第11章 おとしまえ
「ちょっとー、それはないんじゃない?」
かおるの大きな声が受話器から聞こえる。
「ごめん・・・。
パパにバイクの事とかバレちゃって、
もう付き合っちゃだめって・・・」
葉月は、うそをついていた。
只もう、かおると達は二度と会いたくなかった。
かおるとヒロヤの恐ろしい会話を聞いた後では、そう思うのも当然であった。
このまま付き合っていたら、何をされるかわからない。
「それに携帯も取り上げられたの。
今も公衆電話からかけてるし・・・・。
あっカードが切れそうだから・・・ごめんね。
本当に。
じゃあ・・・」
両手で押さえるように受話器を置くと、カードが戻ってきて電子音が鳴っている。
葉月の心臓の音に合わせるように強く鳴っている。
言い知れぬ不安が心の中に充満していた。
このまま、かおる達がすんなりと自分を許してくれるとは思われないからだ。
明に相談したいのだが県大会を目前に控えている今、余計な事で心配をかけたくはなかった。
それから一週間程、何度か学校でかおるに問い詰められたり、なだめられたりしていたが、サチコの助けも借りて何とか断ち切る事ができた。
「そーよ、葉月。
正解よー・・・。
もうすぐ受験だし・・・。
私、心配してたんだ・・・。
大丈夫よ、
これからは朝も私と一緒に通学しよう?」
サチコが優しく言ってくれて、少し安心する葉月だった。
だが時折出会う、かおるの視線は突き刺さるように葉月の心をえぐった。
このままじゃ済まさないと言っているかのような、かおるの眼差しであった・・・。
※※※※※※※※※※※※
「明君が日本記録出した時、
思わず飛び上がっちゃったわ。
次はインターハイね・・・」
先週、県大会があった。
明は5m85cmの日本新記録を跳んだ。
葉月は明の母、正子と共に応援に行ったのだ。
もちろん優勝で、インターハイ出場が決まっていた。
自転車の荷台に腰かけ明の大きな背中に顔をあずけながら、葉月はうれしそうに言った。
明は何も言わず、背中のぬくもりの心地良さによっていた。
K駅で別れて自転車を走らせようとすると、階段の所で葉月が数人の男女に囲まれて歩き出しているのが見えた。
自転車を置いて後をつけてみると、排道になった地下通路に葉月はつれられ、問い詰められていた。
「いい度胸してるじゃん、葉月・・・。
よくも、私やヒロヤをコケにしてくれたわね。
私達を裏切ったかと思うと、
もう他の男といちゃついてさぁ・・・。
どうするのよ、このおとしまえっ・・・?」
脅すような声でかおるが言うと、喉を鳴らしながら葉月は震えている。
「そう凄むなよ、かおる。
ちょっと迷っただけなんだよな・・・。
仲良くしようや、なあ・・・?」
ヒロヤが笑いながら優しい口調ではあるが、有無を言わさぬ態度で言った。
「わ、私・・・イ、イヤですっ」
葉月は震えながらも、キッパリと答えた。
「ふざけるんじゃないよっ・・・」
かおるが葉月に平手打ちをした。
パチンと乾いた音が、コンクリートに反射して響いた。
葉月は赤く腫らした頬を押さえもせず、睨み返している。
かおるはその目つきが気に入らず、もう一度手を振り上げるとヒロヤが止めた。
「やめろよっ・・・。
なあ、葉月・・・
何も手荒な事はしたくないんだよ。
仲良くしようよ・・・。
好きなんだよ、俺、お前が・・・」
「そうよ、こんなにヒロヤが言ってるのに、
まだわからないの・・・?」
「うそよ・・・。
私、知っているんだから。
あなた達のこと、全部・・・」
葉月の高い声に、ヒロヤの顔色が変わった。
「そうか・・・。
どういう事か知らないけど
何か勘違いしてるんだな。
こりゃぁ、身体にいってきかさないと
わかんねえみたいだな・・・」
ヒロヤの目がスーと細くなり、ジリジリ葉月に近づいていった。
かおるは含み笑いを浮かべ、じっと見ている。
葉月は怯え、コンクリートの壁に寄りかかって震えている。
「やめろっ・・・」
様子をうかがっていた明が走ってきて、葉月の前に立った。
視界が全て、白いカッターシャツに覆われた葉月は小さな声を出した。
「明君・・・」
突然大男が目の前に現れ驚いたヒロヤであったが、ケンカ慣れしているのと他に二人も仲間の男がいるので、強気な声を出した。
「さっきの色男じゃねーか・・・。
陸上で活躍中なんだってな。
ケガしてもいいのかい・・・?」
明は、まっすぐヒロヤの目を見て言った。
「葉月に手を出すな。
やるなら俺にしろっ・・・」
「カッコつけんじゃねっー・・・」
ヒロヤのパンチが明の顔にとんだ。
明は顔を横に向けたが、身体は葉月をおおい動かない。
「おい、こいつをフクロにしろ」
「何か抵抗しない奴だと、
やりにくいんだけど・・・。
へへっ、ドラマみてー・・・」
そう言いながら、男達は代わる代わる明にパンチやケリを入れていった。
鈍い音が、明の大きな背中の向こうで聞こえる。
葉月は必死になって明の身体をどけようとしている。
目から涙がボロボロこぼれている。
「ダメー。離して、死んじゃうよ。
やめて、明君・・・どいてよー。
いやぁー・・・」
男達の容赦ない攻撃が続く。
