第2話 手帳
店の裏方にいると、入り口の扉が開く音がした。お客さんが来たのだろう。
裏方から急に挨拶をしてお客さんをびっくりさせたことがあるので、とりあえずお客さんから見えるところまで行く。
「いらっしゃいませ」
店の入り口には、二十代くらいの女性がいた。
髪は腰の高さまで伸びていて、背も高いのでかなり大人っぽい印象だった。左手に手帳とペンを持っていて、何かの取材をしている人にも見える。
「看板の伝言屋ってのはここ?」
「はい。ここが伝言屋です」
「名前だけ見て店に入ったから、何をする店なのかわかっていないんだけど、できれば教えてくれない?」
となると、特に伝言したいことがあるわけではなさそうだ。今日は依頼されなくても、この店のことが分かればいつか依頼してくれるかもしれない。そう思いながら私は説明を始めた。
「一言で言うなら、名前の通り伝言をしています。説明が少し長くなるので、座って話をするのはどうでしょう」
椅子に座るのを促す。自分より背が高い人と話すのは、首が疲れてしまうので苦手だ。
「そうさせてもらうよ」
女性が椅子に座る。私はもう一つの椅子には座らずに、立ったまま話を続けた。
「誰かの物を使うことで、その人がどこにいても人の声という形で伝言ができます。伝言に使った物は消えてしまいますが、手紙と違って、すぐに伝えられます」
「人の声で伝わるって、どんな感じなの?」
「ええと、私が最初に聞いたときは、どこからか声が聞こえる、って思いました」
女性はあまり納得がいってなさそうな顔をしている。正直、私でもこの説明だとイメージが湧かないだろうなと思う。
「代金は払うから、試しに私に伝言してもらえません?」
なるほど。いつもどんな風に伝言が伝わるか説明できなかったけど、そうすれば良かったんだ。女性のアイデアはなかなかにいい物だった。
今度から初めてのお客さんにはこうやって試してもらうのもありかもしれない。
そのときに代金を受け取ると試しづらいので、お試しのときは無料がいいよね、と考えを巡らせる。それならこの女性からも代金を受け取れない。
「お試しなので、代金は大丈夫ですよ」
「助かるよ」
女性の返事を聞いて、私は箱をポケットから取り出して、試しに何と伝えるか聞いた。
「『君はいい小説を書くね』と伝えてほしい」
と言いながら、女性は鞄の中から髪留めを差し出した。
「髪留めが消えるのはもったいないので、髪の毛はどうでしょう。髪の毛でもちゃんと伝言できますよ」
「これでいいよ。どうせもう付けることはないし」
思い切りのいい人だな、と私は思った。本人がそれでいいのなら問題ないので、私はそれを受け取り、箱を閉じて話す。
「君はいい小説を書くね」
「すまないけど、直接声が聞こえない場所で頼む」
そっか、お客さんに試しで伝言を聞いてもらうなら、普段と違ってお客さんに直接聞こえる場所じゃダメなんだ。初めてのことだったのでそこまで頭が回らなかった。
私は箱を閉じたまま裏方に行き、もう一度同じセリフを言う。
「君はいい小説を書くね」
私が女性のところに戻ると、女性は手帳に何か書き込んでいる最中だった。真剣な表情をしているので、私はあまり近づかないように遠くから眺めた。
しばらくすると、女性が顔を上げる。少し申し訳なさそうに笑うと、手帳の中身を見せてくれた。
私は女性の方に歩いて近づき、手帳を覗き込む。……字が雑で読めない。
「もうわかってると思うけど、私は小説家なんだ。この手帳にはいろんな場所での出来事とか、小説のアイデアを書き留めてる」
手帳の字は、私には読めなさそうなので諦めて、女性の方を向く。
「ここに来たのも小説のためですか?」
「そう。おもしろい店だなあと思って」
私もこんなお店聞いたことない。おそらく伝言屋はここだけだろう。
「何か参考になりました?」
「おかげでいいアイデアが湧いたよ。ありがとう」
「それはよかったです」
このお店からどんな話ができるのかな。もしかしたらお店の知名度が上がって、お客さんがたくさん来てくれたりして。
「突然、周りの人の心の声が聞こえるようになった主人公が、それを元に事件を解決する新感覚ミステリーで、主人公には犯人がすぐにわかるんだけど、それを周りの人に信じてもらえるように証拠を集めていくんだ。普通のミステリーと順番が違うのがポイントで……」
お店の知名度は上がらなそうだ。まあ、忙しくなっても困るしいいか。
◇
「過去に来た客の話を聞くことってできますか?」
「秘密厳守なのでそれはできないです。ごめんなさい」
私は頭を下げる。理由は本当だが、そもそも私は過去の依頼内容をそんなに覚えていない。
「それは仕方ないや。じゃあ、今度はお試しじゃなくて依頼をしてもいい?」
「いいですよ。内容と、伝えたい人の物をお願いします」
私がそう言うと、女性は少し遠くを見るように店の外を眺めた。そして今度は私の方を見て話し始めた。
「私の夢は小説家になることだったんだけど、そんな私を小説家にしてくれた人がいてね。その人にお礼を言いたいんだ」
「…その人に、言えなかったんですか?」
その人がもう死んでたらどうしよう、と不謹慎なことを考える。そう思ってしまうような不思議な雰囲気があった。
「え? ああ、いつも直接伝えてるよ」
そんなことはなかった。
「明日帰ったら言うつもりだけど、今も言っておこうかなって」
どうやらかなりの恩人みたいだ。それにしても、明日会うのに伝言を頼むなんて、この人はお金持ちなのだろうか。さっき試そうとしたときも代金を渋らす払おうとしていたし。
「明日帰ったらって、今日は帰らないんですか?」
「結構遠くから来たからね。新しい小説のアイデアが湧かないときは遠出することにしてるんだ。普段はいつも一緒にいるから、今頃寂しがってるかもね」
女性の顔が柔らかくなる。もしかしたらその人とは、仲のいいお友達なのかもしれない。
「それじゃあこれ、借りてたやつだけど。彼女は似たのをたくさん持ってるから大丈夫だと思う」
女性は鞄の中から髪留めを取り出し、私に差し出してきた。さっきもらった髪留めよりもかわいらしい。
私には本当に使ってもいい物かはわからないが、何も言わずに受け取る。
そういえば、肝心の内容をまだ聞いていない。
「なんて伝えればいいでしょうか」
女性はもう決めていたようで、すぐに話し出した。
「私が……、『エミリーがいつもありがとう。明日帰るねと言っていた』と伝えてほしい」
「わかりました。きっと明日驚くと思います」
「私もそう思う」
女性は微笑んだ。
◇
依頼主の顔を見たら緊張するので、横を向き、一度深呼吸してからまた軽く息を吸って、箱を閉じる。
「エミリーさんが、いつもありがとう。明日帰るね、と言っていました」
箱を開ける。横から見ていた女性が箱の中が空なことを確認して驚いている。それを見ていると、ゆっくりと緊張が解けた。
「無事伝わったと思います」
◇
「君の夢は何か聞いてもいいかい?」
代金のやりとりを終えた女性が私に聞いてきた。彼女の夢は叶ったが、私の夢は叶わなかった。
「絵本作家になることでした」
「もうなりたくないの?」
どうなんだろ。なりたいかどうかはわからないけど、私が絵本作家にはなれないことはわかる。
「私、絵を描くのが得意じゃないんです。学校に入学した頃に友達に下手だって言われて、それから描いてないんです」
「それなら小説家になるのを夢にしたらどう?」
予想外の提案だったが、前向きには考えられなかった。絵本作家にもなれなかったのだから、小説家なんて私にはなれないような気がするからだ。
「でも、私は小説家になれないと思います。一度も書いたことがないし、きっと向いてないので」
「なれるか、じゃなくてなるんだよ。小説を一つ書いたなら小説家って名乗っていいと思うよ。だから、試しに書いてみたらどうかな」
私がいつの間にか下がっていた顔を上げると、女性は楽しそうにニカッと笑った。本当に楽しそうな笑顔だった。
「このお店やってたらいろんな客が来るでしょ。その人たちの話聞いて、私みたいに手帳にアイデアとか書いてさ、思いついたときでいいから書いてみなよ。下手でもいいから一つ書き終えるのが大事なんだよ」
そこまで言われると、小説書いてみるのも悪くないような気がしてきた。小説の話をする女性は楽しそうだし、もしかしたら書くのも楽しいのかもしれない。
休みの日にすることがないなあと思っていたのも事実なので、私は小説を書くのを始めることにした。
「試しに書き始めてみます」
「よし。書くと決めたなら道具がいるよな」
そう言って女性は鞄の中から一本の羽根ペンを取り出して、私に差し出した。
「これを君に貸すよ。インクは自分で用意してくれ」
とても綺麗な羽根ペンだった。羽根は透き通っていて、装飾品のようだった。
「いいんですか?」
「私同じの四つ持ってるから」
女性は鞄からケースを取り出すと、開いて見せてくれた。ペンや紙がまとめて入っていて、羽根ペンもその中にいくつか入っている。
「私が次いつ来るかわからないし、返さなくてもいいけど、一つ書き終わるまでは無くすなよ」
「わかりました」
「それじゃあ」
女性は手に持っているケースや机の上の手帳をしまうと、こちらを向いてまた楽しそうな笑顔を見せてから、店の入り口へと向かう。
私の夢は小説家になることになった。
女性の言うように、一つ書き終えることができたら小説家になれるのなら、前の夢より小さい夢な気がする。
小さくても、それは私の夢だ。叶えたいと思った。
私はお店を利用してくれたことと、夢を与えてくれたことのお礼を言う。
「ありがとうございました」
◇
手帳を見ると、いつもその女性のことを思い出す。この手帳を買ったのは彼女の影響だ。
私はお客さんが来たときや、箱を使ったとき、他にも普段と違う出来事があったときはこの手帳にそのことを書いている。
それらを見返したときに、いろんな小説のアイデアが生まれるからだ。
そして、ほとんど日記のような手帳の中で、唯一彼女が書かれた「小説家」のページを見るのが特に好きだ。あれから彼女は来なかったが、このページを見たら会ったときのことを思い出せるからだ。
いつも寝る前にこのページを見ているが、今日は長いこと思い出の中にいたようだ。私は明かりを消して、ベットに横たわる。
夢の中に彼女が出てくることが多いのも、このせいだろう。
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