第10章 ぬくもり

列車がホームに着き、日曜にしてはやや多めの人波と供に葉月は降り立った。


階段をゆっくりと昇り、改札口に来ると券売機の前に明が立っていた。

自動改札の数人の客の列に、じれったさを覚えながら葉月は明に手を振った。


二人の心臓の鼓動は今、同時に早くなっている。

もどかしくも幸せな瞬間であった。 


「待っててくれたの・・・まだ9時半よ」 

早めに来て明を待つつもりだった葉月は、驚きとうれしさを共に感じていた。


「今・・・来たところだよ」

明はウソをついた。


本当は10時の約束の1時間前には着いていたのだった。

葉月の姿を目の当たりにした時、早く来て本当に良かったと思った。


薄いピンクのフレアースカートに、ブローチ風のボタン留めがついた白いブラウスを着ている。

葉月は今までで一番元気そうで、生き生きとした少女に見えた。


眩しそうに見つめる明に葉月が言った。


「ねえ、どこへ連れていってくれるの?」


「うーん、気に入ってくれるかどうか・・・

 あんまり自信ないんだ・・・。

 又、今日も自転車だけど、いいかな?」


頭をかきながら葉月の顔色を伺う明に。


「ううん、私、自転車・・・好きよ」

葉月は踊るように明の前を歩いていった。


「あっ今日は違う・・・反対の出口なんだ」 


二人は、山側の出口の階段を降りていった。 

明は階段の下に停めてあった自転車をひいてくると、バッグをハンドルの上に乗せた。 


「じゃぁ、行こうか・・・」


葉月は前と同じように後ろの荷台に乗ると、期待に胸を弾ませていた。

自転車はゆっくりスタートして大通りに出ると、丘の中腹の公園に登っていった。


ゆるい傾斜とはいえ二人乗りで一気に登っていく明に、今さらながらたのもしく感じる葉月であった。

木々の影が明の大きな背中のキャンパスに、色々な模様を描いていく。


その移り変わる様を、飽きもせずながめている葉月であった。

明の吐く息がリズミカルに聞こえてくる。


どんなBGMよりも、心地良く葉月には感じられる。

まだ蒸し暑さを感じさせない朝の冷気も、気持ち良かった。


公園に着いた頃、木々の隙間から白い建物のシルエットが見え隠れしてきた。

葉月は小さく声をあげた。


「わーっ・・・すごい」


それは市営の文化ホールで、屋根がアーチ状に曲線を描いてまるで波のようなシルエットで風景を切り取っていた。

エントランスホールはこれも円形で、人を招き入れるように巧妙にうねって入口に誘っている。


屋根の先端はくちばしのようにシャープにカッティングされ、見る人に新鮮な感動を与える。

建物を見上げている葉月に、照れくさそうに明が言った。


「父さんが設計したんだ。

 このホール・・・」

 

「えっ、オジさんが・・・?」


明の父は、優秀な建築デザイナーであった。 

エントランスホールのロビーのソファーに、二人並んで座った。

葉月は吹き抜けになっている高い天井を見上げながら呟いた。


「不思議・・・何か落着いた気分になる」


明は美しい天使の横顔を眺めながら言った。 


「父さんが事故で死ぬ2年前に、

 このホールが出来たんだ。


 父さんも気に入っていて、

 よく連れてきてくれた・・・。


 母さんもここがすごく好きで、

 父さんが死んでからも二人で何回か来たんだ。


 ここに来ると、

 父さんに抱かれているみたいな気がするんだ。


 だから母さん、このK市に店出そうって・・・

 ガンバッテたんだ」


葉月は明の説明で、やっと意味がわかった。


「時々母さん、一人でここへ来てるみたいなんだ。

 つらい事があったり、寂しくなると・・・。


 ここは図書館もあるし母さんのお気に入りの場所なんだ。

 もちろん、僕にとっても・・・ね」 


円形に切り取られたロビーの吹き抜けは、そんなに広くはないのだが天井までガラスが伸びていて、何とも言えない爽快感があった。  


「素敵な所ね。私・・・好きになっちゃった」 

葉月の笑顔に、明はホッと胸をなで下ろした。 


「良かった。

 この話は誰にもした事ないんだ・・・。


 そうだ、今日はプラネタリウムがあるんだ。

 もうすぐ始まるから行ってみようか・・・?」


二人は受付でチケットを買って、2階のプラネタリウムの部屋に入った。


意外と人が入っていた。

運動公園の中の施設のせいか、子供連れの親子の姿が混じっている。


(明君達も、こうして来てたのね・・・)


