第3話 異変
緊張が解け、多くの新入生が雑談に興じる。
その雑談の内容は、主にクラス分けについてだった。
「お前何組? 俺3組になったわー」
「オレだけ1組なんだけど……他に誰か1組いねーの?」
「え!?
自他の所属を口々にし、悲喜
それらの話題の種であるクラス分けは、先程インストールされた高校公式アプリで表示されているらしい。
「…………」
そのアプリをインストールしていない
彼は東京から田質町に引っ越してきた部外者である。中学からの友人というのは存在しておらず、気軽にクラス分けの内容について訊ける人物は存在しない。
「それでは、これから各自の教室に移動します!」
「はーい!」
女性教師の呼びかけに、新入生たちは元気に応えて移動を始めた。
自分のクラスを知らない零一は、女性教師に近寄り、恥を忍んで問いかける。
「あの……」
「何でしょう? どこに教室があるか分かりませんか?
それでしたら、公式アプリの地図を見て――」
「いえ、アプリはインストールしていないです。
なので、俺がどこのクラスか教えて欲しいんですが……」
その零一の質問に、背後から女子が同調した。
「――あの! わたしも、どこのクラスか教えて欲しいんです!」
小鳥のような女子の声に、零一は振り返る。
そして、零一はすぐに目線を下げた。
ずいぶんと背丈の低い女子だった。
その体の肉つきの細さといい、丸く大きな瞳といい、小学生と見紛うような容姿をしている。
しかし、着ている制服は田質高校指定の制服。間違いなく、零一と同学年だった。
同調してきたその女子を見て、女性教師が眉を困らせてスマリを開く。
「私が分かるのは、私の担当クラスだけですが……。
貴方たち、名前は?」
「
「わたしは
二人が名乗り、女性教師がスマリにインプットされた名簿に目を通す。
女性教師は名簿を閉じると、安堵した笑顔を二人に向けた。
「良かった。丁度、二人とも私の担当クラスの1年2組です。
これから教室へ案内します。ついて来て下さい」
「はい」「はい!」
零一と背の低い女子が応答し、女性教師の後を追う。
体育館を抜け、一階の廊下を歩く。
「保健室」や「美術室」の室名札を掲げた扉をいくつも通る中、
「あの、遊木さん……で、良かった?」
弱気に確認する夜桜に、零一がうなずく。
「ああ。俺は遊木零一だ。
それで……夜桜、さんは……俺に何か用が?」
夜桜は零一に少し近づくと、小さな声で答えた。
「遊木さんのスマリが、アプリが危険かもしれない、って警告した声を聞いたの。
だからわたしも怖くなって、アプリをインストールしなかったんだ。
高校の人たちには悪いけど……セキュリティに引っかかったら、どうしても心配になっちゃうよね」
夜桜の肯定の言葉に、零一の心が浮く。
零一が公式アプリのインストールを拒否した時、教師は
しかし夜桜は、その零一の拒否を真剣に受け止めてくれた。
嬉しさ半分、
「そ、そうだな……もしかしたら、杞憂かもしれないが……」
「そうなっても、別にいいよ。慎重なのは悪いことじゃないし」
夜桜が微笑し、釣られて零一もわずかに口角を上げる。
こそばゆい連帯感に
「ここが私の担当で、貴方たちの所属する1年2組です」
女性教師が教室の自動ドアを開き、二人を招き入れる。
ドアを開いた瞬間、生徒たちが騒いでいる様子が広がっていた。
ドアの向こうの生徒たちは、女性教師を目に入れた瞬間、すぐに静まり返って慌てて着席する。
「それじゃ、遊木さんと夜桜さんも、席に着いてね。
席順は、五十音の名簿順に並んでるから――」
スマリで名簿と席順を照らし合わせ、苦笑しながら女性教師が告げる。
「二人とも、隣同士の後ろの席みたいね」
* * *
入学式当日の授業は、軽いものだった。
2限通しのホームルーム。学校の施設案内や物理学生証の配布、公式アプリの詳細な使い方や、あるいは公式アプリをインストールしていない生徒への代替手段の説明。アイスブレイクとなる生徒同士のレクリエーション。
それらは滞りなく終わり、午後1時という早めの放課後を迎えた。
「――それでは、明日から本格的な高校生活が始まります!
