第7話 アバター/肉体

 Hatchetハチェットのライブは22時に終わった。

 予定していたセットリストを全て歌い、アンコールに応え、Hatchetハチェットが頭を下げる。


「みんな、今日はありがとー! それじゃ、またヴェインで会おうねー!」


 努めて明るく笑顔を振りまき、Hatchetハチェットが舞台袖へと引っこんだ。

 誰の視線もない舞台裏へと回り、Hatchetハチェットが宣言する。


「クローズ・ザ・ヴェイン」


 ヴェインからのログアウト。その意味ある言葉により、Hatchetハチェットの視界が切り替わる。


 暗く広い舞台裏から、暗く狭い部屋へ。

 架空の華やかな姿とは裏腹に、部屋に佇むのは普段着の少女が一人。


「…………」


 笑顔の一つも見せないまま、小さな少女は無表情にスマリをなぞる。

 彼女は個人勢である。ライブの準備を一人でやり、終わった後の反省会も一人である。


 今日も重大なインシデントはない。身バレ回避のために、入学式の日をズラして話題に出していた。

 だが、軽微なインシデントは、大いに思い浮かぶ。


 手首に巻かれた、白いスマート・リング。その拡張A現実R機能で、青白いウィンドウが虚空に浮かび上がった。


 表示されたのは、Hatchetハチェットのライブへの感想。エゴ・サーチによる結果だった。

 それらを作業的に眺め、Hatchetハチェットは今回のライブにミスがある事を自覚する。

 歌詞の間違い、音程のズレ。それらのミスを単純に直すなら歌唱練習の比重をより上げるべきだろうが、彼女はそれよりも精神面での安定が必要だと感じる。


 恐らく、今日起こった事だ。

 現実の今日。学校で起こった事件。

 入学式というこの日に、同級生の女子がヴェイン上で襲われ、現実世界で痙攣けいれんを起こす事件があった。


 幸い、女子の命に別状はなく、事件は解決したと思われる。

 それでも、目の前で同級生が倒れた現場を見た精神の動揺。

 その動揺を、ライブ中にまで引きずってしまった。


 事件の状況を思い出す。

 何もできなかった自分。

 それに対して、養護教諭を呼びに行った男子生徒の姿。


 、自分は無力だった。

 背負いこまなくても良い罪悪感を負ぶり、少女は拳を握りしめる。


 架空ヴェインでの彼女は、誰もが羨む成功者であり、何よりも華やかな偶像。

 翻って。

 現実リアルでの自分は、自分が為すべき事を為せずに、失敗ばかりを費やしている。


「……わたし、やっぱりダメな子だな」


 自室に備え付けられた化粧台。その鏡と向き合い、少女の姿が映し出される。


 小さな背丈に小さな肉づきのした、小学生と見間違える15歳の少女。

 それは、遊木ゆうき零一れいいちの隣の席の女子生徒、夜桜よざくらだった。


     *   *   *


 明朝、8時。


 制服姿の夜桜が、家を出て歩道の端に寄る。

 車道ギリギリの場所で、夜桜は車道に向けてスマリを掲げた。


 ――キキッ。


 車道を走っていた四人乗りの車が、夜桜に寄せて停まった。

 自動運転のタクシーである。


 今や世間では、自動運転の車だけが車道を走る事を許されている。人間が操作する車はほぼ存在しない。

 夜桜がスマリを掲げて呼び止めた車は、公営の乗り合いタクシーの一つ。田質高校の生徒ならば、田質市内を無料で乗せて行ってくれる車だった。


 行き先は、登校先である田質高校。車の前座席側のドアが、独りでに開く。

 その前座席に夜桜が乗りこむ。後座席には、既に男子生徒が2人乗っていた。


 バタン。


 夜桜を乗せた車が、ドアを自動で閉じて走り出す。

 外の騒音が締め出され、後座席に座る男子生徒の会話が聞こえてきた。


「――でさ! Zilchジルチが昨日ここに出たらしいんだよ!」


 耳を澄まさずとも聞こえてくる噂話。

 その話に、ぴくり、と夜桜の肩が震えた。


 Zilchジルチ。フルネームを、Zilchジルチ-Zillionジリオン

 その有名人の名は夜桜も知っている。そのと共に。


 わずかに上下する車体に揺られながら、夜桜は男子生徒の会話に耳を傾けた。


Zilchジルチって、あの殺人鬼殺しキラーオブキラーズだろ?

 そんな有名人が、なんでこんな田舎マップに出没するんだ?」

「ウワサによるとさ、1年2組の女子が襲われた時に助けに来たんだって!

