第4話 点火

 ヴェインには多くのチートツールが存在している。


 技術的破壊者クラッカーがチートツールを開発し、隠匿されたサイトで「作品」として発表する。

 それをアウトロー気取りのお子様スクリプト・キディが見つけ、一般人の目につく場所へコピーする。

 そうして多くの悪質プレイヤーが、チートを用いるようになる。


 無論、ヴェインの運営とて無策ではない。チートの際に使用される脆弱性ぜいじゃくせいをアップデートで塞いだり、チートツールを開発するクラッカーに訴訟を起こす事はある。

 しかし、所詮はいたちごっこなのだ。脆弱性を塞げば新たな脆弱性が見つかる。チートツールは絶える事なく供給され、数多の人間の手に渡る。


 今、目の前で猫耳の少女を締め上げているFlareフレアという男は、あらゆるチートツールを収集していると宣言した。


「厄介だな」


 Flareフレアと相対するZilchジルチは、純粋な感想を吐き捨てる。


 広く流布されている一般的なチートツールは、零一が構築したサポートシステム「Pragmaプラグマ」に対抗プログラムが保存されている。

 それらについては、自動的に解除・対処する事は可能だ。


 だが、それは有名なチートツールだけの対応に留まる。

 クラッカー間で秘匿され、表立って使われる事のないチートツールには、Pragmaプラグマの自動対応には時間がかかるか、そもそも不可能だ。


「そうだろう。何しろ、オレは文字通りに『無敵』だ」


 相対するFlareフレアには、何種類もの無敵化チートがかけられている。Pragmaプラグマの自動解析結果を告げるシステムウィンドウが、Flareフレアの状態の多くが異常である事を示していた。

 その無敵化チートを全て解除しなければ、Flareフレアを倒す事はできない。

 そして、Pragmaプラグマによる無敵化チートへの自動対応は、120時間かかる試算を出していた。


 ククク、とFlareフレアが窃笑する。


「オマエはお子様キディしか相手にして来なかったんだろうが、オレは違う。

 オレはクラッカー。落ちているチートを拾うだけじゃない。チートを作り、自在に操るコトができる」


 悪人としての実力を誇るFlareフレアに、気分を害したZilchジルチが睨む。


「そのクラッカーが、どうして無関係のプレイヤーを襲う必要がある」

「襲う必要? それは、その女が無関係じゃないからだ」

「何だと?」


 Zilchジルチが、猫耳アバターを見つめる。

 青ざめた猫耳は、必死に首を振った。


「違う……! あたし、何もしてない!」


 否定する猫耳に、Flareフレアが否認する。


「いいや、してたさ」

「あたし、ただ普通に生きてただけじゃない! 普通に高校に行って、普通にヴェインをプレイしてただけ!」

「オマエの認識ではそうだろうな。だが――オレでは、違う」


 Flareフレアが猫耳の首をつかむ。


「ガッ、ア……!」


 喉を絞り、掠れた声を上げる猫耳。

 その苦痛が、現実にも反映されているのだろう。抵抗の為に暴れ、引っかき、それでもFlareフレアは絞め続ける。


「やめろ!」


 ZilchジルチFlareフレアに駆け寄ろうとするが、


「やめないとも」


 Flareフレアのチートツールの一つが発動する。


 バチッ!

