第49話

 桜花台おうかだいの中央にある、さくら公園。その中にあるひと際大きな桜の木の下で、俺たちは束の間の休息を取っていた。

 小さなつぼみをいくつもつけた桜の木が、ちらほらと目につくようになってきた。開花を今か、今か、と待ちわびる人も多いだろう。少し前の俺もそのひとりだった。新年早々、新人だからと篠原から花見の場所取りと買い出しを命じられてもいた。

 けれど花見は無理そうだ。これまでに容疑者が浮かんでは消え、浮かんでは消え、浮かんでは消えた。そして今現在、容疑者らしい人物の特定すらできていない。しかも他にも数件の事件が発生しており、今の事件が解決してもすぐに新しい事件に取りかからなければならない。花見どころではなかった。

 それに比べ、猪又のところは大池の逮捕で詐欺事件の捜査が大幅な進展を見せていた。

 今回の詐欺事件の主犯は、寺田の作成した偽遺書通り大池だった。彼は寺田が殺されたことを聞いても顔色ひとつ変えなかったそうだ。けれど、寺田が加賀を殺そうとしたことを知ると、「アイツがねぇ」と嘆息たんそくしたという。

 大池の話では、信頼できる部下だから、と寺田が加賀を連れてきたようだ。息子のように可愛がっていた加賀を寺田が保身の為に殺そうとしたことに大池は、「幽霊や神様仏様なんてちっとも怖くはないが、人間は怖いねぇ」としみじみと語ったそうだ。

 猪又からそれを聞いた時、お前がそれを言うのかと憤りを覚えた。猪又も苦々しい顔をしていた。

 俺は枝葉えだはの隙間から覗く空を見上げ、大きく息をついた。

 これだけ捜査しているのにも係わらず、美奈と交際していた人物がまったくと言っていいほど浮かんでこない。唯一、容疑者として浮かんだ香川も彼女の交際相手ではなかった。その後、香川夫妻のアリバイは証明され、容疑者リストから外された。 

「なぁ、変だと思わないか? いくら馨に知られたくなかったとはいえ、ここまで徹底して二人の交際を隠し続ける必要あるか? むしろ、堂々と表に出て馨から美奈を守るのが普通だろ。俺には、美奈というより相手の男の強い意図があるように思えてならない」

「その相手も馨に逆らえない人間、ってことか」

「ああ。実は一人、気になる男がいる」

 俺はその男の姿を思い浮かべながら、田村に顔を向けた。

「弁護士の田上か? だが、彼にはアリバイがある」

 田村が即答した。どうやら、彼のことを気に止めていたのは俺だけではなかったようだ。

 美奈が殺されたと思われる時間、田上は大学時代の友人と会食をしていた。しかもその友人というのが警察関係者らしく、県警本部長が直々に確認を取るほどの人物だったようだ。

「確かに田上には犯行は無理だが、恋人ではなかったとは言い切れない。馨の管理下にあった美奈に近づく男もいなければ、滅多に外出をしなかった彼女に出会いもなかった。けど田上なら、美奈の家に出入りできた。自分と同じような境遇きょうぐうの美奈に特別な感情を抱き、同じように美奈も」

 若林の報告では、田上は美奈の家に数回行っていると証言していた。すべて馨が一緒だったようだが、顧問弁護士というより専属運転手扱いではないか。

 それに彼の証言は、一人で美奈の家には行ったことがないと強調しているようにも聞こえる。

 田村は少し考えるように唇に手を当て、「捜査線上に浮かんでいないだけかもしれないぞ。例えば、ネット住人」そう言って唇に当てていた人差し指を俺に向けた。

 俺は天を仰ぐ。

「忘れてた。彼女の趣味を」

「さて、どうする?」

「なんでお前はそんなに偉そうなんだよ」田村をひと睨みし、俺はうなりながら桜の木に寄りかかる。「そうだなぁ。確かにネット恋愛ってのがあるらしいが、ネット上だけの恋人と上辺うわべだけの言葉のやり取りで彼女が満足するとは思えない。馨を知らない人間に、美奈の置かれた状況をどんなに説明したところで伝わりっこないしな。それに、馨の周りには上っ面だけの人間がたくさんいるようだから、人間性を見抜く力は持ってる気がする。美奈のことを真剣に考えている人たちを見れば分かるよ。自我を殺され続けてきた彼女は、自分という存在を認め、受け入れてくれるような人を愛したはずだ。だから、その線はないと思う」

