第25話

「どうした?」

 若林が立ち上がり水島のもとへ向かう。

「あ、いえ。最近、よくアパートの近くで見かける人なんですけど」

 水島がドアを開けるのを躊躇ためらっている。

「知っている人?」

 水島は「いいえ」と首を振る。若林が「出よう」と言い、水島をかばうようにドアの前に立った。俺たちも玄関に向かう。

 ドアを開けると、緊張した面持ちの二十歳くらいの男が立っていた。スウェット姿にボサボサの髪の毛という格好からすると深夜の求愛者でもあるまい。いや、そもそも水島は男だから求愛者ではないか。……疲れてるな、俺。

「何か用ですか?」

 警戒する若林を男はギロリと睨みつけた。真っ赤に充血した男の双眸そうぼうが若林をとらえたまま離さない。尋常じんじょうではない男の雰囲気に俺も田村も身構える。

「俺があの女を殺した」

 男が言った。

 突然の来訪者による思わぬ告白。俺たちの間に緊張が走る。水島を見ると、口許を手でおおったまま固まっていた。男はそんな水島を一瞥いちべつすると再び若林を威嚇いかくするように睨みつけた。

「俺があのピアニストを殺したんだよ」

 さっきよりも低い声で男が言った。

「君は、確か中野さんですよね」

 若林がそう男に尋ねると男は無言でうなずいた。どうやら彼は、若林が以前に聞き込みをした近隣の住人のようだ。

「何故、ここに?」と若林。

「何故って……あんたがこの部屋に入っていくのを見たからだよ」

「どこから私たちの姿を見ていたのですか?」

「それは……部屋の窓から」

 中野の声が急に小さくなる。

「窓から何を見ていたのですか?」

「……別に。ただ、外を見たらあんたがいたから」中野はそう言うと若林をキッと睨みつけ、「そんなの関係ねぇだろ! 早く俺を捕まえろよ!」

「そうですか。では何故、罪を認める気になったのですか? わざわざこんな時間に、ここで言うことではないと思いますが」

 若林は中野の恫喝どうかつひるむことなく質問を続ける。

「それは」

 中野は口ごもる。

「確か前に聞き込みをした時、あなたは家にいたとご家族の方も証言されてましたよね」

「家族の証言なんて警察はアリバイとして認めないんだろ? 内緒で家から抜け出したんだよっ」

「何故?」

 質問をよどみなくたたみかける若林に、中野は額にうっすらと脂汗あぶらあせを浮かべる。

「そんなの……あの女を殺す為に決まってんだろ!」

 じっと二人のやり取りを聞いていた水島が、びくりと肩を震わせ中野を睨みつけた。今にも中野に掴みかかりそうな水島を俺は二人から引き離した。不満そうに俺を見上げる水島に無言で首を振る。

 若林は少し考えてから、「凶器は?」と中野に尋ねた。

「は?」

「凶器はなんだと訊いているんだ」

「え、と……動顛どうてんしていて、その、覚えてない」

 中野は視線を泳がせながら、しどろもどろに答えた。

「だが、凶器を持ち出しただろう?」

 若林の鋭い視線に中野はたじろぎ、一歩後ずさる。

「今、どこにある?」

「す、捨てた」

「場所は?」

「……竹林に」

 中野は若林から逃げるように目をらす。

 厳しい眼差しで中野を見つめていた若林が、「君は殺人犯になりたいのか?」とこれまでになく静かな口調で尋ねた。その途端、中野の顔色が変わり、ガックリと肩を落とした。

 水島は訳が解らない様子で再び俺を見上げる。俺がうなずくと彼は失望したように顔を歪めた。

「何故、嘘をついたんだ?」

 若林が問いただすと、うな垂れていた中野は泣きそうな顔で水島を見つめ、「……彼女を守りたくて」と消え入りそうな声で言った。

 俺は隣で唇を噛み締めている水島を盗み見る。

 目立たないように暮らしてきたこともあるのだろうが、学費と生活費を稼ぐ為にアルバイトに日々明け暮れていた水島は、美奈同様、近隣住人との交流がなかった。その為、ここ一帯の住人は彼の容姿から彼を女だと勘違いしていた。中野も、その一人だったのだろう。

 それにしても、恋は盲目とはよく言うが殺人の罪をかぶろうとするなんていったい何を考えているのか。しかもその行為によって水島の悲しみが増すことに気づいてもいない。俺は表情をなくして立ち尽くしている中野を見つめ、吐息をついた。

「どうして、この子が犯人だと思ったんだ?」

 さっきよりもソフトな口調で若林は中野に問いかける。

「窓から……見ていたから」

「何を?」

「彼女を」

「毎日?」

 中野は小さくうなずいた。

「あの夜、青ざめた顔で彼女が家に帰ってきて……」

「あの夜とは事件のあった夜だね?」

 中野はうなずく。

「それは何時頃?」

「……午後十一時十八分。気になって時計を確認したんだ。それからしばらくして火事騒ぎがあって……彼女があの家によく出入りしてたの知ってたから」

「この子が犯人ではないかと思ったんだね?」

 中野は力なく頷いた。

「翌朝、彼女が思いつめた顔で出かけていくから俺心配になって……」

「この子のあとをつけた?」

 中野は頷く。

「警察に入って……すぐ出てきたけど、刑事さんたちよく彼女のところに来るし……今日も……」中野は申し訳なさそうに水島を見ると、「守れなくて、ごめん」

 水島は困惑した表情で中野を見つめている。

「君のやろうとしたことは、守るとは言わないんだよ」若林がたしなめるように言う。「本当にこの子のことを想っているのなら、君は自首を勧めるべきだったんだ。身代わりになろうなんて考えは論外だ」