「くっ!」


 Flareフレアの周囲に張られた接触不可のバリアがZilchジルチを弾き飛ばす。

 接触不可チート。書いて字の通り、指定したプレイヤーを一定距離まで近づけさせない。


「クソッ……!」


 このチートを解除しなければ、Flareフレアへの妨害など出来はしない。

 Zilchジルチがコマンドウィンドウを開き、Pragmaプラグマ側との自動解析と並行して接触不可チートの解読と無効化を試みる。


 仮想キーボードを叩き、立往生するZilchジルチ

 そんな彼を横目に、Flareフレアが猫耳を強請ゆすった。


「女、ヴェインの所有物インベントリにあるFact.leeファクトリーをオレに寄越せ。

 オレはそのアイテムにしか用はない」

「……Fact.leeファクトリー?」


 聞き覚えのある単語を、Zilchジルチが復唱する。

 しかし、全くの無知である猫耳は、大きく首を振った。


「あたし、Fact.leeファクトリーなんてもの、知らない……!」

「知らなくても、オレは知ってる。

 探せ。でなければくびり殺す」


 全てを見通しているようなFlareフレアの口ぶりに、Zilchジルチが推測をぶつけた。


「……田質でんしち高校のアプリを改竄したのはお前か」

「ああ、そうだが? そのお陰で、この女がFact.leeファクトリーを持っているコトも分かったワケだ」


 肩をすくめるFlareフレアに、猫耳は震える手でトレードウィンドウを開いた。


「こ、コレがあったから……あなたにあげるから、離して……!」


 Flareフレアが、猫耳から投げられたトレードウィンドウを一瞥する。

 譲渡品にFact.leeファクトリーという名のアイテムが表示されている事を確認すると、すぐさまFlareフレアはトレードに同意した。


 所有権がFlareフレアに渡り、彼の手元にFact.leeファクトリーと呼ばれるアイテムが形成される。

 それは、シワ一つない、真っ白で真四角なA4の紙の形をしていた。

 表面に書かれているのは、数字とA~Fのアルファベットで綴られた、意味不明な文字列の塊。


 誰も見覚えのないアイテムを手にし、Flareフレアがニヤリと笑った。


「……良い子だ」


 Flareフレアが猫耳から手を放す。


「ゲホッ! かっ、ケホッ!」


 猫耳が咳き込み、教室の床に座り込む。


「くっ――!」


 ようやく、Zilchジルチが接触不可チートの解除実行のエンターを押す。

 Flareフレアへの距離を詰め、Zilchジルチは猫耳に呼びかけた。


「こいつは俺が相手する。お前は充分に離れたらログアウトしてくれ」

「――っ、っ!」


 喉を潰され声を出せない猫耳は、何度もうなずきながら教室から出ていく。


 Flareフレアは猫耳の後を追おうとしない。

 Zilchジルチという敵を相手に、不敵な表情を形作る。


「さあ、正義気取りのお子様キディ

 オレの目的はFact.leeファクトリーだけだ。さっさと尻尾を巻いて帰るがいい」

「……そのFact.leeファクトリーとやらで、お前は一体何をするつもりだ」


 問いを投げかけたZilchジルチに対し、Flareフレアが一瞬虚を突かれる。


「ナニを? オマエ知らないのか?

 ……ああ、ハッキングの腕はあっても、オマエは単なる無知のガキか」


 Flareフレアは指先で、Fact.leeファクトリーを弄ぶ。


「使うのさ、Fact.leeファクトリーを。

 コイツはヴェインの超レアドロップ。公式データベースにも載っていない、ウワサで出回るだけの存在。

 だが、そこから先についてはオマエの体で実証してやる。――やるよ」


 殺意を剥き出しにし、FlareフレアFact.leeファクトリーを使用した。


 閃光が、満ちる。


「なっ!?」


 反射的に目をつぶるZilchジルチ

 その光は、ヴェインのログインの光に似ている。だが、それよりも光量は激しい。

 真正面から見れば、視界を焼かれる閃光。


 不意に、光は収まった。Zilchジルチが目蓋を開ける。

 Flareフレアは悠然と教室に立ち、哄笑する。


「分かる――理解かった! ククク、この感覚だ!」


 Flareフレアの言葉が走る。


「原初の釜、煮え立つは万象! 断ち錐穿て、閃迅炎刃ブレイズ・ブレイド!」


 芝居がかった詠唱と共に、攻撃魔法スキルが放たれた。

 単体指定の火炎属性であり、正規に習得された中級魔法。そこに必中や必殺のチートは乗せられていない。

 正規の攻撃ならば、正規の手段で回避できる。


「――っ!」


 Zilchジルチはギリギリまで火炎の刃を引きつけ、回避。

 回避判定こそ成功したが、火炎の刃が過ぎる最中、ゾクリと背中に悪寒が走った。


 ――何だ?


 体を掠める、煮えるような熱。

 恐らくスキル自体に痛覚再現チートがかかっている。本来遮断されるべき危険な感覚を――70℃以上の熱を感じる事は、チートの存在を考えれば不可解ではない。


 それでも、あまりに真に迫った熱さだった。

 不穏な気配が湧いて出る。

 チートだけではない何者かを相手にしている感覚が、Zilchジルチの脊髄を舐める。


 ――攻撃され続けるのは、得策ではない。

 Zilchジルチの直感が、警鐘を鳴らす。


 Flareフレアにかかっている複数の無敵化チートを解析するハッキングコマンドを右手で打ち続けながら、左手で新たに反撃のコマンドを紡ぎ出す。


 Zilchジルチの今のクラスは魔法使いウィザード。攻撃魔法を得意とするクラスだが、搦め手は拘束バインド等の初歩的な魔法しか扱えない。

 例え上級魔法攻撃を放ったとしても、Flareフレアには複数の無敵化チートがかけられている。解除できていない今は、無用の長物だ。


 故に、クラスの枠から外れたスキルを使用する。

 扱うはクラス:道化師トリックスターの上級魔法。攪乱に特化したクラスの本領を、ハッキングで引き出した。


「――世界崩壊ワールド・ブレイク!」


 ガゴォン!


