第7話 アバター/肉体
予定していたセットリストを全て歌い、アンコールに応え、
「みんな、今日はありがとー! それじゃ、またヴェインで会おうねー!」
努めて明るく笑顔を振りまき、
誰の視線もない舞台裏へと回り、
「クローズ・ザ・ヴェイン」
ヴェインからのログアウト。その意味ある言葉により、
暗く広い舞台裏から、暗く狭い部屋へ。
架空の華やかな姿とは裏腹に、部屋に佇むのは普段着の少女が一人。
「…………」
笑顔の一つも見せないまま、小さな少女は無表情にスマリをなぞる。
彼女は個人勢である。ライブの準備を一人でやり、終わった後の反省会も一人である。
今日も重大なインシデントはない。身バレ回避のために、入学式の日をズラして話題に出していた。
だが、軽微なインシデントは、大いに思い浮かぶ。
手首に巻かれた、白いスマート・リング。その
表示されたのは、
それらを作業的に眺め、
歌詞の間違い、音程のズレ。それらのミスを単純に直すなら歌唱練習の比重をより上げるべきだろうが、彼女はそれよりも精神面での安定が必要だと感じる。
恐らく、今日起こった事だ。
現実の今日。学校で起こった事件。
入学式というこの日に、同級生の女子がヴェイン上で襲われ、現実世界で
幸い、女子の命に別状はなく、事件は解決したと思われる。
それでも、目の前で同級生が倒れた現場を見た精神の動揺。
その動揺を、ライブ中にまで引きずってしまった。
事件の状況を思い出す。
何もできなかった自分。
それに対して、養護教諭を呼びに行った男子生徒の姿。
また、自分は無力だった。
背負いこまなくても良い罪悪感を負ぶり、少女は拳を握りしめる。
翻って。
「……わたし、やっぱりダメな子だな」
自室に備え付けられた化粧台。その鏡と向き合い、少女の姿が映し出される。
小さな背丈に小さな肉づきのした、小学生と見間違える15歳の少女。
それは、
* * *
明朝、8時。
制服姿の夜桜が、家を出て歩道の端に寄る。
車道ギリギリの場所で、夜桜は車道に向けてスマリを掲げた。
――キキッ。
車道を走っていた四人乗りの車が、夜桜に寄せて停まった。
自動運転のタクシーである。
今や世間では、自動運転の車だけが車道を走る事を許されている。人間が操作する車はほぼ存在しない。
夜桜がスマリを掲げて呼び止めた車は、公営の乗り合いタクシーの一つ。田質高校の生徒ならば、田質市内を無料で乗せて行ってくれる車だった。
行き先は、登校先である田質高校。車の前座席側のドアが、独りでに開く。
その前座席に夜桜が乗りこむ。後座席には、既に男子生徒が2人乗っていた。
バタン。
夜桜を乗せた車が、ドアを自動で閉じて走り出す。
外の騒音が締め出され、後座席に座る男子生徒の会話が聞こえてきた。
「――でさ!
耳を澄まさずとも聞こえてくる噂話。
その話に、ぴくり、と夜桜の肩が震えた。
その有名人の名は夜桜も知っている。その悪行と共に。
わずかに上下する車体に揺られながら、夜桜は男子生徒の会話に耳を傾けた。
「
そんな有名人が、なんでこんな田舎マップに出没するんだ?」
「ウワサによるとさ、1年2組の女子が襲われた時に助けに来たんだって!
