第1章 朝食

人々の群れが、断続的に改札口から溢れ出てくる。


機械にカードを入れる人々は、まるで人形のように無表情に規則正しく流れていく。


乾いた唇にビスケットの小片を差し入れ、面倒くさそうにアゴを動かす。


パサついた感触が、しばらくは味覚を刺激するまでに至らない。


甘さが浮き上がる前に、ぬるいウーロン茶で流し込む。


力なく缶を床に置くと、膝に腕を組んで葉月は小さくため息をついた。


JR・C駅のコンコースのキオスク脇に、制服のスカートのまま床に座り込んでいる。


スカートから覗かせるスラリと伸びた足は、白い長めのルーズソックスでおおわれている。


食べかけのビスケットの箱をカバンにしまい、代わりに小さなポーチを取り出した。 


その中からコンパクトを取り、開けてみる。


うつろな目をした少女が自分を見ている。


大きな瞳、形のいい眉毛、すっと下に伸びた鼻、小さな唇・・・。


それぞれ、誰もがうらやむようなパーツであるのに、葉月はこの顔が今は好きになれない。


(疲れた顔、怯えた顔、つまらない顔)

心の中で様々な表情を、つぶやいてみる。


今は何もかもが面倒で、心は今日、六月の梅雨空のようにどんよりと曇っている。

今日も学校をサボってしまった。


何故、私はここにいるのだろう。

どうして制服のまま、床に座っているのだろう。


通り過ぎる大人達が、時々眉をひそめていく。

こんなに蒸し暑い日なのに、ルーズソックスをはいている。


自分でもわからない。

ついこの間までは学校も楽しく・・・。


いや、そうではない。

小学校の頃は楽しかった。


何の疑いも持たず、明日への希望に胸をふくらませていた。

中学の頃も、太陽がまぶしかった。


思春期にさしかかった友達の言動に戸惑いこそしたが、まだ人が信じられた。

高校に入って、徐々に息苦しくなってきた。


特に受験を控えた3年生になって、色々な悩みが一度に噴き出してきた感じがする。


今まで無理に心の水面下に沈めていたものが、眠りから覚めたように浮き上がってくるのがわかる。


「葉月はいい子だから・・・」

父母や祖父母にも、いつも言われ可愛がられていた。


自分でもうれしく、そうなるように努力もしてきた。

でも、若さの内に秘めた得体の知れない何かが、自分を苛立たせる。


まるで、いい子でいる事が罪であるかのように葉月を責め立てる。


若さとは、何なのであろうか。


ほんの些細な事で葉月の心の水面は揺れ動く。

友達の投げた何気ない言葉の小石でつくられた波紋は、消えることなくやがてさざ波に変わり心を乱していく。


両親との会話も乾いた日々が続き、説明のしようがないイラ立ちが言葉をトゲトゲしくさせる。


「いったいどうしたっていうの、

 この頃のアナタ・・・。

 おかしいわよ・・・」


今朝も母がイライラした口調で責め立てる。

 

「何が不満なのよ。

 お小遣いだって充分あげているし。


 昨日も学校サボったでしょう?


 お隣の奥さんが、

 パルコで見たって言ってたわよ」


一瞬ドキッとしたが、開き直って言った。


「知らないわよ。

 人違いでしょ・・・。


 でも、もしそうだったとしても・・・

 いいじゃない。


 私の勝手でしょ・・・。

 私の事は放っといて」


無視するようにルーズソックスをはく。


「それにそのソックス・・・。

 だらしないからやめなさいって、

 何回も言ってるのに・・・」


母の言葉が終わらないうちに、葉月はカバンを持って家を飛び出して行った。


何もかもがイヤだった。

息苦しく、重い日々。


父は家庭の事は、母に任せっきりにしている。

そんな父に、ヒステリックにグチを言う母。


別にどうというわけではないのだが、成長するにつれ妙にイラ立つのだ。

少しずつ見えてくる、大人達の巧妙な嘘と矛盾。


いい子である事は、自分の為でなく親の為なのか。

成長するにつれ、増えてくる甘い誘惑。


拒むことは仲間はずれを意味する。

恐かった、一人になるのが・・・。


ワンコールという、遊びがある。


携帯電話で相手にかける時、一瞬だけ呼び出し音をさせてすぐ切るのだ。

そうすると、相手にこちらの電話番号が表示される。


相手も気になるからかけてくる。

すると、自分の方から電話料金を払わなくても済むのだ。


ただ、いつもそんな事をしていたら嫌われるだけなのだが。

お互い同士やるので実質はそう変わらない。


それでかけ直してくれる友達が何人いるかによって、自分の人望がわかるという一種のゲームなのだ。


葉月はそれをやろうと思ってもできない。


もし一人もかかってこなかったら、自分には友達がいない事になってしまう。

だから自分からかける事ばかりで、電話代も多くなってしまう。


比較的裕福な家なのでお小遣いも多く、電話代も出してくれるので今のところはいいのだが。

友人達も見透かしているのか、ワンコールでくるのが多くなってきていた。


葉月はポーチから口紅を取り出すと、口びるに押し当てた。

幼く可愛い唇が、濃い茶色に染まっていく。


友達のかおるが、渋い色だと選んでくれたのであるが、まるで水商売の女のようだと思った。

そして、今流行りのホワイトパールのシャドウを塗る。


色白の肌にはあまり馴染まず、かえって可愛い瞳を歪に見せる。

とりあえず生気のない顔は彩られたわけだが、少しも美しいとは思えない。


かおるの大人びた上手な化粧を思うと、激しい劣等感に襲われるのであった。

ため息をついてコンパクトをしまおうとした時、かおるの笑顔が鏡に写った。


「おはよう。ごめん、待った?」


小麦色に日焼けした顔に化粧をした風貌は大人びていて、制服でなければ高校生には見えない。

スカートを極端に上げた超ミニから、少し太めの足が伸びている。


もちろん、それは白いルーズソックスに覆われている。


化粧が手慣れていて美人には見えるが、顔も葉月より一回り大きい。

ただ自信に溢れた表情は、かおるを輝かせ葉月に劣等感を抱かせている。


かおるは葉月の隣に床ずわりし、葉月の飲みかけのウーロン茶の缶を掴むと一気に飲み干した。 


「あー、おいしい・・・。

 急いで来たからのどが乾いちゃった。


 でも、びっくりしたなあ、

 葉月から学校サボろうって

 言われるとはね・・・」


そう言うと白い歯をこぼして、軽く葉月に寄りかかった。


そして、見上げるように言った。


「でも本当にいいの・・・?

 昨日もサボって二人でパルコ

 行ったじゃない・・・」


葉月は、かおるの香水の匂いに少しポーッとなりながら力のない笑顔をこぼした。


「いいの・・・もう、何でも」


葉月の遠い眼差しを観察するように眺めたかおるは、小さな肩を抱いて元気よく言った。 


「よし、じゃあ今日は渋谷へ行こっか」


葉月の手を取り立ち上がった。 

軽く伸びをした後、うれしそうに言った。 


「ふふっ、私、学校サボルの大好き・・・」


二人は渋谷までのキップを買うと、自動改札を通って人混みに消えて行った。

六月の空はどんよりと曇り、雨が降りだしそうである。


蒸し暑く、不快な朝であった。

 

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