第5章 陽炎(かげろう)
海岸通りを突っ切って、バイクはうなりをあげて走っている。
葉月はヒロヤの身体につかまりながら、海を見つめている。
青空が広がって、水平線の向こうで溶け合っている。
今日は午後から待ち合わせて、みんなでツーリングに来ている。
ヒロヤはおとなしそうで、それでいて意外と声をあげない葉月に、だんだん興味を持ち始めていた。
昨日も放課後駅で待ち合わせて、2台のバイクで走ったのであった。
「とばすぜ・・・。
しっかりつかまってろっ・・・」
ヒロヤがそう言うと、ジェットコースターのようにバイクは走り出した。
バイクはマフラーを切ってあり、エンジン音が街中に轟くように大きな音を出していく。
恐さでずっと目をつぶっていた葉月であったが、やがて目が慣れてくると、しがみついていた腕の力を抜いて回りを見る余裕がでてきた。
景色が崩れるように、色が混ざっていく。
信号もほとんど無視しながら、2台のバイクは孟スピードで街を駆け抜けていく。
そうかと思うと、わざと住宅街をエンジンをふかしてゆっくり走る。
時々葉月の家でも、この音が夜中に聞こえて母が怒っているのを思い出した。
(こう、やっているのね・・・)
男達はしつこく這い回る。
葉月もエンジン音がずっと耳についてきて、意外に大変な遊びであると思った。
男達は他人を困らせている快感でしているのだろうか、それにしてもマメでしつこかった。
一周街を回ったかと思うと、直線の道路を思いっきりとばし、すぐUターンして戻ってきて又街をジグザグして回っている。
バカバカしい事なのだが、これを十回も繰り返している。
よく警察に知らせられないものだと思った。
葉月はクタクタに疲れた頭の中でかおるが言ってた程、スカッとはしない物だと考えていた。
やがてバイクが近くの高校に近づいた時、かおるがバイクを止めさせた。
他のバイクも止まると、ヘルメットをとってかおるが言った。
「ちょっと、タイム、タイム・・・」
「何だよー、
かおる、もうバテたのかぁ?」
「バーカ、女は色々あるんだよ・・・」
かおるは葉月と自分のヘルメットを男達に預けると、二人で校舎の方へ歩いていった。
かおるは小さ声で葉月に言った。
「ネエ、持ってる?
きちゃったみたいなのよ・・・。
いつもより早いから、
アタシ、持ってなくて・・・」
葉月はすぐ察すると、ベルトポーチから小さな包みを手渡した。
「これで・・・いい?」
少し顔を赤らめて渡すと、かおるは言った。
「サンキュー、助かるわ。
待っててね・・・」
そう言うと、知らない学校なのに堂々と校舎に入っていった。
ここは葉月の学校のそばの県立高校らしかった。
進学校で有名大学にも多数入学者を出している。
ヒロヤ達は校門の外で待っている。
夏が本格的に始まるようで、強い日差しがグラウンドを照らしている。
向こうの端の林の緑がぼやけて、陽炎のように揺れている。
その中を小さなシルエットが駆けている。
気づいてよく見ると、何度も同じように繰り返している。
グラウンドでは、サッカー部や野球部が声をあげてにぎやかに練習している中、一人で黙々と練習している。
葉月がじっと見つめていると、そのシルエットが近づいて来るのがわかった。
がっしりした身体の男が陸上部なのであろうか、ランニングとショートパンツ姿で洗い場の所へ来て、息をハアハアいわせている。
バシャバシャと頭からかぶると、全身びしょ濡れで水を飛ばして乾かしている。
ランニングシャツで顔をぬぐってチラッとこちらを向くと、一瞬目が合った。
何か暖かいものが胸に込み上げてきて、目を離さずにいると男がおずおずと声を出した。
「ハー・・・ちゃん?」
男はゆっくり、こちらへ近づいてきた。
「明・・・君?
やっぱりそうだ・・・。
明君ね?」
葉月は歓声を上げて、そばに走っていった。
「こっちに来てたんだ・・・。
そうね、この間、
オバさんに会ったんだもんね」
興奮を隠せぬように言うと、男は答えた。
「うん、俺もおふくろに聞いて、
びっくりしてたんだ。
だけど、ここで会うとはなー・・・」
近くに来ると、男の大きな身体に改めて葉月は驚いた。
身長は180センチ以上あるだろうか。
見上げるようにして眺めると厚い胸板、太い腕、はち切れんばかりの太もも。
でも顔は少年の頃のまま、つぶらな瞳で変わっていない。
男も、まぶしそうに葉月を見つめた。
少しピッタリしたGパンに、青いボーダーのシャツを着ている。
右手にはビーズのブレスレットをつけ、胸には明の母の店で買ったシースルーネックレスが光っている。
髪は幼い頃のままで肩先に届くかどうかのセミロングで、柔らかくおでこの所で跳ね上がっている。
少し、やつれたふうに見えるのは気のせいだろうか。
大きな瞳をキラキラさせて見ている。
可愛い唇からは、白い歯がこぼれている。
「陸上・・・やってるの?」
葉月が聞くと、照れくさそうに明が言った。
「うん・・・、棒高跳び」
「へえーっ、シッブーイ」
「そんな・・・
誰も知らない地味な競技さ」
「ねえ、今、どこに住んでるの?」
「N市さ。4つ先の駅・・・」
「あっ、自転車で通ってるでしょ?
この間、電車から見えたよ。
あれ、明君だったんだぁ・・・」
「あー、そうかもしれない。
トレーニングがてらチャリンコで
通ってるんだ・・・」
楽しく会話を交わしていた二人であったが、エンジン音に明の表情が一瞬強ばった。
待ちくたびれたヒロヤ達が、校内に入ってきたのだ。
「ごめーん、迷っちゃってさー・・・」
ちょうど、かおるが校舎から出てきた。
そしてバイクの後ろにまたがると、他の3台は走り出していった。
「乗れよ・・・葉月」
ヒロヤは、明の顔をにらんだまま言った。
葉月はためらっていたが、ヒロヤからヘルメットを受け取ると早口で言った。
「ごめん、明君。
今度オバさんのお店に行くから、
連絡先言うね、じゃあ・・・」
そしてヘルメットをかぶると、バイクの後ろにまたがった。
ヒロヤはゆっくり明をにらみながらヘルメットをかぶると、大きくエンジン音をたてて、バイクを走らせた。
明はジッと二人を目で追い続けたまま、両手の拳を強く握り締めている。
太い腕に血管が浮き上がっている。
夏の太陽が容赦なくグラウンドを照らし、陽炎のようにユラユラと景色をぼかしていく。
野球部の掛け声が、間断なくグラウンドに響いている。
入道雲が大きく盛り上がりグラウンドの向こうの林を覆っている。
明は葉月と再会した。
天使のように美しくなった葉月が、そこにいた。
天使は風のように、明から連れ去られていった。
得体の知れないものが胸の中から沸き上がってくる。
葉月と明は17歳。
夏は今、始まったばかりである。
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