たまらず明は膝を崩した。
男達は次々と明にケリを入れる。
「おい、こいつの手を折って二度と棒高、
できないようにしてやろうぜ・・・」
ヒロヤが言うと、男の一人が明の左手を押さえた。
明の太い腕を伸ばすようにして裏返すと、肘の所を思いっきり足で踏んだ。
鈍い音が聞こえて明が声を出して、うずくまった。
男達はサディスティックな笑いを浮かべている。
「明君・・・明君・・・」
葉月が駆け寄ると、ヒロヤが手をとった。
「おっと、じゃあ今度はこっちだな・・・」
「イヤーッ」
葉月の悲鳴に明はすばやく立ち上がると、ヒロヤに思い切りタックルして、コンクリートの壁に叩きつけた。
そして、目にも留まらぬ早さで残りの二人を鉛のようなパンチで殴り倒した。
ただ漫然と日々を過ごしてきた男達と、明の身体は鍛え方が違っていた。
男達がうずくまるところを、ものすごく重いキックで蹴る。
男二人は立ち上がる事もなく、気絶したようにうずくまっている。
白目を覗かせ、口から涎を流している。
衝撃の強さを物語っていた。
ヒロヤは怯えた目を開いたまま、引きつった笑いを浮かべながら言った。
「わ、悪かったよ・・・。
じょ、冗談だよ。
もう、葉月には、手・・・出さないよ」
自分でも、超情けないと思いながら。
明はヒロヤを睨んだまま、近づいていく。
「ヒッ・・・」
ヒロヤはあまりの恐怖に、情けなくも悲鳴すら上げられないでいた。
かおるは、腰が抜けたように座り込んでいる。
明は片手でヒロヤのシャツの襟を掴むと、コンクリートの壁に押しつけるようにジワジワと持ち上げた。
ヒロヤのシャツのボタンが、ブチブチと音をたてて千切れていく。
明の太い腕は、血管が浮き出ている。
折れた左腕の痛みなど、微塵も感じない。
今は目の前の男を殺してしまわないよう、必死に耐えていた。
自分のことは、どうでもいい。
だが、天使に手を出した男は許せない。
どんなことがあっても、だ。
明の顔はきっと、どんなアニメの怪物よりも狂暴だったに違いない。
ヒロヤは生まれて初めての恐怖に対面していた。
幼い頃から上手に立ち回った軽薄な人生には、さぞ衝撃的だったことだろう。
苦しさと恐怖で、ヒロヤはズボンから湯気をたてている。
「絶対だな・・・?
約束しろ、二度と近づくな」
低い声は、絶対的な支配力を持って心に染み込んでいった。
「お前もだ・・・」
明が顔をかおるの方にも向けると、かおるも懸命に首を振って答えている。
睨みつけながらヒロヤの首を持ち上げる、明の太い腕が異次元の世界のことに思えてしまう。
折れた左手をぶら下げているというのに、片手で軽々とヒロヤを持ち上げている。
「わ、わかった・・・から・・・
はな・・・して・・・く・・・」
ヒロヤが明の腕を両手で振り解こうとするのだが、びくともしない。
自分の体重が喉に集中している。
口をパクパクさせ、気絶寸前になっている。
涙と鼻水をダラダラ流す男に、ようやく明は気づいた。
明がつかんでいる手を離すと、ヒロヤは崩れるようにして腰を落とした。
コンクリートの床がヒロヤの漏らしたもので濡れている。
「ウッ・・・ゴホッ・・・ゴホッ・・・」
ヒロヤと他の二人の苦しい咳払いが、トンネルに響いている。
怯えた表情で、二人がヨロヨロと立ち上がると、ヒロヤとかおるを抱き起こし、逃げるようにして去っていった。
只々、ここから逃れたい一心で、必死に足をもがく様に動かしている。
彼等には捨て台詞を吐く気力も残っていなかった。
引きづるような足音を残し、奴らは消えていった。
「フッー・・・」
見届けた明は、大きく息を吐いた。
天使を守り抜いた安堵の温もりが、全身を覆っていた。
明は振り返り葉月を見ると、にっこり微笑んだ。
「明君・・・」
葉月は涙をこぼしながら、明の胸に飛び込んでいった。
小さな肩が震えている。
明は片手で葉月を抱きしめると、泣き止むまで天使の黒髪を優しく撫でている。
ようやく気持ちがおさまると、葉月は赤く腫らした瞳で明を見つめた。
「ごめんね・・・明君。
腕、大丈夫・・・?
きゃっ・・・お、折れているわ」
明が苦痛に歪んだ顔で、左手を押さえた。
「大丈夫だよ・・・。
それより恐かったろ・・・?
もう、あいつらも手をださないだろう・・・」
葉月は何も言えず、ただ涙をこぼしている。
「又、泣く・・・。
今、泣き止んだばかりなのに・・・」
明が笑いながら、優しく葉月の頬に手をあてた。
葉月は明の大きな手の平を小さな両手で持つと、頬にあてて泣きじゃくっている。
明がそのまま葉月を見つめていると、泣きはらした目を小さな手で拭って葉月も見つめ返した。
「明君・・・好き。愛してる・・・」
「僕、もさ・・・愛してる・・・」
ゆっくり二人の顔が近づき、葉月は踵を上げて背伸びをすると唇を重ねた。
短い口づけは、涙の味がした。
明はニッコリ笑うと、葉月の肩を抱きかかえるようにして言った。
「さっ行こう。
病院、行かなくっちゃ・・・」
葉月は明の左手を気遣いながら、ゆっくり歩調を合わせ歩いていった。
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