第18話 美藤啓二①

「……いっちゃった」


 春陽が教室を出て行った後、花恋は肩を落とす。

 この後、花恋は千冬の手伝いをしようと思っていた。そこで春陽にも手伝って欲しいと考えていたのだが、避けられている以上は諦めるしか無かった。


「んー、春陽君どうしちゃったんだろ? 私、何かやっちゃったかな?」

「花恋は悪くないよ」


 首をかしげる花恋に啓二が話しかける。

 啓二は春陽が花恋に抱く感情のことを知っている。

 啓二の中で、春陽が花恋を嫌いになることは考えられないことだった。


「そうかな?」

「うん。春陽は春陽なりに何か考えていることがあるんだよ。暫くは僕らだけで蒼井さんを手伝おうよ」

「そうだね! じゃあ、いこっか!」


 花恋が歩き出し、その後ろを啓二も付いて行く。

 春陽が啓二たちから距離を置いたことで、自然と啓二と花恋が二人でいる時間は増えた。

 その事実を啓二は内心喜んでいた。


 美藤啓二という少年にとって、千歳春陽という少年はかけがえのない親友であり、似たような境遇を持つ仲間であり、目の上のたんこぶだった。


 春陽は客観的に見ても啓二よりずっと明るくて、運動も出来て、勉強も出来る。友達だって多い。

 小学生になるまでは二人で花恋に引っ張ってもらうというのが当たり前だったのに、いつしか春陽は啓二の前を行くようになっていた。


 女の子から春陽宛てのラブレターを渡されることもあった。

 春陽と花恋がお似合いだという話を周りから聞くたびに、胸がざわついて、春陽の顔を見たくなくなった。

 啓二が欲しいものを全部持っている。それが啓二から見た千歳春陽という少年だった。


 啓二も花恋が好きだ。

 だが、隣で啓二以上に花恋が好きなことを全身でアピールしている春陽を見ると、いつも自信が無くなった。


 春陽に負けたくないなら啓二も頑張ればよかったのかもしれない。

 だが、残念ながら啓二に辛抱強く努力し続けることは難しかった。


 僕より春陽と一緒の方が花恋は幸せだ。


 いつからかそう自分に言い聞かせて、自分を慰めるようになった。

 

 春陽の努力を知っておきながら、春陽を羨んで、嫉妬して、出来ない自分を慰める。


 そんな自分が何度も嫌になった。

 だけど、そんな啓二にも花恋は優しかった。いつも隣にいてくれた。

 だから、美藤啓二は桃峰花恋を諦めきれない。


(春陽には悪いけど、前より楽だな)


 それは美藤啓二の本音だった。

 嫉妬を抱く相手は離れていった。おかげで、春陽に嫉妬することは随分と減った。

 春陽が花恋の隣にいた頃は、春陽と花恋がお似合いだという声がどこからともなく聞こえてくるような気がしていた。

 でも、それももうない。


(ああ、でもお弁当が余っちゃうのは困るかもなぁ)


 今日の昼のことを思い出し、啓二は苦笑いを浮かべる。

 花恋が啓二のためにお弁当を作って来てくれていたが、啓二の手元には啓二が用意していたお弁当があった。

 結果として、啓二は昼休みに二人分のお弁当を食べることになってしまったため、そこだけは春陽が離れていった弊害が出ていた。


「――いじ、啓二!」


 耳に飛び込む声に啓二が顔を上げると、花恋が不思議そうな顔で啓二の顔を覗き込んでいた。


「あ、ごめん。どうしたの?」

「うーん、別になんでもないけど、最近の啓二って少しだけ表情柔らかくなったよね」

「そ、そうかな?」

「うん! 去年とかは険しい顔つきになることもあったからね。でも、よかったよー。何があったかは分からないけど、啓二にとっていいことがあったんだよね?」


 花恋の言葉に一瞬、啓二は言いよどむ。

 春陽は親友だ。その親友が離れていったことが啓二にとっていいことと言うなんて、まるで啓二にとって春陽が親友ではないみたいに思えたからだ。


『君は選ばれた』


 ふと、啓二の脳裏にいつしか啓二にそう囁いたアマツキという生物の声が響く。

 アマツキは啓二に、望むように伝えた。そして、啓二は望んだ。

 その望んだ世界は少しづつながらも確実に、啓二の目の前に出来つつある。


「うん、そうだね」


 「なら、本当によかった!」そう微笑む花恋を見て、啓二は間違ってなかったと思う。

 啓二にとっても春陽にとっても花恋が笑顔でいられることが正解だ。


(だから、いいよね)


 ここにはいない一人の少年を思い、啓二は窓の外に目を向ける。

 不自然なほど雲一つない青空が、啓二にそれでいいと言っているようだった。


「これで一安心かな……」

「え? 何か言った?」

「ううん。なんでもないよ」


 小さな花恋の呟き。

 その呟きは啓二の耳に届かなかった。

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