第10話 共闘

「まさか……ワタシの人形botを乗っ取った!?」


 乗っ取っていない。


「お前の人形遊びなど、俺のあるじであるHatchetハチェットには通用しない」


 主ではない。


「この柔軟なるAIの対応……これが、これがZilchジルチ-Zillionジリオンをも上回るハッカーの賜物たまものというのか!?」


 上回っていない。


 内心では嵐のように混乱がもたらされているが、Hatchetハチェット噯気おくびにも出さずに対峙する。


 一体、どうなっているというのか。


 人形遣いPuppet-Masterを名乗る道化師の男に襲われ、

 成り行きでHatchetハチェットは凄腕のハッカーと詐称し、

 思ったよりも好戦的であったPuppetパペット-MasterマスターOreikhalkosオレイカルコス Colossusコロッサスを召喚し、

 そのColossusコロッサスに殺されかけた所を、作った覚えのない自分のハッキングAIが助けに入った。


 嘘から出たまことを目の当たりにし、Hatchetハチェットは内心で困惑する。

 ひとまず状況を把握すべく、Hatchetハチェットは自分のハッキングAIを名乗るbotボットプレイヤーにターゲットを合わせた。

 そのターゲットに対して個人Whisperチャットを開き、推定味方である彼に問いを発信する。


『……あなたは、誰?』


 Hatchetハチェットからの疑問に、すぐさま返信が戻ってきた。


『本来の名前は言えないが、今はSearchサーチ-Matonマトンと呼んでくれ。

 Zilchジルチ-Zillionジリオンをも上回る腕前のCherryチェリー-HatchetハチェットのハッキングAI。とさせてもらおうか』

『えっ……そのセリフ、聞いてたの?』

『ああ。お前の口から聞かせてもらった』


 先程Hatchetハチェットが言い放ったハッタリを、Searchサーチ-Matonマトンと名乗るbotボットプレイヤーが言及する。

 ひるHatchetハチェットの耳に、Searchサーチ-Matonマトンの小声がぽつりと零れた。


『……俺はそんなに有名だったのか?』

『え? 何が?』

『いや、ただの独り言だ』


 取り繕うSearchサーチ-Matonマトンの言葉に、Hatchetハチェットはそれ以上の追及を止めた。今は彼の些細な言動をつつく暇はない。


『とりあえず、フルネームじゃちょっと呼びにくいから、Matonマトンで呼び捨てにさせてもらうわ。

 ――で、あなたの目的は何?』


 正体不明のMatonマトンが自分に味方した理由。

 それを知る為に、Hatchetハチェットは疑問を投げる。


 疑問を受け止めたMatonマトンが明かしたのは、重々しい目的だった。


Fact.leeファクトリーについて追っている。

 俺の推測通りなら、お前はFact.leeファクトリーを使用しているはずだ。違うか?』

『…………』


 Fact.leeファクトリー


 ヴェイン内のアイテムの一つ。

 公式のアイテムリストに載せられていない、秘められた一つ。


 その使用の有無を知られるのは、文字通り死活問題である。

 だが、Fact.leeファクトリーを追って自分を助けたMatonマトンを袖にするのは、地獄に垂らされた蜘蛛の糸を自ら切るようなものだ。


 Hatchetハチェットは渡す情報について逡巡した後、その一部を共有した。


『――ええ、確かに私はFact.leeファクトリーを使用したわ』

『……っ!』


 Hatchetハチェットからの返答を聞いたMatonマトンの様子が、個人Whisperチャット越しからでも分かる。

 わずかに空気が震え、拳が握られたような肉の音。次いで絞り出された声は、喜びを押しこめた、冷静を努める声色。


『……そのFact.leeファクトリーを使用した者は、どのような力を得る?』


 そこまで知っておきながら、現界蝕者ファルシフィエルという単語は出ない。

 Matonマトンの立ち位置を「味方」に固定させるべく、Hatchetハチェットは彼の鼻先に人参情報を提示した。


Fact.leeファクトリーの作用についても、もちろん知っているわ。

 けれど、そこから先はこの戦いを終わらせてからにしましょう。

 何せ今は――』


 言葉を切り、Hatchetハチェットが回避行動を取る。


 ゴガアアアアアッ!