 多分、プレイヤー・キルをしにきたチーターを検出してここまで来たんだよ! 何せ、チーターどころかGMゲームマスターすら倒したっていうハッカーなんだし!」


 ヴェインのマップは現実世界をほぼそのまま写し取った世界である。

 そして、ヴェインはVRMMORPGであり、複数人でパーティを組んでゲームをプレイする事がメインコンテンツとなっている。


 そうなれば、人の多い地域はパーティを成立しやすいが故により人が多くなり、逆に人が少ない地域はパーティを組む機会が少なくなり、なお人が少なくなる。

 現実と同じように、人口が密集する東京に人が多く集まり、地方の田舎町である田質町には人が来ない。


 そんな過疎地域である田質町にわざわざ有名人であるZilchジルチが出没するとあれば、それ自体が耳目を集める要因となる。

 男子生徒たちがZilchジルチについて語り合っている中、夜桜は独り言をつぶやいた。


「もっと、良い手段だってあるはずなのに」


 データを改竄するのは、間違いなくヴェインの利用規約違反だ。

 仮にチーターが許せないのであれば、運営側に立ってその技術力を揮えば良い。

 そうしないのは、この男子生徒たちのように、人々から讃えられる状況に酔っているからではないのか。


 そんな邪推をしておきながら、夜桜がクスリと苦笑した。


「……それは、わたしも同じか」


 Vヴェインアイドルとしての賞賛を浴びながら、人々を救っているという事に酔っている。


 我が身を振り返り、夜桜が自嘲する。

 その没頭の中で、不意に車が歩道に寄り、夜桜のいる前座席のドアが開いた。


「――すみません。俺も乗せて貰えませんか」


 ドアの向こうから、聞き覚えのある声がした。


「はい。大丈夫です」


 夜桜が座席の奥に座り、その声の主が夜桜の隣に乗りこんできた。

 声の主は、また別の男子生徒。同じ田質高校の制服を着た、平凡な見た目の――。


「――あ、遊木ゆうきさん……おはよう」


 夜桜の同級生であり、隣席の男子生徒である、遊木ゆうき零一れいいちだった。

 ここでもまた隣の席になり、夜桜が一礼する。


「ああ、おはよう」


 零一もまた、同席した女子生徒が、同じクラスの人間だと気づいたようだ。


「その……隣の席の……」


 零一が口ごもる。どうやら彼は、夜桜の名前をまだ覚えていないらしい。

 気まずそうに目を伏せる零一に、夜桜が声をかけた。


「その……夜桜です。

 会ったのは昨日今日だから、まだ覚えてなくても、大丈夫」

「……ごめん、夜桜さん」

「別に、謝らなくてもいいよ。わたしも、まだ……クラス全員の顔と名前が一致しないから」


 夜桜が苦笑し、零一の表情が和らぐ。

 夜桜と零一の他愛ない会話。その会話が、後座席の男子生徒の大きな声量に上書きされる。


「――でもさー! やっぱZilchジルチって田質町にいるんじゃね!?」

「……っ」


 その大声に驚いたのだろうか、ぎくりと零一の肩がすくんだ。

 萎縮した様子を感じ取った夜桜は、彼に優しく接する。


「なんだか……昨日、わたしたちのクラスの女子生徒が倒れた事件が、噂になってるみたい。

 そのZilchジルチっていう有名プレイヤーが関わってるとか……そんな事まで言われてるらしいね」


 後席の男子生徒に聞こえないよう、小声で会話する。

 夜桜の話題に、零一がやんわりと乗っかった。


「……そんな事もあるかもしれない。

 ただ、この場所にわざわざ来る目的が分からない。俺はあまり信じきれないな」

「そうだね……わたしもそう思う」


 同意を示し、柔和な表情を浮かべる夜桜に、零一も釣られてこわりが解ける。

 続けて、夜桜が訊いた。


「そのZilchジルチってプレイヤー……遊木さんは知ってる?」

「ああ。少しだけ耳にした事がある」

「うん……わたしも少しだけ。

 プレイヤーキルするチーターを倒して回ってる、ハッキングが上手なプレイヤーなんだって。凄いよね」


 ――そんなに凄いなら、ちゃんとした手段で訴えればいいのに――。


 内心を隠して語る夜桜に、零一が首を振った。


「凄くはない。

 結局のところ、チーターと同じ。規約違反するプレイヤーの一人だろう」

「…………」


 隠したはずの夜桜の内心を、そのまま零一がさらけ出す。

 呆気に取られた夜桜は、思わず零一をじっと見つめた。


「……遊木さん」


 呼びかけに、零一がハッと気づき、反省の色を見せる。


「その……他人の悪口なんて聞きたくないよな」


 悪びれる零一に、夜桜が手を振った。


「ううん、いいの。

 わたしもね、正直……あんまり、Zilchジルチって人が好きじゃないんだ。

 みんなは正義のヒーローとか呼んでるけど、Zilchジルチは正しくない手段で悪い人をやっつけてる、ちょっと悪い人だと思ってるの」


 夜桜が、隠していた内心を明かす。

 零一はそれを聞き、目蓋をゆっくりと閉じ、そして首肯する。


「正義のヒーローだと言われようが、Zilchジルチは悪人だ」


 零一が断言する。


「…………」


 夜桜は零一の表情をまじまじと見つめた。

 彼女は人よりも「人」の事を良く知っている。ヴェインで配信する中で、他人の感情を推し量る能力には長じていた。

 その上で、「Zilchジルチは悪人だ」という零一の言葉に嘘偽りがない事はよく分かった。


 それでも、夜桜は知るよしもない。

 少なくともその時点では、それが自罰的な自嘲であるとは、推理すらもできなかった。

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