第3章 授業

白衣のすそが、ほころんでいる。


教師の三橋は、ボサボサの白髪頭を時折掻きながら、チョークを黒板に叩き付けている。

教室の中のざわめきが大きい声ではないが、ひそひそと間隔なく続いている。


「ですから、石英の結晶は・・・」


生徒達を見ないで黒板に向かいながら、話している。

生徒達はそれをいいことに仲間としゃべったり、中には英語の勉強をしているのさえいる。


葉月の高校は進学系の女子校で、偏差値も高い方である。

三橋の授業は地学で、高校3年生にとってセンター試験でも受けない限り直接受験とは関係がない。


真剣に授業を受ける者など少ないのだった。

葉月はノートをとっているシャープペンシルを置き、頬杖をついて小さくため息をついた。

 

(もう、静かに聞けないのかしら?)


葉月は比較的、地学は好きだった。

星の話や石の話など深く知れば知る程ロマンチックではないか。


教師の三橋に対しても、憐れみに近い感情を抱いている。

風采が上がらず、生徒達からもバカにされている。


ただ、前に一度、科学サークルの合宿に特別参加した時、天体望遠鏡を調節しながら生徒達に説明する姿が、いきいきとしていたのが印象に残っている。


そんな先生の授業中に、無駄話をする気にはなれなかった。

何かそのヤボッたい姿に人間の本質を見るようで、それを否定するのは、自分の人生をも否定する感じがするのであった。


自分の父もそうであった。


生真面目に会社に通い家では何も言わない為、時折母に責められながらも黙々と人生を歩いている気がする。


言葉が足りないだけなのだろう。


朝早く出て夜遅く帰るという生活を、葉月が幼い頃からずっと続けている。

母もやはり寂しいのか、ついキツイ口調になってしまう。


わかってはいるのだ。

家族の為に仕事をしている事は。


父は別に酒を飲んでくるわけでも、浮気をしてくるのでもない。

ただもう少し言葉があれば、もう少し家族との時間をつくってくれれば。


わかってはいるのだ。


自分も、いい子になって父や母の気持ちを考えてあげれば。


でも、どうしようもないのだ。 

葉月の中の若さの何かが、それを否定する。

 

自分というものを壊したかった。

むやみやたらとムチャをやり、スカッとしたい。


ただ又、もう一人の自分が顔を出す。

友達同士でも良く思われたくて、いい友達を演じてしまう。


家族にはしないのに。


卑怯だ。

そう、自分は卑怯だと思う。


結局、いい子になろうとしている。

自分の心の中で黒く濁ったうずが旋回する。


焦りが身体中の力を奪う。

もう高校三年生だというのに。


自分は、いったい何になりたいのか。

今までは、ただいい成績をとるために勉強してきた。


でもこれからは自分の人生を決めなければならない。

 堂々巡りの思考から逃れる為、葉月は再びペンをとりノートに写していった。


蒸し暑く、風一つない午前の事であった。  

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