 中野は泣き出しそうな顔で、「すみませんでした。俺、刑事さんたちが家にきた時に彼女のこと隠してました」と言った。

「君のその証言でこの子を守ることができたんだ。もっと早くに言うべきだった」

 若林が厳しい口調でそう言うと中野は顔を上げ、「そ、うなんですか?」と絶句ぜっくした。そして水島に顔を向け、「君を守りたかったのに……ごめんな」と声を震わせながら謝った。

 水島は何も言わず、小さく頷いた。

 結局、この突然の闖入者ちんにゅうしゃにより水島のアリバイは証明され、再び事件はふり出しに戻った。中野に関しては若林に任せ、俺は事件について考えをめぐらせる。普段しない化粧をしていた美奈。水島が言うように、馨に内緒で交際していた男がいたということなのだろうか。

「ごめん。君の自転車を盗んだの、俺なんだ」

 新たな中野の懺悔ざんげの告白に、俺は思考を中断させる。

「声をかけるチャンスを作りたかったんだ。でも、アパートの前まで行くとなかなか声をかけられなくて……すみませんでした」

 頭を深々と下げる中野に、お前は中学生か、と突っ込みそうになる。窓から覗いたり、自転車を盗んだり……もっと健全な行動はできなかったのか。身代わりになろうとするくらいの度胸があるのなら、水島に自分の気持ちを伝えることだってできただろうに。撃沈げきちん必至ひっしだが。

 田村を見ると、既に中野に興味を失っているらしく何か他のことを考え込んでいる様子だった。彼もまた美奈の恋人の存在について考えているのだろう。

 若林は、そっと中野の肩に手を置く。

「自転車の窃盗せっとうについては明日近くの交番に出頭しなさい。どんな理由があろうと罪は罪だ。自分のやったことに責任を持ちなさい。いいね?」

 中野は「はい」と小さく呟いた。

「あと言い難いんだけどね。――この子、男性なんだ」

 若林の言葉に、中野は「え?」と間の抜けた顔で若林を見上げた。慌てて水島に顔を向けると水島は申し訳なさそうに無言で頷く。

「そ、んな……」

 中野は後ずさりしながら壊れたように笑い出し、「嘘だっ!」と叫び声を上げると頭を抱えてその場に座り込んでしまった。


「結局、ふり出しに戻りましたね」

 俺はステアリングを握りながら後部席の若林に声をかける。

 あのあと、中野は若林と水島に介抱されながら茫然自失ぼうぜんじしつ状態で家へと戻っていった。ストーカー行為についても若林から注意されていたが、彼の耳に届いていたかどうか。このことが彼の中でトラウマにならなければいいが。

「そうだな」若林は肩をさすりながらシートにもたれ掛かり、「それで、お前は水島の話をどう思ってるんだ?」

 俺はうなり声を上げ、「これまでの捜査でも美奈に恋人がいたなんて報告されてませんし……」と言葉を濁した。

 厳しく管理されている中で恋人をつくる機会が美奈にあっただろうか、とずっと疑問に思っていた。それに恋人がいたというのなら、何故その男は馨から美奈を守ろうとしなかったのか。

「だよな。だが調べてみる価値はある。あの場では言わなかったが、女性が化粧をして身だしなみを整えるのは何も異性に会う為だけとは限らない。むしろ同性相手の方が気を使うものだ。だから恋人だと性急せいきゅうに結論を出すべきではないな」

 若林が言うと妙に説得力がある。

「女の可能性もある、ということですか?」

「あの馨に内緒で恋人を作るのは至難しなんの業だと思うよ。修平たちも一度、彼女に会って胃を痛めてみるといいんだ。俺と里見がどれほど苦労しているか」

 ぼやきに変わった。聞き込みが得意な若林がこれほど苦労しているのだから、相当大変なのだろう。彼女の相手も。

「遠慮しておきます」

「即答かい。お前ら可愛くない」

「可愛いくなくて結構です。ではあの夜、美奈の家に約束をしていた客が来たってことでしょうか?」

「そうだな。事前に約束をしていたのか、それとも当日に会う約束をしたのか。美奈の携帯と固定電話のどちらとも当日の発着信の記録はなかった。というより、記録のある日のほうが少なかったな。となると、どこかで事前に約束をしていたのかもしれない」

 聞いていてなんだか悲しくなった。誰からも連絡のない日々。彼女は独りきりのあの家で、どう過ごしていたのだろう。

「今夜は長い夜になりそうだ」

 若林がネクタイを緩めながら気怠けだるそうに言うと目を閉じた。俺は運転に集中することにする。助手席の田村は、じっと窓の外を眺めたまま黙っていた。

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