 Hatchetハチェットを殺さんと、Colossusコロッサスがランドストライクを放った。

 Colossusコロッサスの巨体がHatchetハチェットの残影を通り過ぎる。


『――何せ今は、だからねっ!』


 一度でも攻撃に当たれば死ぬ状況下で、Hatchetハチェットは軽口を叩く。


 相手はエンドコンテンツのレイドボスである。レベルカンストの8人がかりでようやく倒せる敵だ。

 それをたった一人で、しかも後方支援に特化したクラス:吟遊詩人バードで倒せる相手ではない。


 敗色濃厚な戦闘ではあるが、その打開策はハッキング技術を持ったMatonマトンしかない。

 Colossusコロッサスの攻撃を回避し続ける、防戦一方のHatchetハチェットは、彼に呼びかける。


『正直に言うわ。わたしはチーターであるPuppetパペット-Masterマスターに対して、何の手立てもない。

 AIであるあなたは、打開策を持ってるのかしら?』

『こちらも正直に言えば、策は無いに等しい状態だ』


 頼りない返答に肩を落としながらも、Hatchetハチェットは対話を続ける。


『同じチーターなら、どうにかする方法はないの?』

『あいにく、今の俺にはハッキングAIがない。

 不幸な事故で火事が起きて、AIを動かすPCが焼失したからな』


 Puppetパペット-Masterマスターbotボットの管理は杜撰ずさんだった。

 ハッキングAIによるサポート無しの、自力のハッキングですら乗っ取れるようなものである。


 しかし――。


『そのハッキングAIっていうのが無い分、こっちの方が不利ってことね』


 Hatchetハチェットが現状を確認する。


『そうだ。botボットのセキュリティはAI無しでも突破できる代物だが、本体のPuppetパペット-Masterマスターのセキュリティレベルはそれよりも高い』

『だとしても――』


 Hatchetハチェットが言葉を切り、目の前の敵の行動に備えた。


 Colossusコロッサスが、激震の予兆として体を震わせる。

 タイミングを見計らい、Hatchetハチェットはスキルを唱える。


跳空エアステアッ!」


 Hatchetハチェットが空中に飛び上がり、数刻後に地面が衝撃に揺さぶられる。

 激震を回避したHatchetハチェットは、Matonマトンへ提案した。


『――botボットを乗っ取ったように、Puppetパペット-Masterマスターを乗っ取ることはできない。そういうことね』

『理解が早くて助かる。

 いずれBANされる使い捨てのbotボットのセキュリティは甘いが、本体のアカウントのセキュリティは当然堅牢だ』

『いずれBANされる、って……それじゃあ、今ログインしているあなたが数分後にでもBANされる可能性もあるの?』


 その指摘に、Matonマトンは否定する。


『今BANされることはまずない。BANされるとしたら9分後だ』


 多くのbotボットは、ヴェインの運営による自動サーチでBANされる。

 自動サーチがかかるのは1時間に1回。今が12時18分で、次のサーチ時間は9分後。その事をMatonマトンは言及していた。


 チートや不正行為の検出を行う運営の自動サーチは、毎時27分にサーチプログラムが走る。

 自動サーチの時間が中途半端な分数なのは、ユーザイベントの開始時間に設定されやすい0分や30分などの区切りの良い時間と被せたくない為である。

 ヴェイン全域に渡る自動サーチは重い処理だ。ユーザイベントと自動サーチが重なれば、ラグが発生する可能性が高い。


『タイムリミットは9分後……その間に、どう対処できるかが勝負ね』

『先ほどアカウントハックを試みたが、やはり駄目だった。向こうのハッキングAIはそれほど高度なものじゃないが、手打ちの俺には酷な仕事だ』


 チャット越しに、小さなため息が聞こえる。

 ため息が伝染しそうになるが、Hatchetハチェットはなおも頭を巡らせる。


