第256話 リオンの婚約事情
◆◇◆◇◆◇
かつて、愚帝の時代にハンノス王国に奪われた帝国の地を取り戻したアークディア帝国軍は、一ヶ月ほど奪還した領土の平定に専念することになった。
その間、総大将であり今代アークディア帝国皇帝であるヴィルヘルムは帝都に戻るというので、ヴィルヘルムの護衛をしている俺や近衛騎士団だけでなく、一部の者達も共にガーディディア要塞から一時的に帰還していた。
ただし、俺の帰還先は帝都の屋敷ではなく神迷宮都市アルヴァアインにある本邸の屋敷だ。
思ったよりも時間が取れたため、今のうちにレティーツィアとの婚約話についてリーゼロッテに話を通しておくことにした。
本邸にて二週間ほど婚約関連の話をリーゼロッテにするとともに、彼女からの折檻を甘んじて受けていた。
「……まぁ、事前にそのような動きがあるのは把握していたので覚悟は出来ていました。レティとの婚約話が出るタイミングも、祖国の大使館が予測した通りです」
「……そうか」
氷柱へ磔にされたままリーゼロッテに返事をする。
この二週間、彼女から、凍らされるわ、叩かれるわ、刺されるわ、斬られるわ、侵されるわ、拘束されるわと、俺達以外の屋敷の者達全員がガタガタと震えるほどの怒りと嫉妬に狂った行為の数々をぶつけられたが、俺の身体能力や保有する数多のスキルのおかげで殆どの行為では傷一つ付いていない。
数少ない付いた傷も一瞬で消える程度の浅いモノだ。
予め覚悟していたと言うだけあって、泣かれたりしなかったことだけは幸いだった。
流石に泣かれるのは俺も辛い。
「別に泣いたりしませんよ。そういうタイプじゃありませんので」
「……そうか」
当たり前のように心を読んできたのはいいとして、今の言葉を間に受けてはいけない。
こういうことを自分で言う相手に限って、発言や取り扱いには注意が必要だからな……。
「……取り敢えず、レティの立ち位置は私と同じ正妻にしておきます」
「そうだな」
婚約関連の話をしてから二週間ほど掛かって漸く、リーゼロッテから認める旨の発言を引き出すことができた。
既に本決定だろうに、頭に「取り敢えず」と付けるあたりが何ともリーゼロッテらしい。
この世界の上流階級界隈では、事情があって正妻が複数人いる家も存在する。
歴史ある王国の王女であるリーゼロッテと、俺が住んでいる帝国の現皇帝と母を同じくする妹で、現状唯一の皇女であるレティーツィア。
この二人のどちらかのみを正妻にした場合、どちらでも確実に問題が起こるため二人が共に正妻の立ち位置になるのは必然だ。
そういう前例や慣例などがある世界で凄く良かったと、改めて深く深く実感した二週間だった。
「他にも正妻にする予定の者はいるのですか?」
「まぁ、少なくとも一人はいるかな。他国だけど」
「国を跨いで婚姻を結ぶだけならまだしも、
「ああ。また一つSSランク冒険者を目指す理由ができたよ」
「英雄色を好むとは言いますが、リオンの場合は逆ですね」
「これもひとえに愛故にだな」
「……ていっ」
「ゴフッ」
リーゼロッテが可愛らしい声とともに氷の槍を俺の脇腹へと振るってきた。
スキルでダメージは無力化できても磔にされた体勢のため、衝撃を完全には消せず肺の空気を吐き出されてしまう。
俺の身体で受け止めきれなかった衝撃によって、ズンッという音を鳴らして空間が震えた。
【酸素不要】を使えば解決できるが、そこまで無力化したらリーゼロッテの鬱憤が晴れないだろうから我慢して受け続けている。
これもまた、ひとえに愛故にだ……。
「……ふぅ。まぁ、この辺にしておいてあげましょう。この程度で許してあげる私は本当に心が広いですね」
「仰る通りです……出ていいかな?」
「どうぞ」
許可を得たので俺を磔にしていた氷柱に干渉して砕いてから脱出した。
約十時間ぶりに解放されたので身体が強張っている。
身体をほぐすために、その場で軽く身体を動かしていると、リーゼロッテが今思い出したように言ってきた。
「そうそう。流石に私も疲れましたので今日は一人で寝ます。ですので、今夜は別の方と寝てくださいね」
「ん、分かった」
「セレナとかがいいと思いますよ」
「……ええっと、つまり?」
「そういう意味です。リオンに婚約話が出たことでやっと素直になれたようですね。数日前に相談を受けました。だから今夜は頑張ってくださいね」
まぁ、最近のセレナはリーゼロッテの【
婚約話がキッカケになったとしても不思議ではない。
その婚約話で荒ぶっている最中のリーゼロッテに話を持っていくあたり、非常に肝が据わっているとは思うけど。
「……俺が言うのもなんだが、このタイミングでよく受け入れたな?」
「正妻の座を求めないこと。常識の範囲で私の顔を立てること。この二つさえ守るなら受け入れると言ったら即答でしたので。あとは当事者のリオン次第ですね」
「そこは構わないんだが……」
「煮え切らない態度ですね。嫌なのですか?」
「嫌じゃないし好きなのは確かだが。まぁ、前世の学生時代の先輩だからな……色々と思うことはある」
「確かに、リオンの恋人の中では唯一元の世界からの縁がありますから無理もありませんか」
それを言ったら、ヴィクトリアはヴィクトリアで前の異世界からの唯一無二の縁になるんだが、これを言ったらまたリーゼロッテが拗らせそうなので触れないでおく。
「緊張するけど頑張るよ。悪いんだが、また前線に向かうまでの間、本体の方はセレナ先輩と過ごさせてもらうことになると思う」