照明が消えて、低い男の声のアナウンスで星のショーが始まった。

市営のプラネタリウムなので、説明するだけの地味なものであったが、かえってシンプルに星の動きを楽しめた。


「わー、きれい・・・」

何の変哲もなかった白いドームの天井が満天の星空に変わると、葉月は思わず声を出してしまった。


元々、星の話は大好きだったのだ。

二人の手が、微妙に座席の手すりで触れた。


どちらともなく、二人は手をやさしくからめあった。

星の説明が進むうち、葉月はこの広い宇宙の中を二人で漂っている気分になってきた。


明の視線に気づくと、二人は見つめあった。

指先から、明のぬくもりが感じられる。


二人の血液が混じり合い、溶け込んでいく気がする。

何も言わなくても愛し合っていると感じる。


やがてショーが終わり明かりが点くと、ドヤドヤと人が出ていく。

二人も立ち上がり部屋を出たが、手はつないだままであった。


二人は見つめ合ったまま、明が口を開いた。


「これから、どうする・・・?」

「私・・・このまま歩きたい・・・」


葉月が少し恥ずかしそうに言った。


「じゃあ、公園の中を散歩しようか」


ホールを出ると、夏の日差しが眩しく歩道を照り返していた。

木々の間の道を抜けると、芝生に覆われた広い公園が続いていた。


「わー、気持ちいい・・・。

 私、ずっとK市に通ってたけど、

 こんないい所知らなかったわ・・・」


「気に入ってくれた?」

「うん。とっても・・・」


葉月は少し身体を後ろに反らし、自分の体重を明の腕に預けるようにして言った。


「ネエ・・・私の事、覚えていてくれた?」 

明はいたずらっぽく笑う天使の重さを、腕に心地良く感じながら言った。


「うん、ずっと・・・思っていた。

 いつかきっと会いたいって・・・」


「うれしい。私も・・・会いたかった」

 

二人は再び歩き出した。

何も言わず。


口に出してしまうと、何かこの幸せな気分が壊れそうで黙って歩いている。

ただ握り合った手のぬくもりが、二人の気持ちを伝え合っている。 


明は今、心の中で好きだと何度も叫んでいた。


葉月の伏し目がちな、まぶたに跳ねている長いまつ毛を見ながら、美しく成長した天使を改めて感じている。

それから二人はホールのレストランで食事をした。


「ごちそうさま。

 おいしかったわ・・・。

 でも、いいの?

 明君・・・」


「昨日のサンドイッチのお礼さ・・・」


「明君は・・・午後からどうするの?」

ためらいがちに葉月が聞いた。


「もうすぐ県大会だし、これから練習さ」 

「ねえ、私も練習見てちゃ・・・ダメ?」


上目づかいに聞く天使の言葉を、明が断る理由などあるはずはなかった。


「いいけど暑いよ、グラウンド・・・大丈夫?」

 

「平気よ。

 折りたたみの日傘持ってきたの。

 もしかしたら明君、練習するかと思って・・・」


二人は自転車に乗って明の学校に向かった。

ゆるい下り坂を自転車がすべっていく。


心地良い風を感じながら、葉月は思い切って明の大きな背中に顔をもたれかけた。

背中にぬくもりを感じた明は一瞬身体を固くしたが、そのままゆっくり自転車をこいでいく。


(大きい、背中。安心できる・・・)


自転車は踏切りを渡り、海が見えてきた。

青い水平線が、遠くの方で空と混じり合っている。


入道雲が大きく盛り上がっている。

夏が息づいている。


葉月と明、もうすぐ18歳になる夏の日。 

二人の恋が今、始まった。


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