『こちらからは、相手に手出しできそうもないの?』

『できることもある。だが、やれるのは無害な手出しだけ――相手に強制的にスキルを使用させることぐらいだな』


 botボット操作用に接続されたPuppetパペット-Masterマスターのコネクションは今でもMatonマトンと繋がっている。

 現在はMatonマトンPuppetパペット-Masterマスター双方から互いにサイバー攻撃をしかけている状態だ。

 こちらからの攻撃は自動的に遮断され、あちらからの攻撃はbotボット端末備えつけのファイアウォールで防いでいる。


 しかし、攻撃以外なら通る。pingは当然として、botボット操作用と思われるスキル使用命令の通信が通ったのは確認できた。


『強制的にスキルを使用させる……それって、例えばWandering bomワンダリング ボムの自爆スキルとかは使わせることは?』


 Hatchetハチェットの知識が、相手に使わせる事で有利になるスキルを引き出す。

 自爆。自身を爆発させ、周囲の敵に大ダメージを与えるスキルである。当然、自爆した当該キャラクターは戦闘不能状態になる。


『敵専用のスキルは使用できない。……ハッキングAIさえあれば使えるんだがな。

 使用させることができるのは、プレイヤー側で使えるスキルだけだ』

使用可能プレイアブルスキルだけなのね……』


 Matonマトンから返却された情報に、Hatchetハチェットは司書となって知識の索引を解く。

 ヴェインで現在実装されているスキルの一覧。その一つ一つの中から、プレイヤーにデメリットを与える効果を絞りこむ。

 反動ダメージ、MP全消費、一定時間後に弱体化バフ付与――いずれも致命には至らず、Hatchetハチェットが捜索を打ち切った。


『……使用させるだけで戦闘不能に追いこむスキルは、仕様上ないわ』

『そうか。……八方塞がりだな』

『でも思いついたことがある』


 スキルの仕様ではどうしようもない事ならば、仕様外でどうにかできないか。

 Hatchetハチェットは、その言葉に続けてアイディアをMatonマトンに共有する。


 MatonマトンHatchetハチェットからのアイディアを飲み下し、ゆっくりと精査し、


『……可能性はある』


 精査した結果を返答した。


『なら、わたしの案で行ってみる?』

『ああ。だが良いのか?

 成功するまで5分はかかる。その間に、持ちこたえられるか?』


 不安げなMatonマトンの物言いに、Hatchetハチェットがちょろりと舌を出す。


『あら、わたしのこと、ただのVヴェインアイドルだと思ってるの?

 わたしのメインクラスは吟遊詩人バード。その吟遊詩人バードPSプレイヤースキルランキングボードを見てみてよ』


 Hatchetハチェットが悪戯げに笑い、自らの誇りをうそぶくく。


『一番上に、わたしの名前があるわ』


     *   *   *


 Cherryチェリー-Hatchetハチェット

 Vヴェインアイドルの名の通り、歌を唄い踊りを躍る可憐なるアバター。

 一般に広まったそのアイドル然とした像もまた、確かに真実。


 しかして。

 彼女がここまで名を上げるに至ったのは、VRMMORPGプレイヤーとしての腕前が為。


 PSプレイヤースキルランキングは、スキルの使用率、網羅率、与えるダメージ量、被ダメージ率、バフ・デバフの貢献度、パーティへの回復量……PSプレイヤースキル算出MODを導入したプレイヤーがランキングサーバにデータを送信し、そのデータの蓄積によって構成される。


 そのランキングの中でも最も重視される平均PSプレイヤースキルの項目。

 クラス:吟遊詩人バードの平均PSプレイヤースキルランキングの上部には、「1st. Cherry-Hatchet」と刻印されていた。


 故に。


侵遮詩アテナ・アンセム!」


 ギィンッ!


