〇1

 むせ返るような暑さが続く、厳しい夏のある日。夢城の率いるオリエンテーリング部は、高校生向けの大会に参加するため、栃木県の山奥までやって来た。高校のある地元に比べて、他県の夏はいくらか涼しい。風に揺れる木々を見ながら、夢城は一人、最後のアップに入っていた。


「夢城君」

 唐突に肩を叩かれて、夢城は思わず変な声をあげた。独り言付きの精神統一は、誰かに見られたときこそ、最高に恥ずかしい。

「むっ、村雨!! いつからそこに!?」

 振り返った先には、村雨がいた。蝉の声を物ともせず、涼しそうな顔でこちらを見ている。

「君が独り言を言い始めてから、ずっと近くにいたよ」

「え、マジで……」

 恥ずかしさのあまり、頬がかぁっと熱くなる。それを見た村雨は、おかしそうに笑い始めた。しばらく笑みを零したのち、彼に伝言を渡す。

「マネージャーがさ、戻って来いって。そろそろスタート時間だから」

「あぁ、そうか……。分かった、ありがとう」

 今回の大会は、新入生が参加する「Nクラス」と、一年以上の選手が参加する「Sクラス」に分かれている。後輩たちは、既にスタートしている頃だろう。夢城は緊張していた部員たちに、檄を飛ばしたことを思い出す。……そして、かつては自分が、そちら側であったことも。

「懐かしいよな、一年生の頃とか……。入部してから、地図の読み方とか、コンパスの使い方とか、基礎の基礎から初めてさ。オリエンテーリング部って言うより、地理部って感じだったよな」

「あはは、確かに。特に夢城君は、方向感覚がなさすぎて、『行方不明だ!』って騒がれたこともあったよね」

「あのときは、マジで焦ったぜ……。村雨には、感謝してもし切れない……」

 夢城と村雨は、入部した頃からの仲だった。新入生にとっては、村雨は近寄りがたい雰囲気の先輩かもしれない。……しかし、夢城だけは知っていた。彼が意外と世話焼きで、温かい笑顔を見せること。行方不明になりかけた夢城を見つけ出したのも、他でもない彼だった。

「当たり前だろ、そんなこと。君がいなくなってしまったら、俺はとても悲しいよ」

 透き通った目を伏せて、夢城の腕をなぞる彼。黒いインナーの線を辿るように、白い指を動かした。

「――だからさ、夢城君。これからも、俺の標であり続けてくれ」

「は、はぁ……」

 彼が何を言っているのか、夢城には分からなかった。しかし、聞き返すのも恥ずかしかったので、適当に相づちを打って、その場をきれいに流した。


「先輩! 早く、早く!」

 夢城がスタート地点まで戻って来ると、そこにはやきもきした様子の後輩マネージャー、新島にいじまがいた。彼のことを見るや否や、腕にゼッケンを通し、丁寧にピン付けをする。

「もう、スタート時間なんですから! のんびりしてないで、さっさとゾーンに入ってください!」

「わ、分かってるって! ちょっとは落ち着け!」

 茶色のロングヘアを二つに結んだ、子犬のように可愛い新島。夢城の大切な後輩であり、そして……。

「それじゃあ、先輩! 頑張ってくださいね!」

「おう、サンキューな!」

 ……密かに想いを寄せている、「気になる相手」でもあった。

「新島さん。俺にもゼッケン、渡してくれないかな」

「あっ、はい! 私、付けますよ!」

「いや、いいよ。自分で付けるから」

 村雨は新島の好意をよそに、自分のゼッケンをひったくった。それがどこか感情的で、新島は小さく首をかしげた。

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