第39話

 待ち合わせのファミレスに着いたが猪又たちの姿が見当たらない。まだ来ていないようだ。店内は深夜近いというのにほとんどの席が埋まっており、主婦らしきグループや若者たちが楽しそうに談笑している。

 案内された席に腰を下ろし、俺は早速メニューを広げる。最初のページにあったオススメメニューが美味そうだったが、頼めそうもないので別のを選ぶ。最近こういうのをよく目にするが店側は何が目的なのか。オススメと言っているが実は頼んで欲しくないのだろうか。

 顔を上げると入口付近できょろきょろとしている猪又たちの姿を見つけた。軽く手を挙げると、気づいた猪又が思い切り嫌そうな顔をした。田村の姿が目に入ったのだろう。判りやすい奴。

「なんでコイツもいるんだよ」

 猪又がぶつぶつ言いながら席に着いた。田村から一番遠い席だ。お前は子供か。

「いいじゃん、別に。メニュー見せて、お腹空いた」

 夏目は里見からメニューを受け取ると、猪又にも見えるように大きく広げた。猪又は勢いよく覗き込むと水を持ってきた店員に、「俺、森の小粋な妖精たちの手作りサラダとプリプリキノコたっぷりクリーミィチキンね。ご飯セットで」と早速注文をした。

「お前……」

「なんだよ。美味そうだろ? コレ」

 確かにそうだが。お前の食い気は羞恥心よりも勝るのか。

「じゃあ、俺も同じの。田村は?」

「同じ」

「あっ、お前ら」

「いいじゃん、別に。あたしも一緒で」

「私も」

 結局、皆同じものを注文した。心なしか店員の顔がゆるんでいたが、きっと気のせいだろう。

「ところで、そっちの進捗状況はどうなんだ?」

「今朝、加賀を送致した。大池も国際手配をして現地警察に身柄確保の要請をしたから、もう逃げられん」猪又が水の入ったグラスを手に取ると一気に飲み干した。「流用された十億八千万の内、八億二千万の使途は判明した。問題は残り二億六千万の行方だ。大池の金融機関口座は凍結したが、どうやら他人名義の口座を使っていたようなんだ。今、洗い出しをしているところだ」

「恋人だよ、恋人。その恋人の口座を使ってマネーローンダリングしていたらしい」

 夏目が面倒臭そうに言う。どうもさっきから不機嫌そうだ。今度は何に怒ってるんだ。猪又を見ると、「腹減ってんだよ」と返ってきた。なるほど。さすがは相方。

「で、その恋人は? 一緒にモルディブか?」

 猪又が首を傾げ、「よく判らん」と答えた。

「なんだよ、それ」

「んー……同行してる奴がさ、男なんだ」

「は?」

「調べたら、どうやら大池はゲイらしい。しかも複数の男と付き合っていたみたいで、マネーローンダリングしていた他人名義の口座もどうやらひとつじゃないようなんだ。なぁ、一緒に行った奴が本命なのかな?」

 猪又が真顔で俺に訊いてきた。

 何故、俺に訊く。俺はゲイでもないし、複数の女と同時に付き合ったこともねぇよ。

「一緒に逃げるくらいだからそうなんじゃねぇの?」

 投げやりに答えると、「そうなのかなぁ。俺には判らん」と猪又は頬杖をつきながら呟いた。

「俺も判んねぇよ。若さんに聞けよ、そういうことは」

「そうなのか? なんだ、人選ミスったか」猪又はガハハと笑い、「ちなみに里見さんはどう思いますか?」

 興味深げに俺たちの話を聞いていた里見は首をかしげ、「そうね。本当に大切な人なら、犯罪には巻き込まないんじゃないかしら?」

 猪又は「なるほど」と小さく頷く。

「どっちにしろ最低な奴なんだよ、大池は。それに引っかかる奴も馬鹿だっつーの」

 ガリガリと氷を噛み砕きながら夏目が言った。隣の猪又はそれを聞いて吹き出した。何を考えたのか想像できる。――今頃、デスク陣はどうしているだろう。まだ、明日の編成に頭を悩ませているのだろうか。

「なんだよ」

 夏目が猪又を睨む。

「なんも。おっ、来たんじゃねぇか?」

 店員がワゴンを押して俺たちの方に向かってきていた。美味そうな匂いが席まで届く。

「お待たせしましたぁ」若い女性店員はよく通る甲高かんだかい声で、「森の小粋な妖精たちの手作りサラダとプリップリキノコたぁっぷりっぷりクリーミィチキン五つでぇす。お飲み物は食後にお持ちいたしまぁす」

 俺は堪らず顔を伏せる。嫌がらせとしか思えない。周りの席から、くすくすと笑い声が聞こえてきた。

「何してんだよ望月。美味いぞ」

 顔を上げると周りの反応をまったく気にする様子もなく、猪又と夏目は料理を美味そうに頬張っていた。よっぽど腹が減っていたのだろう。そんな二人を田村は呆れ顔で見ている。

