第11話

 緑署に戻ると、ほとんどの捜査員たちが捜査本部に戻っていた。

 俺たちの報告に篠原は「ふーん」と言って口をへの字に曲げた。まぁ、大した情報を持ち帰ってこなかったのだから渋い顔をされても仕方ない。地取り班の席につき、ひと息ついていると捜査会議が始まった。時計を確認すると午後八時をわずかに過ぎていた。

 まず最初に藤堂が報告を始める。

 焼け跡から押収した遺品――といっても、ほとんど残っているものはなかったが――を確認した弁護士の田上から、ブロンズ像がなくなっているという指摘があった。大学の卒業時、美奈に贈られたものらしい。

 早速、藤堂たちは確認の為に美奈が通っていた大学に行き、ブロンズ像について聞き込みをしてきた。

「大学側の説明によると、ブロンズ像は優秀な卒業生のみに贈呈するそうで多数のコンクールに入賞し、首席卒業生だった被害者にも贈られていました。大学からブロンズ像を借り受けて鑑定をした結果、頭部の傷痕とブロンズ像の形状が一致しました」

 これで凶器は現場から持ち出されたブロンズ像と断定された。

 篠原は続いて若林を指名する。水島について調べてきた若林が立ち上がる。その隣には里見の姿があった。

「水島親子は五年前にあのアパートに越してきたそうです。美奈たちの父親である佐伯秀一の会社に勤めていた水島の母親は、秀一の子供を宿したことで馨の逆鱗げきりんに触れ、会社を辞めざるを得なかったようです。この件が原因で、馨と秀一は絶縁状態になっていました。事件当夜ですが、水島のバイト先であるイタリアンレストランに確認を取ったところ、確かに彼は店の閉店時間である午後十時半までいつもと変わらない様子で働いていたそうです。これは複数の従業員、そして常連客から証言を得ています。彼が店を出たのが午後十時四十分過ぎで、こちらも店長並びに従業員から確認が取れました。ただ、現場を飛び出したあとの彼の足取りは近隣の住人にも聞き込みをしましたが確認できていません。現場から歩いて二十分ほどの場所にある水島のアパートには彼以外に五人の住人がいるのですが、その内の三人は仕事でこの時間帯はいつも不在だそうです。あとの二人も普段から帰りが遅く、事件当夜も家に着いたのは二人とも深夜二時を過ぎていたそうです。それと、住人のひとりが今朝八時頃アパート付近で水島の姿を見ていました。時間的に考えると緑署に向かうところだったと思われます。以上です」

「十分か」

 篠原が呟く。

 水島が山口の車に飛び出すまでの十分弱という空白の時間。その短い時間で人を殺すことができるだろうか。できるかできないかで考えれば、できるのだろう。しかし今回の事件は計画的なものというより衝動的な殺人に近い。とすれば、その十分間に二人の間で殺人に至る何かがあったと考えられる。それを踏まえてもう一度考えてみると、水島に美奈を殺すことは難しいのではないか。

 すると篠原が、「若林、お前はどう思う?」と尋ねた。

「水島の証言には一応の整合があります。今のところ彼に美奈を殺害する動機もないですし、衝動的な犯行だとした場合、十分弱という短い時間で犯行が行えたかどうか疑問です」

 若林は俺と同じ考えを口にした。篠原は額を人差し指で掻きながら息をついた。

「今日の馨を見る限り、水島の証言もあながち嘘でもなさそうだしな」

 笹島は無言で頷く。二人とも苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。今朝のことを思い出しているのだろう。

 緑署に来た馨は、美奈の遺体と対面することも押収した遺品を確認することも拒否したらしい。結局、弁護士の田上が押収品を確認し、ブロンズ像がなくなっていることを指摘したのだ。その時も馨は興味なさそうに「そんなのあったかしら。まぁ、田上がそう言うのならあったのでしょう」と言ったそうだ。

 彼女にとって興味があるのは名誉や名声だけで、記念品や賞状などの物には関心がないようだ。その中には美奈も入っていたのかもしれない。さすがの篠原たちも美奈に同情したようだった。

