あんず通信

すだチ

第1話・ご主人様、募集中です

 桜や桃の花が咲く季節。それらに隠れてひっそりと花を付けるものがあった。花の色は桜に似て薄紅色、花の形は桃に似ている。


「杏(あんず)のこと、知ってますか?」

 街を一望できる丘の上、控え目に花咲く老木の下で。少女は待っていた。彼女のことを誰よりも深く理解し、そして彼女が心から仕えたいと思う人が現れることを。何年も、何年も。まだ見ぬ主人への想いを胸に、今日も彼女は待ち続ける。


「私、杏子って言います。杏の花言葉は大きな喜び。私、貴方に逢えてとっても嬉しいんです。これから宜しくお願いしますね、○○さん──ふぅ」

 自己紹介の練習にも余念が無い。第一印象の大切さを、彼女はよく知っていた。知り合いの桜の精霊のように天然ぶりを売りにするのもアリだとは思うが、そういうのはどうも自分の性には合っていない気がする。華やかさの中に儚さを秘めている桜の花とは違い、控え目な美しさを感じさせるのが杏の花だ。だから自分も、気品を保つよう努力しなければならない──彼女、杏子はそう考えていた。


「よっ、あんず!」

「……良平さん」

 だから、友人は選ばなければならない。胸中でため息をつきつつ、彼女は声を掛けて来た青年の方を振り向いた。


「いい加減に、私のことは放っておいてくれませんか?」

「そう言う訳にゃいかねぇよ。俺はお前さんに惚れちまってんだからな。恨むなら、男を虜にしちまう己の美貌を恨めよ」

「恥ずかしいこと、平気で言うんですね。いやらしい人」

「えっ? 俺は本当のことを言ったまでだぜ?」

 しれっと言ってのける良平。彼の積極的な態度には閉口するばかりだ。彼の安っぽい言葉に反応して赤面してしまう自分が情けなくてならない。こんなことだからより良い主人に出逢えないのだ。杏子は溜息をつき、良平から少し距離を取った。彼と馴れ馴れしくしている所を万が一他人に見られてはコトだ。もっとも、こんな丘の上までわざわざ登って来る酔狂な人間は、そうそう居ないだろうが。良平のような奇特な人物が居ないとも限らない。


「なぁあんず、俺じゃお前の主人にはなれないのか? 俺は誰よりもお前のことを理解してるぜ? そう、スリーサイズからお気に入りの下着の色まで──ごふっ!?」

「……そういう下品な所を直して下さったら考えてもいいですが」

 全くどうしてこんな人間と馴れ合ってしまったのだろう。仮にも自分は、この丘一帯の治安維持を担う一級精霊だというのに。胸中で嘆き、杏子は良平の鳩尾に肘鉄を見舞うのだった。


「す、少しは手加減しろっ……マジで死ぬかと思ったぞ」

「知りません、そんなこと」

「……んな可愛くねーこと言ってると、行き遅れるぞー……」

「むかっ。貴方に言われる筋合いは」

「あるって。未来の旦那様としては心配なんだよ、やっぱ」

「……もう。そんなことばっかり」

「あ、照れてる、可愛いー」

「茶化さないで下さい。魂抜きますよ?」

 脅しを込めて鋭い視線を向けるも、良平は呑気に「怒った顔も可愛いなー」などと言って来るばかりで、まるで効果は無さそうだった。人間にしては肝が据わっている方だとは思うが。だからと言って、主人に相応しいとは到底思えない。主人にしてしまったら最後、どんないやらしい仕打ちを受けることになるか……想像しただけでもぞっとする。


「お前が抜きたいんなら、俺はそれでも構わんぜ?」

「……えっ?」

「お前が俺を殺したいんなら。そんなに目障りだったら。俺は大人しく殺されてやるよ。あんずに殺されるのなら、俺は本望だ」

「よくもそんな、恥ずかしいことを」

 いつものように茶化しているのかと思った。だが、良平は真顔だった。真顔で、こちらが赤面してしまうようなことを言って来る。控え目さの欠片も無く、直線的に感情を伝えて来る。

 ほんの少し、羨ましいと感じる部分だ。自分には無いものを、彼は持っている。そう言えば知り合いの桜の精霊もこんな感じだったっけ。


「私が、貴方を殺せる訳ないじゃないですか」

 好きか、嫌いか。そういう感情は抜きにして、良平は彼女の数少ない友人の一人なのだ。人間では初めての友達ということになる。そんな彼の命を奪うことなど、できるはずがなかった。孤独は、もう沢山だ。


「すっかり春だなぁ」

「ええ、春ですねぇ」

「あんずは春、好きか?」

「春は私が、一年で一番輝いて居られる時期ですから」

「そっか……今年の春は暑くなりそうだな」

「そうですね……」

 しみじみと呟き、杏子は頭上に咲く花々を見上げた。杏の落ち着いた色調は、荒れた心に平穏を与えてくれる。この花のように、自分はなれるだろうか。優しい気持ちで生きていけるだろうか、これからもずっと。


(願わくば、この命尽きるまで、私が私らしく居られますように)

 彼女の願いは、空高く吸い込まれていき。やがて、街一杯に広がっていった。

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