防空壕

洞田 獺

防空壕

 あ、ええ、はい。そうです、私が娘の……はい、先日メールを送りました、井上の娘です。父から凡その内容は聞いていると思いますが、実際に会ってお伝えしようと思いまして。ええ。何分体験談ですから……私が一度整理して人に話してみたかったという面もありますが。喫茶店までご足労いただきありがとうございます。この度は夏の怪談特集を組まれるということで、一度話してみたかったエピソードを思い出したんです。少々怖がらせることが目的の怪談からは外れた話になるとは思いますが、こんな話でもよければぜひ聞いて欲しいんです。あれはもう十年も昔でもうおぼろげな思い出ですが……私は幽霊に会いました。

 それは私が母の言い付けを破って叱られたのがきっかけでした。私の母は厳格な人で、お恥ずかしながらその頃は私も腕白だったので毎日のように叱られていました。そして怒声には慣れっこになった私に、酷く怒った母は特別なお仕置きをしたのです。その頃は大きな恐慌があって世間も随分物騒になっていたもので、私は無暗に外出することを禁じられていました。小学生の私はきっと我慢ならなかったのでしょう、当然言い付けを破り窓からこっそり遊びに行きました。戻れば怒られることは確実なのに、刹那的な幸せを堪能する……。こんな無鉄砲ができるのも子供の特権でしょうね。隠しておいた靴を履いて、お気に入りのカーディガンを羽織って、街に探検に繰り出しました。活気を失いつつある商店街を通って、店先の花を眺めて、迷っている人の道案内をしたりして。でも私が帰った頃には家は大騒ぎになっていたでしょう。時勢も時勢ですから、心配の重さは大変なものだったでしょうね。だからその日の母は本当に怒っていたのだと思います。気づけば私は泣きながら横に抱えられ、強制的に森の中へ連れられて行きました。

 泣きながら訴えても腕の中で暴れても母は一言一句発しませんでした。ただその度に腹部に指が強く食い込んで苦しくなりました。普段の母とはあまりにも態度が違うので、時々全くの別人ではないかと不安になりました。母はまだ昼だというのに黒緑色に染まった森のどこか、私の検討も付かない場所で立ち止まって、そこにあった窪みへ私を強引に押し込みました。大人の力には敵わず、突然固い階段状の地面に叩きつけられた衝撃も相まって抵抗は無意味でした。私が完全に中に入ったことを確認すると、すぐさま金属製の蓋を被せられ何か大きな重りを乗せる音がしました。一面が夜より暗くなった後は、しんと静まり返って、それきりでした。

 私はその時ずっと怖かった筈なのに、泣いたり叫んだりはしませんでした。可笑しいですよね、今の私なら取り乱してしまうでしょうに。私は大人になってちょっとだけ弱くなったように感じます。頭上のアルミ板の凹凸に触れて、それがびくともしないと知ると私は不思議と冷静で、母が許すまでじっとしていようと思いました。今までに母が私を許さなかったことはありません。今日は酷く怒っているけれどきっと一過性のものですぐに迎えに来てくれる。また暖かい手で撫でてくれると確信していました。土で形成された階段に座ってじっとこの壕の奥、正確にはその手前の闇じっとを見ていました。私はそれが防空壕だと大凡の見当が付いていました。丁度戦争の時代の教訓や文化は小学校で教わっていたからです。教科書のモノクロームの写真に私が入り込んだ様で妙な気分になっていました。壕の中は地上よりずっとひんやりしていて、土と黴の匂いが立ち込めていました。恐らく数分が経ち、私は退屈を感じていました。壕内を探ることも黒一色の中では敵いません。目を開いても閉じても同じ景色に一つ欠伸をすると、ぱしゃと奥から水音がして続けて「ケンくん、いるの?」と女の子の声がしました。私はこの時ばかりは大声で叫んでしまいそうでした。急に縮んだ心臓からはヒュッとか細い悲鳴が漏れました。彼女が噂の幽霊だと思いました。友達の間でよく話されていた、戦争で取り残されて死んでしまった子供の幽霊です。怪談には嘘か誠か信用ならないものもあったのですが、これに関しては先生方もおっしゃていたので確かだと思いました。いつも寂そうな哀れな霊で、危害を加えることはないと聞いていたので、話しかけてみることにしました。

いいえ、違うわ、と私。じゃあ、誰?と声は壕の奥から聞こえてきます。視界は相も変わらず分厚い黒に遮られ、声の主である幽霊は見えませんでした。いや、元より透けて見ることができなかったのかも知れませんが。ともあれ少し落ち着いた私はその頃の渾名で、トモちゃんだよ、と返して近付いてみることにしました。正しく一寸先は闇という状況で恐る恐る足を運べば、靴底が水を蹴ってまたぱしゃと音を立てました。靴に染み込まない程度の雨水が壕の床に溜まっているようでした。続いて指先を伸ばしましたが、今度は空を切って闇に溶けました。その間にも返答があります。わたし、知らないわ。何を?あなたを。声は私の素性を猜疑しているようで、怯えからか震えて聞こえました。私もあなたを知らないわ。大胆に1歩、2歩踏み出してまた腕をゆっくりと振るうと手の甲に何か柔らかいものが当たりました。私にはそれが丸い手であることがすぐに分かったので、両の掌で冷え切ったそれを包んで言いました。だから友達になりましょう。私の体温が移ったような気がしました。