「あの弁護士も大変だな」

 篠原が独り言のように呟くと笹島が大きく頷いた。

 田上は父親の代から佐伯家の顧問弁護士をしているらしい。さぞ苦労しているのだろう。篠原の声のニュアンスから彼への憐憫れんびんの情が感じ取れた。

「若林、ご苦労さん。次、報告してくれ」

 山口について調べてきた捜査員が立ち上がる。

 聞き込みの結果、山口の証言通り彼は事故直前の午後十時半まで同僚と食事をしていたのを店の従業員が覚えていた。事故処理後も迎えにきた彼女の車に乗って帰宅している。山口と美奈やその関係者との接点も見つからず、やはり彼は事件には無関係だったようだ。

 続いて、証拠班――遺留品捜査担当――の捜査員からの報告が始まる。

 美奈の寝室にあったパソコンは損傷が激しく、パソコン内の情報を取り出すことはできなかったようだ。明日にでも令状を申請し、プロバイダーに情報開示請求をするとのことだった。

 篠原が頷くと、次に妹の所在を追っていた捜査員が立ち上がる。

 捜査員の口から、妹の佐伯美和が半月前の一月三十日にドイツから帰国していたことが報告されると、室内が騒ついた。

 美和は十年前にドイツに入国しており、その間ドイツから一度も出国していない。つまり十年ぶりに彼女は日本に帰国したことになる。何故、突然日本に帰ってきたのか。もちろん偶然ではないだろう。

「半月前か。まだ美和の空港からの足取りは確認できてないんだよな?」

 篠原が尋ねると捜査員は、「残念ながら今日の捜査では確認できていません。現在、鉄道各社の監視カメラの画像解析を行っています。タクシー協会には、美和の現在の写真がないので、一応、佐伯美奈の写真を配布してあります。近日中には足取りが判ると思います」と告げた。

 篠原は満足そうに頷く。

 そして次に、双子の学生時代の友人たちの証言が報告された。

 大学まで同じだった双子ではあったが共通する友人はいなかったようだ。

 多数のコンクールに入賞をして注目を浴びていた美奈は、在学中ほとんど練習室にこもりっぱなしだったという。無口で大人しい性格の美奈が唯一心を開いた人物が、ピアノ科教授であり国内屈指のピアニストでもあった水谷千代子だった。残念ながら彼女は三年前に他界しており、葬儀に参列した美奈はその時ばかりは人目を憚らず声を上げて彼女の死を悼んだという。

 反対に、社交的で人を楽しませるのが上手だった美和の周りにはたくさんの友人がいた。しかしここ十年、美和からの連絡は途絶えていたと友人たちは証言する。

 美奈と美和の仲についてはあまり詳しく知る者はいなかった。どうやら、美和の口から美奈についての話は出ていなかったようだ。

「美奈は家にこもりきりで訪ねてくる者も馨や水島以外いなかった訳か。相当な人嫌いだったのか、それとも馨の影響からなのか。どっちにしろ、交友関係はかなり狭いはずだ。関係者への聞き込みを徹底してくれ。ただし、水島の証言をすべて鵜呑みにする訳にはいかない。不審者情報の聞き込みも今以上に強化するように。いいな!」

 関係者の中に容疑者がいるかもしれないという流れになると、どうしても現場周辺の聞き込みを担当する地取り班の士気が落ちてしまいがちになる。そうさせない為だろう。俺たち地取り班に向かって篠原がげきを飛ばした。

「美和はどうだ?」

 篠原の隣に座る小林が口を挟んだ。

 篠原は小林の方に向き直り、「もちろん捨て置けない存在です。名乗り出てこないのも気になりますし、二人が接触した可能性はかなり高いと思われます。馨の話では、美和は美奈よりも出来が悪かったようです。ピアニストとして活躍する美奈に嫉妬した美和が犯行に及んだとも考えられますが、今の段階ではなんとも言えません。美和の足取りについては捜査員を増やして明日から重点的に調べるつもりです」と答えた。

 小林が頷く。

「よし、みんな御苦労さん。明日も頑張ってくれ」

 捜査会議が終了した。報告書を篠原に提出し、捜査本部から解放される。これから篠原たちデスク陣はひと晩かけて明日の捜査方針を決めるのだ。編成の組み換えも今日の会議の内容からするとあるだろう。

 俺は田村に顔を向ける。

「行くか?」

「行こう」

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