第27話

 修平たちと別れ、捜査本部に戻るとガランとした講堂内に篠原がひとりいるだけだった。厳しい顔で報告書に目を通しながら短くなった煙草をくわえている。

「おう、ご苦労さん」

 若林に気づいた篠原はくわえていた煙草を灰皿にじ込んだ。がらの山ができた灰皿からいくつかがらが机に崩れ落ちたが、そんなことはお構いなしに篠原は肩をほぐしながら風呂にかるオヤジのような声を漏らした。

「遅くなってすみません」若林はコートを脱ぎながら、「藤堂さんたちは?」

「買い出し」

 篠原が短く答えた。

 いつもの出前にも飽きたのだろう。言ってくれれば途中で買ってきたのに。まぁ、息抜きも兼ねて外に出たのかもしれない。これから長い夜が始まるのだから。

「望月たちは?」

 篠原が眉間みけんみながら訊いてきた。

「先に帰しました」

「そうか。あいつらも結構いい線いってたんだがな。で、その中野って奴は大丈夫なのか?」

 若林は頷く。

 篠原は頭を掻きながら、「質実剛健しつじつごうけんと言われた日本男児は絶滅危惧種ぜつめつきぐしゅにでもなったのかねぇ」と渋面じゅうめんになった。

「少なくはなりましたね」

 若林は苦笑する。篠原は煙草を取り出しながら、「なげかわしいな」と首を振った。

「まぁ、水島に関してはお前に任せる」

「はい」

 篠原は肘をつくとニヤリと若林に笑いかけた。面白い遊びを考えついた子供――なんて可愛いものではなくガキ大将の悪戯坊主いたずらぼうず――のたのしげな顔に似ている。よく間宮をからかう時に篠原はこんな顔をする。

「あの、何か誤解してませんか?」

「大丈夫、大丈夫。俺は理解ある上司だから。世の中いろんな人がいるさねぇ」

 篠原は意地悪くそう言うと新しい煙草を口にくわえた。

「誤解してるじゃないですか。俺のことどう認識してるんですか」

「ん? タラシだろ?」

「……まぁ、そうですけど」若林は溜め息を漏らす。「どんだけ見境みさかいない男と思われてるんですか、俺」

 篠原が、ふふんと鼻を鳴らす。

「解ってるさ」

「ならいいんですけど」

 若林は椅子に腰かけ、やれやれ、とネクタイの結び目に指をかけた。

「お前にとっても区切りをつけるいい機会かもな」

 そう言って篠原が煙草に火をつける。若林は黙ったままネクタイを緩めた。篠原は煙草をくわえたまま、唇の端から煙をゆっくりと吐き出した。

「同じことを繰り返すなよ」

「解っています」

 目を伏せたまま若林は答える。

 帰り際、現場に行っていたことを水島に注意すると彼は不服そうな表情を浮かべた。犯人を捕まえられないでいる警察に対して不満があるのだろう。

「ただいま戻りました」陣内がコンビニ袋を手にげて戻ってきた。「ああ、若。帰ってたんだ」

「ついさっき戻ってきました」

「なんか大変だったみたいだな」

 陣内が机の上に弁当を広げながら訊いてきた。若林は、「ええ、さすがに疲れました」と答えながら視線はコートを脱ぐ藤堂の背中に向いていた。

 ――自分だけなのだろうか。未だ胸の奥深くに、しこりとして残っているのは。

「若、何食べる? 腹が減っては戦はできぬってな。今のうちに食っとけよ」

 ちゃっかり一番美味そうなトンカツ弁当を手に取る地蔵顔の陣内が言った。ハッと我に返り、若林は前髪を掻き上げながら溜め息をつく。今は感傷かんしょうひたっている場合ではない。目の前の事件に集中しなければ。

「いただきます。ところで笹島警部は一緒じゃなかったんですか?」

 手前にある生姜焼き弁当を手に取りながら尋ねると篠原が煙草をふかしながら、「さっきカミさんが弁当持ってきたからどっかで食ってるだろ」と無愛想ぶあいそに答えた。

「いいですねぇ、愛妻弁当ですか」

「ふん、コンビニ弁当と大差ねぇだろ」

 篠原がより一層無愛想いっそうぶあいそに答えた。捜査が難航なんこうしているから機嫌が悪いのか、と思っていると牛丼を手に取る藤堂が苦笑した。

「篠さん、まだ根に持ってるのか?」

「ちげぇよ」

 バツが悪そうに篠原は煙草を灰皿にじ込んだ。

 そういえば、元警官の笹島の奥さんを千種署ちくさしょ時代に篠原と笹島が取り合った、と前に間宮まみやが笑いながら話していたことがあったっけ。若林が生姜焼きを頬張ほおばりながらそんなことを思い出していると、「なんか文句あるか、若」と篠原が睨んできた。読心術どくしんじゅつでも備えているのか、この人は。

「いいえ、まったく」

 肩をすくめながら、若林は答えた。

 皆が弁当を食べ終えた頃、笹島が戻ってきた。奥さんは既に帰ったようだ。

「笹やんも戻ってきたことだし、始めるか」

 大きく息をつくと、篠原は煙草を灰皿――吸いがらの山で隠れてしまっているが――にじ込んだ。

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