皆さん、この2組で1年間を過ごします。気を引き締めて下さいね」
言葉と共に終業の鐘が鳴り、女性教師が教室から退出した。
教師がいなくなった瞬間、一気に教室内が騒がしくなる。
「ようやく終わったー!」
「今日どこ行く? ダンジョン? それともどっかのフィールド?」
「ねぇねぇ、女子で集まってヴェインに行こうよ!」
自由を得た生徒たちは、早速友人とつるんでヴェインへとログインしていた。
彼らの腕にある
ヴェインのログイン中、現実の肉体はログイン直前の姿勢を維持し、VR機能使用中を表す薄い光のバリアが
放課後となって間もない内から、気の早い数人は既にヴェインへとログインしたようだった。教室のあちこちで人間を覆う球状の燐光が形成されている。
「…………」
零一は同級生の交流を横目に立ち上がり、帰り支度を始める。
椅子から立ち上がり、学生鞄を机に上げた所で、太った男子生徒が零一の席まで近づいてきた。
その男子生徒は零一の机に手を置き、フランクに話しかける。
「――なあなあ。
「ああ。俺は遊木零一だが、何か用か?」
零一の応答に、男子生徒が自分自身を指差して名を明かす。
「ボクは
もしよければ、時間いいかな?」
「時間は大丈夫だ」
零一からの了承を得た男子生徒は、少し声を低くして聞いてきた。
「あのさ、ウワサで聞いたんだけど、東京からわざわざ
そんな所に東京から引っ越してきた零一の存在は、この高校において異例の存在だ。
「ああ。親の仕事の都合で、ここに引っ越してきた」
零一は、当たり障りのない嘘で場を凌ぐ。
その嘘で男子生徒が「へえーっ」と好奇心を満たした声を出し、零一に向けて友好的な笑顔を見せた。
「都会から田舎に来たからさ、色々慣れないコトはあると思うんだ。
だからさ、もし何か分からないコトとか、知らないコトあったら相談に乗るよ。何なら友達にでも――」
「ああ、そうだな――」
それを社交辞令の類いと受け取った零一は、当たり障りのないよう相槌を打つ。
無味無臭な男子生徒との会話から興味を逸らし、零一の目が教室内を漂う。
漂う零一の視線が、ヴェインにログイン中の二人の女子生徒に目が留まる。
彼女たちは互いに向かい合うように席に座り、顔を伏せている状態で微動だにしない。
ヴェインのログイン中、現実の肉体はログイン直前の姿勢を維持される。
VR上のアバターがどれだけ手足を動いても、現実の手足は余程の事がなければ動かない。
そう。余程の事がなければ――。
「う――」
本来ならば震えないはずの声帯が、視線の先の女子生徒から漏れ出す。
雑談の波に掻き消える程の、小さな声。しかし、その声は徐々に大きくなっていく。
「た――すけ――たすけ、助けてっ、助けて! 助けてえっ!」
「えっ?」
「何?」
「どうしたの真凛っ? 大丈夫?」
外部から声をかけれど、現実の声は女子生徒には届かない。
「助けてえっ!」
響くのは、VR上の惨事から漏れ出る悲鳴。
更には、動かないはずの体が痙攣を始めた。ぐらつく体が姿勢を崩し、椅子が倒れて女子生徒の体は床に投げ出される。
ガタンッ! ガタタッ!