 そうして私たち、私と幽霊は長い間仲良く話し合いました。ここが怪談にそぐわないと私が思うところです。家庭や夢などの大きな話から好きな食べ物や花のような小さいけれど幸せな話まで沢山しました。本当に色々なことを話したので忘れてしまったことも多いのですが、覚えていることだけでも話します。幽霊がここにいた理由はかくれんぼをしていたからだと言っていました。ここなら滅多なことでは見つからないと思っていたのにトモちゃんには見つかっちゃった、と。私は彼女のお母さんがそう教えたのだと思います。実は彼女の手は私より少し小さいぐらいだったのですが、話しぶりに拙さを感じました。きっと戦争の恐ろしさなんて分からないぐらいの子で、ここに隠れているうちに栄養失調で倒れてしまったか、上に爆弾が落ちた衝撃で頭を打ってしまったのか。包んでいた彼女の手は仄かに暖かさを取り戻したものの、同じだけ私の手が冷たくなってしまったので手を離すことにしました。この時私が入れ替わりに幽霊になってしまうことを想像してしまったからです。その代わりにカーディガンを貸してあげました。編み込みの綺麗なカーディガンでお気に入りでした。よく外に着て外出しては土で汚して母に叱られた覚えがあります。他の衣服とは扱いが違かったので高価なものだったのかもしれません。彼女はひどく喜びました。きっと彼女の時代には珍しいものだったのでしょう、こんなに暖かくて柔らかい着物初めてよ、と言ってぎゅっと体を抱きしめるのがふわりと伝わりました。自分の好きなものを褒められるのは全く悪い気がしません。彼女は他に、好きな食べ物はお米だなんて言いました。私はてっきりおかずや甘いものだと思い込んでいたので意表を突かれて笑ってしまいました。彼女は慌てて卵も好きだと言いました——けれど、いつも満足には食べられないと言います。きっと戦時中はどこでもそうだったのでしょう。私は彼女に戦争について尋ねることはしませんでした。彼女は明るく朗らかで、その恐ろしさに乱されていないようでしたし、彼女が自分の死に気が付いていなかったという点もあります。心に閉ざした悲しい記憶を無遠慮に掘り出して傷をつけてしまうかもしれません。昔の私はそこまで考えていたわけではないでしょうが。私は彼女の腕や肩には触れましたが、足元に手を伸ばすことはしませんでした。もしそこに有るべきものが無かったのなら流石の私でも怖くなってしまうのでしょう。それに彼女が幽霊かどうか分からなくなってきていました。戦争の時代を生きてきた子供にしては溌剌としていて、特に戦争教育を受けて知識があるようでもありません。そして今思えば彼女の貧困も恐慌があったことを考えれば不思議でもありません。子供のころに衣食住に困ったことはありませんでしたが、それは私が比較的裕福な家庭に生まれていただけなのかもしれません。しかし、この後のことを考えれば彼女は幽霊だったと言わざるを得ないのです。

 それは突然に起こりました。丁度薔薇の花の香りを話し伝えていたところでした。ごごと地震のような音が響き、出口を覆っていた鉄板が急に外されました。防空壕の中へ朱色の陽光が急に差し、何時の間にか入ってきた方向とは逆を向いていた私の目に飛び込んできました。目が眩んだ私は眩暈に打たれ、肘が雨水に浸かることを気にすることもできずただ蹲りました。私は昔からてんかんのような症状を持っていました。眩暈とともに数百数千の耳鳴りがします。金属を引きずる音、重くぶつかる音、虫の甲高い鳴き声、雨水の跳ねる音、遠くでなっている五時のチャイム、離れていく少女の声、エンジンが痺れる音、木立の静寂が一斉に。吐き気が引いた頃には目の前にいたはずの幽霊も貸していたカーディガンも何もかも消えていて、一人で何も分からず泣きそうな私が座っていました。夕日に照らされた豪の中ではてらてらと雨水が金色の波紋を作っていました。土でできた階段を上って豪の外に出て、雲に届きそうな杉が並び風にごうごうと揺らされて堪らなく不安になって、ついに私は泣きながら一目散に駆け出しました。そこがどこの森なのか、どちらに行けば良いかも分からず、何度も転び擦り傷を作って、奇跡的に私を探しに来た伯父さんに保護されました。後で聞いたところによると、いなくなった私のことを一家総出で必死に捜索していたようでした。特に母なんて私が帰ってきた日から三日は私と行動を共にして、心配から監視を続けていましたよ。

 これが私の体験した不思議な出来事です。怪談として採用するのは難しいかもしれませんが、何らかの形で先生の役に立てば幸いです。長い話を最後まで聞いてくださってありがとうございました。……え、不自然、ですか?それは私も記憶が曖昧なところもありますし、辻褄が合っていないところもあったかもしれませんが、怪談のような現象に不自然は付き物ではありませんか。思い返せば、母の言動に若干の違和感がありますが。心に閉ざした悲しい記憶?一体何のことでしょうか?


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