「構いませんよ。ただし、明日の晩からは身体を増やしてくださいね」
「了解。幾ついるかな……」
「現時点では五人は必要ですね。フィーアに屋敷にいる女達に聞き取りをさせていますので、明日の朝までには正確な人数が分かるでしょう。ちなみに一対一です」
「んー、まぁ、そのあたりは任せた」
「ええ、任せてください。正妻ですので」
正妻予定のリーゼロッテがお怒りだったのもあって皆自重してたからなぁ……明日の晩から頑張らないとな。
今晩のセレナへの口説き文句に頭をフル回転させながら、折檻場もとい地下鍛練場を後にした。
◆◇◆◇◆◇
リーゼロッテから他の女性との婚約許可を得たことで、帝都にある皇城とユグドラシア王国の大使館などの関係各所に連絡を入れたり、セレナを口説いたり、屋敷に同居している恋人達の相手をしたりなどと女性絡みで忙しく動いているうちに、あっという間に前線に戻る日がやってきた。
リーゼロッテ達と挨拶を済ませると、ヴィルヘルム達の準備が済むまでの間レティーツィアがいる紅玉宮にお邪魔していた。
なお、マルギットとシルヴィアもヴィルヘルム達の方に呼ばれているため、この場にはいない。
「はい、これも食べて。美味しい?」
「ん、美味いよ。仄かに甘いくらいがちょうど良い」
「じゃあ、こっちは?」
黒いクッキーを食べている俺に、レティーツィアが別の白いクッキーが差し出してきた。
「硬さはちょうど良いんだけど、ちょっと甘すぎるかな」
「なるほど。それなら二つの中間ぐらいがちょうど良さそうね」
「そうなるかな」
リーゼロッテが許可を出したことによって、アークディア帝国とユグドラシア王国間での話し合いが進んだらしく、レティーツィアがグイグイ来るようになった気がする。
まだ婚約を結んではいないがほぼ確定だと、レティーツィアが席を外している間に彼女の専属侍女であるユリアーネがこっそりと教えてくれた。
「本当はデザート以外の料理の味の好みが知りたかったんだけどね」
「まぁ、時間も無いからな」
「リオンが忙しいのは分かるけど、時間を作って婚約者に会いに来るべきじゃないかしら?」
「レティ、まだ婚約はしていませんよ」
「実質的に、既に婚約者みたいなものでしょう。そうよね、リオン?」
「まぁ、そうだろうな」
我ながら言わされた感が強いが、客観的に見ても事実なので肯定しておく。
「……レティは皇女で年上ですが、あまり甘やかしていると尻に敷かれますよ?」
「ほら見てリオン。ユーリったら私とリオンが婚約するのが確定してからというもの、今みたいに私への当たりが強いのよ」
「言い掛かりです」
「本当に?」
「はい。何故ならこれは忠言だからです」
「モノは言いようね」
「レティの実質的に婚約者という発言と同じですよ」
「ふーん……今日は一段と当たりが強いじゃない。何故かしらね?」
「気のせいでしょう」
なんか二人がバチバチと火花を散らし始めたが、矛先が向けられては敵わないので大人しくレティーツィアが焼いた菓子をバリボリと食べ、ユリアーネが淹れてくれた紅茶を飲む。
リーゼロッテから婚約許可を得て以降、方々を調べて分かったことを頭で思い返しながらちょっとした作業を行なっていると、レティーツィアの住まいである紅玉宮にヴィルヘルムからの使いがやってきた。ちなみに女性だ。
「あら、もう時間なのね。良ければ焼いた分は持っていって」
「勿論いただくよ」
婚約者(仮)からのお土産を貰わないわけがない。
ユリアーネが持ってきてくれた焼き菓子が入った包みを受け取ると、その際にレティーツィアから見えない角度でユリアーネにメモ紙を渡した。
ユリアーネは一瞬だけ視線で問い掛けてきたが、こっそり渡されたことからすぐに問うのを止めた。
それでも好奇心は抑えられなかったからか、レティーツィアの後ろに退がった際に素早くメモ紙の内容を確認していた。
「……え、ホントに」
「ユーリ?」
「どうしました?」
「今何か言った?」
「いえ、しゃっくりです」
「そ、そう?」
「はい。さぁ、お見送りをしましょう」
「ええ、そうね」
しゃっくりだと断言するユリアーネの圧はレティーツィアを納得させるほどだった。
レティーツィアが疑問に思う前に彼女を促すユリアーネ。
そんな二人に先導されて紅玉宮の玄関口まで移動する。
「見送りはここまででいいよ」
「そう? 大変だろうけど兄上達をよろしくね」
「ああ。任せてくれ。ちゃんと皆でまた戻ってくるよ」
「ええ、待ってるわ」
ヴィルヘルムの使いを待たせているので手短に別れの挨拶を済ませると、二人に見送られながら紅玉宮を後にした。
別れの挨拶の際にレティーツィアの斜め後方にいるユリアーネが、口パクで俺が渡したメモ紙の内容について確認してきたので、【意思伝達】でしっかりと内容を伝えてやった。
何と言ったかは二人だけの秘密だが、ユリアーネが頬を赤く染めていたので、そのままだと確実にレティーツィアは不審に思うだろう。
どう対処するかはユリアーネ自身に任せるとして、万が一にも呼び戻される前に足早にヴィルヘルムの元へと移動した。
明日からガーディディア要塞から東のハンノス王国の領土への侵攻が本格的に開始する。
つまりは、必然的に魔王の復活も近付くということになる。
彼女達のためにも、ちゃんと無事に戻ることを改めて誓いつつ、ヴィルヘルム達を連れてガーディディア要塞へと転移した。
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