第5話 誘拐
扉が開く音がした。小説を書いていた手を止め、お客さんの方に向かう。
「いらっしゃいませ」
そこには、高そうなスーツを着た屈強な人たちがいた。
複数人で来るお客さんは珍しい。多くても二人くらいのことが多かった。
この人たちのリーダーと思われる男が一歩前に出て、話し出した。
「私たちと一緒に来てくれないか」
「……」
——どういうことだろう。
私が言葉の意味を理解しようと考えていると、その男は太もものあたりから小さいナイフを取り出した。どこから出したのだろうか。
「もし来てくれないなら、これが君のことを傷つけることになる」
脅されている。目的は分からないが、私の伝言を利用したいのだろう。
「目的は……この箱ですか」
エプロンのポケットの中を漁る。ポケットの中でひよこのぬいぐるみを箱に入れて閉じる。家の近くにいる警察官から借りたものだ。
箱をポケットから出し、私を脅している人たちに見せる。
「伝言したいだけなら、わざわざ脅さなくても」
「私たちの計画が終わるまで、このことが外部に漏れたら困るからね。大丈夫。君の安全は保証する」
安全が保証されるのは私が必要とされる間だけだ。この言葉を信じてはいけない。
裏口から逃げようか迷ったが、逃げ切れる気がしなかった。
「……わかりました。どこに行くつもりですか」
「気にしなくていい。私たちの車に乗ってれば着く」
「車で行くんですか?」
どこに行くかは聞き出せなかったが、車で移動するというのはわかった。警察も探しやすくなる。
しかし、車で逃げる犯人を捕まえるのは難しいかもしれない。犯人を捕まえるより、自分の救出を優先してくれると嬉しいのだが。
「そのエプロン、ポケットがたくさんあるね。何が入ってるのかな」
「仕事で使うものですよ」
「店の名前も書いてあって目立つから脱いでもらえるかな。その箱さえあればいいから」
「……わかりました」
護身用の武器も一応入っていたが、どうせこの人たちには使えないだろう。脱いでその辺の机に置く。
「ではこちらへ。裏口にも人が待機しているので、逃げようと思わないようにね」
裏口から逃げようと思わないでよかったと思う。反抗的な態度を示すとどんな反応をするか分からない。
今はおとなしく誘拐されよう。目的地に着いて伝言を頼まれる前に、なるべく多くの情報を警察に伝えないと。
「用意周到ですね。いつから計画してたんですか」
「もうずっとだよ。君を計画に組み込んだのは最近だけどね」
男は話しながら目線で「こっちに来い」と伝えてくる。
後ろを歩くと、今度は車の中に案内された。高そうな車だった。
窓があって、どこに向かうかはわかりそうなので少し安心する。
動き出した車の中で、その男は私に話しかける。
「君には神様になってもらいたい」
「はい?」
訳が分からなかった。
「私たちが今まで知られていなかった神様の存在を世に示す。そして人々がそれを信じれば、信じた人たちを私たちが支配する構図ができる。神からのお告げとすればなんでも通せるからね」
そこで私の伝言を利用しようというわけか。
伝言は、それを知らない人からすれば確かに神からのお告げに聞こえるかもしれない。
「私の伝言を利用して、新しい宗教を作ろうという訳ですか」
「そういうことだ」
私をすぐにどうにかする心配は無くなったが、これが本当なら彼らの計画が終わるのは当分先だ。
解放されるまでにはとても時間がかかる。
「計画には何人くらいが関わっているんですか」
「百人は超えてるよ。全員が一度に集まったことはないけどね」
「百人?」
百人以上が関わるなんて、かなり大きな計画だ。となると計画は綿密に練られている可能性が高い。
私の救出も難しいかもしれない。動揺を悟られないように次の話題を探す。
「……私が神様なら、快適な場所を用意してくれないんですか」
「もちろんそのつもりだ。だが、その前に行くところがある。この計画の発案者と会わせないといけないからね」
発案者と会う?なぜ?
