第36話
「お前たちはそう言うが、相手が誰かも判らないのにMichaelはどうやってその相手の行動を確かめるというんだ?」と小林。
「次の書き込みがつかない時点で、なんらかのアクションが行われたと予想はできます。それに事件が起きればその概容をマスコミが報道するので、それを見ればある程度の見当をつけることはできます。容疑者のネットへの書き込みがマスコミで流れることも最近では珍しくありません。相手の行動を確かめることは、そう難しいことではないと思います」
「意味が解らん! もしそれが本当なら、そいつは何が目的でそんなことをするんだ?!」
飯島が怒鳴り声を上げた。理解の
「私にも判りません」
俺がそう答えると、飯島が舌打ちをした。
「お前たちは本当にこんな馬鹿げた話を信じているのか?!」
「信じるも何も、何人もの人間がMichaelとやり取りをした直後に罪を犯しています。これは事実です」
落ち着いた口調で田村が言う。
「だからなんだと言うんだ! こんな、こんな馬鹿な話があるか!」
飯島が小林の机に拳を振り下ろした。室内が静まり返る。頬を
「落ち着け、飯島」小林は
「はい。そのこともよく理解した上で、Michaelはこのコメントを書いているのだと思います」
「善意のコメントとは思えないか?」
「……正直に言えば、自分も初めは信じてはいませんでした。しかし結城さんから話を聞くにつれ、もしかしたら、と思うようになりました。少しでも疑いがあるのなら調べるべきだと思います。ネット上にあるMichaelの書き込みを拾い出せば何か判るかもしれません」
Michaelがこんなことを始めたきっかけやその手がかりがネット上に残っているかもしれない。それに、結城の思い違いだと判れば彼自身救われるのではないか。……それとも余計に絶望するだろうか。自分自身に。
「お前たちは捜査に戻れ。このことは一応、考慮に入れておく」
小林はそう言って話を終わらせた。すべては上の人間が決めることだ。小林に託し、俺たちは捜査に戻るしかない。歯がゆい思いの中、廊下に出るとコンビニ袋を手に
「飯島課長相手に随分と頑張ってたな」間宮はニヤリと笑い、コンビニ袋を俺に手渡してきた。「すまんが藤さんたちに渡してくれ。陣中見舞いだ」
中を覗くと栄養ドリンクが数本入っている。
「解りました。午後の捜査会議の前に渡しておきます」
「篠にはやるなよ」
俺は顔を
「難しいこと言わないで下さい。そんなこと無理ですよ」
間宮は鼻を鳴らし、「アイツはアドレナリンを自在に分泌できるからいらねぇんだ。絶対にやるなよ」
そんな馬鹿な。呆れる俺に、「藤さんには迷惑かけるなよ」と自分を棚に上げた発言をする。あんまりではないか。藤堂以外に篠原を抑えられる人間なんていないのに。
「試練だ」
「なんの試練ですか」
本気で渡したくなくなってきた。面倒だから篠原の分を買って帰ろうか。そんなことを考えていると、「篠の分を買って帰ろうなんて考えるなよ」と間宮がすかさず言ってきた。なんでこんな時だけ鋭いんだ、この人は。
「解りました」
藤堂さんに渡しておきます、と心の中で付け加える。
「お前らも頑張れよ」
そう言って、間宮は部屋に入っていった。面倒なものを託されてしまった。
「行くぞ」
我関せず、とばかりに田村が歩き出した。
俺は大きく溜め息をつく。これから聞き込みに向かうのだ。気持ちを切り替えていかなければ。俺たちは足早に地下駐車場へ向かった。
地上に出ると、体を丸めて忙しなく道を行き交う人々の姿が目に入る。官庁街だからではあるが、ホワイトデーを間近に控え、華やかに飾りつけられたイルミネーションで賑わいを見せている
俺たちは相も変わらず殺人犯を追っている。しかもMichaelという何を企んでいるのか判らない人間まで出てくる始末だ。だが、忙しいのは皆同じか。
「事故るなよ」
「うるさいな。俺はゴールド免許だっつーの」
「事故は予期せず起こるものだ。ゴールド免許がなんの役に立つ。
俺は肩を
「それにしても寺田があんな書き込みをしていたのは驚きだったな」
多くの人が目にするネット上に、いくら追いつめられていたとはいえ自分の行った犯罪についての相談をする神経が理解できなかった。
「寺田に少しでも理性が残っていれば、それがどれほど愚かな行為なのか判断できたはずだ」
「根っからの悪人ではなかったのかもな」
「さぁな」
田村は窓の外を眺めながら素っ気なく答えた。
寺田の書き込みにMichaelからのコメントがつかなければ、寺田は殺されることはなかったかもしれない。けれどMichaelと同じようなコメントを誰かが書き込む可能性は十分にあった。Michaelの使った言葉は自殺を止めるには最も有効な言葉だったからだ。
――人は普段、表情や
結城の言葉を思い出す。話し手の意思や感情が取り除かれた文字という記号だけが送られ、解釈は受け手に託される。ネットで
膨大な文字が
それに気づいた時、今まで身近にあったネットの世界が初めて怖いと感じた。
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