 Colossusコロッサスが地面から突き出した石の列柱を、Hatchetハチェットがスキルで軽減する。


 侵遮詩アテナ・アンセム。クラス:シンガー中級支援スキル。被ダメージを短時間だけ90%カットする。

 攻撃に合わせて使う事を想定されたスキル。その敵の攻撃タイミングを見計らい、Hatchetハチェットは的確に侵遮詩アテナ・アンセムを当てはめる。


 HPゲージがわずかに削れ、その度合いを見てHatchetハチェットが次なるスキルを唱える。


大癒詠唱ハイ・キュアリア!」


 クラス:吟遊詩人バード中級回復スキル。周囲のパーティメンバーに徐々に回復させるバフを付与する。

 標準的な回復スキルである聖歌チャントは、オーバーヒールの無駄がある為、リジェネレーション効果の大癒詠唱ハイ・キュアリアを選択した。


 経過時間は、Matonマトンの会話から過ぎて3分。

 ヴェインのトップランカーとしての実力を発揮し、Hatchetハチェットは危なげなくColossusコロッサスをいなしていく。


 最初の激震こそ動揺したが、勘を取り戻せばいつものエンドコンテンツ攻略だ。


 しかし……。


 ――この間に、何の手出しもしてこない。


 Hatchetハチェットが、ちらりと屋上のPuppetパペット-Masterマスターを一瞥する。

 Matonマトンbotボットを乗っ取った際にも、自分とMatonマトンが会話をしている最中にも、そしてこうしてColossusコロッサスと戦っている間にも、あのPuppetパペット-Masterマスターは動こうとしない。

 不穏な雰囲気の中、HatchetハチェットPuppetパペット-Masterマスターへの警戒を向けながらColossusコロッサスと対峙する。


Matonマトン、調子はどう?』


 切断していた個人Whisperチャットを再接続し、HatchetハチェットMatonマトンに話しかける。


『予定通りだ。あと2分弱で終わる』

『そう。Puppetパペット-Masterマスターから、何か手出しはない?』

『最初の方にほんのちょっかいはかけられたが、今は何もない。ジェスチャー入力もせず、ただ立っているだけだ』

『そっちもそうなのね、なら、動向には気をつけておくわ』

『ああ。何か異常があれば報告する』


 互いにPuppetパペット-Masterマスターへの疑念を共有し、HatchetハチェットColossusコロッサスに意識を向き直す。


 ――何か、仕掛けてくる?


 不気味に沈黙するPuppetパペット-Masterマスターに対して、疑心暗鬼が広がっていく。


 ――クラス:トリックスターには遠距離攻撃スキルはない。今も屋上にいるPuppetパペット-Masterマスターからは仕様上手出しはできないはずだ。

 だが相手はチーター。クラスの本来のスキルを改造して手を出す事があり得る敵だ。

 やれるとすれば何なのか? 本来は短い射程距離を引き延ばせるのか、あるいは設置場所を無視して罠を置けるのか、突然ワープしてきて射程範囲内に来るのか――。


Matonマトン、チーターができることは――』


 自分よりも詳しいであろうMatonマトンに呼びかけた直後。


「――ッ!」


 目に入った違和感と共に、直感が足を後退させた。

 刹那。


 バヅィイッ!


