5-b
眠りから覚めると、カーテンの隙間から漏れ出した陽光がまず飛び込んできて、思わず目元を手で覆う。いつの間にやら寝ていたようだ。
私は布団から上体を起こしてしばらくぼうっとしていたが、霞がかった頭が今日が平日であることを段々と思い出してきて、唸りながら何とか立ち上がった。
カーテンを開けて、窓を開ける。顔を洗うように風が吹き抜けて、空を見上げると、文句なしの良い天気だった。月曜日の嫌な気分も、これなら少しは晴れるというものだ。
「ほら、起きて」
ベッドで眠っている光に声をかける。光はわずかに身じろぎをして、やがて自らの意志で体を制御する努力を始めた。
「うー……」
「朝だよ朝。えっと、ちょうど7時半。あんま余裕ないでしょ」
「……うん、あけのちゃん、おはよ……」
ゆっくりと身を起こしてそう言ったまま、光は微動だにせずうつむいている。光の家にはもう何度も泊まりに来ていて、朝が弱いことは昔から知っているが、今日は一段と酷そうに見えた。
「ほらそのままベッドから降りて」
光はなおも動かない。細くなった寝ぼけ眼が、毛布の膨らみを意味もなく見つめている。これはもう一押しが必要だろうか。
「朝ご飯何食べたい? というか何ある? ご飯は昨日炊いたけど」
「……たまご」
「はい、卵と?」
「あと、たまご……」
「え?」
振り返ってベッドの方を見る。光は巻き戻されるように再び横になって、そのまま目を閉じた。ただ、揺れるカーテンの影が目元を往復するものだから、光は縮こまるようにして壁の方へ横向きになる。
「うー、まぶし……」
私はベッドの空いているところに腰を掛けて、光の体を揺する。
「ちょっとー、おねむちゃんかー?」
「ぎり起きてる」
「寝てるでしょ」
「寝てないー……」
光は唸りつつも、話し方が結構はっきりとしてきていた。起き上がらずとも、多少は目が覚めてきたのだろう。
「寝てるじゃん、寝不足?」
「あんまり寝てなく、て」
「そりゃ夜更かしするからでしょ。私もだけど」
いや、と光は言った。長い髪がもぞもぞと動く。どうやら枕の中で首を振ったらしい。
「なんか最近、ばたばた、しててさ」
「なにそれ」
それから光は何も言わなくなって、私も何となく黙った。
鳥の鳴き声が聞こえて、外気のにおいがした。部屋中に朝日の気配があって、心地が良い。車が走り過ぎる音が一度だけ聞こえた。就寝時にも履いていた靴下を何とはなしに脱いで、陽光を照り返すフローリングを裸足で踏みつけると、わずかに温かい。気がつけば私は目を閉じていた。
あのさ、と光が言った。
「何?」
「今日さ」
「うん」
「学校さぼろうよ」
えー、と私は冗談交じりに言って、光を振り返る。光は相変わらず壁を向いて、動かないままだった。
「だめ?」
「だめ、って言うか」
本気で、と私は思う。
「いやいや、行こうよ」
「いいじゃん」
「いや今日ほら、あれ、英語あるよ」
「それが?」
「先週出された課題あるじゃん、出さないとまずいってあれは、だから行こうよ」
光は答えない。代わりに、一呼吸おいて、
「ばたばたしてるって言ったじゃん」
「うん」
「それさ、お母さん出て行っちゃったの」
光はなおも動かなかった。
私は言うべき言葉を見つけられず、というか、ひたすら呆然として、
「それは、その」
「どこかに行っちゃったの。通帳とかそういう、大事そうなものが全部なくなってた。今までもこういうことあったけど、何か、今回はもう帰ってこないと思う」
「えっと、親戚に連絡とかは」
「するだけしたよ。本当に帰ってこなかったら頼っていいって」
いつだとか捜索願だとか、多くの質問があったが、聞くのは憚られた。先週は普通に学校に来ていたし、いなくなったのは本当につい最近のことなのだろうと思う。
「そっ、か……」
何を言えば良いのかわからなかった。
私は落ち着かず、振り返りつつベッドから立ち上がる。片足だけが日に当たって暖かい。
ベッドに縁取られた光の姿は、等身大の一枚の絵画か、あるいは繊細に彫り上げられた像のようだった。薄手の毛布が象る曲線を追っていくと、飴細工を束ねたような髪に行き着いて、最後には磁器のごとき肌に目を奪われる。淡い陽光が彼女の上で揺れているが、それはむしろ、ある種の停滞であるように思われた。ベッドの内側の空間だけが驚くほど鮮明にそこに存在している。
光、と心の中で一度呼ぶ。
私は考える。
私は光の母のことをよく知らないし、光と母の関係についてはわかりようもない。そこで、ただ想像によって作り出した言葉をかけたところで、それは本物の効力を持つだろうか? それもまたわからない。
だから、かけるべき言葉ではなく、光がいま願ったもののことを考える。
「奥いってよ」
光が私の方を向いて、え、と言う。
「入れないじゃん」私は続ける。「寝ようよ」
「あ、うん」
光は何度か体を動かして、壁の方へ寄っていく。
私は毛布の半分をもらって、光の横に潜り込もうとする。光の髪を潰さないように手でよけて、それから横になる。靴下を脱いだせいで足先がくすぐったい。
「英語はいいの?」
「そんなのもういいんだよ、なんでも。ぐっなーい」
「もう朝だよ」
「じゃあグッドモーニング?」
「それは変」
あはは、と私は笑って、それから、
「枕」
「え?」
「半分わけてよ」
「うん」
そうして空けられた枕の半分は狭かったが、かまわなかった。
「眠ろうよ。とりあえず」
「そうだね、今は」
「いや、好きなだけ、さ」
光は数度瞬きをすると、毛布の中で私の手を探し出して、握った。
「うん──あけのちゃん」
「なに?」
「おやすみ」
おやすみ、と私は心からそう願い、答える。
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