1972年
妹の一周忌も過ぎ、事件は風化してきた。
鶴華と暮らし始めて一年以上が経った。鶴華が妹殺しの犯人であると決め込んでいる僕は、その証拠集めに必死だった。しかし、そんなものは出てこなかった。むしろ妹のことを可愛がっていたということばかりがわかって、辛い気持ちになる。妹と二人で写っている写真。手紙のやり取り。鶴華は律儀に、それらを全て保管していた。
そして決定的だったのは、事件現場に鶴華が花を供えているという事実だった。
普段は決して見せない涙まで流していた。妹の存在は僕だけでなく、鶴華にとっても重要だったようだ。
問い詰めようと思ったが、あの様子を見てしまうと何とも言えない気持ちになってしまった。当然、問い詰めることが出来ないまま今に至る。
鶴華とは、食卓以外で会うことがない。部屋は離れているし、わざわざ話す用事も無いからだ。
鶴華も同じように思っているらしく、向こうから話しかけられることもない。僕らの距離感は、これが最適なのだろう。
しかし、その関係性は終わりを迎えた。
そろそろあの事件から二年が経とうかという頃、鶴華は
「貴方には、話さなきゃいけない事があるの」
と、唐突に切り出した。食卓で、煮物を食べながら。
鶴華からそう言われる心当たりは一つしかない。妹だ。
「今夜、あの山に登りましょう。辛いかもしれないけど、貴方は知らなければいけないと思うから」
僕は何も言葉を出せず、ただ頷くしかなかった。
味のしない食事を早急に終わらせ、山へ登る準備を進める。そうは言っても懐中電灯と水筒しか持っていない。鶴華も同じ様な軽装だった。この時期の山は冷え込んでいるので、上着を羽織り外へ出る。
道中は無言だった。元々喋るタイプではない僕らなので、大した問題ではないのだが。
暗い、漆黒に塗れた山は普段とは違った恐ろしさを醸し出していた。自然を畏怖してきた人々の気持ちが、わかる気がする。
事件現場に着いた。
「では、話をしましょうか」
鶴華は落ち着いた様子で、口を開いた。表情はよく見えない。暗闇の中では、何もわからない。さながら、今の僕の心の様だ。
「貴方の妹は、事故死じゃない」
「わかってる」
反射的に答えてしまった。そうだと思っていた。確信が欲しかった。誰かからそのことを肯定されることを、待っていた。興奮のあまり、身体が震える。
これは鶴華の罪の告白だ。だとしたら、僕はどうしたらいい?
どう罪を与えるのが良いのだろう、妹と同じ場所には逝かせない。生き地獄を味わってほしい。
「……そう。あのね、実は夏香からは遺書を預かっていたの。もういい加減、渡してもいいかと思って」
遺書。それは、自らが死ぬことを想定して書かれたもの。
つまり夏香は、自分が死ぬことを予期していたというのか?
鶴華は、僕に遺書を差し出した。懐中電灯をつけて、読むことにする。
『兄さんへ
この手紙が読まれているということは、もう私は居なくなってるのでしょうね。
清々するわ。兄さんの愛情を、これ以上受けなくて済むんだもの。重い愛情ほど、相手を苦しめるものはないでしょう?
さて、本題に入りましょう。兄さんと私は双子。兄さんはそのことを特別に思っていたところがあった。二人で一つだと、そう思っていた。
でも私は違う。私は私、兄さんの為に存在している訳じゃない。もう散々。二人で一つとか、訳が分からないわ。それに本当に一つになろうと、夜這いまでするんだもの。頭のネジ、落としちゃったのかしらね。
だから、この手紙を姉さんに託して私は去ることにするわ。これがどういう意味かは、兄さんならわかるでしょう。もう起きてしまった事柄なので、姉さんのことは責めないでね。
全部、貴方のせいです。
小沼夏香』
僕は、立ち尽くすしかなかった。本当なら、立っているのも限界だった。妹を殺したのは鶴華じゃなくて。
誰でもない、僕だったというのか。
厳密には、僕の愛情が負担になっていたようだ。鶴華はそのことを知っていて、黙っていた。
「……夏香はね」
鶴華が口を開いた。
「死ぬ前私に、貴方のことを頼んだの。『私が死んだら、兄さんのことよろしくね。姉さんには悪いけど、代わりに面倒みてあげてよ』って。だから、貴方のことを引き取ったの。いずれは知ることになる事実も、あったしね」
それが、これか。何という残酷な事実。妹に拒絶されていた、それを理解することは不可能だった。
だって、二人で一つじゃないか。自殺することを知っていて引き留めなかった鶴華は、罪には問われないのか?僕が問うたところで、それは意味を為さないのではないか。
僕は悪くない、鶴華が。この女が引き留めていてくれれば__
「あの事故の日、夏香は一人じゃなかった。警察は周りに人が居なかったというけれど、それは虚偽の報告なの。冬留にはわかっているでしょうけど、谷村家には誰も逆らえない。逆に、谷村家の人間が窮地なら、村人揃って口裏を合わせるのよ」
「それって」
鶴華は、僕の言葉を遮り続ける。
「あの日、私は夏香とここに居たわ。自殺するってわかってて、付き添った。それでも止めたのよ。貴女には未来があるんだから、こんなことはやめなさいって。それでも夏香は聞かなかった。
『兄さんの未来が台無しになるなら、良い気味よ』って。そして、崖から飛び降りた。
私は手を伸ばして助けようとしたけれど、届くことはなかった。しばらくして」
「もう、やめてくれよ……」
耳を塞ぎたい。全て噓だ、妹がそんなことをする訳がない。きっと鶴華が突き落としたのを、村人揃って庇ってるんだ。
そうでなければ、こんな救いのない話はありえない。存在して良いはずがない。
『兄さんが悪いのよ』『兄さんさえ居なければ』『貴方のせい』
聞こえるはずのない、妹の声が聞こえる。
崖の方からだ。僕は震える足で何とか歩き出す。
『二人で一つなんて、馬鹿げてるわ』『私は私』
夏香。
僕のたった一人の大切な存在。生きる意味。
「……やめなさい!」
鶴華の声が聞こえる。もう知らない、僕はこの声と生きていくんだ。
崖の先へと一歩踏み出した瞬間、ぷつりと意識が途切れた。
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