 目の前の空間を電流が裂き、視界が紫電の色で満たされる。


電痺罠スタントラップ!」


 踏んだ相手を麻痺の状態異常にさせる、クラス:トリックスターの初級罠設置スキル。

 しかし、Puppetパペット-Masterマスターは未だ屋上で動いていない。罠を設置するにしても、あまりに距離が離れすぎている。


 先程の違和感の正体を知り、Hatchetハチェットが自分の反射神経に感謝した。


『――無事か!? 今までと違う音がしたが……』


 Matonマトンからの心配に、Hatchetハチェットが届かないウインクで返す。


『大丈夫! 回避したわ。でも……正規の挙動じゃないわ。何かのチートを使ってきたのかも』

『……なら、こちらから援護に』

『こっちに労力を割いても、わたしたちの策は時間通りにできる?』

『……いや。できない』

『なら、わたしに任せて。相手がチーターだろうと――』


 Colossusコロッサスからの拳の一撃をステップで避け、Hatchetハチェットが自信満々に続ける。


『――絶対に、生き残ってみせるから!』

『……そうか。なら通信を切る。もうしばらくの辛抱だ』


 プツリ、と個人Whisperチャットが切断され、Hatchetハチェットの胸に不安が去来する。

 Matonマトンに向けて「大丈夫」だとアピールはしたが、それは彼を「やるべき事」に専念させる為。


 スキルの仕様をチートで改竄するようなチーターを相手に、どのような攻撃手法が来るかも分からず戦うのは、あまりにも心細い。

 それでも。


 ――彼が「やるべき事」をやっている以上、自分にも「やるべき事」がある。


 Hatchetハチェットには、「時間稼ぎ」という重大な役割がある。

 Puppetパペット-Masterマスターからのヘイトを稼ぐ為に、脳裏によぎる推理をそのまま言語化した。


Puppetパペット-Masterマスター! あなたのやってることは全部丸っとお見通しよ!

 本来ならば足元にしか設置できないトラップを、屋上から校庭に設置できる理由。それは――あなたがこの場所にいるからよ!」


 言って、Hatchetハチェットが指差したのは――目の前にいる、Colossusコロッサス

 咆哮以外の言葉を発さぬはずのColossusコロッサスだが、その指摘を受けて、仕様外の人語が紡がれた。


「ほう……流石は、流石は名ハッカーのCherryチェリー-Hatchetハチェット!」


 Hatchetハチェットの推理が的中し、彼女は心の中でガッツポーズを取った。

 彼女が持つ、ヴェインに実装されているスキルの知識を重ね合わせ、推理の答えを端的に捉える。


「トリックスターのスキル――体渡りボディ・ウォーカーを使用したのね」


 クラス:道化師トリックスターの中級特殊スキル、体渡りボディ・ウォーカー

 効果は、対象のMOBと操作を入れ替える事。使用できるのは一般MOBに対してだけで、レイドボスなどの強敵判定のMOBに対しては使用できない。


 だが、Puppetパペット-Masterマスターはその体渡りボディ・ウォーカーのスキルの仕様をチートによって書き換え、本来使用不可であるColossusコロッサスに乗り移った。


「見事! 見事な看破でございます!」


 Colossusコロッサス――Puppetパペット-Masterマスターから流暢な賛美を受け、Hatchetハチェットがニヤリと笑う。


「ならば――私の設置したトラップを見破ったのもまた、アナタのハッキングによるものだというのですか?」


 設置トラップは、一般プレイヤーから見れば不可視に近い存在である。

 だが、PvE対MOBだけではなくPvP対人戦にも長じるHatchetハチェットにとって、設置トラップを見破る術は体得している。

 その見破る術は、他プレイヤーでも数えるほどしか習得されていないが――。


「全部終わったら――教えてあげるわ!」


 何十時間ものPvP対人戦の果てに体得できたこの術を、チーター相手に安々と明け渡すつもりはない。


 Hatchetハチェットは校庭を見回した。

 トラップが周囲に敷かれていると知った今、設置状況を確認する。


 前方に一つ。後方右斜めに一つ。左真横に一つ――。

 演舞のように体を動かし、滑らかに安全地帯へと移動した。


「――さあ、あなたの命は、残り1分よ!」

「何っ?」


 レイドボスのタイムテーブルをこなしてきた体感時間を元に、Matonマトンのハッキングが終わるであろう時間を告げた。

 Puppetパペット-Masterマスターの攻撃を自分に向ける事で、Matonマトンへの意識を逸らさせる。


「あと1分で……このワタシを打ち破れると!?」

「もちろんよ」


 できるかどうかも不確定な宣言を、自信満々に言ってのける。

 ハッキングもできない自分には、これが精一杯だ。


「何という、何という技量か!

 アナタの動向をいくら探ろうとも、アナタから発信される全てが、正規の挙動にしか見えない!

