第43話
田村のデミオに乗り込むと、思わずくしゃみが出た。
「あー、寒かったぁ」
今日の聞き込みは苦戦を強いられた。
ただでさえ寒がりな住人が多いところに、名古屋では珍しいこの吹雪だ。あからさまな居留守を使われたり、寒さで不機嫌になった住人にネチネチと嫌味を言われたりと散々だった。危うく、聞き込み中に凍死しかけるところだった。聞き込み中に殉職――殉職扱いになるのか? ――するなんて珍事もいいところだ。というか、まだ死にたくはない。
俺はフロントガラスの先にある白い世界を見つめながら、「少し早いけど戻るか。また警部にどやされそうだな」と吐息をつく。
田村は無言のまま車を発進させた。
捜査本部に戻ると、デスク席に里見以外の班のメンバーが集まっていた。皆、何やら険しい顔をしている。
「なんだ?」
もしかして、里見の身に何かあったのだろうか。
近づいていくと、俺たちに気づいた篠原が不機嫌そうに紙切れを俺たちに差し出した。手を伸ばしながら「なんですか?」と尋ねると、「またMichaelだ。美奈のパソコンの通信記録を洗い出していたら、これを見つけた」と忌々しそうに篠原は舌打ちをした。
「美奈が書き込みをしていたんですか?」
慌てて篠原から用紙を受け取ると、意外な答えが返ってきた。
「書き込んだのは美和だ」
「美和、ですか?」
思わず顔を上げると篠原が早く読めと顎をしゃくった。横から覗き込む田村とともに、印字された美和の書き込みに目を通す。
はじめまして。
十年ぶりに再会した姉が、恋人に振られてひどく
初めて人を好きになった姉にとって、その恋が破れたショックはとても大きかったようです。
どんなに励ましても姉には私の声が届いていない。私を見ようともしてくれない。
双子で、しかも唯一の家族なのに。
それでも、私は姉を助けたい。
周りに相談する人がいないので、こちらに相談させてもらいました。
よろしくお願いいたします。
美和の書き込みに違和感を覚え、「これ、おかしくないですか?」と顔を上げると、「水島の証言と合わない、か?」とすぐ横の若林が言った。
俺は頷く。
「この美和の書き込みだと、彼女が帰国した時には既に美奈は交際相手と別れていたことになります。水島の証言と一致しません」
「Michaelのコメントを見てみろ」
篠原が言った。
言われるままに美和の書き込みの隣に印字されているMichaelのコメントに目を通す。
はじめまして。
あなたの声が届かないほど、お姉さんにとってその人は大切な人だったのでしょうね。
誰よりも、何よりも。
離れてしまった人の心を取り戻すことは難しいと思います。
それでも助けたいとあなたが望むのなら、お姉さんの望むようにさせてあげてはいかがですか?
「美奈の望むようにって」俺は顔を上げ、篠原に顔を向ける。「恋人との復縁、ですか?」
「恐らくな。美和はその手助けをしたと思われる。これがネットに書き込まれたのが二月五日。そして、二月十四日に『
「十四日? それじゃあ……」
俺は絶句する。
「ふたつの書き込みは美奈のパソコンで書かれたものだった。すなわち、美和は事件の前日まで美奈の家にいたということだ」
篠原は苦々しげに言った。
「どうしてもっと早く、この書き込みを見つけることができなかったんですか?!」
事件発生から既に十一日経っている。もっと早くにこの書き込みが発見できていれば、これまでの捜査ももっと違ったものになっていたのではないか。
「まぁ、そう言うな」篠原は渋い顔をしながら、「美奈はネットサーフィンが趣味だったようで、確認作業に手間取ったんだ。それに、美和の捜索に人員を削ったことも発見が遅れた要因だ」
「あの美奈がですか?」
意外だった。
「現実世界では馨の管理下にあったから、ヴァーチャルの世界に自由を求めたんだろうな。あんな場所で独りで暮らしていたんだ。そりゃあ時間もたっぷりあっただろうよ」篠原は顎を撫でながら、「美和も孤独だったのかもな。書き込みで美和はLiberaというハンドルネームを使っていた。ラテン語で〈自由〉という意味だ」
