神が何故こんな不完全な世界を創ったのか、天使という存在が何故必要だったのか、あなた方は考えたことがありますか?」

「神や天使は、人が作り上げた幻想です」

 田村がここにきて初めて発言した。

 穏やかな笑みを浮かべる田上と対峙たいじする無表情の田村。二人を見ていると、何故か田上の笑顔が空々そらぞらしく感じ、無表情ではあるが田村の方がずっと生身なまみの人間らしく見えた。

「君は、この世界に絶望しているようですね」

 田上は作り物の笑顔のまま、田村に向かって言った。

 田村は答えない。

「先ほどの話に戻りましょう。神は完全な世界を創ることができなかった訳ではなく、創らなかったのですよ。世界をたもつ為に。だから、神の意思を伝える為には天使という不完全な存在が必要だった。この世界に完全なものなんてひとつもないんです。必ず、どこか不具合がしょうじるようになっている。――自分の理想的な世界を創ろうとすればするほど人は壊れていく。これまでの長い歴史を振り返ってみれば一目瞭然いちもくりょうぜんでしょう。私は世界をたもつ為に不具合をだけです。神の意思を伝える天使のように」

「それでMichaelですか。その名に〈神のごとき者〉という意味を持つ、神に最も近い天使。なるほど、頭のいい方だ」

め言葉として受け取っておきましょう」

「もっと若い人だと思っていました。書き込まれていたコメントもおさない印象があったので」

 皮肉ひにくを込めて言うと、「先入観せんにゅうかん禁物きんもつですよ。冤罪えんざい先入観せんにゅうかんから生まれるものです」とたしなめられた。

 苦虫を噛み潰したような顔でいる俺に「未成熟みせいじゅくな人間の主張は人の心に届きやすいものです。子供でもなく、けれど大人でもない。境界きょうかいに住む彼らは、そういう意味では不完全な存在だとも言えますね」と田上は続けた。

 淡々たんたんと語る田上のその表情からは何も読み取ることができない。彼が神の存在を信じているようには見えないし、今の話もどこまで本気で言っているのか判らない。もしかしたら、すべて思いつきなのかもしれない。

 田上の真意をはかりかねていると、「あなた方のような境界きょうかいに住む人間と話をわすことは滅多めったにないので、楽しませてもらっています。――ところで、私たちのいるこの社会もまた不完全なものであり、だからこそ機能していることをご存じですか?」と彼は俺と田村を交互に見ながら語りかけてきた。

 俺たちを未成熟みせいじゅくな人間だと小馬鹿こばかにした上、今度はどんな詭弁きべんを語るつもりなのか。

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