「なるほど」

 田村は小さく頷いた。

「お前はどうなんだよ」

「俺も同じだ」

「だろ? となるとやっぱり」

「田上のことだ」

 俺は顔を突き出し、「……ちょい待て。だったらなんで素直に認めないんだよ」と唇を尖らせる。

「さぁて」

 睨みつける俺から田村は視線をらした。

「あのな」

 しかも新たな三文字言葉を出してきた。増やす気じゃないだろうな、コイツ。

 田村は桜の枝を見上げながら、「お前の意見が聞きたかっただけだ」と答えた。

「はぁ? なんでだよ。同じなんだろ?」

「答えはな」

「……あのな、俺は俺、お前はお前だ。考え方が違うのは当たり前だろーが。プロセスが違ったとしても答えが同じなら、目指す方向は同じだ。問題ねぇよ」俺は桜の木から離れ、腰に手を当てながらひと息つく。「話を戻すぞ。田上が美奈の交際相手だったとすると、今回の事件と美和の書き込みは関係ないってことだよな。田上に犯行は無理だったんだから。でもタイミング的に無関係とは考え難いよなぁ。会食相手が警察関係者ってのもなんか意図的な感じがするし。何か見落としてるのか? 推理小説さながらのトリックでも使ったとか。ここらで名探偵でも出てきて事件解決したりしてな」

「本気で言ってるのか?」と田村。

 いつもの無表情ではあるが、刺すような視線を俺に向けている。

「まさか」俺は肩をすくめてみせる。「すまん、今のはないわ。事件を解決するのは俺たち警察だ」

 俺は両手で頬を叩き、短く息を吐く。気持ちを切り替え、再度、事件について意識を集中させる。

 双子は恋人、田上に復縁を求めたのだろう。そして美和の「赦せない」という書き込みから、それが失敗に終わったと推測できる。陣内さんも言っていたが、恋愛沙汰に第三者が入るとろくなことにならない。その直後、事件が起きている。やはり、タイミング的に田上が無関係とはどうしても思えない。

 三人はどんな話し合いをしたのだろうか。そして、美和は何が赦せなかったのか――

「美和の遺体を移動させた理由は何故だ。それを突破口とっぱこうにできないか」

「大きな独り言だな」

 呆れる田村に「お前に言ってるんだよ」と俺は静かに睨みつけた。

「……なぁ、水島が見た遺体が美和だったとして、美奈は別の部屋で既に殺されていたんだろうか。それとも、まだ……」

 先に続く言葉を口にする気になれず、俺は田村に目で訴えた。

「それはない。美奈の死亡推定時刻を思い出せ」

 俺は額に手を当て深く息を吐き、目を伏せる。

「そうだよな。……でも、よかった。美奈が美和を殺したなんて、やっぱ考えたくないからな」

安堵あんどする俺に田村はちらりと視線を送り、「安心するのはまだ早いんじゃないか? 水島の見た遺体が、美奈だった可能性だってまだ残っているんだからな」と言った。

 俺は一瞬、言葉に窮した。

「美和と……田上が手を組んだと言うのか?」

「何を驚く? お前だって、さっき同じようなことを考えたんだろう?」

「でも、それは」

「それに、手を組んだ、というより脅して協力させたのかもしれない」

「脅してって。美和が協力する訳ないだろ。あんなに美奈のことを心配していたんだぞ……いや、いや待て。あの『赦せない』って書き込み。まさか、このことを言っていたのか? 計画殺人?」

「仮にも田上は弁護士だ。警察関係の友人も多い。一般人よりも犯罪に近く、罪を犯す愚かさ、すべてを失う恐ろしさを誰よりも知っているはずだ」

「ああ。それに美和をずっと匿ってもおけないだろうし、遠くに逃がしたとしても美和が自首する可能性、脅し返される可能性もある。そんな危険を冒す訳ないよな」

 俺は胸を撫で下ろす。けれどすぐに、田村の言わんとしていることを理解する。慌てて田村を見ると、「脅したのは、美和と考える方が妥当だ」と抑揚よくようのない声で田村が言った。

 俺は混乱する頭を抱え、「待て待て、ちょっと待ってくれ」と田村を手で制す。

「美和が美奈を殺すなんて……」

 言葉を失う俺に「それならすべて辻褄つじつまが合う。会食を終えた田上に美和が自身の携帯から連絡を入れて迎えに来させれば、彼女は誰にも見つかることなく現場から姿を消すことができた」と田村は雄弁に語った。

「それはないな」

 田村のものではない声が否定した。声のした方を見ると若林と里見が立っていた。







 

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