 一体そのような状態で、どこからハッキングをしようというのか――楽しみですねぇッ!」


 全く不正のないHatchetハチェットの挙動を前にして、期待しているかのようにPuppetパペット-Masterマスターが唸る。

 同時に、Colossusコロッサスの体を持ったPuppetパペット-Masterマスターが、ランドストライクを放ってきた。


 横に飛んで回避するHatchetハチェット。同時に振り向き、ランドストライク中に罠が新設された事を知る。


 ――囲まれる!


 罠の包囲網を悟り、Hatchetハチェットが更にステップを踏み、罠の設置数が少ないエリアに退避した。


「そのご慧眼――見事!」


 褒め讃えながら、Puppetパペット-Masterマスターがトリックスターのスキルを使用する。


投刃ナイフ・スローイング!」


 クラス:トリックスターの初級中距離攻撃スキル。

 名の通りにナイフを投げて攻撃する。Colossusコロッサスの巨体に似合わぬ小さなナイフが、銀色の煌めきと共に襲いかかる。


「――旅雄騎走ヘルメス・カプリス!」


 クラス:吟遊詩人バードの中級支援スキル。使用した対象は5秒間、単体攻撃スキルを確定回避する。

 使用対象は当然自身。Hatchetハチェットのアバターにナイフが接触する刹那、弾かれるようにナイフがあらぬ方向に曲がった。


(いつものColossusコロッサス戦と違って、トリックスターのスキルが混ぜられるのは、やり辛いわねっ!)


 内心で悪態を吐きつつも、浮かぶ表情には余裕をたたえる。


「30……29……」


 残り時間を口にしながら、はやる気持ちを抑える。

 あとは、Matonマトンに託した策が上手くいくのを祈るのみ。


 不安に曇っていた心に陽光が差してきた。

 正にその時、閃光がはじける。


「なっ――!?」


 既知の攻撃エフェクトがHatchetハチェットの視界に広がり、走る紫電がHatchetハチェットのアバターを捕らえる。

 このスキルは――。


電痺罠スタントラップ!?」

「……その通りでございますな」


 ようやく獲物を捕まえて、Puppetパペット-Masterマスターの声に喜色が滲む。


「わたしの着地地点に……罠はなかったはずよ!?」


 Hatchetハチェットがこれまで罠を感知できたのは、人一倍の観察眼を持つが故。


 大昔のヴェインは、クラス:トリックスターを新実装した際に「見えてる地雷」と呼ばれた仕様がある。

 設置した罠の上には、バフを表す緑の上矢印エフェクトが表示されるという、罠のシステムそのものに喧嘩を売っているような仕様があったのだ。


 その仕様は次のバージョンアップですぐに修正されたのだが、修正したのは目立つ矢印エフェクトを消したのみ。

 実は、その矢印エフェクトに付随する、空間のゆらぎの特殊効果が残っており、それが現在に至るまで仕様として組みこまれているのだ。

 PvP対人戦に慣れた極一部の上級プレイヤーであれば、罠の設置場所はこの「ゆらぎ」によって察知できる。クラス:トリックスターのプレイヤーからは早急な対策が叫ばれているが、感知できるプレイヤーが限られているが為に放置されている。


 そして、その限られている感知可能なプレイヤー、Hatchetハチェットの目には、未だ罠のゆらぎを感知していない。

 だというのに――何故?


「設置場所を工夫したのですよ」


 Colossusコロッサスの巨大な指が、地面を示す。


「罠を設置するたびに、アナタはそれを目で追っていた。

 だから、目で確認できない地下に置いた。設置された罠は、その上部数メートルを横切る敵を感知できる」

「くっ……!」


 心の中でカウントを数え上げるが、Matonマトンの予告した時間まであと20秒。

 ……Colossusコロッサスの攻撃予兆が表示され、スキルを実行するまで、あと3秒。


「間に合わない……!」


 Hatchetハチェットは、絶望に瞑目した。

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