「これから計画の発案者に会いに行くんですか?」
「そうだ」
「その人はどんな人なんでしょうか」
「私の幼馴染だ。とても頭の切れる人で、昔から尊敬していた。そんな人に計画遂行のリーダーになってもらいたいと言われたら、断るわけには行かないからね」
外見的な特徴を聞きたかったのだが、答えてくれなかった。
しかし、リーダーがここにくるということは、私の確保が重要だったということだ。簡単には逃げられなさそうだし、救出も困難かもしれない。
先に今の場所だけでも知らせられないかと窓から外を見る。ビルや高そうな建物が多く、人通りも多い。国の中心に近づいたのだろうか。
「もう国の中心部に着くなんて、やっぱり車は早いですね」
「そうだね。これからは人目につかないよう、車での移動が多くなるから、慣れてほしい」
「もしかして、これからお出かけとかできなくなります?」
「申し訳ないが、そういうことになる」
車がゆっくり減速する。目的地に着いたみたいだ。
車から降りると、建物の前に案内された。建物の名前を読み上げる。
「東区桜ビル……に発案者がいるんですか? 普通の建物ですよね」
「私たちの計画段階の拠点が四階にある。表向きは会社の事務所となっているけどね」
「四階? このビッグウェーブって会社があることになってるんですね」
「いや、ビックウィーブだ。……これは計画の発案者がつけた名前だ」
ダサいことがこの男にもわかっているようで、名付け親が自分ではないと言ってきた。
「はあ。とにかくここにいるんですね?」
「そうだ」
男は建物の中に入っていく。男の仲間達がこちらを見ているので、大人しく後ろをついていく。
建物の四階には大きな部屋があった。
部屋の壁側にはスーツを着た人が並んでいて、真ん中に大きなテーブルがある。
テーブルの奥側に一人の人間が座っていた。 顔が隠れていて、年齢や性別はわからない。
「あの人が発案者だ」
前を歩いていた男が振り返り、私にそう伝えた。
前に出て発案者と向かい合う形で椅子に座ると、その人は話し出した。
「あなたが神様となるお方ですね」
中性的な声だった。声からも年齢は推測できない。私よりも神様に向いているようにも感じる。
「リーダーさんからも聞きましたが、私が神様になるんですね」
「はい。あなたには神様として、神からのお告げを信者にしてもらいたいのです」
聞いていた通りだった。車でも聞いたことをもう一度聞くのは不自然なので、まだ聞けてないことを聞くことにした。
「計画は、何年前からしていたのですか」
なるべく箱以外の話に誘導したかった。実際に箱を使ってくれと言われたら困るからだ。
すでに警察に場所を伝えているが、ギリギリまで私の状況を伝えたい。
「十二年前からです。しかし、なかなか計画は決まりませんでした。人々に神様を信じてもらう決め手がなかったからです」
「そこで私、と」
「はい。早速ですが、私に伝言してくれませんか。その伝言がどのように聞こえるのか、興味があります」
「……わかりました」
少し悩んだが、断れなかった。ここで不自然な行動を取るのはリスクが高い。
「髪の毛を一本もらえませんか。伝言に使います」
発案者は躊躇わず自分の髪の毛を抜く。その所作はとても丁寧で、ただ髪の毛を抜くだけとは思えないほどの育ちの良さが滲み出ていた。
その人は私の方へ来ると、私の手のひらに髪の毛を置いて戻っていった。
「では、伝言を始めます」
警察に、遠回しに連絡が途切れることを伝え、箱を開ける。今からは、私が警察に伝えたこの場所から移動しないように、時間稼ぎをしなければならない。
髪の毛を入れ、箱を閉じるいつもの動作をゆっくり行い、伝言をする。
「……神様からのお告げです」
箱を開け、私を神様に推薦した人を見る。顔が隠れていて、どんな表情をしているのか分からない。
「ありがとうございます。とても素晴らしいものですね」
「私の直接の声と、伝言の声は区別ができましたか?もう一度、今度はあなたに私の声が聞こえない場所に行ってもらって試すのはどうでしょう」
いつもなら私が見えないところに行って試しているのだが、今はそうさせてくれないだろう。そこで、代わりに、この人に見えない場所に行ってもらうのを提案する。
「そうさせてもらいます」
提案を受け入れてくれた。
私はまた髪の毛を受け取り、この人が部屋から出ていくのを待つ。
ここからは見えないが、奥にもう一部屋あるようだ。私から見えなくなった数十秒後に、スーツを着た男が、指で丸を作ってこちらに見せている。
「……神様からのお告げです」
言い終わったら、すぐに箱を開ける。箱を開けない限り伝言が続くことを悟られたくなかった。
少しすると、見えなくなっていた発案者がゆっくりと歩いて戻ってきた。
「ありがとうございます。見えない位置にいても伝言が伝わることを確認できました」