「なにッ!?」


 無敵化チートで固められたFlareフレア本人ではなく、周囲に対して影響を及ぼす。

 通常は破壊不能なオブジェクトである教室が変形し、床が割れ、巨大な穴がFlareフレアを飲みこむ。


 クラス:道化師トリックスターの上級魔法攪乱スキル、世界崩壊ワールド・ブレイク

 マップの地形を一時的に変更する。エンドコンテンツ攻略には不要である為に習得する者は少ないが、一部のダンジョン攻略やボスの足止めに有効な魔法である。


 そう、あくまでもこれは足止めだ。

 足元深くへと落下したFlareフレアに聞かれないよう、ZilchジルチPragmaプラグマに呼びかける。


「――Pragmaプラグマ! ファンクション:デルタ! 即時実行しろ!」

『了解しました』


 Zilchジルチの命令に、システムが答える。

 Flareフレアへの足止めの間に、Zilchジルチはカタをつける必要があった。


 そして、カタをつける算段があった。


     *   *   *


「痛ェな、チクショウ……」


 学校の地下。瓦礫を押しのけ、Flareフレアがぼやく。


 あの青年のクラスは魔法使いウィザードだったはずだ。

 だが、使用したのはクラス:道化師トリックスターの上級スキル。

 そして、クラスチェンジは戦闘時にはできない。


 導かれる道理は一つ。


「別クラスのスキルを強制使用するチートは、最新のアップデートで塞がれたハズだが……まさか既に抜け穴を突き止めていたのか……」


 敵ながら、Flareフレアが感嘆する。

 自身と肩を並べるほどの技術を持つクラッカー。

 敵という立場でなければ、味方に引きこんでいた所だ。


 だが、結局は自分を殺す事はできない。

 所詮そこまでの存在に過ぎないと、Flareフレアは断じる。


「オレの十重二十重とえはたえの無敵化チートを破らない限り、オレは死なない。

 仮に破れるとしても、結構な時間がかかるハズだ。その間にオレがアイツを殺してやる」


 牙をぎらつかせ、Flareフレアが初級スキルを囁いた。


跳空エアステア


 飛行を行う補助スキル。Flareフレアのアバターが宙を浮き、教室まで跳躍する。

 教室の床に着地し、未だ必死になって解析を行うZi|chの姿を嘲笑した。


「どうだ? 宿題は終わったか?」


 Zi|chはFlareフレアを睨み、苦い顔をして返す。


『……いいや、まだだ』

「だろうな。まあ、その前にオマエが終わっちまうんだけどよ」


 Flareフレアの頭に詠唱が浮かぶ。

 スキルの真なる力を引き出す、連続する言葉。

 口が結ぶのは、詠唱とスキル名。


「底に赫、蝶舞う彼岸花! 揺れ乱れ枝垂れ、崩花煉焼グローリウサス!」


 床一面に咲き乱れる、花の如き火の絨毯。クラス:魔法使いウィザードの範囲攻撃中級スキル。


『ぐっ……!』


 回避不能な火に足を焼かれ、Zi|chが崩花煉焼グローリウサスの範囲から逃れるべく教室から脱出する。


「フン、逃げようがもう遅い!」

『――疾走スプリント!』


 Zi|chが使用するのは、どのクラスでも使用できる汎用補助スキル、疾走スプリント

 移動速度を向上させ、Flareフレアからの距離を取る。


「無駄だ!」


 跳空エアステアで空を駆け、Flareフレアが青年に追走する。


『いや、無駄じゃない!』


 Zi|chがシステムウィンドウにコマンドを叩きつけ、Flareフレアの無敵化チートを幾つか引き剥がす。

 だが、甘い。


「時間稼ぎで、どこまで逃げられる!」


 追いつくのにそう時間はかからない。

 このペースならば、Zi|chが全てのチートを解析するよりも先に、殺せる。


 Zi|chは学校の階段を駆け上がる。空を滑るFlareフレアが、スキルを放った。


「脈動の色、貪食の師団! 咆哮は火の音、森羅万象を喰う飢餓の熱! 朱焔虐域ヴァーミリオン・レギオッ!」

『――ッ!』


 Zi|chは無敵化チート解析の手を止め、不正に使用された朱焔虐域ヴァーミリオン・レギオの解除に時間を割く。

 朱焔虐域ヴァーミリオン・レギオを無効化し、なおもZi|chが駆け上がる。向かうは屋上――。


「――閃迅炎刃ブレイズ・ブレイド


『な――!?』


 先程の朱焔虐域ヴァーミリオン・レギオデコイにし、Flareフレア本命の中級攻撃スキルがZi|chに迫る。

 食らえば確実にHP:0になる、絶命の一撃。


『があぁああっ!』


 Zi|chは回避に失敗し――アバターが、炎に巻かれる。


 扉ごと吹き飛ばし、Zi|chを焼く火炎の刃。

 屋上に、Zi|chが転げ落ちた。

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