第19話 鍵
花恋の声で脳が蕩けそうになった翌日の昼休み。
作戦会議をしようと黄島の下へ向かうが、黄島は帰り支度をしていた。
「おいおい、まだ昼休みだぜ。帰るのか?」
「ん? ああ、ちょっと今日は用事があってな。担任には既に了承を得てるから、帰るわ。悪いけど、今日は手伝い出来そうにない」
用事が何かは分からないが、教師が許可を出すのだから大事な用事なんだろう。
まあ、俺の作戦会議なんていつでも出来るし、全く問題は無い。
「分かった。じゃあ、またな」
「ああ、また」
そう言うと黄島は教室を後にする。
黄島が鞄を持って教室を出たことに多少クラスはざわついていたが、それも暫くすれば収まった。
それから、俺も教室を出た。
向かうは購買。昼ご飯を確保するためである。
「どこで飯食うかなー」
無事、購買で惣菜パンと緑茶を手に入れた俺は一階の廊下を歩いていた。
今日は晴れで温かい日差しが差し込んでいる。中庭で春風を感じながらパンを食べるには絶好の日だ。
だが、たまには屋上というのもいい。階段を上がるのが面倒だが、より風を感じたいなら屋上だろう。
迷っていると前方に、下駄箱の方を眺めながら壁に寄りかかる黒沼先輩を見つけた。
艶やかな黒髪が窓から差し込む日差しを浴びて輝いている。
頬に手を当て、妖艶な笑みを浮かべる姿に思わず足を止めて見つめてしまった。
そんな俺の視線に気づいたのだろう。黒沼先輩は流し目で俺を見ると、クスリと笑みを浮かべながら瞬時に俺の傍に歩み寄って来た。
早い。昨日の黄島との約束があるから距離を置きたかったのだが、それは無理そうだ。
「こんにちは」
「昨日ぶりです、黒沼先輩。何してるんですか?」
せめて主導権は握られないように、こちらから質問を投げかける。
すると、黒沼先輩は下駄箱の方を指差した。そちらに視線を向けると、そこには黄島と生徒指導部の教師の姿が見えた。
ここからは話が聞こえないが、険悪な雰囲気ということは二人の表情から見て取れた。
「黄島さん、早退するみたいね」
「みたいですね」
「その早退がサボりじゃないかって、あの先生疑ってるみたいよ」
元々、黄島は制服の上からパーカーを着たり、時折遅刻したりと教師たちからは問題児的な扱いを受けている。
俺からすればその程度だろとも思うのだが、なまじこの学園は素行の良い生徒が多い分、黄島が悪目立ちしてしまうのだろう。
「ちょっと、俺行ってきます」
「あら、黄島さんを庇うの?」
「庇うっていうか、黄島早退については、担任の先生から許可が出てるみたいなんですよ。だから、それを伝えてこようかと」
「それくらい、黄島さんならもう言ってるわよ。それでも、あの先生は疑ってるんでしょ」
「だとしたら、面倒っすね」
「ええ、本当に」
どこに笑う要素があるのか俺には理解できないが黒沼先輩は口に手を当て頬を緩ませる。
「人って、面白いわよね。これだっていう先入観があると、そこから抜け出せなくなる。客観的な視点がどんどん抜け落ちていく。今のあの教師も、自分が正しいと思ってるのでしょうね。全部、主観でしかないのに」
「なら、周りが客観的な視点を与えるべきじゃないですか? とりあえず、俺行ってきます」
突然饒舌に語り出した黒沼先輩を置いて、一歩踏み出す。
黄島が困ってるなら助けてやった方がいい。黒沼先輩には悪いが、ここで離れさせてもらおう。
「あら、ダメよ」
だが、次の瞬間、突然景色がグルッと回ったかと思えば、俺の視界には天井が写っていた。
「は?」
混乱しながらも身体を起こそうとする俺の顔を覗き込みながら、黒沼先輩は微笑む。
「私ね、嫌いな人間が苦しんでるところとか、困ってるところを見るとどうしようもなく嬉しいの。黄島さんって、昨日私に酷い態度だったでしょ? だから、今の彼女を見ると「ざまあみろ」って感じで気持ちいいのよ。邪魔、しないでくれる?」
全身の毛が逆立つような威圧感を放ちながら黒沼先輩はそう言った。
悪意、とは微妙に違う。
まるで大好きなテレビ番組を見る子どものような純粋で無邪気な狂気がそこにあった。
とにかく今は少しでも早く黒沼先輩と距離を置きたい。
そう思っていると、俺に微笑みかけていた黒沼先輩が顔を上げ、「あら」と呟く。
黒沼先輩の視線の先では、教師から離れていく黄島の姿があった。
教師の表情はまだ不満気だが、どうやら黄島は解放されたらしい。
それを見た黒沼先輩も残念そうにため息をつく。
これで一安心だ。
黒沼先輩も流石にこうなったら何もしないだろう。
だが、その考えは間違っていた。
「はあ、仕方ないわね。正体がバレる危険があるから、あまりしたくないんだけど……自分の欲望には抗えないもの」
ニヤリと口角を吊り上げ、黒沼先輩が胸に手を突っ込む。そして、胸の中から黒い小さな鍵のようなものを取り出した。
あ……れ……。
その鍵、どこかで見たような……。
何かが思い出せそうで、思い出せない。
ただ一つ言えることがあるならば、黄島に危険が迫っているということだった。
「黄――ッ」
叫ぼうとした俺の口を黒沼先輩が塞ぐ。
「ダメじゃない。彼女には殆ど気付かれてるだろうけど、まだ確信を持たれるわけにはいかないの。今日のところは、あなたとはここまで」
そう言いながら黒沼先輩が俺の目を手のひらで覆う。
それと同時に世界が暗転し、意識が徐々に遠ざかっていく。
黄島、無事でいてくれ……。
薄れゆく意識の中で最後に願ったことはそれだった。
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