「よかったです。他の人にも試してもらいますか」
「いいえ。私が確認できたので大丈夫ですよ」
それだと困るので、それっぽい理由をつける。
「他の人に伝言が漏れて聞こえないか不安になったりしませんか?」
「それは……、そうですね。一度試しておきましょうか」
心配性で助かった。十二年も計画していたことを実行するのだから、心配性になるのもわかるけど。
発案者はスーツを着た人たちの中から適当な人を選び、髪の毛を抜くと、私のところに持ってきた。
私がそれを受け取ると、二人はまた見えないところにある奥の部屋へと向かった。
また少しすると、さっきと同じ人が指で丸を作ってこちらに見せている。
「……神様からのお告げです」
箱を開ける。警察はまだだろうか。これ以上箱で時間稼ぎをするのは厳しくなってきた。
「ありがとうございます。他の人には聞こえないことも、確認しました」
戻ってきた発案者は相変わらず丁寧だ。思い切ってここに泊めてくれ、とか言えば時間を稼げるだろうか。
「それでは、私はこれで失礼します。あなたにはこれから、本拠地でお告げをしてもらいます。生活に関することや、安全については保証します」
発案者は私の返事を待たずに、奥の方に戻ろうとしている。
「待ってください!」
部屋中の人が急な大声を聞いて私の方を見ている。
私は声の大きさを抑えて、時間稼ぎをする。
「この計画の目的は何なんですか」
発案者はこちらを向いて笑った…気がした。
なぜかは分からないが、雰囲気がガラリと変わった。
「六歳のときからの計画なのです」
語り出した。気になっているような風を装う。
「さきほど車であなたと話していた男の人と私は、幼馴染です。その人と六歳のときに約束したんですよ。この世界を僕たちのものにしよう、と」
「……」
なんて反応すればいいか分からなかった。
「僕たちで世界の王になって、もっといい世界に、誰も不満を持たない、最高の世界に作り替える。それが私の子供の頃からの夢」
小さい子の妄想の類に聞こえた。
小さい子が言うのならかわいいものだが、大人が言っている。しかも、それを実行に移して被害者が出ているのだ。
訳が分からなかった。
理解できないものへの恐怖を感じながら、それでも時間稼ぎを続ける。
「……うまくいくと思ってるんですか」
「うまくいきますよ」
「……」
「……計画が始められるのが嬉しくてついたくさん話してしまいました。再度言いますが、私たちからあなたに危害を加えることはありません。ミラさん、これからよろしくお願いします」
名前を知られていた。お客さんに自分の名前を伝えることはないのに、どうして知っているのか。
抑えていた恐怖が表情に現れ始めているのを感じる。それでもここにいる人たちは無反応だ。
車の中で話していた男がこちらを向いて、部屋を出るように目線で伝えている。
私はどこに連れて行かれるのだろうか。場所を伝える手段がないので、ここを離れたらかなりまずいことになる。
私が迷っていると、男はこちらに寄ってきて、扉の方に腕を向けている。
「車で送りますよ」
頭の中でここから離れないで済む方法を考えたが、これ以上は思いつかなかった。
男の人の左手は扉に向いているが、右手は男の太ももに当てられている。あそこからナイフが出てくるはずだ。
私は仕方なく、男に連れられ一階まで降り、建物から出た。
◇
そこには八つほどの警察車両が、建物の入り口を囲うようにあった。
「警察だ。その子から離れなさい」
私を囲んでいた人たちが一斉に散るように私から離れる。私が一人の警察官に保護されると、他の警察官が一斉に私を囲んでいた人たちを取り押さえる。
「四階にまだいます」
私が保護してくれた警察官にそう伝えると、拡声器を持った警察官がそれを全員に伝え、建物を上がっていく。
なんとか助かったみたいだ。あのひよこのぬいぐるみがなかったらと思うとゾッとする。
◇
家に帰ったら、まずしたいことがあった。
伝言屋のある一階から小説を書いているノートと手帳を取り、寝室がある二階に行く。
寝室のベッドに座りながら、手帳に今日の出来事を書いていた。
まだ怖くて震える足を今は忘れ、手帳に書き込む。そして、今日の出来事から生まれた小説のアイデアも書き込んでから手帳を閉じる。
ベッドに寝転がって、震える足を休ませる。
今日は本当に怖かった。怖かったけど、小説があるから乗り切れた。
これが終われば小説のいいネタになると思うと、恐怖が少し和らいだ。それだけで恐怖が和らぐ自分に少し笑ってしまう。
今日はひよこのぬいぐるみを手に持って寝ることにした。家の近くにいる警察官から新しいのを三つまた借りたので、安心して普段使いできる。
ぬいぐるみに「おやすみ」と言って明かりを消す。
明日はどんな小説を書こう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます