ミラの伝言屋
揚げみかん
第1巻
第1話 かわいい少年
「こんにちは。ここが伝言屋ですか?」
「そうですよー。いらっしゃいませ」
はきはきとした男の声だった。店の入り口の方を見ると十代の、まだ国営学校を卒業していないであろう男の子がいた。おでこが見えるくらい短い前髪をはじめ、さっぱりとした印象を与える髪型や、少し日焼けした肌が健康的な印象を与えている。
「伝言の依頼ですか?」
「そうです」
「ここに来るのは初めてですよね?」
「はい」
「では説明を始めますね」
「お願いします」
そう言って着席を促す。
今日のお客さんは返事が簡潔でわかりやすく、そして丁寧でとても嬉しい。いつもこういうお客さんばかりだったらなあと心の中で思う。
少年が座ったのを確認してから、私は立ったまま説明を始める。
「ここは遠くの人に文章を伝えるお店です。必要なのは代金と、伝える文章、あとはその人が持っていた物です。伝えたい人の物は持っていますか?」
だいたいの人は一度ここで帰るが、少年は用意してきたようだ。事前にこの店のことを調べたのだろうか。リュックからノートを取り出している。
「自分のノートに絵を描いてもらったんですけど、それでできますか?」
デフォルメされたうさぎの絵がページの端に描いてあった。数十秒で描かれたような簡単なものだったが、かわいらしさが伝わってくる。
このために描かれたものなのか、描いてもらったのをたまたま持っていたのか気になった。仕事に関係ないことはあまり聞けないので、とりえずこの疑問は忘れる。
「描いてもらったのはいつですか?」
「昨日です」
それならまだ自分の物にはなってないだろう。
「それならできると思います」
「よかった…」
少年の表情が柔らかくなった。
「伝言に使ったものは消えちゃうけど大丈夫ですか?」
「大丈夫です。二つ描いてもらったので」
少年が自慢げにページをめくると、今度は猫の絵が端にあった。同じ人が書いたことがなんとなくわかる。
——まだ自慢げな顔をしている。反応待ちだろうか。
「事前に調べて描いてもらっていたんですね」
「はい!」
——ちょっとかわいい。
「では、本当にうまくいくか不安だと思うので、一回試してみましょうか。どんなふうに伝わるかも気になりますよね」
「お願いします」
「お客さんの髪の毛を一本もらってもいいですか?」
「伝言に使うんですね?わかりました」
少年は髪の毛を一本抜くと、私に差し出した。私はポケットから箱を取り出して開け、少年の髪の毛を受け取って箱の中に入れる。
「何が聞こえたか教えてくださいね」
そう言って裏方に行く。特に伝えたいことがあるわけではないので、箱を閉じて、手短に話す。
「ちゃんと私の声は聞こえていますか?私の好物はコロッケです」
表に戻ると、少年は目をキラキラしてこちらを見ていた。
「すごい! コロッケ!」
それはよかった。
「あんな風に聞こえるんですね!」
「これで安心できましたか?」
「もちろんです!」
少年はまだ目をキラキラさせている。目が乾かないのかな。
「それじゃあ準備に入りましょうか。なにを伝えたいかは決まってますか?」
「はい」
「では、その内容を教えてください」
「えっ」
あれ、もしかして知らないのかな。驚いた顔してるし。もう全部調べて知ってるものだと思ってたから、ちゃんと説明してなかったかも。そういえば表の看板にも書いていないかもしれない。
「伝言、私しかできないんです。なので、私が代わりにその人に伝えるんです」
少年のさっきまでの目のキラキラは無くなっていて、代わりに耳が少し赤くなっている。
——好きな人かな、少年が伝言をしたい人は。振り返ってみるとその人の話をするとき、楽しそうだったもんなあと思う。
でも、そうなると商売としてはまずいかもしれない。慎重に話を聞かないと、恥ずかしくて伝言を諦めてしまうかもしれない。まだお金をもらっていないのでそれは困る。
「大丈夫です。私がここで聞いたことを他の人に言ったりしません。そんなことをして店の評判が下がると困るので」
少年は悩んでいる素振りを見せているが、どちらかというと勇気が出なくて踏みとどまっているように感じる。私には彼の勇気を出すお手伝いができないので、ゆっくりと待つことにした。
少しの間待っていると、彼は心を決めたのか話し始めた。耳は赤いままだ。
「好きな人がいるんです」
当たってたみたい。なるべく顔に出さないようにして、話の続きを促す。
「好きだってことをそれとなく伝えたいんですが、いい方法が思いつかなくて」
「それでこの店に頼もうと思ったんですね」
「そうです」
少年は少し申し訳なさそうに話を続ける。
「でも、自分で伝言できないって知って、他の人の声で伝わるってなると、なんて伝えたらいいかわからなくて」
「お客さんの声で話せますよ」
「え?」
私は付けているチョーカーに手を伸ばし、右手側を撫でる。
「どうかな、ちょっと違うな…」
私から違う人の声が聞こえるのはやっぱり慣れない。今度は後ろを撫でて調整する。
「あーあー」
少年がさっきの何倍もびっくりしているし大丈夫だろう。念のため自分の声を確認するため、箱に自分の髪の毛を入れる。何を言うか少し悩んでいると、さっきまで抑えてたいたずら心がまた湧き上がってくる。少年自身の声で伝わるとなれば、お金をもらう前に帰ってしまうことはないだろう。
『好きな人がいるんです』
少年の顔が真っ赤になった。
◇
「声はお客さんのものになったとしても、喋るのは私です。なので伝える文章だけじゃなくて、細かいニュアンスも事前に決めておきたいです」
「わかりました」
少年は平然を装っているが、まだ顔は赤いままだ。
「それとなく好きなことを伝えたいんですよね」
「はい…」
「伝えたい相手について教えてもらえますか?」
「ええと…」
さっき少しからかってしまったので、私は待つことにした。顔の赤色が少しずつ増していく。その好きな人が、少年がこんなに純粋な子だと知ったらそれだけで好きになってしまいそうだ。
「国営学校に入ったときに初めて会ったんですけど、そのときに一目惚れして、今でも好きなんです」
「入学してからというと、何年くらい好きなんですか?」
「今年で入学から八年なので、八年くらいですね」
純粋で一途でかわいい男の子。こんな子に好かれているなんて幸せだろうなと思う。
「好きな人とはどんな関係かも教えてもらえますか?」
「幼い頃からの、友達です。今でも学校で話したり、休みの日に一緒に出かけたりします」
私の力なんてなくてもうまく行くような気がするが、商売的には黙っておこう。
「それとなく伝えたいとなると、ただ『好きです』と伝えるわけにはいきませんよね。お客さんのことを意識してしまうようなことを伝えられるといいんですが」
そもそも、伝言屋のことを知らない人に伝言を伝えても、なかなか思い通りにはいかないことが多い。急に誰かの声が聞こえても、ほとんどの人が聞き間違いだろうと忘れてしまうからだ。
そもそも、直接ストレートに想いを伝えたいなら、伝言屋なんて使わずに会って話した方が絶対にいいだろう。逆に言えば、それとなく伝えるためにここにきた少年の判断は間違っていない。
少年も考えている。お客さんがどんな文章を伝えるべきか考えるのも私の仕事だが、今回は私が決めない方がいいだろう。こういうのは自分で決めた方が納得するものだ。昔の私もそうだったし。
それでも、少年が悩むようならどんなふうにアドバイスしようかな、とか考えていると、少年がふと何かを思いついたように顔を上げた。が、すぐにまだ赤いままの顔を下げてしまう。何を思いついたのか気になるが、私は少年が話し始めるのを待つことにした。
しばらくすると、少年がゆっくりと顔をあげて、私の方を見る。すぐに目を逸らすと、さっきより小さな声で話し始めた。
「『俺のことが好きなんだろ?』って自分の声で伝えてもらえませんか」
その恥ずかしがっている顔からは想像もできないくらい大胆で、そして策士だった。思わず口元がにやけてしまう。
当の本人はというと、顔は伏せていて見えないが耳がとても赤い。かなり頑張ったのだろうと思う。もう一度聞いたら怒るだろうか。
「聞こえなかったので、もう一回言ってもらえますか?」
「——今の聞こえてましたよね」
ごめんなさい。
◇
次の問題は私だ。なるべく本人に似せないといけないが、本人がこんなに恥ずかしがっていると参考にならない。好きな人と話すときもこうならいいのだけど、多分そんなことはないだろう。幼い頃からの友達らしいし。
いつもなら、私はお客さんの口調に合わせるために、お客さんに伝えたい文章を何度も言ってもらって私がそれに似せて話す、と言う練習を繰り返してから本番をしている。
しかし、少年に何度も言ってもらうだけでなく、私がそれを何回も繰り返すのだ。彼に耐えられるだろうか。こうなると他の方法を考えるか、恥ずかしさが緩和されることをしないといけない。今度は私が悩む番のようだ。
とりあえず、いつも私がそういう練習をしていることを伝えてみて、その反応を見て決めることにした。
「お客さんの口調に似せて伝言をするために練習をするので、もう一度言ってもらえますか?」
「あ…。さっきのってそういうことだったんですね」
「そうです」
そういうことにしておきましょう。
「言うのって…さっきのですよね」
「そうですね」
「——さっきの一回でなんとかならないですか…」
少し悩んだが、あえて恥ずかしい思いをしてもらうことにした。外していた調整済みのチョーカーをポケットから取り出し、先程のセリフを言う準備をする。小さめな声で、少し大げさに恥じらいを含ませたかわいらしい口調を心がける。
「俺の…ことが…好き…なんだろ」
