第24話

 ――やっと着いた。

 息を切らしながら自転車のハンドルに上体を預け、大きく息をついた。体力には自信があったはずなのに太腿が筋肉疲労を起こしている。膝が笑うというのはこういうことか。

「行くぞ」

 自転車から飛び降りると田村は若林たちが乗っている車の方へ歩いていく。

 俺は溜め息を漏らし、ふらつきながら自転車から降りた。

 そりゃ、お前はいいよな。うしろに乗っていただけなんだから。

 俺は若林たちの乗った自分の車に自転車を横付けし、運転席の窓ガラスを叩くと若林が不満そうな顔をしながらドアを開けた。

「今、いいとこだったのに。タイミング悪いよ、君ら」

「い、いいとこって、若さん?!」

 思わず声を張り上げる。俺の車で何してるんだ。

「……修平、落ち着け。お前は俺を誤解してるぞ」

「はは、そうですよね。すんません」

 若林が呆れた様子で溜め息をついた。

「水島くんが事件のことで思い出したことがあるんだって」

「何をですか?」

 田村が尋ねる。

「それを彼が言おうとした時に、お前たちが来たんだよ」

 なるほど、そういうことか。ホッと胸を撫で下ろす。俺は若林をどう認識しているんだか。――それにしても、水島はいったい何を思い出したのだろうか。視線を向けると、ちょうど目が合った。水島は車から降りると、くじいた足をかばいながら俺たちに駆け寄る。

「あの、自転車ありがとうございました」

「仕事ですから。気にしないで下さい」

 俺はそう言って小さな水島のてのひらに自転車の鍵を置いた。これだけのやり取りなのに何故だか照れる。

「あの、よかったら家に上がって下さい。ここだと寒いですから」

 水島がおずおずと提案する。

 確かに寒い。自転車をいで体が温まっていたはずなのに、もう既に寒さで手足が冷たくなっていた。俺たちは水島の提案に賛同し、彼の部屋へ向かうことにする。

「ところで、二人乗りしてきたのか? 道交法違反だぞ」

 アパートの階段を上りながら若林が小言を言う。

「田村が勝手に自転車に乗ってきたんですよ。俺がジャンケンに勝ったのに」

「勝ったお前が田村を運んできたのか? ジャンケンした意味ないじゃないか」

 若林が愉快そうに笑った。なんで田村には何も言わなんだ。傷つくぞ。

「ほんとですよ。しかも勝った奴が自転車をぐんだろって屁理屈へりくつまで言うんですよ、アイツ」

 田村を睨むが無視された。隣の若林は、くっくっと肩を揺らして笑っている。……今日は厄日だ。俺は肩をさすりながら大きく息をついた。

「狭いですけど、どうぞ」

 水島は部屋のドアを開け、俺たちを招き入れた。

 彼の部屋は顔に似合わず、こざっぱりとしたシンプルなものだった。掃除もきちんとしているようで綺麗に物が整理整頓されている。几帳面な性格がうかがわれた。

 部屋の片隅に置いてある棚の上にはノート型パソコンが置かれており、その隣に位牌いはいと母親らしき女性の写真が置いてあった。オフホワイトのワンピース姿の水島によく似た綺麗な女性が、穏やかな笑顔でこちらを見ている。その隣には美奈の写真が載っているコンサートのパンフレットが並べて置いてあった。美奈の写真が他になかったのだろう。

「今、お茶を出します」

 食器棚に手をかける水島に、「お茶はいいよ。俺たち客じゃないから気にしないで。時間も時間だし、さっきの続きをいいかな?」と若林はやんわりと断り、話の続きをうながした。

 俺たちは小さなテーブルを取り囲むように座り、若林の向かいに水島は腰を下ろした。

「あれからずっと事件について考えていました。何か見逃していることはないかと思って。それで思い出したんです。――あの夜、倒れていた姉が化粧をしていたことを」

「化粧?」と若林。

 水島は頷いた。

「姉は家にいる時は化粧をしませんでした。もともと化粧自体あまり好きではなかった人なんです。それなのに、あの夜は化粧をしていたんです」

 若林は唇を指でなぞり、「なるほどね」と呟いた。

「それで、どうして現場に?」

「……犯人が来るんじゃないかと思って」

「もしかして、毎日通ってたの?」

 若林の言葉に、水島は小さく頷いた。

「僕の勝手な願望です。恋人なら、後悔してあの場所に戻ってくるんじゃないかと。いえ、来て欲しかったんです」

 水島は目を伏せる。膝の上できつく握られたこぶし小刻こきざみに震えている。若林を横目で見ると、彼はじっと水島の様子を見ていた。田村に視線を移すと、彼も顎に手を当て水島の真意を測るように観察している。俺は再び水島に視線を戻す。

 肩を震わせ小さく身を縮めている水島。まるで寄ってたかって俺たちが彼を苛めているような錯覚を覚え、俺は肩をすくめる。

「美奈さんには恋人はいなかったと聞いているけれど、君は知っていたの?」

 若林が再び質問を始めると、水島は力なく顔を上げて首を振った。

「知りませんでした。きっと隠していたんだと思います。……あの人が許さないから。それに最近様子がおかしかったのも、恋人と何かあったからだと考えると納得がいきます」

 水島の言葉にかぶさるようにインターホンが鳴った。

「誰だろう?」

 水島は首をかしげ、立ち上がる。

 時計を見ると午後十時五十分を指していた。こんな時間にいったい誰が来たのだろうか。若林や田村もいぶかしそうに玄関を見つめている。

 ドアスコープを覗く水島が、「あれ?」と声を漏らした。


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