#88 手放して過去にする

 あっちの世界がこれからどうなるのか、まだ分からない。もしかしたら滅びているかもしれないし、あるいは魔物と共存しているかもしれない。

 それを説明すると、土方さんは、

「でも大革命が起きたかもしれないんだよな。大革命かあ……」と天井を見上げて、石井さんのトマトジュースをグビグビと煽った。

「まあなんにせよ次に行ったらあっちが様変わりしてるのは覚悟したほうがいい。それに有菜と沙野はもうすぐ行けなくなるんだろ?」

 石井さんがトマトジュースを持ってくる。

「そうです……」有菜はため息をついた。

「なー石井、トマトジュース以外になんかないのか?」

「いまパスタソースの開発をしてるところだ。売り物は手びろいほうがいいわな」

 それはちょっと楽しみである。


 一同、土方さんの軽ワゴン車で家に帰った。有菜はやらねばならない課題をどんどん終わらせて、自主的に問題集と格闘し、それから風呂に入って、しばらく考えた。

 あっちの世界はどうなっているんだろう。

 考えても分からないし、もうじきテスト期間が始まって、異世界には行けなくなる。

 次の土曜か日曜が正味のところのラストチャンスだ。異世界がどうなったか見届けなければならない。

 無事に済むといいな。マリシャにいちごチョコを持っていく約束もあるし。

 有菜は湯あたりする寸前で風呂を出て、布団に入った。

 次の日、有菜は学校にいく前にコンビニに寄り、いちごチョコをいろいろ買い、それから学校に向かった。

 沙野もべつのコンビニで似たようなものを買っていた。休み時間に一緒に弁当を食べているときに話したら、翔太と春臣も似たようなことをしていた。

 本当に異世界にいくのはもうじきラストなんだな、と有菜は顔をあげる。外はちょっとずつ秋っぽくなってきている。


 異世界で過ごしたいろいろな思い出が、ポコポコと湧いてくる。初めて異世界に行った日、電柵を作った日、トリモチの魔法、フライドジキ。

 楽しい部活動だった。

 そう結論しようとして、まだあっちの世界がどうなっているか確認していないのを思い出す。

 その日の放課後、一同はドキドキしながら異世界に移動するのを待った。草むしりが終わったタイミングで、一同は異世界に移動した。


 いつも通りの平和なエケテの村だ。村人たちは農業機械で畑仕事をしているし、相変わらず鉱泉サウナは混んでいる。

 なにも変わらないように見えた。そう思っていると、村と森の境目で、クライヴがなにかしている。近寄ってみると、クライヴはなんとゴブリンと身振り手振りで会話していた。

「どうしたんですか?」

「ゴブリンたちが旧時代の野菜の種を売ってくれるらしいんだけど、物々交換だっていうからお金じゃだめか訊いてるところ」

 クライヴはそう答えて、親指と人差し指で丸を作ってゴブリンと話している。ゴブリンたちはお金より物々交換を望んでいるようだ。クライヴは仕方ないな、という顔で、エキ・ロクの束を差し出した。ゴブリンたちは野菜の種を渡して、嬉しそうに帰っていった。

「旧時代は野の草を摘んで食べてたんじゃなかったでしたっけ」

「そうなんだけど、これはその草の種なんだよ。現代の野菜より栄養もあるらしいんだ」

 どんな野菜なんだろう。育ったところを見られないのが残念だ。

「炭鉱とかはどうなってます?」

 有菜はドキドキしてそう訊いた。

「ゴブリンやオークやオーガに協力してもらって、採掘作業が進んでいるよ。もうじきこの村に鉱泉の水を引っ張ってきて水車小屋を作る予定だし」

 おお、いろいろとうまく行っている。

「結局終末は来なかったなあ。ちゃんと陽も暮れるようになったし。確かに魔物と共存するという革命はあったけど、本当のところはなにを意味する予言だったんだろう」

 クライヴはよく分からない顔をした。


 その日は時間の進み方が早いようだったので、早めに現実に帰還して、OB回にかくかくしかじかと連絡しておいた。土方さんからは謎のアニメキャラのスタンプで「すげえ」と来たし、石井さんは妙に可愛らしい知らないゆるキャラ、たぶんどこかの武将のスタンプで「よくやった」と送ってきた。綾乃さんも猫のキャラクターで「すごーい!」と送ってきた。

 よかった。終末じゃなくてよかった。

 有菜は心底ほっとして、これなら受験勉強を真面目に頑張れるな……と思った。

 その日も結構遅くまで勉強して、有菜は両親に受験まで予備校に通いたいと提案した。両親は快く納得してくれて、近くの予備校の教室の秋季講習に入ることになった。


 園芸部も、もう残すところ土日のみになった。

 金曜の夜、有菜は一人布団の中で泣いていた。

 異世界とさよならするなんていやだ。あの楽しかった日々はもう戻ってこないのだ。

 現実世界で農業大学に入るのも確かに楽しみではある。悪い仲間と飲み会やカラオケに行ったり、都会でオシャレな洋服を見て歩くのも確かに楽しみではある。

 しかし異世界を手放して過去にするのはとても辛いことだ。どうすればすんなり過去にできるのだろう。時間が解決する、というやつなのだろうか。

 とにかく有菜は目をつぶった。明日も明後日も、全力で頑張るしかない。

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