 里見は苦笑しながら、「私たちも食べましょう」と言ってフォークを手に取った。

「そうですね」

 美味そうにむさぼり食う猪又たちを見ていたら、恥ずかしがっていた自分が馬鹿らしくなってきた。ホワイトクリームがたっぷりとかかったチキンをナイフで切り分けると、美味そうな肉汁がこぼれ出てきた。思わず喉が鳴る。

「望月くんたちはいつも家で料理してるの?」

 里見が訊いてきた。

「一課にきてからは簡単なものしか作ってないですね。牛丼とか炒飯とか。両親が共働きだったんで半ば強制的に自炊させられたんです。その甲斐あってか大抵のものは作れるようになりました」

 猪又は添えられていたレタスをバリバリと頬張りながら、「すげぇな。俺、食べるの専門だぞ。今も、おふくろさん働いてんのか?」

「俺や親父よりも忙しそうにしてるよ。本人曰く、天職らしい」

 俺は家族の中で一番血色がよく、毎日満ち足りた表情をしている母親の顔を思い出す。

「刑事のお前よりも忙しいのか?」夏目が苦笑し、「どんな仕事してるんだ?」

「小学校の校長」

「なるほど、そりゃ大変そうだ。じゃあ、親父さんは何してんだ?」

「中学校の校長」

「……お前の家はなんなんだ」

 猪又が突っ込みを入れる。

「俺に言うなよ」俺は溜め息をつき、「出会いがないから教員同士が結婚するのは普通なんじゃねぇの? 親の馴れ初めなんか知るかよ」

「いや、そうじゃなくて」

「ご両親と同じ教員は目指さなかったの?」と里見。

「俺が教師になったらマズイでしょう」

 俺は里見に向かって苦笑した。

「あら。結構、向いてると思うわよ」

 里見が頬杖をつきながら微笑んだ。

 そうだろうか。学生時代の教師たちの姿を思い出すと、とても俺には真似できないと思うのだが。でも里見にそう言われると悪い気はしない。

「あー、美味かった。やっぱりコレにして正解だ」

 猪又がそう言って腹をさすった。食べ終えるのが相変わらず早い、と思ったら隣の夏目も食べ終えていた。どんだけ腹減ってたんだ。

「で、うちの課長と喧嘩したんだって?」

 ナプキンで口許を拭いながら、夏目が訊いてきた。

「してねぇよ」

「じゃあ、何したんだ?」

 今度は猪又が尋ねてきた。どうやら飯島から詳しい話を聞いてはいないらしい。俺は最後のチキンひと切れを口に放り込み、結城とMichael、そして寺田の書き込みについて猪又たちに手短に説明した。

「……なんだよ、それ」

 猪又が声を上げ、そのまま複雑そうに顔を歪めて黙り込んだ。

「起こるべくして起きた、とも言えるわね」神妙な面持ちの里見が言う。「解釈は十人十色じゅうにんといろだもの」

「……悪意があった場合、どうするんだ?」

 夏目が低く呟く。

「どうもできないわ。その書き込み内容では令状も取れないでしょうから、プロバイダーに情報開示を求めることはできない。警察は為す術がないのよ」

「それを解ってて、やってるってことか?」

「判らないわ。もし解った上でやっているのだとしたら恐ろしく頭の切れる人間ね」

めてどうすんだよ」

 夏目が里見を睨む。

めているようにみえる? どんなに悪意があったとしても解釈は読み手次第なのよ。それをも計算して書き込んでいるのだとしたら――」

 里見はそこで言葉を止め、眉をひそめる。

「もう人じゃなく、悪魔ですよ。なんらかの契機けいきがきっとMichaelにあったはずです。それが判れば、奴を止めることができるかもしれない」

 どこかでMichaelの歯車が狂ったのかもしれない。奴もまた、誰かの悪意に取り込まれたひとりなのだろうか。

 ちょうどそこに、さっきの甲高かんだかい声の店員が食後のコーヒーを持ってやって来た。いったん会話は中断される。さっきまで元気な声を出していた店員は黙々とコーヒーを配ると、さっさと行ってしまった。

「日頃の鬱憤うっぷんを晴らす為に悪意を持って書き込みを始めたのかもしれないぞ。それに、書き込みを拾い出しても何も収穫がなかったらどうするんだ?」

 ずっと黙り込んでいた猪又が口を開いた。

「もちろんそれも考えられるが、現状ではMichaelの書き込みを拾い出すことしかできない。何時いつから書き込みを始めたのか、他のサイトでも書き込みをしていないか、どんなことを書き込んでいたのか、たとえ細かなことでもひとつひとつピースを嵌め込んでいけば見えてくるものが必ずあるはずだ。俺は、自分ができることをするだけだ」

「……そうだな」

 ブラック派の猪又がコーヒーに砂糖を入れながら呟いた。

 疲れているのだろう。そういう自分も普段は入れない砂糖とミルクを入れている。今日一日、色々なことがあり過ぎた。

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