自分の声で聞かせるのが目的ではなく、このままだとかっこよくない口調で伝わるぞという軽い脅しである。それはそれとして、少年はとてもいい反応をするので今回はどんな反応をするかな、というワクワクはあった。
「…みたいになっちゃいますけど、大丈夫ですか?」
「あ…えっと…がんばります」
うまくいったみたい。顔がもっと赤くなるかと思っていたけど、むしろ赤色は主張をやめ、元の顔色に近づいている。元の顔色なんて覚えてないけど。
◇
「俺のことが好きなんだろ?」
恥ずかしさもかなり薄れてきたようだ。とてもスムーズに言えている。好きな人にかっこいいところを見せるために恥ずかしいことも乗り越えるなんて、キラキラしていて、そして年頃という感じがしてかわいい。
「じゃあこれでやってみますね」
「わかりました」
チョーカーをつけ、私も似せて話してみる。
「俺のことが好きなんだろ?」
力作だ。かなり似てたんじゃない?と嬉しくなるが、なるべく顔に出さないようにする。少年は少し不満げだからだ。似てなかっただろうか。
チョーカーを外し、少年に聞いてみると、予想外の返事が返ってきた。
「お姉さんの話し方は似ているんですけど、そもそも僕はこんなこと言わないなと思って」
普段やらないことをしないと意識してもらえないのでは、と思ったが、おそらくそうではなくて口調の問題だろう。私も、彼ならかっこいいよりもかわいいが似合うなと思い、チョーカーを外して、少年のかわいさを生かせる提案をする。
「俺のこと、好きでしょ……とかどうでしょうか」
少年としては、かっこいいところを好きになってもらいたいのだと思うけど、割とかわいいところから好きになることも多いと思う。私の初恋もそうだったし。かっこいい人の、かわいいところから好きになることもあるのだ。
少年の表情はやや曇っている。
「それで僕のこと意識してくれるのかな」
ちゃんとうまくいくか不安なようだ。立場上絶対うまくいくとは言えないので、そのあたりをうまくぼかしつつそっと背中を押す。
「仲良い人に言われたら、ドキッとしちゃうセリフだと思いますよ」
少年はパッと晴れたような顔をして、こっちを向いた。
「じゃあそうします!」
うまく背中を押せたようでよかった。
◇
「始めるので、伝えたい人の物をもらえますか」
そう言うと、少年はリュックからノートを取り出し、二つのページを見比べながら少し迷ったあとに、うさぎの絵をちぎってこちらに差し出した。
私は黙ってそれを受け取り、少年から見えないように丸めて、箱に入れる。
少年の方を向くと、少年も緊張しているようで、表情が硬くなっていることがわかる。表情が豊かなのをちょっとうらやましく思う。
私は横を向いて、息を軽く吸ってから箱を閉じる。
『俺のこと、好きでしょ』
箱を開けて、チョーカーを外してポケットに入れた。ゆっくりと息を吐くと、肩の力が抜けるのがわかる。私がほっとしたのを見て、少年の表情も和らぐ。
「これできっとお客さんのこと意識してもらえますよ」
「ありがとうございます」
二人の仲に進展がありますように、と心の中で祈る。幸せな二人の話を聞くのは好きなので、少年にはまた来てもらって話をしてほしい。
「進展があったら話を聞かせてくださいね。幸せな話を聞くのは好きですし、お店の参考にもなるので」
「そうします」
少年から代金を受け取って、「ありがとうございました」と言って背中を見送る。
学生にしてはそこそこ高い金額のはずだが、少年は特に気にしていないようだった。
少年が帰ってから、お店の中が一気に寂しくなったような気がする。元気な客だった。少年一人で三人分くらいの賑やかさを提供できそうだ。
特にすることもないので、裏方に戻ることにした。お客さんがいないときの店は静かなので、足音や扉の開く音でお客さんが来たことはわかる。もし気づかなくても、お客さんが声をかけてくれるだろう。
私は机の上の手帳を手に取り、新しいページに今日の日付を書く。少年の名前はわからないので、依頼主のところに「少年」とだけ書く。続けて伝言先のところには、「少年から彼の好きな人へ」と書き、他にも伝えた内容と意図なども書き込む。
なんとなく他のページも開くことにした。この手帳には今まで受けた依頼と依頼主についてたくさん書かれている。少し悩んだあと、その中で一番好きなページを開いて眺める。
◇
「小説家」と一番上に書かれたページを閉じて、お店を閉めようか悩む。外の様子を見るために立ち上がる。
店の入り口から外を見ると人で賑わっていた。これならもう一人くらいお客さんが来てもおかしくないので、まだ店を閉めないことにした。それまで暇なので、少年の行動を思い返してみる。
かわいかったなあ。
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