第33話
空一面に
――
「大丈夫? 顔色悪いわよ。昨日、ほとんど寝てないんでしょう?」里見が心配そうに若林の顔を覗き込んできた。「そのポリシーも考えものね」
「
里見が苦笑する。
女性が運転するのに異議はないが、一緒にいる女性が隣で足を広げて運転する姿をあまり見るのは好きではない。だから自分といる時は女性には助手席に座ってもらうことにしている。
里見のことは女性としてではなく同僚として見ているが、これだけは譲れない。それに運転していた方が余計なことを考えなくてすむ。特に今は――
「珍しいわね、若林くんがそんな顔するなんて」
「そんなひどい顔してるか?」若林は左手で頬を
「やるべきことをやりましょう。結局、すべてはそこに繋がっているんだから」
里見が若林に微笑みかける。その意味深な笑みに若林は肩を
「相変わらず鋭いな。里見は人の心でも読めるのか?」
前から思っていたことを口にする。疲れているのだろう。考えなしに思っていることを口に出してしまうなんてかなり重症だ。それとも考えることから逃げているのか。
里見はくすくすと肩を揺らして笑いながら、「そんな訳ないでしょ。若林くんとは長いから少しだけ解るのよ。同じ刑事だもの」
「そうだな。やっぱり疲れてるな、俺」
「運転、代わろうか?」
「いや、いい」
頑固ね、と里見に笑われた。
市内の基幹路線である空港線から
屋敷と言うと
武家屋敷のような重厚な門構えの入口前に立つと、若林はインターホンを鳴らす。少しして「なんの用でしょう」と馨の凛とした声がスピーカーから響いた。
「愛知県警の若林です。事件のことで確認したいことがあるので少しよろしいでしょうか?」
「またですか」
うんざりした馨の声が響く。
「何度も申し訳ありません。ご協力お願いします」
しばらくして重々しい音を立てながら門が自動で開き、若林と里見は慣れた様子で敷地内へと入っていく。
「何度も失礼いたします」
若林が会釈をすると馨は背を向け、「どうぞ」と家の中へ
「早速ですが」
若林が話をしかけた時、馨が「それよりも」と口を挟んだ。
「犯人である水島を何故捕まえないで野放しにしているのですか?」
始まった。いつもの馨の手だ。こちらが本題に入る前に、必ず
「彼にはアリバイがありました。昨日、それを証言する目撃者が現れました」
「しかし、その目撃者が共犯という可能性だってありますよね。今頃、のこのこと証言するなんておかしいでしょう? ちゃんと調べていただかないと困りますよ」
「私たちも所得に応じた税金は納めていますよ。捜査は全力を尽くして行っております。事件の早期解決の為にもご協力お願いします」
馨の挑発的な言葉を若林はやんわりと受け流す。その若林の態度が気に入らなかったのか馨は目を細め、鼻で笑った。
「まぁ、ぬけぬけと。私が
「警察はすべての関係者について捜査を行っております。その結果、水島さんが犯人ではないことが判明しました。今日は、佐伯さんにお尋ねしたいことがあってこちらに伺わせていただきました」
「なんでしょう?
「解りました。では、
馨はあからさまに不快感を
「失礼なことを。美奈が殺された原因が私にあると言うの?」
「いいえ、そんなことは言っておりません。先ほども申しましたが関係者の捜査を行うのが我々の仕事です。それは家族も例外ではありません。不愉快な思いをさせて申し訳ありませんが、ご了承下さい」
「本当に、不愉快だわ」
馨は
「申し訳ありません。捜査をする上で必要なことですのでご理解のほどお願いします」
「ふん」馨は鼻を鳴らし、「美奈は
「心当たりはないと?」
「ええ。私、平和主義者ですのよ」馨が
若林は口を開きかけたが諦めたように小さく息をついた。こうなると何を言っても無駄なのはこれまでの捜査で経験済みだった。今日はどうも機嫌が悪いようだ。これ以上、馨の態度を
若林は奥に顔を向け、「どなたかいらっしゃるんですか?」と馨に尋ねた。
機嫌が悪かったのは来客中だったからだろうか。すると、「田上ですよ。この時期、何かと忙しいんですよ。もうこれっきりにしてもらいたいわ」とうんざりしたように馨が言った。
「捜査の為ですのでご理解下さい。できれば田上弁護士にもお話を伺いたいのですが」
馨はキッと若林を睨みつけ、「今、忙しいと言いましたでしょ? あなた方の相手をしている暇はないんです」と不愉快そうに答えた。
若林は眉を
「それを理由になんらかの救済措置を取っていただけるのなら、いくらでも時間を割きましょう。けれど、そんなことできませんよね。被害者遺族だろうがなんだろうが誰も待ってはくれないんですから。ひどいと思われようが、私も生活の為にやらなければいけないことをしているだけです。――あなた方だってご存じでしょう? この国の司法制度が、最も守られるべきはずの被害者やその遺族よりも犯罪者の人権に重きを置いていることを」馨は冷ややかな眼差しを若林たちに向ける。
「お帰り下さい」
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