「リベラ……」
自由を手に入れたはずの美和。だが彼女も水島のように馨の呪縛から抜けられず、この十年苦しんでいたのだろうか。
書き込みにあった『赦せない』とは、どういうことだろう。この書き込みから、双子と別れた恋人との間で何かがあったことは想像できる。美奈が塞ぎこんでいたのは、きっとそのことが原因だろう。こうなると、消えた美和の安否が気づかわれる。無事だといいのだが――
「水島が見た遺体、美和だった可能性もあり得ますね」
唐突な田村の発言に俺は慌てる。
「ちょっと待て。あの遺体は美奈だった。解剖所見をお前も見ただろ。……それとも美和にも美奈と同じように体に手術痕が? いや、そんな報告はなかった」
混乱する俺の傍らで篠原は腕を組み、「その方がしっくりくるか……」と呟いた。
「はい。事件当夜に水島が見た遺体と発見された遺体が別人だったとすれば、水島に気づかれるのを防ぐ為に放火をしたとも考えられます」
俺は田村の言わんとすることを理解する。
「じゃあ、化粧をしていたというのも……」
「そういうことか」若林が唇をなぞりながら、「警部たちと美和の安否を気づかっていたんだが……どうやら最悪な結果もありそうだな」
「恋愛の達人の若を前にして俺が言うのもなんだが、男女の問題に第三者が入るとろくなことにならない。きっと、復縁どころか泥沼状態になったんじゃないか? けど、どうして美和の遺体を家から運び出す必要があったんだろな?」
陣内が資料に目を通しながら口を挟んだ。若林が苦笑する。
「美和に罪を着せる為でしょうか?」
にしてはリスクが高すぎる、と思いつつ俺が発言すると、篠原は納得しかねるように唸り声を上げた。
「しかし、遺体を持ち出すことほど危険なことはないぞ? 処分するにも人目がある。強盗に見せかけることだってできたはずだ」
その時、いつの間に戻ってきたのか報告書に目を通していた里見が「あっ」と声を漏らした。皆の視線が一斉に彼女に注がれる。
「若林くん、これ」里見が報告書を若林に見せながら、「事件当夜までの数日間、ローマ関連のサイトを頻繁に閲覧しているわ。その中に『ローマの休日』に関するサイトも。ほら、こんなに」
ローマがどうしたというのか。それに、あの名作と美奈に何か関係があるのだろうか。
「何の話だ、若」
焦れた篠原が尋ねた。
「あ、すみません。昨日、香川という関係者とローマについて話をしたばかりだったので」
「香川?」
「五嶋建設で去年まで社長を務めていた男です。ローマへは退任直後に夫婦で訪れています。夫人が事件のショックで体調を崩していた為、香川本人からしかまだ話を訊くことができていませんが、夫婦共々美奈のファンだそうで捜査にも協力的でした」
「ああ。そういや、いたな。確か、事件当日のアリバイがなかったか?」
「はい。十五日の午後七時から午後九時近くまで中区の繁華街で食事をしています。店の店員も二人のことを覚えてましたし、カード決済だったので確認は取れています」
「中区から現場まで名古屋高速を使えば車で約一時間ほどか。微妙だな。念の為、事件当夜のその夫婦のアリバイをもう一度調べるんだ。――あと、トレヴィの泉がどうかしたのか? 『ローマの休日』に出てきたあの泉のことだろ?」
若林が意外そうな顔をした。俺も篠原があの名作を観ていたことに驚く。
「なんだ、
篠原が若林をジロリと睨んだ。
若林は苦笑し、「トレヴィの泉で香川は願かけをしているんです」と言うとその願かけのやり方を手短に説明した。
「なるほど、な」篠原は面倒臭そうに言うと、「美奈と香川の関係を洗い出せ。もちろん、夫人についてもだ」
思わぬところから現れた
けれど何故、犯人は美和の遺体を持ち出したのか。死してなお、一緒にいることを許されない双子のことを考え、俺は
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