多分、プレイヤー・キルをしにきたチーターを検出してここまで来たんだよ! 何せ、チーターどころか
ヴェインのマップは現実世界をほぼそのまま写し取った世界である。
そして、ヴェインはVRMMORPGであり、複数人でパーティを組んでゲームをプレイする事がメインコンテンツとなっている。
そうなれば、人の多い地域はパーティを成立しやすいが故により人が多くなり、逆に人が少ない地域はパーティを組む機会が少なくなり、なお人が少なくなる。
現実と同じように、人口が密集する東京に人が多く集まり、地方の田舎町である田質町には人が来ない。
そんな過疎地域である田質町にわざわざ有名人である
男子生徒たちが
「もっと、良い手段だってあるはずなのに」
データを改竄するのは、間違いなくヴェインの利用規約違反だ。
仮にチーターが許せないのであれば、運営側に立ってその技術力を揮えば良い。
そうしないのは、この男子生徒たちのように、人々から讃えられる状況に酔っているからではないのか。
そんな邪推をしておきながら、夜桜がクスリと苦笑した。
「……それは、わたしも同じか」
我が身を振り返り、夜桜が自嘲する。
その没頭の中で、不意に車が歩道に寄り、夜桜のいる前座席のドアが開いた。
「――すみません。俺も乗せて貰えませんか」
ドアの向こうから、聞き覚えのある声がした。
「はい。大丈夫です」
夜桜が座席の奥に座り、その声の主が夜桜の隣に乗りこんできた。
声の主は、また別の男子生徒。同じ田質高校の制服を着た、平凡な見た目の――。
「――あ、
夜桜の同級生であり、隣席の男子生徒である、
ここでもまた隣の席になり、夜桜が一礼する。
「ああ、おはよう」
零一もまた、同席した女子生徒が、同じクラスの人間だと気づいたようだ。
「その……隣の席の……」
零一が口ごもる。どうやら彼は、夜桜の名前をまだ覚えていないらしい。
気まずそうに目を伏せる零一に、夜桜が声をかけた。
「その……夜桜です。
会ったのは昨日今日だから、まだ覚えてなくても、大丈夫」
「……ごめん、夜桜さん」
「別に、謝らなくてもいいよ。わたしも、まだ……クラス全員の顔と名前が一致しないから」
夜桜が苦笑し、零一の表情が和らぐ。
夜桜と零一の他愛ない会話。その会話が、後座席の男子生徒の大きな声量に上書きされる。
「――でもさー! やっぱ
「……っ」
その大声に驚いたのだろうか、ぎくりと零一の肩がすくんだ。
萎縮した様子を感じ取った夜桜は、彼に優しく接する。
「なんだか……昨日、わたしたちのクラスの女子生徒が倒れた事件が、噂になってるみたい。
その
後席の男子生徒に聞こえないよう、小声で会話する。
夜桜の話題に、零一がやんわりと乗っかった。
「……そんな事もあるかもしれない。
ただ、この場所にわざわざ来る目的が分からない。俺はあまり信じきれないな」
「そうだね……わたしもそう思う」
同意を示し、柔和な表情を浮かべる夜桜に、零一も釣られて
続けて、夜桜が訊いた。
「その
「ああ。少しだけ耳にした事がある」
「うん……わたしも少しだけ。
プレイヤーキルするチーターを倒して回ってる、ハッキングが上手なプレイヤーなんだって。凄いよね」
――そんなに凄いなら、ちゃんとした手段で訴えればいいのに――。
内心を隠して語る夜桜に、零一が首を振った。
「凄くはない。
結局のところ、チーターと同じ。規約違反するプレイヤーの一人だろう」
「…………」
隠したはずの夜桜の内心を、そのまま零一が
呆気に取られた夜桜は、思わず零一をじっと見つめた。
「……遊木さん」
呼びかけに、零一がハッと気づき、反省の色を見せる。
「その……他人の悪口なんて聞きたくないよな」
悪びれる零一に、夜桜が手を振った。
「ううん、いいの。
わたしもね、正直……あんまり、
みんなは正義のヒーローとか呼んでるけど、
夜桜が、隠していた内心を明かす。
零一はそれを聞き、目蓋をゆっくりと閉じ、そして首肯する。
「正義のヒーローだと言われようが、
零一が断言する。
「…………」
夜桜は零一の表情をまじまじと見つめた。
彼女は人よりも「人」の事を良く知っている。ヴェインで配信する中で、他人の感情を推し量る能力には長じていた。
その上で、「
それでも、夜桜は知る
少なくともその時点では、それが自罰的な自嘲であるとは、推理すらもできなかった。
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