あなたのことが好きだった、私は、消えました。

@asws

結婚式で弔われてしまった「私」のこと

 結婚式とは、独身時代を生きた「私」の葬式であったなと振り返ってしみじみ思う。

 あの日、二十数年間「私」だと思って生きてきた人間は、親しい人達の多大な祝福を受けながら終わりを迎えてしまったのだ。そうとは気づかずに。厳かな雰囲気のなか執り行われたあの儀式も、華やかな演出に溢れていたあの会食も、すべては終わりゆく人生に別れを告げるための時間であった。


 私は、「私」のままで結婚生活を送ることができるのだと、当たり前のように信じていた。疑う余地なんてなかった。夫となる人を信頼して尊敬して、愛している「私」。自分はなんて幸運なんだろうと、些細な瞬間に思わず笑みが溢れてしまう「私」。たまにどうしようもなく落ち込むけれど、それでもちゃんと前を向いて立ち直ることができる「私」。私のことが大好きな、「私」。

 まさかその「私」が、結婚という巷にありふれた契約ですっかり消えてしまうだなんて、思いもしなかった。


 結婚なんて、ただ名字が変わるだけの手続きに過ぎないと思っていた。

 もともと生まれ育った家に特別な思い入れなんてないから、名字が変わることだって全く気にならなかった。むしろ好きな人とお揃いになれて嬉しいくらい。どちらかというと実家は息苦しい場所だったから、やっとその苦しさから解放されるようで、私はこの国で議論が始まりつつある古い慣習を、喜んで受け入れた。

 今なら少し分かる。社会において旧姓の「私」を名乗れないようにすることは、社会から旧姓の「私」を抹消してしまう行為なのだと。もう誰も、旧姓だった「私」が現存することを認めることができない。生まれてから今日まで生きてきた、私はここにいるのに。名字が変わると、夫の姓をもつ私になる。有り体に言えば、夫の姓に属している、夫の姓の所有物である私になる。


 そうしてすっかり、「私」は消えてしまったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたのことが好きだった、私は、消えました。 @asws

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