「何!?」
「え? マジ? これマジなの!?」
完全な異常事態に、教室内がどよめいた。
「な……ええっ!?」
零一に話しかけていた男子生徒も、
周囲の生徒は突然の事態に困惑するばかりで、ただ不安だけが伝播していく。
事態を冷静に注視していた零一だけが、取るべき行動に移った。
「保健室の先生を呼んでくる!」
その宣言に、クラスメイトがハッと我に返る。
「あ! そっか、お願い!」
「行ってきて、遊木さん!」
クラスメイトの声を受け、零一は廊下を走り出す。
体育館から教室に移動する間に、保健室を見かけた事がある。
全力疾走で保健室に向かい、零一は勢いよく保健室のドアを開けた。
「――な、何? 何かありましたか?」
只ならぬ様子の零一に気圧された保健室の養護教諭が、戸惑いながらも用件を訊く。
零一は息を整え、状況を説明した。
「1年2組で痙攣を起こしている女子生徒がいます。すみませんが向かってくれませんか」
「え!? ……分かりました。すぐに向かいます!」
養護教諭が救急箱を持って、保健室から駆け出した。
後に残ったのは、無人の保健室と、独り佇む零一。
「……っ」
シャッ……。
零一は勝手ながらに空のベッドへ腰かけて、周囲の空間と隔絶する為に天井のカーテンを引く。
今、彼は誰の目にも届かない場所にいる。
「…………」
女子生徒の痙攣。現実を侵す
零一の表情が一変する。
それは憎しみ。その憎しみは、無辜の女子がVR上でのトラブルに巻きこまれた事への義憤だけではない。
「
ヴェインである日突然に出会った、プレイヤーキラーのチーター。
「奴」は自分に襲い掛かり――ヴェインを通じて、現実世界を一変させた。
母を殺し、
父を殺し、
妹を殺し、
そして――「奴」は自分から全てを奪った。
今回の女子生徒を襲ったトラブルに、「奴」が直接関与しているかは分からない。
それでも、「奴」の正体を辿る糸口となる可能性があるのならば、それに縋る他ないのだ。
零一は手首のスマリをなぞり、現実空間に青白いウィンドウが浮かぶ。
「――ログイン座標設定。生体認証OK。カバーアカウント:オフ――」
空中のウィンドウに次々と起動時設定が追加されていき、着々とログインの準備が進む。
「――位置座標偽装。インプラント・サーキット秘匿――」
続く言葉は、不穏な設定。
それはハッキングにより強制的に挿入された設定。
スマリだけでは、ヴェインをプレイするだけの最低限の処理能力しか備えていない。
情報の偽装、抹消、あるいは改竄等のハッキングによる処理は、拡張されたシステムによって実現される。
自宅にあらかじめ構築しておいた5台のPCからなるサポートシステム――
そして最後に発する一声は、「マインド・ヴェイン」にログインする為の命令文。
「――オープン・ザ・ヴェイン!」
――キィンッ!
刹那。
スマリから光の帯が溢れ出し、零一の体を包んだ。
インプラント・サーキットに指令が出される。睡眠物質プロスタグランジンを脳から強制的に分泌。一時的な眠りを零一にもたらす。
零一の意識が仮眠状態に移行し、現実世界から切り離される。その瞬間、スマリはヴェインの通信と零一の脳とを接続させる。ログインの正常完了が確認されると、彼の意識が
全身に電気が走る感覚。
仮眠状態から目覚め、零一は目蓋を開くアニメーションを再生させる。
「……!」
ヴェインでは、現実世界とほぼ同一の地形を有する。
ログインした座標は、現在地点と同じ。
架空の保健室で目覚めた零一は、己の体を確かめた。
サイバーティックな衣装と、周囲に浮かぶのはコマンドウィンドウ。
その内の一つのウィンドウに、電子上の己の名が刻まれている。
現実では無名な遊木零一の、高名なる架空の名。
「
誰もいない保健室の中で、
「
本来のマップは簡単な現在地と付近の敵モンスターの位置、それとフレンドの場所くらいしか情報がない。
しかし、開発者用の詳細マップは、周辺のプレイヤー全てが、付随情報と共に表示される。
マップに記されている、3人のプレイヤー。その内、交戦状態にある1人の名前が浮かび上がった。
位置にして、1年2組と同じ場所で交戦をしている。
「
『了解しました』
廊下を走る間に、自身もまた戦闘用のコマンドを幾つか用意する。
1年2組の教室が近づき、戦闘準備を整えた
バンッ!
電子上の扉を蹴破り、
「――誰だ、オマエは?」
中にいた魔術師姿の男が、こちらに振り向く。
「……ぁっ、がっ……!」
その魔術師は、猫耳をつけた少女のアバターを締め上げていた。
恐らく、その猫耳少女が、現実世界で痙攣を起こしていた女子生徒なのだろう。
「その女を解放しろ。さもなければお前を殺す」
「フン――
敵専用スキルを不正に使用し、炎の範囲攻撃が
回避不能の攻撃に対し、
「無駄だ!」
予め用意された
己の攻撃を無効化された
「なるほど、単純なチートは効かない。オマエはただの
ニヤリ、と
「オレのチート全部に対応するコトなど、出来はしまい」
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